第10話 ヘルムート湾強襲海戦 上

『諸君は、私が今まで述べたところには、[もし]と[しかし]があまりに多すぎると言われるかもしれない​』

『…だが、戦争の実際問題を解く場合には、この二つが大きな役割を果たすのだ』​───────アルフレッド・セイヤー・マハン




 ─1918年 4月4日 ナルヴィンスク連邦 首都ローゼンブルグ


 連邦最大の港、ポート・マクレーンでは早朝から慌ただしい雰囲気が漂っていた。その雰囲気は民衆だけでなく、軍令部などの政府機関においても漂っていた。

 どうやら、西部方面軍と同様、人民帝国との国境を守る東部方面軍にも攻勢が掛けられたという。


 連邦には、連邦北部の国境を守る2つの軍があり、ひとつはミコたちが所属する広い戦線の西部方面軍、ふたつめは海沿いからエルムズ山脈までの狭い部分を守る東部方面軍がある。


 現在においては連邦も人民帝国も、西部方面軍側に戦力を割いており、今日この日に起きた攻勢も、連邦の国防軍が数の有利によって簡単に跳ね返した。


 だがここまで国内が騒然としているかというのには、他に理由があった。


「大丈夫なのか?!」

「なんのために海軍を整備して来たと思ってるんだ。ここで叩き潰すぞ。」

 連邦国防軍、軍令部では海軍省のメンバーが冷や汗をかきながら打ち合わせをしている。

 彼らの耳に入ってきた情報では、人民帝国の戦艦を主力とした艦隊が沖合に出撃した。人民帝国が、この戦争における海上での主導権を握ろうとしているのだ。


「それじゃあ、第1艦隊を差し向ける、ということで。」

「ああ、ここが正念場だ。」


 連邦国防軍海軍には、2つの艦隊がある。

 第1艦隊は戦艦を主力とした艦隊で、そこに第1水雷戦隊が付属する。第2艦隊は巡洋艦を主力とし、同じようにシャナが所属する第2水雷戦隊が付属する。


 港から黒金の戦艦たちがするすると動き始める。

 シャナは、先日のレイン・ヒルズでの用事から海軍省に帰り、その出撃する様を窓から見守っていた。今この階のオフィスにいるのは自分くらいで、あとはどこかに出払っているようだ。大方、艦隊の見送りでもしているのだろう。

 欠伸をしながら長い銀色の髪を手で梳いた。給湯室でお湯を沸かして目覚めの1杯を作ろうとする。

 天気は霧が霞む曇天、午後からは雨模様という。シャナは、艦隊が出撃する様子を見て、ココアを手にしながらどこか胸騒ぎがした。

 その悪い予感は、不幸にも的中することとなる。


「​───────え?」

 シャナの手から、マグカップが零れた。熱い液体が床に跳ねる前に、雷鳴が轟き噴き上がった巨大な水柱がシャナの瞳に映った。

「あつっ…」

 ばしゃん、と跳ねたココアに反応しつつも、シャナの眼はまだ港を見続けていた。

 真っ二つに折れた船体は、そのまま海中に沈み、海に黒い渦を残して消えていった。

 あまりの光景に、シャナは立ち尽くした。私は夢でも見ているのか?

「そんな、戦艦が…ペトロパブロフスクが…」


 艦隊の先頭を走っていた第1艦隊の旗艦・戦艦ペトロパブロフスクはこの日、実戦の場を迎えることなく轟沈した。原因は、機雷であった。

 機雷とは海上に漂う爆弾、艦が触れれば信管が作動して大爆発を起こすものだ。戦艦といえど、喫水線と呼ばれる水面より下の部分は装甲が薄くなるため、ひとつ機雷に触れれば致命傷。ふたつ触れればご臨終となる。


「​​…こんなことしてる場合じゃない!」

 シャナは慌ててコートと帽子を引っ付かみ、軍刀を腰に据えて部屋を飛び出した。

 コートを羽織り、ヘアゴムを口に加えて髪を結ぶ。

 珍しく海軍省に人が少ない、というより見当たらない。シャナ息を切って走っていた。途中、守衛のオヤジだけは目に入ったものの、やはり廊下に人は見当たらなかった。


 外には人が溢れていた。

「すいません。…すいません。」

 人混みを掻き分けて港の方に進む。港の様子が見える位置に着いた時には肩で息をしていた。

「はぁ、はぁ…嘘でしょう…これは。」

 シャナの目には、地獄が映った。

 ばしゃばしゃとその場で泳ぐ海軍士官達を救出すべく、軍艦だけでなく漁船すらいくつも出港している。

 黒色に染まった海面からは油と焦げの臭いが鼻腔を刺激させる。民衆からは嘆きの声が溢れ、近くにいた同じように様子を見ていた海軍士官も口をパクパクさせていた。


 肝心の第1艦隊の戦艦たちは、退くにも進むわけにもいかず、微速ながら後退して港へと戻りつつあった。


 シャナは帽子を被り直し、眉間の辺りに指をあてて悩んだ。港から背を向け、海軍省へと戻り始める。道中、何も目に入らなかった。頭の中の混乱を鎮静化させるべく、何も視覚情報を得なかったのだ。


 海軍省では、人通りが戻っていた。だが職員たちの顔は暗く、まだその現実を受け入れられていないようだった。

 シャナが自分のいたデスクに戻ると、オフィスでは若手の参謀たちが意見を交わしていた。



「いったいどうやって機雷を…」

「どうやってじゃない、なぜ発見出来なかったんだ!」

 オレンジの髪をした参謀が壁をパンチした。コンクリートの壁に、ぺちんっという音が虚しく響いた。

「これは責任問題だぞ!」

 彼が言うには、機雷が敷かれても、港と首都を守る要塞からは機雷を撒いた船を発見出来る上に、攻撃することが出来るはずで、機雷が撒かれたと思わしき行動を見逃す筈がない。例え深夜でも各砲台には強烈なスポットライトが付けられており、例え駆逐艦程の速さのでも発見できるという。


「要塞司令官交代が必要だな。これは重大インシデントだ。」

 この男は戦時においてもこのようなくだらないことを考える男らしい。シャナはいっそう目付きが悪くなった。


「待て、ロディオン・コーネル。今はそんな時じゃないはず。」

 シャナが冷ややかな口調で会話に参加した。

「お前は…ははっビリデルリングか…あ中尉。」

 彼は軍学校で同期だった。シャナとは成績上位組の中で成績を争い、勝手にライバル視してきた。もっとも、シャナには相手にされていなかったのだが。彼は内地で勤務することになっていたが、巡り巡って早い再開を果たしていた。


「中尉ィ、私よりいい成績なのに駆逐艦に乗ってるんですってねぇ?なぜなんですかねえ。なにか、したんですか?」

 コーネルはこんな時にいやらしい笑顔を浮かべて話し出した。周りの参謀たちは呆れた顔をしている。


「ああ、戦争のきっかけとなった事件に参加していただけだよ。連邦は優秀な人材は前線で使いたい、と参謀本部次長から聞いたけどね…」

 シャナが真顔でカウンターを喰らわせた。コーネルの顔がみるみる紅潮する。ちなみに参謀本部次長ルドヴィックの話は嘘だ。鼻で少し笑いながらシャナはさらに追撃を喰らわせた。


「内地で働く優秀な軍人は、戦時に責任問題を喚いたりしないだろうねえ、少尉。」

 シャナの勝ちだった。コーネルはなにか言いたげだったが、階級的に上官に当たるため、顔を真っ赤に膨らませながら部屋を出る。途中で「魔法使いが」などとひとりでに悪態を吐いていた。


 入れ替わりでメガネをかけた小太りの職員が入って来た。何やら汗をかきながら書類を持ってきている。

「おい!見ろよこれ!集まれみんな!」

 男は手近な長机にその書類を置くと皆を招いた。

 シャナたちは訝しげにそれに近づいた。

「"大マウロ人民帝国皇帝よりナルヴィンスク連邦へ​───────この度の戦艦ペトロパブロフスクの喪失と、名将グレゴリー大将の戦死を心より悼みます。この度はご愁傷様でした。”って…これは…」

 最初の書類は電報を書き出したものだった。ふざけている。戦争相手の国にこのような電報を送り付ける国は普通ない。


「ふざけやがって!クソが!」

 若手参謀たちが次々に激昴する。シャナは黙って重なっていたもう1枚の書類を見えるように出した。

「もう1枚もありますよ。…"貴国の要塞は堅牢かつ優れたものだ。これは貴国の失態ではなく、我が国の秘密兵器によるものである。​”───あとは適当なことばかりですか。」


 文章の下には白黒がベースながらもいくらか着色された写真が付いていた。

「これは魔法による自動魔術着色ですね…うん?」

 シャナも周りの士官もその写真が示している事に気づいた。

 どこからどう見ても、ポート・マクレーンを上空から撮っている写真だったのだ。それが知らせる事は勿論、機雷をもたらした秘密兵器とはワイバーンのことである。


 そしてそれは、ナキヤ海における人民帝国の海上優勢と、大空の支配を色濃く暗喩していた。







 ─1918年 4月5日 ナルヴィンスク連邦 首都ローゼンブルグ


 翌日、シャナたちが見た書類はそっくりそのまま国内外の新聞の1面を飾った。

 人民帝国外務省はこれを宣伝し、わざわざ各国の新聞社に写真の複製を送ってまで記事を作らせた。このところの陸軍の失態の埋め合わせの如く、それは行われた。


 国防軍海軍は前日のこともあり、めっきり出撃を控えていた。だがその中で、シャナの座乗する駆逐艦荒波と、それが所属する第2水雷戦隊だけは外洋に出ていた。

 荒波の修理は終わり、ようやく出撃出来るタイミングで前日の事があったため、防空識別艦、つまりADISとなった第2水雷戦隊はその訓練のために外洋に出ていたのだ。

 もちろん掃海作業も行ってから出撃している。


 訓練中、シャナは思いもよらない報せを受けた。昨日と同様、人民帝国の艦隊が出撃したという。

 第1艦隊は出撃、防空任務として第2水雷戦隊も合流せよ、との命令を受けた。

 だが第2水雷戦隊はちょうど燃料の補給が必要だったために、一度母港へ帰り補給を受けてから合流することとなった。

 だが幸運にも、この一時的な帰投が運命を変えることとなる。


「ビリデルリング砲術長!至急電だ!ヘルムート湾に敵が来ている!」

 男がシャナに近寄ってくる。以前まではこの荒波の砲術長であったグレゴリオ少佐だ。

「敵軍強襲上陸により東部方面軍・第16師団は窮地​───────ワイバーンもいる…とは。」

 シャナが読み上げた。

 どうやら敵は、東部方面軍を突破すべく海岸から強襲上陸を行い、更にはワイバーンによる空からの支援を行っているらしい。


「俺たちは罠に嵌ったんだ!敵艦隊の報せはだったんだ。」

 グレゴリオ艦長は、素早く理解をしていた。連邦の主力である第1艦隊を外洋深くにおびき出し、その隙に上陸を仕掛けていたのだ。

 戦艦というものは足が遅い。特に第1艦隊の第1戦隊は連邦国産の戦艦で、重装甲で鈍足だった。艦隊運動というものは速度を揃えなければ行えないため、必然的に1番足の遅い船に合わせる必要があった。

 つまり、第1艦隊が上陸部隊を阻止しに来た時には、もう手遅れとも言える状況になっていてもおかしくない。


 そこで国内に残っていた第2艦隊に白羽の矢が立った。

 巡洋艦が主力であるため、全力を出せば艦隊で30ノットないし28ノット程度で速力を統一して行動出来る。


 戦史に残る、ヘルムート湾強襲海戦が、今始まろうとしていた。



 ─1918年 4月5日 ナキヤ海海上 FNS[荒波]


 艦隊は、北へ北へと進んでいる。シャナの乗る荒波の前には、水雷戦隊の旗艦となる軽巡洋艦アリョーシャが走っている。

 右には、シャナが軍学校時代世話になったネボガトフ少将が指揮する重巡洋艦浅間と、その後ろに同型艦の重巡洋艦たちが続いた。


 艦隊の構成は、重巡4隻、軽巡3隻、駆逐艦6隻というものであった。

 重巡洋艦と駆逐艦は桜華皇国の作ったものだ。


「敵艦隊視認、駆逐艦らしい。」

 という声が見張り員から届いた。指揮所の空気が、一瞬にして緊張した。

 10秒後、シャナは人一倍倍率のいい双眼鏡を覗いて目標を捉えた。

 彼女はレンズに映し出されたものを見て呻いた。

「あれは…駆逐艦じゃない。」

 シャナは滅多に顔色を変えない女だが、この時ばかりは違った。



「あれはなんだ…?」

「報告は正確にしろ!」

 重巡洋艦・浅間で、見張り員に注意の声が飛ぶ。その戸惑いは訓練不足ではなく、その奇っ怪な事象にあった。

「目標は重巡2、駆逐艦3、それから…箱型の大型艦2。距離、30000!」

 浅間の第一艦橋に立っていたネボガトフ艦長は、報告を聞いて訝しんだ。だがこの男はその動揺を見せなかった。


「主砲水上戦に備えよ。」

 よく通る声で命じた。続いて報告が入る。

「敵大型艦は…ワイバーンと思わしき飛翔体を飛ばしています!更に駆逐艦群急速回頭、こちらに突撃してくる!」

「最大戦速即時待機、左砲戦用意。風向きを確認、翼竜ワイバーンの母艦の頭を抑えられる進路を出せ。」

 さすが砲術の天才、ネボガトフ艦長の指示は立板に水だ。彼は連邦における砲術の宝であり、シャナも直接教えを受けたことがある。第2艦隊の巡洋艦たちは、次々と射撃準備が整えていった。



 人民帝国海軍・第1特務艦隊の指揮官、トーマス・アブレイユ少将は報告を受け、

「連邦の水上部隊だと!?」

 と聞き返した。

 彼の部隊は上陸支援や護衛などの観点から現在3つに分かれて展開している。

 彼自身は最も北方で作戦を展開しており、通信の相手は最も南方で展開してた部隊だった。

「早急の救援を求む、重巡クラスの艦隊と駆逐艦が大勢水平線上に見える。急いでくれんと水泳の教練を受け直すハメになりそうだ…か。」


 トーマス・アブレイユは渡された電報の書かれた紙を読み上げた。

 彼は思った。

 信じられない。一体どうして連邦の艦隊とこっちのが撃ち合って…いや一方的に撃たれているんだ?陽動作戦は成功したんじゃないのか?


 彼の勘違いは、仕方のないものだった。確かに陽動作戦は成功した。だが人民帝国の偵察船は、第2艦隊に所属する第2水雷戦隊も沖合に出ていたことから、第2艦隊も第1艦隊と共に出撃するものと断定してしまったのだ。


 だが彼の想定においては、巡洋艦の部隊がいくらか来たとしても跳ね返せるつもりでいた。多少犠牲は払うかもしれないが、この作戦は成功する、はずだった。




 浅間の第1艦橋は大騒ぎだった。参謀連中が昨日の恨みの呻きを漏らしたり、命令を下したり、とにかく騒がしい。

 副長が噛み付くような口調で報告した。

「展開方面は110度が最適です。抑えられます。翼竜の母艦を叩けます!」

「艦長!」

 ベルリンク参謀長が瞳に輝きを浮かべてネボガトフを見た。

 この参謀長は、先日の戦艦ペトロパブロフスクの喪失と、ワイバーンの存在についてかなりのフラストレーションを抱えていた。

 ネボガトフは彼を見た。答える前に報告が入った。

日向ひなたより信号。我レ射撃準備完了。射撃命令未ダナリヤ。」


 ネボガトフは大きく頷いた。

 ベルリンク参謀長は叫んだ。

「第3戦隊射撃始め!」

 矢継ぎ早に下される命令に従い、浅間は急速に主砲の射撃準備を整えていく。艦隊戦闘では、旗艦の射撃開始が戦闘開始命令となるため、急がねばならない。全ての乗員が、その神経をすり減らして動き回る。

「射撃準備完了!」

 その報告が入ると同時に、浅間の砲術長が発射を命じた。

 浅間の主砲から、轟音が響く。後方の日向ひなたからも主砲の第一斉射が轟く。合計12門の20センチ砲弾が春空の大気を切り裂く。ヘルムート湾強襲海戦が始まった。


 シャナは歯ぎしりするような思いで、レンズを覗いていた。まだまだ敵の駆逐艦は遠い。駆逐艦荒波ら第2水雷戦隊はまだ役割がないため、この劇を鑑賞していた。


「て、敵翼竜母艦に初弾命中!」

 歓喜に震える声で報告が入った。浅間の艦橋が一斉にどよめく。

 基本的に射撃とは、放った弾丸の弾着地点を観測して、段階的に射撃データを修正していく。そして確率的に直撃弾を出そうとする軍事技術だ。

 そうならば、第一斉射サルヴォーというのは試し打ちに近く、最も不正確なデータであることとなる。

 自らの技量が、敵を最初の一撃で破壊することによって証明される。砲術科の人間にとって、初弾命中とは人生最大の快事と言っても過言ではない。


 この瞬間、浅間の砲術科員たちはそれを実現した。

 それゆえ彼らは喜んでいた。

 正直なところ、砲術科出身のネボガトフ艦長も内心彼らと同じだったが、ネボガトフはベテランの士官であり、艦長だった。


 浅間の戦果を確認したネボガトフの口から放たれた言葉は、驚くほど抑制の効いたものだった。

「敵の被害状況はどうか。」

「黒煙を上げています。日向の初弾も命中した模様。」

 艦橋はさらにどよめいた。しかし、ネボガトフの表情はより一層冷静となり、軍人と言うより研究者の顔つきとなっていた。

 戦艦並み、いやそれ以上の大型艦に向けて放った徹甲弾だぞ。もしが戦艦並の重装甲で、徹甲弾を受け止めたとしたら黒煙なんて上がらないだろう。もし貫通したら爆発の様子がもっと見えていいはずだ。

(待てよ。)

 翼竜の母艦ということは…あれほどの大きさであるということは…。


 ネボガトフは通達した。

「第三斉射より弾種変更。」

 艦橋が静まり返った。

 徹甲弾を止める?あの大型艦相手に?

 艦長は何を考えているんだ?



 浅間の初弾を喰らった瞬間、翼竜母艦サヴァージの艦体に激烈な振動が走った。

 その時、サヴァージの乗組員の技術兵曹、ジョン・ベックマンは竜母の飛行甲板にいた。

 彼は上空からなにか甲高い音が聞こえた途端、発艦しようと翼を広げていた翼竜が、妙な咆哮を上げて海面に吹き飛んだ。

 竜母の薄い飛行甲板に、直径2メートル以上の大穴があく一部始終を目撃した。

 その直後、発生した振動によって彼は甲板に叩きつけられたが、口の中に発生した裂傷を舌で舐めながらその穴を覗き込んだ。


 敵の砲弾は全く装甲のないサヴァージの全デッキを貫通し、艦底に穴を開けたことがわかった。下の方から波の音が聞こえてきたのだ。


 浅間の発した信号は、全艦隊に伝達されていた。敵艦隊に突撃する進路で、普通ならそろそろ軽巡洋艦戦隊や駆逐艦らが尖兵となって逃げようとする敵部隊を追い詰めようとする段階のはずだった。だが発せられた指示は、「現隊形のまま第3戦隊(重巡洋艦戦隊)に付属せよ」との命令だった。さらに重巡洋艦戦隊へ「射撃中断」の信号旗が掲げられた。


「艦隊司令部は何考えてるんだ?」

 荒波の艦内で、艦長のグレゴリオが訝しんだ。

 重巡洋艦たちの射撃は効果が出ているものの、駆逐艦や軽巡洋艦の魚雷攻撃が最も効果があるはずだ。

「分かりません…が、我々は駆逐艦ではありますが防空任務もありますし慎重な判断をなされたのでしょうか?」

 シャナは双眼鏡から目を離して答えた。だが彼女も疑問を持っていた。何故射撃を中断するのか?



 確かにワイバーンの母艦が目の前にある以上、防空任務の重要性をシャナは感じていた。

 だが実はネボガトフ艦長の指示は、シャナの想像すること以上の意味を持っていた。

 シャナは軍学校の実務研修で浅間に乗っていた。その際、ネボガトフに指導され、

「うむ、ビリデルリング学生。よろしい。臨機応変の判断を忘れるでないぞ。」

 という、ネボガトフ流の褒め言葉を貰ったことがあった。そのネボガトフ艦長が、恐らく射撃を行おうとしている。まるで全艦隊へ、自分の砲撃を注目しろと言っているようなものだった。



「さあ、教官、お手並みを拝見です。」

 シャナは再びレンズを覗き込むと、砲術の天才が自分に何を見せるのかを待った。



 ヘルムート湾強襲海戦 下 に続く

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る