幻想森林

 辺りは、優しい光で満ちていた。

 具体的に言うなら金属的光沢がある緑色、何かに例えるならタマムシの翅に似た輝きだ。それらの光は、付近に生えている草花が放っているもの。草花はどれも背丈が一メートルほどで、草原のように地面を覆い尽くしている。お陰で一面がキラキラキラキラ……まるで宝石で出来た海のように煌めいていた。

 そして草むらの奥数メートル先に茂る森は、更に美しい。

 同種もしくは同系統の種で埋め尽くされているのか、見える範囲の木々は全てが玉虫色に光り輝いている。それも草花のような優しい輝きではなく、まるで陽の光を浴びた金属のように眩しい。だが今の時刻は真夜中。降り注ぐ月明かりだけではこうも強くは輝けまい。どうやら木々は草花と違い、自ら発光しているようだ。

 おまけにデカい。幹の太さだけで、直径十数メートルもあるように見える。高さだって途方もない。何十メートル、いや、百数十メートルはあるだろうか。発光する巨木は数メートル間隔に並んで森を形成し、奥深くまで明るく照らしていた。あたかも、こっちにおいでよと誘っているかの如く。

 現実感のない風景。もしかしたら木の陰から妖精が顔を出し、手招きするのではないか。草むらからドワーフ達が現れ、興味津々に人間を包囲するのではないか……あまりにも幻想的な空間故に、お伽噺のような想像が大人であっても脳裏を過ぎるだろう。

 レイナが落ちたのは、そんな場所だった。


「(……ひょっとして、崖から落ちた拍子に死んで、そのまま天国に来ちゃった、とか?)」


 あまりの美しさに、ちょっと不穏な考えがレイナの脳裏を過ぎる。あちこちで虫達が奏でている優しい音色も、此処が極楽の類だと訴えているかのようだ。

 レイナはとりあえず、自分の頬を力強く抓る。本当に強く抓ったので、頬がヒリヒリするぐらい痛かった。どうやらあの世ではないらしい……死んだかどうかの確かめ方がこれで合ってるかは分からないが、肉体を持たない幽霊ならば痛覚もないだろうと、理系少女らしく考えるレイナはこれで良しとした。

 それに現実感のある痛みのお陰で、美しさに見惚れていた頭に冷静さが戻ってくる。

 よくよく考えるとこれは奇妙な景色だ。木が光るなんてあり得ない……という事ではない。発光する生物など珍しくもない事をレイナは知っていた。例えばヤコウタケというキノコは、数を集めれば本が読めるほど強い光を放つという。キノコが光るぐらいなのだから、木が光っても驚く必要はあるまい。

 奇妙なのは、この景色を自分がという事だ。

 百メートルを超える樹木なんて普通の木の何倍も大きく、おまけに自ら玉虫色に光り輝けばとても目立つ筈。森の中にこんな木が一本でも生えていたなら、祖父母の家からでも丸見えでなければおかしい。なのに年に数度と訪れていながら、レイナはこの木々のようなものを見た覚えがなかった。

 どうして今まで気付けなかったのだろうか?

 辺りを見渡してみれば、答えは簡単に分かった。レイナの背後には、今し方自分が転がり落ちた坂道がある。坂道の終わりは遙か彼方、百メートルも二百メートルも先にあるように感じられた。

 恐らくこの辺りは、かなり深い窪地となっているのだ。大昔に落ちた隕石が作り出したクレーターとか、火山噴火によるカルデラの類なのだろう。如何に百メートルを超える巨木でも、それより深い窪地の中に生えたなら簡単に隠れてしまう。加えてその周りを普通の木々が覆えば、外からは完璧に見えなくなる訳だ。

 ……上空をヘリで飛べば、やはり簡単に見付かりそうではあるが。しかしこんな煌めく植物の話など聞いた事もない。遠いイギリスの植物だから日本まで伝わっていないのだろうか? だとしてもこれだけ不思議な存在なのだから、テレビや本でも見た事がないのは違和感が残る。

 もしも此処が誰にも発見されていないのなら、此処らにあるのは間違いなく全て新種の植物だろう。そしてこれらが新種の植物なら――――


「し、新種の虫も、見付かるかも……!」


 レイナは目を煌めかせ、過ぎった願望が声として漏れ出た。

 毎日色んな野菜を食べている人間には実感し辛いが、植物というのは基本的に『有毒』だ。例えば甘くて美味しいキャベツすら、カラシ油配糖体と呼ばれる殺虫成分を有している。この物質を取り込んだ大半の昆虫はその体組織を破壊され、最終的に死に至る。人間やモンシロチョウなどはこの毒物の分解能力を持つが故に、キャベツを食べられるのだ。

 そして毒物の分解には、多くのエネルギーや専用の仕組みが必要である。故になんでもかんでも食べるという事は出来ないし、幅広く食べるよりも一つのものだけを食べる方が『効率的』で競争にも強い。色んな食べ物を食べられるのもそれはそれで有利だからこそ、人間のような雑食動物もいる訳だが……昆虫の場合殆どの種で食べられる植物は数種類程度。一種だけというのも珍しくない。

 この如何にも珍妙な植物達が持つ毒は、きっと普通の植物とは一味違うものだろう。その一味違う毒を分解するため、特殊化した昆虫……此処でしか見られない種がいてもおかしくない。それも一種二種ではなく、何十何百と。

 新種発見は生き物好きなら誰しもが抱くロマン。レイナもまたそのロマンに憧れる、一人の女の子だった。


「むふ、むふふふ……新種を見付けたら、レイナムシって名付けよっ!」


 欲望に押し退けられ、己の置かれた状況はすっかり頭の片隅へ。捕らぬタヌキの皮算用をしながら、レイナは早速近くの草むらを掻き分けてみる。レイナが動けば小さな虫が続々と飛び出した。これら小さな虫も新種の可能性が高いが、しかし小さいからこそ一目で見分けるのは中々難しい。良い感じの大物はいないものかと、レイナは小さな昆虫は無視して探し続けた。

 そんな捜索をする事数十秒。ヨモギのような大きさと見た目をした、光沢のある植物の一本に違和感を覚える。茎の一部に『膨らみ』があるのだ。昆虫採集歴五年の経験が、その膨らみに怪しさを感じ、近付こうという気持ちを抱かせる。衝動のまま歩み寄れば、膨らみの正体が茎に停まる体長五センチほどのイモムシだと分かった。

 そしてイモムシは大きな感動をレイナに与えてくれた。

 そのイモムシの身体は金属的な光沢を放っていた。自らが止まっている植物と同じ色彩だ。保護色として発達したのだろう。腹脚(胴体部分にある足のような『肉突起』の事)の本数とお尻にある尻尾状の突起からして、スズメガの幼虫と思われる。玉虫色の語源であるタマムシの煌めきは構造色……色素ではなく、分子レベルの構造による光の反射で色が出る仕組み……によるもので、恐らくこのイモムシも同様の仕組みで光っているのだろう。構造色を持つスズメガの幼虫など聞いた事もない。

 きっと新種だ。仮に違っても、極めて珍しい突然変異とかの筈。


「凄い……凄い凄い凄いっ!」


 レイナは喜んだ。いや、狂喜乱舞したといっても過言ではない。虫屋としての本能から、そのイモムシを捕まえ、もっと詳しく観察してみたいと思った。

 元々虫取りのためこの山を訪れた身。採取に必要な道具は持ってきている。網はここでは使い道がないものの、虫かごはイモムシをしまうのに最適だ。幼虫なら空を飛んでいく事もないので、枝ごと取れば簡単に確保出来る。その枝の太さがヨモギ並なので、力強く折った際の衝撃でイモムシが何処かに吹っ飛ばないよう注意はすべきだが。

 レイナは早速植物の茎を掴み、ぐっと力を込めた。

 ……出来るだけ力を込めた。歯を食い縛るほど込めてもみた。「んぬくにゅうううううっ!」という唸りと共に、顔が赤くなるほど力を込めた。

 なのに、枝は折れない。

 ある程度なら曲がりはする。しかしそれ以上曲げようとすると、まるでいきなり金属にでも置き換わったかのような頑強さになるのだ。ハサミが必要だったかも知れない。

 なら葉っぱだけでも取ろうと考える。イモムシの餌がこの植物だとして、食べているのはきっと葉だ。実際真新しい食べ跡が見られるので間違いない。スズメガの幼虫は大食漢である。成虫のサイズが分からないので今が成長のどの段階かは不明だが、五センチもあれば毎日かなりの量の食草が必要な筈。箱の中で飢えては可哀想だし、下手をすれば死んでしまうかも知れない。それなりの量は確保しておくべきだ。


「ん、んんんんんんんんっ……!?」


 が、これも取れない。

 引っ張っても取れないどころか、千切る事すら叶わない。なんでこんなに硬いのか。ここまで丈夫な植物なんて、これまた聞いた事もない。

 葉を千切るのも早々に諦める。良いのだ、本命はイモムシの方なのだから。捕まえて、さっさと大学とかの研究所に運び込めば良い。飢えるのは可哀想だが仕方ない。どうせ最期はホロタイプ標本という、生物学発展のための礎となってもらう運命は変わらないのだから。

 イモムシを捕まえるため、レイナは落ちていた枝を拾う。幼虫を捕まえる際、如何に動きが鈍いからと素手で摘まむのはあまり良くない。幼虫の身体にダメージが加わるかも知れないし、昆虫の中には外敵に対し胃の中身を吐いて『攻撃』してくる種も存在する。もしもこの植物の汁に毒があった場合、吐瀉物を浴びた箇所が酷くかぶれるという可能性もゼロではないのだ。

 突っついたら防御反応で落ちてくれないかな? レイナは虫かごを下で構え、枝先でイモムシをつんつんと突いてみる。

 突かれたイモムシは、最初は身を激しく左右に振った。キラキラ光る身体というのもあって、まるでライブ会場で使われるペンライトのよう。鳥相手になら威嚇の効果があるかも知れないが、生憎レイナは人間だ。この程度の事にビビりはしない。

 怯まず執拗に枝で攻めると、ついにイモムシは口から緑色の汁を吐いた。あーコイツ吐くタイプなんだぁ、と興味津々に思いながら、レイナは吐き出された汁の行方を無意識に目で追う。雨粒のように小さな汁が一滴虫かごに落ち、

 じゅうっ、と音を立てた。

 ついでに虫かごの底から湯気も立ち昇った。更に言うと汁はプラスチックを貫通し、地面にまで落ちた。


「……………」


 レイナは、とりあえず棒を投げ捨てた。それから三歩後退り。

 何あれヤバい。

 確かに危険な汁かも知れないとは考えたが、こんな劇物は想定していない。捕まえるのは無理だ。何かの拍子に虫かごの中で汁を撒き散らし始めたら、染み出してきた汁に肌が触れて大火傷を負いかねない。ましてや傷口から体内に入り込もうものなら冗談抜きに命の危機だ。

 惜しいがコイツの捕獲は諦めよう……そう考えた時、ふとレイナは気付く。

 あのイモムシの吐き出した汁は、恐らく食草由来のもの。つまり自分の周りにある植物達は、全てあの危険な汁を含んでいる可能性がある。

 簡単には折れないようだが、踏み潰すなどして汁が飛んできたら……


「は、早く、此処から逃げよう……」


 自分が思っていた以上にピンチだと理解し、レイナは自分が転がり落ちた坂の方を見遣る。坂はかなりの急勾配だ。けれども登れないほどではない。巨木の森が発光しているお陰もあり、地面の凹凸や横切る根なども肉眼で確認出来た。

 ゆっくり、慌てずにいけば登れそうだ。ゴミを出すのは良くないと思うが、邪魔になる網と虫かごは捨て置く。それから何時の間にか乱れていた息を整えようと、レイナは深く息を吸い

 吐き出す直前に背後からガサガサという物音が聞こえ、息が詰まった。


「……えっと……」


 恐る恐る、レイナは振り返る。

 ガサガサ、ガサガサ。

 草を掻き分ける音は、確実にレイナの方へと近付いていた。草丈の高さは約一メートル。そこに隠れられるのだから、背丈は一メートル未満だろう。しかし例えばイノシシなどは、体重八十キロの成体でも体高六十センチ程度しかない。言うまでもないが、一般的な女子小学生であるレイナにイノシシと戦う力なんてないのだ。イノシシ級の獣と鉢合わせたなら十分死ねる。

 何が現れるのか、どんなのが現れるのか。ごくりと息を飲み、身体を強張らせて警戒し――――

 ぴょこっと現れた頭を見て、毒気を抜かれた。

 草むらから出てきたのは、変な頭の鳥。まるで笠のような突起物を被っているのだ。またやたらと首が長く、身体は未だ草むらの中にあって見えない。首の長さは二メートルほどで、ダチョウのような姿を連想させた。嘴は丸みを帯び、オウムのよう。目もくりっとしていて愛嬌がある。

 これまた確実に新種の生き物だ。正直割と可愛いとレイナは思う。


「……こ……こんにちは……」


 通じるとは思わないが、なんとなく挨拶。鳥は、こてんと首を傾げた。その仕草が可愛くて、レイナの顔に笑みが戻る。

 尤もその笑みは、嘴の隙間からちろちろと伸ばした舌と、近くでのたうつ鱗に覆われた長い尾を見付けた瞬間に引き攣ったが。

 この子、鳥じゃない。体長五メートル以上ある大蛇じゃん。


「シャアアアアアアアッ!」


「みぎゃああああああっ!?」


 正解、と言わんばかりに笠を被った『ヘビ』が口を開き、口の中にある鋭い二本の牙を見たレイナは思わず悲鳴を上げた。

 あたかもそれをきっかけとするかの如く、光る森の中が一気に騒ぎ出す。

 虫の鳴き声は優しさが消え、まるで悲鳴染みた叫びへと変わる。木々の上を何かが高速で通り過ぎ、森の奥からはメキメキと草木を踏み潰す音が聞こえた。じゅうじゅうと鳴るのは、踏み潰された草の汁が大地を溶かしているのか。しかし足音は絶えない。プラスチック人類の英知をも腐食する液さえも、雨水と大差ないと言わんばかりに。

 此処は天国なんかじゃない。モンスターだらけの地獄だ!


「ひいいいいいいっ!?」


 目の前に現れた笠蛇 ― 即座に命名した ― から離れるべく、レイナは走り出す! 逃げる先は坂道ではなく草むら、その草むらの奥にある森の方。踏み潰した草から汁が飛ぶ? 知った事ではない。汁が飛んでも火傷で済むかも知れないが、あんな大蛇に噛まれたらどう足掻いてもお陀仏だ。森には何が潜んでいるか分からない? そんな冷静な事、考えてる暇もない!

 がむしゃらに逃げたお陰か、はたまた森の中がからか、笠蛇を振りきる事は出来た。しかし森は終わらない。騒ぎも収まる気配がない。何処に逃げれば良いのか、何処まで逃げれば良いのか、見当すら付かない有り様。


「(やだ! やだやだ! こんなところで死にたくない! 食べられたくないっ!)」


 ぼろぼろと涙が零れ始め、前があまり見えなくなる。いや、走り出した時から見えていない。坂を上れば脱出出来るかもなんて考えはもう頭に残っておらず、今や森の中を突き進むように走るばかり。

 そうして何分、何十分? ……分からないぐらい走っていたら、ふと開けた場所に辿り着いた。今までと異なる雰囲気を察知し、足を止めたレイナは潤んだ目を擦る。

 レイナが辿り着いたのは木々が生えていない、広間のような場所だった。ざっと半径二十メートルはあるだろうか。昼間ならきっとお日様が燦々と降り注ぐだろうが、何故か地面には草花が見当たらない……いや、よく観察すれば踏み潰された枯れ草が絨毯のように地面を覆っていると分かった。枯れ草は腐りかけで、一見して土のようになっている。

 何かが踏みならしたのだ。それもかなり長い期間、今も継続して。でもなんのために? 動物が環境に手を加えるとしたら、大概は……寝床などを維持するためだろう。

 つまりこの場所は、半径二十メートルもの生活空間を必要とする巨大生物の巣なのだとレイナは考えた。巣と呼ぶには些か開けているが、そんな疑問は些末なものだ。兎に角、この近くに大きな生き物がいるサインには違いない。

 だけど、逃げようという気持ちは湧いてこない。

 それどころかこの場所に居ると、不思議と心が落ち着いてくる。どのみち全力疾走を続けた事で、体力はもう殆ど残っていない。一度止めてしまった足は、回復しきるまで動きそうになかった。

 レイナはその場に倒れ込み、荒れる息を整える。枯れ草に跳び込む形になったが、肺が焼かれたり、目が激しく痛む事もない。むしろ微かな香りが心地良い。

 気分を良くしたレイナは、星でも見たくなった。冷静さを通り越して達観の域に入り、自棄になったのかも知れない。少しだけ回復した体力を無駄遣いし、うつ伏せから仰向けに体勢を変える。

 結果、レイナはハッキリと目にした。

 何十メートルもあろうかという、光り輝く巨大昆虫が、自分の頭上を飛んでいる光景を……

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