第3話 凶弾

 『ニイタカヤマノボレ一二〇八』​───────1941年12月2日大本営




─1918年 3月24日 ナキヤ海海上 FNS[荒波]



 シャナ・ビリデルリング少尉の接する軍人としての最初の死は、ナルヴィンスク連邦東の海で発生した。

 駆逐艦荒波は、会敵地点までぐんぐん速力を上げている。日没まで余裕はない。

「左艦首!未確認艦視認!」

 前部指揮所とマストの間に設置された見張り員用の見張り所。そこから見張り員の報告が指揮所に響いた。

「旗流信号と発光信号用意。距離1万5千まで近づくぞ。」

サノスビッチ艦長があごをさすった。

 騒音慌ただしい艦内に、ライトをパシュッパシュッと点滅させる音が追加された。


 シャナは数刻前、未確認艦を検査する短艇カッターを降ろす作業の指揮をするために、後部指揮所に移動していた。シャナも見張り員からの報告を聞き、先ほどの会話を思い出していた。結局艦長たちには伝わったのかな…言いたいことは半分も話していない。あぁわたしの悪い癖だ。そもそもなぜ人民帝国の船が領海ここにいるんだ。いや、なぜ単独で出没している。


 シャナはレシーバーを手に取った。

「見張り員!やつらがしているか見えるか?」

「は…何をしているかはまだ…ただこのままではクラップ湾に入るでしょう。」

 クラップ湾…クラップ湾?なぜあんな寂れた漁村しかないところに行く。そうか──


 思考に割り込むようにスピーカーがシャナを呼んでいた。

「後部指揮所。臨検隊を用意せよ。」

「副長、ご相談があります。実は──」


 前部指揮所では緊張した会話が交わされていた。

「奴らは、クラップ湾に入ったんか?」

 カルロス・サノスビッチ艦長はしゃがれ声で尋ねた。

「ええ。報告ではそうなっています。」

 副長が答えた。

 サノスビッチはため息をつきながら椅子に座りこんだ。どうすべきか。


 いま、彼の耳にはビリデルリング少尉と見張り員から、対人民帝国戦の前触れとも呼ぶべき事態が報告されている。大マウロ人民帝国の海軍と思われる駆逐艦がクラップ湾へ侵入し、そのあたりの測量を始めたのだ。


 罠や。罠でしかない。

 サノスビッチはそう思った。

 余りに見え透いた罠だ。連邦を挑発し、戦争を起こす理由を作ろうとしてるんや。だがこれを見過ごせば、クラップ湾に強襲上陸の足がかりが出来てしまう。いや、もうすでに足がかりを掛けられた港はいくつもあるかもしれん。

「奴らからの返信は?」

 サノスビッチ艦長は尋ねた。

「いいえ。未だなにも…。」

 レシーバーを耳に当てていた副長がそう答え続けていたが、顔色を変えた。艦長も異変に気付いた。


「敵、砲塔指向中──射ってきました!」と、見張り員からの報告と自分の目からも見える事象を報告した。

 一瞬の煌めきの後、砲声が響いた。一瞬の沈黙。弾着。遠い。

 サノスビッチは歯ぎしりした。これは明らかな戦争行為や。クソッタレが、舐めやがって。これ以上黙って見ているわけにはあかん。

砲術長ホチ!射撃準備はできているか。」

 ええまもなく、と返す砲術長を尻目に、艦長は唾をまき散らしながら下品な言葉を発し続けていた。


「準備出来次第試射を。魔筒もリッダイト弾も使うな。あーそれから──」

「本国へで発信しろ。我ガ艦領海ニテ人民帝国軍ト思ルル国籍不明艦艇ノ攻撃ヲ受ク、コレヨリ自衛行動ヲ取ル、以上だ。」


 後半は副長に向けて言った。熱くなった心と身体だが、脳の芯は冷静だった。

「他の国にも傍受されますよ。」

「いや、ええんや。それでいい。」

 サノスビッチは黄色い歯を見せた。戦争の未来が変わらないというならば、彼はよりになる方を選ぼうとしていた。


 荒波は、戦闘行動を開始していた。敵のヴェネター級軽クルーザーもスルスルと動き出し、黄昏の水平線に2筋の煤煙がたなびいていた。

 ポンポンと打ち出される荒波の主砲弾をシャナはその都度目で追っていた。

 敵から見ればこの射撃速度は火の玉が飛んでいるように見えるほどの弾幕だ。この荒波に乗り込んだ220名の乗員、その大部分がこの一瞬に神経をすり減らしていた。


 後部指揮所だけが、その例外だった。大型艦ではないので主砲の管理は前部指揮所の砲術長が対応する上に、戦闘になればいくら形式的とはいえ参謀は戦闘中は暇だ。


「なんとかならんもんですかねえ。」

 同じく指揮所で手持ち無沙汰だった同期のピカピカ組の砲術士官がぼやいた。

「わたしの方が暇だよ。それとも、戦争でもないときに実戦がしたい?」

「いやぁ。そう言われたら…」

 シャナは嫌味を言いつつも、肩が震えていた。心は戦争行為を受け入れていた。だが本能が、震えを誘っていた。双方に未だ命中弾はなかった。


「畜生。あれだけ打って当たらないのか。」砲術士官がぼやく。

 二人は視察口から妙な格好で外を眺めていた。

「だけど向こうも下手だね、これは当たらない。」

 どの国も、優秀な砲手は巡洋艦や戦艦に集められている。

 同じピカピカ組とは言え、シャナは用心を欠かさなかった。シャナは、列車が鉄橋を渡るような轟音が近づくたびに視察口から離れ、姿勢を低くした。外れた砲弾の破片が、スリットから飛び込んでくる可能性だってないとは言えないからだ。


 耳を弄する砲声と、目を眩ませる閃光が、人々の時間の流れを狂わせていた。目標を達成し、本国に帰還しようと何度も変針し速力を上げる人民帝国駆逐艦を、荒波は必死に阻止しようとしている。


 後々の世まで語られる「運命の一弾」がいままさに発生しようとしていた。


 海戦が始まり1時間が経った。人民帝国軍の駆逐艦の主砲が火を噴いた。放たれた127ミリ砲弾は四発。

 その中に含まれていた一発が、シャナを最初の死と直面させ、彼女の運命を大きく変えてしまう。その砲弾は3か月前、腐敗した政治による情勢の中、安月給の工廠で生産されたもので基本的にと検査をパスした。

 ウォトカ・ビールを引っかけたおやじの手によってやや歪んだ形に作られたこと以外は。


 それは普通の弾と変わらない飛翔経路を描き、命中せず水面に突進した。変化が起きたのはそこからである。

 ウォトカ・ビールを引っかけた職人が作った一発は、海面に接触すると同時に跳ね、荒波の艦体前部に飛び込み、どんな船の防御設計でも想定しえない角度でえぐり上げた。


 シャナは、強烈なラリアットを食らったような衝撃を受けて床に倒れこんだ。

 金属音と悲鳴が聞こえた気がしたがそのすぐ後に前部で腹に堪える音が聞こえた。

 海面で跳ねた127ミリ砲弾は歪んでいるために信管が作動せず、前部指揮所を肉塊と血の海として反対側へ飛び出した。


 シャナは一瞬気を失っていた、がすぐ目を覚ました。

「うわっっ」

 シャナは慌てて身体を起こした。まだ頭がクラクラしているがどうやら着弾したらしいということは理解した。

 彼女は周囲を見渡した。ほとんど生きているだろう。唯一の例外は先程まで話していた砲術士官が腕や胸にノコギリのように多数の破片を受けて倒れていることだった。どうやら、至近弾の破片が飛び込んできたようだ。


 気がつくとスピーカーが呼んでいた。

「後部指揮所!!砲術士!」

 シャナはレシーバーを取った。

「後部指揮所。こっちは重傷者一名あとは平気です。状況は?」

 怪訝そうな声がレシーバー越しに聞こえてきた。

「その声はビリデルリング少尉か?あぁまさか…砲術士が重傷者か。」

 シャナはようやく喋っている相手が砲術長だと気づいた。

「前部指揮所がやられた。操舵環境に異常はないが──」


「艦長と航海長がられた。副長は生きているが負傷して指揮できない。」

 シャナは全身から血の気が引いていくのを感じた。どういうことなんだ。砲術長以外全滅?

「まさか…そんな…。」

 シャナは呻いた。思わず相手に訊ねる。

「グレゴリオ大尉。わたしは、どうすればいいのでしょう…?」

「馬鹿垂れが!」

 グレゴリオ砲術長は怒鳴った。

「?」

 シャナは困惑していた。

 砲術長は子供に言って聞かせるように語った。

「ビリデルリング少尉、貴様は、魔法使いだ。こういうときのためにいるんだ。軍学校で砲術も習うだろう?」

 砲術長は一度言葉を切った。そして流れるように一気に言った。



「──いいか?俺は荒波を指揮する。いま本艦の砲兵科将校では俺を除けば貴様が最上級者だ。つまり、おまえがこの荒波の砲術長ホチにならなきゃいかんのだよ。」




 ─1918年 3月24日 ナキヤ海海上 IMN[キメラ]


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