1年生編10月
◆やんちゃだった頃の話
「あら侑希。一人でいるなんて珍しいですわね」
「うみちゃん、政経の時間からずっと寝てるの。大丈夫かな、苦手って言ってたのに」
侑希と涼子がすれ違ったのは放課後の階段前。侑希はクラスに戻るところで、涼子はどこかへ出かける途中。
「もし侑希が得意なら、テストのコツでも教えてやってくださいな。私はあまり教えることが得意ではありませんので」
「涼子ちゃんって成績いいのにね?」
ズルをしているからである。
「うみちゃんに聞いても昔馴染みって風にしか教えてくれなかったんだけど、二人はどうやって出会ったの? 親が知り合い同士とか?」
片方が帰国子女で、子供たちだけで暮らしてるとなれば侑希の答えが一番もっともらしい。
「そうですわねー」
今日の涼子は少し気分がよかった。舌の滑りもいつもよりいい。
「私ってこう見えても昔はやんちゃ(訳︰野蛮、殺戮兵器)だったんですよ」
「やんちゃ? 不良ってこと?」
不良くらいで済むなら海とは出会っていない。
「まぁそのような感じですわ。大枠は。わりとすぐ喧嘩(訳︰侵略、破壊、殺戮)をしてしまっていて、そろそろ止めなくてはいけないと思った方がいらしたようで」
「ぜんっぜん想像つかないね」
「過去のことですので」
「それで止めに入ったのがうみちゃん?」
「結果的にはそうなのですが、止めようと思った方が敗北して仕方なくカイを呼んだらしいですわ」
「うみちゃんってヤンキーのボスみたいな感じたったの!?」
「怒ったら怖いのは認めますけど、単に彼女は桁違いに強いだけですわ」
「運動神経めちゃくちゃいいもんね! この前のバレーボールもスパイク決めててカッコよかったよね!」
侑希のクラスと涼子のクラスは体育の授業が合同になっている。
「そんな馬鹿力を持ったカイがいやいや止めに来て、躊躇なく私のことを殴って、私が全面降伏して和解だった気がしますわ」
最後の方は、容赦なく殺しにかかってきたので記憶が一部欠落している。思い出したくもないので、海にこの話題を振るのはタブーだ。
「そんなわけで美しい私と、顔だけは可愛いカイのイメージに合わないのでこの話はご内密にお願いしますね」
「したところで誰も信じないよー」
侑希自身、半信半疑な顔だ。
「そうですわね」
彼女の以前の趣味の一つに破壊があったなんて、この学校の生徒は信じられるわけがない。
「涼子ちゃんは最近どう? 先生とうまくいってるの?」
「……侑希は勘が鋭いから怖いところありますわね。特に何もないですわ。良好に先生と生徒、顧問と生徒です」
「良好ならよかったね」
「このことはカイに言わないでくださいよ、絶対に」
「アイス一本!」
「抜け目ないですわね。今度時間があった時に奢らせていただきます」
「ありがと〜」
邪魔者扱いされた上に、高級アイスのファミリーパックを買ってこいと命じられるよりも、ずっと優しい取引。
「はあ……爪の垢飲ませる云々のは、本当に効果があるのか試してみたいですわ」
◆そろそろ勉強をしっかりやりましょう
「うみちゃん、あんなに授業中寝て。今回は一緒にテスト勉強するよ」
「急にどうしたの?」
「文化祭も体育祭も終わったし、すぐに中間テストだよ。夏休みの宿題もぎりぎりにやってたんでしょ?」
「何でそんなことまで知っているんだって聞きたいけど、どうせ涼子だよな」
「政治経済ノート取ってないでしょ。わたしの写して。字はあまり綺麗じゃないかもしれないけど……」
丁寧な字で政治経済と油性ペンで書かれた青いノート。中を開くと意外と質素。色は赤と青。蛍光ペンも黄色の一色しか使用されていない。字の綺麗さについては、海には判断しかねるが問題なく読み取ることはできる。
「侑希ちゃんのノートはもっと色鮮やかな感じだと思ってた」
「小学生の時の癖で、赤と青しか使わないんだよね。一応ピンクとかオレンジ色のペンもあるんだけど、化学の授業くらいしか使ったことないかも」
ちなみに海のノートは基本的にシャープペンのみで、教師の発言で気になることがあれば赤でチェックをしている。気分によって日本語だったり、英語だったりフランス語だったりするので読み返しはとてもしづらい仕様になっている。
「うみちゃんの母国語は何になるの?」
正確に答えるのならば、本来魔女に言語はなかった。言語を最初に作ったのは人間だ。国もなければ言葉も海にはない。
「最近は英語をよく使ってたかな。どこ行っても大体通じるから」
「英語ペラペラなの恰好いいなぁ」
古代語も操れるが、披露したところで気持ち悪がられるだろう。
「でも日本の学校で習う英語はなんか違うよね。現代文もそうだけど文法好きなのは文化?」
「英会話塾が溢れているのが答えかもねー」
テスト前の校内はとても静かだ。一クラスに一グループくらいは残って勉強をする姿があるが、基本的に真面目な生徒が多いこともあって居残りの割合は少ない。
七組の教室も海と侑希しかいない。
「偏見に聞こえたら申し訳ないけど、うみちゃんって日本語も流暢だよね。会った時から」
「そう? 日本の単語ってローマ字で書いたら同じなのに、イントネーション違ったりするし、そのイントネーションが地方によって随分違うから困る」
「方言ね。わたしもおばあちゃんとかおじいちゃんの方言は分からないから、いっつも雰囲気で会話してるよ」
「そんなに違うの?」
「うん。でもフランス語に近いって言われいるからうみちゃんなら分かるかもね」
「それならフランス語でよくない?」
紙パックの紅茶を飲みながら、教室に残って勉強する人が少ない本当の理由を理解する。誰かと勉強すると言っても、こうして会話が盛り上がるからだ。
――何で侑希ちゃんは急に私を誘ってきたんだ? 私に付き合ったところで、侑希ちゃんにメリットはないのに。
「写し終わった? 他にノート取れていない教科あるなら貸すよ?」
「うーん。数学は取ってないけど、ノート提出もないし……」
「数学は世界共通、なの?」
「数学、理科は基本的に共通じゃないの。歴史は国によって価値観違うみたいだからなんとも言えないけど……。少なくとも数学は基礎さえ覚えていれば、あとは利用の仕方が問題なだけだから簡単だよ」
「数学が苦手な人にそれ言う~?」
「情報が誰でも簡単に調べられるようになった今、暗記系の科目って一字一句覚えるまで勉強する必要ないと思うから数学だけ勉強してもいいんじゃないの」
「それは社会が許してくれないんですー。あと数学の勉強ばっかりなんて嫌」
「この学校は数学嫌いな人が多いね。先生は人気なのに。……侑希ちゃんもあの先生に聞きに行けばいいんじゃない? 涼子ですらそうしているみたいだし」
「……。数学はうみちゃんに教えてもらうで妥協するよ」
「妥協って……」
こんなところ涼子に似なくてもいいのにと愚痴をこぼしたくなる。
「ここと、ここ、あとこの四番の問題。問題集に解説載ってないから教えて。政経のノート貸したでしょ?」
「あざとい。そんな卑怯な手口覚えちゃいけません」
涼子から要らぬことを吹き込まれているかもしれない。帰ったら釘を刺しておこうと誓った。
「四番の問題は、二番の問題とほとんど解き方変わらないよ。ここをさ」
長く生きているとやるべきことがなくなる。一時期海は、暇つぶしで数学者のまねごとをしていた時期があった。
「侑希ちゃんは勤勉だなぁ」
少し解説を聞いた後、自ら解こうとする姿勢、日々の授業態度、総合的に見て彼女は真面目を鏡に映したようだ。
「出来れば国立の大学に行きたいから。できることはやっておかないとね」
「……私立だと高いんだっけ」
「うみちゃんの家はお金持ちだもんね。全然学費違うんだから。妹もいるから浪人も私大も避けたいんだよね」
暗い顔から、「解けた! ありがとう、うみちゃん!」とすぐ笑顔へ表情を変える。
「侑希ちゃんは大学行って何学びたいの?」
「とりあえず教員免許取れるところに行くっていうのは決めてるんだけど、小学校にするかとか科目を絞って中高にするとか、そのあたりはまだ迷ってるかな」
彼女には将来の夢がある。限られた時間の中で、やりたいことが決まっている。ほとんどの人間は働いて稼がなければ生きていくことも、好きなことをすることもできない。
――大変だな。
魔女は気楽なものだ。魔女同士の争いはあれど、基本的には自由に生きていくことができる。一昔前は魔女狩りなんてものも流行っていたが、あれで殺されていたのは全て人間だ。
「うみちゃんは? 進路決まってるの?」
この三年間の学園生活の後のことなんて考えたことなかった。たとえ同じ大学に行こうと侑希との面識はなかったことになる。涼子や藍子のように何度も学園生活を繰り返す気力もないが、たった三年で魔女界に戻るのも気が引ける。
「まだ何も考えてないや」
「そうなんだ。こうやってうみちゃんと一緒にいるから、三年後は違う学校で授業を受けているんだと思うと寂しいね」
その前に、クラス替えがある。おそらく一緒になることにはなるが。
「大人になったら一緒にお酒飲みに行けたらいいね」
「そうだね」
小さなことでも嘘を重ねることに罪悪感を覚えるようになった。魔女であっても、お気に入りを贔屓にすることはある。
「最近は暗くなるのが早くなってきたね」
「制服も冬服に戻っちゃったしなー。やだやだ」
「やだって、うみちゃんはブレザー着てないじゃない。陽が完全に沈む前に帰ろう」
「他の問題はいいの?」
「また明日教えて。ほら、ちゃんと鞄に教科書とノート入れて。あ、紅茶まだ残ってるよ」
「そのまま持って帰るから。そんなに急がなくても」
「うみちゃん送ってくよ」
「なぜいきなり。侑希ちゃん家はこの道を真っ直ぐ行った方が近いでしょうが」
今日の侑希はいつもに増して過保護だ。
「自転車だからうみちゃん家に寄り道したところで大して変わらないよ」
「何かうちに用あるの?」
「ううん、まったく」
「それなら寄り道せずにお帰り」
「やだ。送ってく」
「何でそんなに頑固なの?」
「うみちゃんこそ素直に送られればいいんだよ」
意外と決めたことを曲げない頑固な性格であることを最近知ったので、これ以上言い返すことはやめ、海は大人しく夕陽色の自転車をお供にすることにした。
「やっぱり何かあったんじゃないの?」
「もう少しうみちゃんを独り占めしたいなーって思っただけだよ」
「棒読みで言われると悲しいんですが……」
「文化祭の日にうみちゃんが告白されたって聞いた時は、ちょっとびっくりしたけどね」
「?」
「あ、別にうみちゃんがモテないってことじゃないよ。高嶺の花過ぎて誰も告白までしないかなって思ってたの」
「大して話したこともないのに告白っていう考えが私にはちょっと理解できない」
「誰かに取られる前にキープしたいって気持ちがあるからじゃない?」
「失礼な思考だな……」
「でも白石くんが動いちゃったから、これから告白する人増えるかもね?」
「えぇ……。そんな短絡的なやつ絶対やだ」
心底嫌そうな海の顔を見て、侑希は反対に安心したような穏やかな笑顔を浮かべる。
「あの白石君ってさ、文化祭の時とかその前も私のことちらちら見てたりした?」
「うーん、どうだろう。それは見てたと思うけど……」
――侑希ちゃんの言っていた視線って、彼じゃないの?
「うみちゃんは存在するだけで視線を集めるから」
――異文化に疎い種族だな、ほんと。
歩いているうちに現在の住処に到着した。
「ここがうみちゃん家?」
「そうだよ」
侑希を目の前まで連れてきたのは初めてかもしれない。
「やっぱりお金持ちなんだね」
「東京のマンションに比べたら、全然安いよ。お茶でも飲んでく?って言いたいけど、侑希ちゃんのことだから勉強するよね」
「テスト間近だもの。それにもう暗いし。落ち着いたらまた呼んでね。バイバイ」
スカートを押さえながら自転車に跨り、すでに紺色になった東の空へ侑希は消えて行く。
――誰かいる?
駅前の通りだ。もちろん人はたくさんいる。
――やっぱり何か隠してるな。
テスト前の期間も、テストが始まってからの四日間も毎日侑希は海を家まで送っていくと言ってきかなかった。涼子にも相談したところ、「横にいるペットが急に男に取られると思って心配になったんじゃありませんの?」と言って真面目に聞こうともしない。
「侑希ちゃん、今日は部活じゃないの?」
「そうだけど……どうせ先生あまりいないし……」
「おかしい……侑希ちゃんはこんな不真面目じゃないのに」
しびれを切らした海は、視線を合わせようとしない侑希の頬を引っ張る。強めに。
「何隠しているのさ。侑希ちゃん、隠し事している時は表情に出てるよ」
正確に言うと嘘。人間が嘘をつく時は特有のにおいがするから海には分かる。
「わたしの気にせいかもしれないし……」
頬を引く力を少し強くする。
「うみちゃんは目立つから視線を集めるって話をしたじゃない?」
話す気になってくれたようなので、海は左手の力を弱めた。
「でも最近ずっと誰かがうみちゃんを見ているような気がして……」
「それで送ってくれてたの?」
「うん。余計なお世話かもしれないけど、せっかくテスト期間で一緒にいられたから」
「あーなるほど……」
言いたいことはたくさんある。まず前提として海には何かが起こっても対応できる能力がある。相手が人間だろうが獣だろうが、魔女であろうが彼女に勝てる存在はこの世にいない。そして、たとえ海がか弱い人間の女の子だったとしても、迫りくる脅威に侑希が勝てるとも思えない。
「ありがとね。侑希ちゃん」
左手を頬から栗色の髪に移す。
――魔力の名残はなしか。
「モテ過ぎるのも罪だね。でも私が危なかったら侑希ちゃんも危ないでしょ」
「一人より二人の方がマシだよ」
「いやいやいや、侑希ちゃんが帰る時は一人じゃん。むしろ私が送っていきたいくらいだよ」
――絶対承認してくれないだろうけど。
「大丈夫。防犯ブザーでも注文しておくから」
柔らかい髪。日本人のわりに細い。
「ちょっと、あまりわしゃわしゃされると乱れるから!」
「ごめん、つい」
――敵意や殺意は今のところ感じないし、不審な人物も見かけない……。
「侑希ちゃんがわたしを心配してくれるように、わたしも侑希ちゃんのこと心配なんだから。今後はいつもの交差点までね」
――早く原因見つけて潰さないと。
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