生存競争

【グッギルルリリリリリ!?】


 突き飛ばされた巨体が落ち、雪による白煙が舞い上がる。転倒時の衝撃によるものであろう、一際大きな大地震がレイナ達を襲った。

 途方もない大きさを誇る『終末の怪物』の身体には、ただ倒れただけで自然災害染みた事象を引き起こす。途方もなく強大で、人には制御不可能な力。

 ならば、それを突き飛ばしたモノの力は如何ほどなのか?


「……なん、ですか。アレは」


 現れた『モノ』を前にしたレイナは、思わず呟いていた。

 つい先程まで『終末の怪物』が立っていた場所……その大地から雪と岩盤を押し退けながら這い出し、地上に現れたのはまるで雪山のような存在だった。

 胴体も手足も頭も、どれもこれも丸太のように太い。がに股のように開いた二本の足で大地を踏み、尾を持たない下半身をゆっくりと持ち上げた。腕は力なく垂れ下がり、身動ぎする度にぶらんぶらんと揺れている。お世辞にもやる気のある歩き方ではない。

 純白の身体には等間隔に体節らしき筋が入っており、皮膚はぱっつりと張っていた。浮き出した血管や鋭い背ビレもなく、『終末の怪物』と比べれば大人しい印象を受けるかも知れないが……目が一つも付いていない頭は、お世辞にも愛らしいとは呼べないだろう。口には顎などなく、内側に歯がびっしりと並んだ筒のようだ。体長は『終末の怪物』に匹敵するほど大きい事から、四百メートルを超えている。

 これが、先輩の言っていた『とっておき』なのか。


「南極の海底に生息している怪物だ……発見は一九八〇年代。成体個体数は僅か十体で、研究も殆ど進んでいない。ただ途方もなく巨大なその身体から、『終末の怪物』にも対抗出来る数少ない種だと考えられている。そして強大なライバルが現れたなら、決して無視はしない筈……本当に、迎撃に来てくれるかは分からなかったけどね」


 戸惑うレイナに、先輩は声を絞り出しながら教えてくれた。無理をさせてしまったと自らの失態を恥じるレイナだが、それよりも遥かに大きな興奮が胸を満たす。

 レイナと白い怪物の距離は、数キロは離れているだろう。

 されどひしひしと、その身から放たれる力を感じる。これまで様々な怪物と出会い、『終末の怪物』にはケンカも売ったレイナであるが……歩く姿を見ただけで確信した。

 コイツには勝てない。何をしようが、どんなに知恵を絞ろうが、誰と協力しようが。

 例え、『終末の怪物』であろうとも。


【……フォオオオオオオオン】


 白い怪物は静かで美しい声を発しながら、背筋を伸ばす。どう見ても異形の怪物でしかないその姿は、されど胸を張っただけで『巨神』と化した。

 四本の手足。もたげられた頭。尾を持たない身体。二本の足で直立する姿……重なる特徴などその程度しかない、似ても似つかぬそのシルエットに、けれどもヒトの姿を想起してしまう。それは神と近しい存在でありたいという願望故か、あのような存在に至りたいという夢か、大き過ぎる存在感に知的生命体としてのアイデンティティすらも飲まれたのか。

 どうあれ人間は、生理的嫌悪など無視してあの生き物に焦がれてしまう。


「ボク達は彼等をこう呼んでいる――――『人型ヒトガタの怪物』と」


 故に『ミネルヴァのフクロウ』がそう名付けるのも致し方なし。

 無論、大いなる野生動物が矮小な虫けら達の与えた名など、気にも留める筈がないのだが。


【キィイイルキルキルキルルルル!】


 『人型の怪物』に突き飛ばされた『終末の怪物』が身を起こしながら、咆哮を上げた。身の毛もよだつ雄叫びは、されど巨神を怯ませる事すら出来ず。

 『人型の怪物』はなんの迷いもなく駆け出し、突撃を仕掛けた!

 二足歩行で大地を疾走する様は、特撮番組の巨大ヒーローのよう。ヒーローとの違いは、地球を守るために来た彼等と違い、野生動物故に人間どころか地球すらも気にも留めないという事。南極の大地が崩壊しそうなほど激しく駆けた末に、『人型の怪物』は巨大な竜に跳び付く。

 自身と同格の存在に組み付かれた『終末の怪物』は、しかしこちらも易々とはやられない。自慢の翼を振り上げ、『人型の怪物』を突き飛ばす! 自身を空に浮かばせるほどのパワーを生み出す翼は、同程度の体躯の生物を押し退けるのに十分な力を有していた。翼で殴られた『人型の怪物』の身体は宙に浮かび、何百メートルどころか、一キロ以上飛ばされる。


【キルキルルルルルルル!】


 これを好機と見たのか。『終末の怪物』は巨大な翼を羽ばたかせながら、『人型の怪物』へと突撃した。『人型の怪物』はすぐに起き上がろうとするが、『終末の怪物』の方が格段に早い。

 組み伏されて即座に敗北が決まるものではあるまい。だが形成が不利に傾くのは確実だ。このままでは『人型の怪物』が押し倒されてしまうと遠目で見ていたレイナは感じ、

 その予感を否定するかのように、『人型の怪物』は奇妙な動きを見せる。

 立ち上がるのを中断し、右腕を前へと突き出したのだ。人間染みた外見故にその姿は命乞いのようにも見えるも、野生の獣がそんな無為な事をする筈もない。『終末の怪物』も何か嫌な予感がするのか顔を顰めるも、古代の王者としてのプライドか、止まらずに突っ込む。

 そしてあと百メートルと迫ったところで、『人型の怪物』がついに技を繰り出す。

 突き出した腕がのだ。


【キルギッ!?】


 肘辺りから先が撃ち出された腕はまるで砲弾のように飛び、『終末の怪物』の顔面に叩き付けられる! 『終末の怪物』もこの技は予想出来ず、その威力も凄まじかったのか、大きく仰け反ってひっくり返ってしまう。

 正しくこれはロケットパンチ。

 ただし、よく見れば腕の後ろには糸のようなものが付いていたが。腕は糸を巻き取るようにして戻り、元の場所に嵌まると傷口が塞がっていく。自分の腕が元に戻った『人型の怪物』は気にする素振りもなく立ち上がった。

 再び五体満足となった『人型の怪物』はひっくり返った『終末の怪物』に跳び掛かり、馬乗りとなった。『終末の怪物』は羽ばたきながら暴れるが、マウントを取った『人型の怪物』はそう簡単には退いてくれない。むしろこれがチャンスとばかりに、二本の腕を振り下ろす! ただのパンチといえばそれまでだが、殴られる度に『終末の怪物』が悲鳴を上げ、血と羽毛が飛び散った。

 人間では気付いてもらうのがやっとだったのに、『人型の怪物』の一撃は容易くダメージを与えている。

 核弾頭すら凌駕するのではないかと思える拳。それでも一発二発では『終末の怪物』に死をもたらさないが、十発、二十発となれば話は違う。そして相手の命を奪う事など躊躇しない野生動物に手心だのなんだのがある筈もなく、『人型の怪物』は延々と殴り続ける。

 これにて決着か?

 否である。『終末の怪物』とて、この程度でやられるほど柔ではない。


【キ……キルキルキルルルルゥウウ!】


 高々と吼えた『終末の怪物』は、その身体から青白い波動を放った!

 全方位に波動が広がっていく、さながら魔法のような光景。されど既にその攻撃を一度目にしているレイナは、今度は左程驚かない。意識を集中し、何が起きているのか探ろうとする。

 よく観察すれば、答えは難しくなかった。

 波動の通り道にある雪が、一瞬で蒸発していたのだ。つまりあの波動は摩訶不思議な魔法ではなく、超高出力の熱波だとレイナは理解する。

 恐らくは体内で生成した熱エネルギーを、なんらかの方法で圧縮・解放したのだろう。四百メートルを超える巨体となれば、ただ生きていくだけで莫大な熱を発する。それを外へと放てば、膨張した大気圧だけで十分攻撃として通用する筈だ。それこそ、『ミネルヴァのフクロウ』が開発した要塞を粉々に粉砕したように。

 幸いにしてレイナ達がその熱波を浴びる事はなかった。距離が遠かったからではなく、幸運にも射線上に『人型の怪物』が居たが事で熱波を遮ってくれたからだ。

 熱を吸収するという体質に相応しい大技は、馬乗りになっていた『人型の怪物』を直撃し、容赦なく突き飛ばす! 横転した『人型の怪物』は転がりながらも立ち上がろうとするが、古代の王者は甘くない。翼や尾からソニックブームを発するほどの速さで迫るや、『終末の怪物』は『人型の怪物』の喉笛に噛み付いた!

 『終末の怪物』が誇る鋭い牙は、『人型の怪物』の肉に深々と突き刺さる。人間の武器ではどうやっても傷付かないであろう真っ白な肉体は、空けられた穴からどす黒い体液を撒き散らす。

 人間ならば死に至ってもおかしくない傷。されど『人型の怪物』は怯みもせず、むしろ勇ましく『終末の怪物』の首へと腕を伸ばした。長くしなやかな首は、逆に言えば頑強さとは程遠い。太く逞しい腕に絡まれるや、巨大な竜は悲鳴を上げ、『人型の怪物』から口を離した。

 これはお返しだ。そう言わんばかりに『人型の怪物』は片腕の力で『終末の怪物』の首を手繰り寄せるや、もう片方の腕に握り拳を作って殴り付ける。容赦ない打撃はまたしても血飛沫を飛び散らせ、整った顔面の形を変えていった。

 やがて殴られ続けていた『終末の怪物』の頭から、何か一際大きなものが飛ぶ。

 それはレイナ達の方へ、まるで狙っているかのように飛来していた。


「ちょっ……っ!」


 身の危険を感じたレイナは、咄嗟に先輩に抱き付く。無論不安からではない。先輩が自分を守ってくれた時のように、今度は自分が先輩を守ろうとした。

 結果的に、その必要はなかったし――――無意味な行いだった。

 直径三メートルはあろうかという眼球が直撃したなら、人間の一人二人、纏めて吹き飛ばされるだろうから。

 落ちてきた目玉はレイナ達の頭上を飛び越え、背後に墜落。流石に頑丈な組織ではないからか、ぐちゃぐちゃに潰れながら飛び散る。もしもレイナ達を越えず、手前で落ちていたなら、飛び散る肉片によりやはり命を失っていただろう。

 幸運にも怪我一つしなかったレイナは、この巨大な目玉が飛んできた方角……怪物達の決戦場に再び目を向ける。


【キルルルルキィイイイッ!?】


 『終末の怪物』は泣き叫ぶように声を荒らげていた。片目の潰れた頭を、必死に振りかぶりながら。最早半分以上形を失った頭は動かせば動かすほど血と肉を飛び散らせるが、『終末の怪物』はそんな事は些末であるかのようにのたうつ。命に比べれば、顔面が再起不能なまで崩れる事などどうでも良いのだ。

 されど『人型の怪物』に容赦はない。首を捕まえている腕はより強く締め上げ、ガッチリと頭を固定。大振りで野性的な、殺意に塗れた拳を執拗に打ち付ける! 既に崩れかけている『終末の怪物』の顔面に最早真っ当な防御力はなく、どんどん形が変わっていく。

 このまま頭の中身も粉砕すれば、勝負は決する。


【キ、ルルルィイイッ!】


 それを理解したのは人間達だけでなく、殴られている『終末の怪物』自身も同じだった。

 今までにないほど悲痛な、それでいて未だ生命力に溢れた咆哮と共に『終末の怪物』の全身から青白い熱波が放たれる! 至近距離からの一撃は『人型の怪物』も耐えられず、吹っ飛ばされてしまう。

 自由になった『終末の怪物』は、しかし無防備になった『人型の怪物』への追撃は行わず。それどころかそっぽを向き、両肩から伸びる巨大な翼を広げた。

 逃げ出すつもりだ。

 遠目に見ていたレイナにも分かる行動。人間的には情けなくも思えるが、野生の世界でプライドなんてあっても邪魔なだけ。勝てないモノから逃げるのは極めて合理的な選択である。

 加えて、世界にとってもこれが最悪の展開だ。確かに『人型の怪物』によりその身はボロボロになったが、だからといって瀕死という訳でもない。片目を失う満身創痍状態でも、生半可な怪物、ましてや人類の手に負えるような存在ではないだろう。

 『ミネルヴァのフクロウ』が恐れているのは怪物が存在する事ではない。古代より蘇った怪物により生態系が崩壊する事。脱走し、野生を謳歌する事こそが最悪なのだ。

 ここで奴が逃げたら、世界が終わる。

 ――――まるでそれを理解するかのように。


【フォオオンッ!】


 『人型の怪物』は素早く立ち上がった!

 彼も『終末の怪物』が逃げ出そうとしている事に気付いたのだろう。人間達にも分かるぐらい大慌てで立ち上がり、『終末の怪物』を捕まえようと両腕を伸ばす。しかし『終末の怪物』の方が先に動いている。空を飛ぶためか、雪に覆われた大地を疾走し始めていた。

 『人型の怪物』も走って追い駆けるが、『終末の怪物』の方が僅かに速い。二匹の距離はどんどん開いていく。そして『終末の怪物』はついに翼を羽ばたかせると、その巨体をふわりと浮かび上がらせた。一度の羽ばたきで百メートル近く舞い上がり、二度、三度と羽ばたけばどんどん高く舞い上がる。

 もう駄目だ。レイナはそう思った。

 これで俺の勝ちだ。『終末の怪物』はそう思ったかも知れない。

 ――――逃がすものか。

 『人型の怪物』はそう思ったのだろう。


【フォオオオオオオオオオオンッ!】


 大地と空気を揺さぶる、雄々しい咆哮。『人型の怪物』は自らの掛け声と共に、何故かその場でになる。

 転んだのか? 諦めたのか? 傍目には何をする気か分からない行動の真意は、すぐに明らかとなった。

 『人型の怪物』の頭部が、射出されたのだ。

 勿論比喩ではない。まるで砲弾かロケットのように、巨大な頭が飛び出したのである! 凄まじい速さで飛び出した頭は、後ろに紐のようなものが付いていた。戦いの最中に見せた、ロケットパンチと同じものだろう。そう、何も飛ばすのは腕だけとは限らない……否、腕に限定する必要なんてない。

 とでも言うべき技で飛ばされた頭は、『終末の怪物』の背中に命中。筒のような口を大きく開き、内側にあったヤスリ状の歯を突き立てたのだろうか。『終末の怪物』は大きな悲鳴を上げた。

 これは不味いと、必死に羽ばたいてどうにか空に逃げようとする『終末の怪物』。しかし『人型の怪物』がおめおめと許す筈もない。背中に食らい付いた頭は離れず、紐のようなものもあって、それ以上高く上がる事を許さない。

 それどころかまるで魚釣りのように、じりじりと紐が収縮していくと、『終末の怪物』は『人型の怪物』の方へと引き寄せられる。


【キル!? キルル! キルルゥ!?】


 錯乱するように暴れる『終末の怪物』。堪らず青白い熱波を放ち、これを振り解こうとするが……此度ばかりは無意味だ。確かに『人型の怪物』をも吹き飛ばす一撃だが、その実、『人型の怪物』はこの攻撃でダメージはあまり受けていない。鋭い歯で食らい付いた頭は剥がれず、精々遠くの胴体がすっころぶだけ。

 紐は容赦なく縮んでいき、ついに『人型の怪物』の腕が届く位置まで『終末の怪物』は引き寄せられた。今になって覚悟を決めたのか振り向くも、その判断はあまりにも遅い。『人型の怪物』は長く伸びた『終末の怪物』の首を両腕で捕まえた。

 次いで逃さぬよう少しずつ、少しずつ腕を動かし……右手でがっちりと掴んだのは『終末の怪物』の頭の根元、そして左手で掴んだのは爬虫類的な頭。

 次いで左手で頭を少しずつ、明らかに無茶な角度で、『人型の怪物』は回していこうとする。


【キルゥウウウ!? ギッ、ギルルルルルルルルルルル! ギルゥイイ!?】


 『人型の怪物』が何をするつもりなのか、『終末の怪物』も理解したのだろう。これまでにないほど激しく暴れ出す。

 羽ばたく翼。泣くような悲鳴。吐き出される血飛沫。見ているだけで可哀想になるほどの懇願は、されどケダモノには通じない。あまりにも残忍な、一片の容赦もない責め苦は十数秒と続けられ――――

 『終末の怪物』の頭が、ぐるりと回った。

 『人型の怪物』は勢い余ってか、はたまた最初からそのつもりか。一回転した頭を更に回し、ついに頭部が捻じ切れる。途中で切れたであろう脊椎を僅かに頭側から覗かせ、戦利品とも言える『終末の怪物』の頭をその手で持ち上げる。

 尤も、戦国時代の武士なら兎も角、野生動物に相手の首をどうこうする文化などなく。『人型の怪物』は強敵の頭を、まるでゴミか何かのように放り投げる。

 その動作があまりにも無造作で、あまりにも無関心であるがために。


【フォオオオオオオン】


 『人型の怪物』が綺麗な声で鳴くまで、傍観者であるレイナは決着が付いた事を理解出来なかった……

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