第877話 26枚目:家族について

 1分か2分か、ヘルトルートさんは呟きが零れた姿勢のままじっとしていた。恐らく内心で起こっている感情の波からすれば、驚異的な精神力と言っていいだろう。

 その最後に緩く長い息を吐いて、失礼、と小さくこちらに声をかけてから、すっと取り出したハンカチで自分の目元を押さえていた。


「取り乱しました。見苦しい所を見せてしまい、申し訳ない」

「いいえ、家族を想う気持ちが見苦しいものですか」

「……お優しい方だ」


 そしてすっとハンカチを戻した時には、すっかり元通りの落ち着いた老紳士に戻っていた。強い人だ。なお返答は私の正直な感想を皇女風の言い回しにしたものである。

 っで、だな。ここからの問題は、私ではどこにいるのか分からないが、たぶん会話は聞こえる位置にいるだろうエルルをどうやってここに呼び出すか、なんだが。


「ところで、1つお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「なんなりとお聞き下さい」


 私はこんな慣用句を知っている。すなわち、


「ありがとうございます。――シュヴァルツ家に連なる内で、エルルリージェ、という名前に覚えはありますか?」


 噂をすれば影が差す、だ。

 軽く目を見開いたヘルトルートさんだが、ぐっ、と何かを飲み込むような動きの後、恐らくは出来るだけ震えを押さえた声でこう返してくれた。



「――――私の、兄です」



 ……弟さんだったか……!! と、私にも若干のダメージが入った所で、エルルが気配を消した理由を完全に察する。そりゃそうだ、どんな顔して会えばいいのか分からないよな……!! まぁそれでも会わせるけど。

 なるほどしかし、家族の記憶はあまり良いものじゃないと言っていた覚えがある。だからこれは流石にマズかったか、と、驚いた様子を隠すのに失敗しつつ思ったが、どうやら回想に入ったらしいヘルトルートさんはこちらに構わず、そのまま言葉を続けだした。


「立派な兄です。5人いる兄姉の中で最も尊敬しています。誰よりも努力を重ね、誰よりも周りへ気を配り、それでいてそれらを一切ひけらかそうとしない。当時は私も子供でしたので、なるならばあのように、と、憧れておりました」


 ……おっと? 何だかとても好意的だぞ? むしろ大絶賛では?


「家に帰ってくるたびに、下の弟妹きょうだいと共に、よく遊んでくれとねだったものですが……色々と口では言いながら、それでも毎度、こちらが疲れてしまうまで付き合ってくれた、本当に良い兄なのです」


 というか、私の知らない時代のエルルの話とかそんなの聞きたいに決まってるじゃないか。しかしあの面倒見の良さはやはり元々の性格だったんだな。


「今の竜都にはありませんが、当時は第7番隊というものがありましてな。規模はともかく、権限は他の大隊と同様です。兄はそこの隊長として働いていたのですが、これは大隊長に史上最年少で就任したという歴史的快挙で――」

「さっきからお嬢に何聞かせてんだヘルトっっ!!」


 そしてそのエルル語りの途中で、入り口から見て左手の壁の一部が開いてエルル本人が飛び込んで来た。えっそこ扉だったの? 隠し扉的な?

 しっかし耳まで赤くしちゃってまーそんなのニヤニヤするしかないよね。そして突然の声に振り返った姿勢のまま固まっているヘルトルートさん。そしてサーニャ、素早く私の隣まで来てくれたのは流石だけど、乱入者はエルルだから大丈夫だよ。


「……兄上……?」


 呆然、とした調子で呟かれた声と、悪戯大成功な満面の笑顔を浮かべる私に、エルルはようやく逃げ隠れていたのを忘れて飛び出してしまった事に気付いたようだ。


「[シールキューブ]!」

「お嬢っ!?」

「大丈夫、害はありません。シュヴァルツの名を持つ人が部屋から出られないだけです。そして私唐突にとても喉が渇いて数分も待てないのでお茶を貰いに行ってきますね」

「それでは私も護衛として共に行きましょう。とはいえ所詮は徒人族ですので、サーニャさんに頼る事になりますが」

「えっ!? へっ!? ……あ! なるほど! 護衛だね! 護衛だから護衛対象が部屋を離れるならついて行かないとね! でも屋内であんまり大人数だと動きづらいかも知れないからエルルリージェはちょっと休憩してるといいよ!」


 もちろん逃がす訳が無いんだよなー!

 と言う事で、エルルの話を振った時点で【無音詠唱】で詠唱バーを溜めて待機させておいた魔法を発動し、エルルとヘルトルートさんを部屋に閉じ込めた上で、2人以外の全員が部屋から出る。

 なに、お茶を頂いたら戻って来るさ。何せ話は途中なんだから。……まぁお茶だけではなくお茶菓子まで頂いたり、うっかりフィルツェーニク君と途中であったりしたらそこで話し込んだりするかもしれないけど!

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