アーネスト時空旅行記

月輪話子

0229の狭間であわやぺちゃんこ回避編

標本、薬品、ビーカー、フラスコ。

科学実験のための道具が棚や机に綺麗に収められたその部屋に、


突如、


「大穴」が開き、そこから2つの人影が床に勢いよくダイブした。

彼らを吐き出した後、空間を湾曲して発生したそれは、ゆっくりと口を閉じる。

(一時的にノイズが走ったが、整頓された実験室のレイアウト自体には全く干渉することもなく。)


「ハァ、ハッ…、あぁぁ。くっそ、すっかり忘れていた!」


背の高い白衣の女が、振り乱した長い髪を忌々しげにかき上げ、片膝をついて立ち上がる。


「そうだったな、まずった。4年に一度、この1日だけ…。

そもそもあんな辺境次元、めったに行くものではないし。」


「う…うっ。たった、い、1日だけ…?

じゃあ、あ…、俺たち、運命に、こ、殺されかけたんです…か?」


もう一人の、太った青年が、焦燥と動揺を隠せない声色で自分のボスに問いかける。

彼女はむっとした表情で這いつくばる彼を一睨みし、


「詩的な表現を使うなと前にいったよな?多次元で固定された事象など存在しない!

『俺は面白いと思った』止まりの、ドシロートのノリと勢いのガラクタ置き場みたいな、チープな恋愛SFドラマの見過ぎじゃないか?


それに、その見解は間違いだ!


リスクの予測と対策を失念していた私の渡航計画の甘さと、君の精神構造の脆弱性に原因がある。

ただ、それだけのことだ。」


怒号を飛ばしながら、泣きそうな表情の助手の手からボストンバッグをひったくる。


「ちょっと、次の予定があるから早く立ってくれないか?」


催促の前に、彼は足と手を動かしていたが、完全に腰が抜けてしまっているようだった。

見かねた女博士は彼を細腕で、俵のように巨体を担ぎ上げる。

そして乱暴に自分の研究室のドアを蹴り開け、足早に自分の研究室を後にした。


左肩に助手のアーネスト、右腕にボストンバッグ、前には自分の大きなリュック。

総重量80~90kgはあろう荷を持ちながら、彼女は平然と歩き続ける。

そして余裕とばかりに、腕時計(針が9つもある)で時間を確認しつつ、話を進めた。


「先ほどまで私たちが『跳んで』いた、かの平行世界の暦は『太陽暦』。

4年に一度、実際の地球の公転とのズレを修正するため、1日を足して計算を行っている。

今日がその2月29日だった。


『2月29日』が存在しない次元にそのまま戻ろうとすれば、ワープゲート内で歪みへの『補正』がかかる。」


「?


でも…、それは、普及している法則だけの、違いで…す…よね?

次元は地表に張り付くもので、地球は共有している以上、実際の時間に差は出ないはずでしょう?


…、あっ!そうか次元は」


「そうだ、次元とは『独自の概念と理論で構成された地球上の文化的空間』を指す。

だから、『彼ら』が今年は366日と口を揃えて言うのなら、不変の事実など関係なく、その差分『1日』は彼らの住む次元にだけ存在する、1日だ。


マックのクーポンがモスで使えるわけがなかろうよ。」


「いいか。


もう繰り返すのは4回目になるが、ワープゲートを通過する数十秒、我々は双方の次元の理から外れ、全くの無防備になる。


世界から独立した自分の価値基準や常識を持たない者は、移動前後の次元に理の差異があった場合、どちらかの引力の影響を大きく受けてしまい、W軸への運動エネルギーが生じた際、ゲート空間の秩序に歪みを引き起こす。


当然、時空の観測者はそれを許容しない。

私たちは、余分な『1日』の概念を他所から持ち込もうとする密輸犯として、『処分』されかけたわけだ。


君の、頑固で熱心なミーハーキョロ充精神のおかげで。」


「すみません。


でも俺には…、博士のような優れた才能や行動力が特別あるわけではありません。

凡人が成果を出すには周囲との同調や協力が必要です。

俺があなたを師事して、危険な実験に文句も言わず従っているのも、それが1つの理由です。


それに、俺は、社会貢献のために科学者になりたいんです。」


「…。」


博士は、頭が冷静な思考を取り戻し始めた相棒を下ろし、彼の両肩に手を置いて向き合う体制をとった。


「アーネスト、私は君の社交性やどんな小さな声にも耳を傾けようとするところは、ある部分では、尊敬している。

君の夢をけなす権利も私にはない。


だが、研究者であるならば、科学と、そういった自己の性質は切り離すべきだ。


君には見込みがある、もっと自己の可能性を信じろ。」


「趙博士…。」


意気込むような、羨望のような、まっすぐな瞳で見つめられた博士は、ばつの悪い顔をし、逃げるように顔と話を逸らす。


「下らん説教は終わりだ。ま、せいぜい励めよ。


なぁこれ、ボストンの中身は無事だよな?」


「ええもちろん!しっかり抱えてましたから。」


彼女はおもむろにバッグのジッパーを開け、中身を見て満足そうに頷く。


「向こうで何を買われていたんですか?」


「50周年記念モデルだかのギターピックと、ユニコーンシリーズのプラモデル7つだ。

彼氏にねだられたんだが、この次元ではもうないものだった。」


「あぁ。


…あ?


えっと…?


つ、つまり、今回は検証実験じゃなく私的な理由で次元移動を…?」


「おっと、こうしている暇はない。

早々に帰って飯を作ってから、路上ライブの応援にも行ってやらんと。


ハハ、何せ1人でも客がいないと皆2秒と立ち止まってくれないんだ。

才能ないんだよ!」


「…彼氏さんのいない次元の渡航だけは、今後絶対同行しませんからね!」

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アーネスト時空旅行記 月輪話子 @tukino0

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