コミュニケーション

南雲

コミュニケーション

 どのくらい歩いただろう。先行きの見えない旅は、いつ終わるのだろう。家を衝動的に飛び出してきてしまった。今、僕は砂漠をたった一人であてもなくさまよっている。家に戻れる日は来るのだろうか。いや、センターの強固なセキュリティーはいなくなった僕をすぐに見つけて、指名手配していることだろう。戻ることは多分無理だ。

 それにしてものどが渇いた。本当に急に逃げ出してきたから、食糧を何も持っていなかった。僕は半ば相談する気持ちで、カバンの中から水の入ったジャム瓶を取り出した。そろそろ薬が切れてくるころだ。


 それはいつもと変わらず、ゆらゆら揺れていた。起きたばかりのその顔は定まっていない視線をこちらに向けると、不思議そうな顔をこちらに向けた。

「あれ…ここどこ…みんなは?」

「大丈夫、無事だよ、心配ない」

「チャーリー、チャーリーもいるかな。彼は、瓶をがたがた揺らすのがすきなやんちゃだから」

「チャーリーもいる。みんな無事さ」

「それならよかった。それで、おじさんはなんでこんなところにいるの?」

 瓶の中のホムンクルスは目をぱちくりさせた。焦点も定まっていない緑の目で僕を見て、次に外に広がる砂を見た。

「旅行に来たのさ。ほら、君も毎日「きょうしつ」なんかで大変じゃないか。たまには息抜きしなきゃならない」

「たいへん…」しばらく考え込んでから、

「大変じゃないよ。きょうしつはいつも楽しいんだ。ミラがいて、せんせいがいて、僕もいる。きのうは、デュークが『うでずもう大会』をしようっていいだして、僕はそれでかって、2回かって、3回戦までいったんだ……」

 僕は彼の話をしばらく聞いてから、また瓶をカバンに戻した。


 僕は途方に暮れていた。ホムンクルスを持ち出して、いったいどうしろと言うのか。思えば、すべては僕の過ちだった。

 サンフランシスコ郊外にあるグスタフ育成センターでは人造生命体、いわゆるホムンクルスが飼育瓶の中で飼育されている。その数は毎回およそ4万体、生きて外の世界に生を受けるのは3万体ほどになる。ホムンクルスは外の環境に耐えられるまで4年間、飼育瓶の中で独自のプログラムを与えられて育つ。

 人間と同じように、ホムンクルスも学校に行く。

 というのは語弊があり、実際は、そうプログラムされるのだ。普通のヒトが学校に行き、知能を高めていくという今までのプロセスをホムンクルスに適用する。しかも三日間に集約して。そうすると、瓶の中の生命体は三日にして並みの人間の知能に達する。中には何度もそのプロセスを与えられ、天才、全能と呼ぶにふさわしい個体も存在する。

 

 グスタフ育成センターの従業員である僕は、21度目の4年目、孵化の前日になんとそこから一つの個体を盗み出してしまったのだ。落ち着いた今となっては、どうしてそんなことをしたのだろうと思う。戻ればいいのだが、ホムンクルスの窃盗は命に対する重罪だ。帰ってお縄はいやだ。ともかく、ほとぼりが冷めるまでどこかに逃げようと思った。


 その日は何とか人の住処らしきものを見つけて、そこにお世話になった。家主はひげの生えた老人で、訪問者の僕を歓迎してくれた。めったに人が来ないところなのに、おじいさんは急な来客をもてなすためのアラビアのものであろう異国のランプシェードを用意していて、明かりをともしてくれた。それは柔らかく光っていた。

「珍しいお客さんだね、この辺りは戦争の影響で人も寄り付かなくなってしまったんだよ。ゆっくりしていってください」

「ありがとうございます」

「何もないけど。戦争でね…何もないけどね…」

「い、いえ。本当にうれしいです」

 食事をいただいた。涙が出そうだった。

 あたたかい食事のあと、僕はおじいさんになぜこんな辺境に住んでいるのかと聞いた。

「妻が戦争で亡くなって、この近くに埋まってるはずなんだ。おれはそれを残していくわけにはいかない」

「でも、こんなところに居ても、生活は―――」

「そう。さらに、戦争が終わって、軍人だったおれは日々の暮らしもままならなくなった。仕事がなくなったからね。だけど、妻を思う気持ちは、貧乏に負けんよ。多分な」

 そのあと、僕は自分のことについて聞かれた。僕は、センターで働いていること、そこからホムンクルスを盗んでしまったこと、逃げていることをすべて話した。おじいさんは、ホムンクルスの話に興味を示した。それから、見せてほしいといったので、僕はカバンの中からそれを取り出した。瓶に入ったそれを見たとき、おじいさんは一瞬冷めたような目つきをしたと思った、がすぐに不思議な顔を隠そうともせずに彼を見つめていた。

「この人だれ?」

 彼もまたおじいさんを覗き込んだ。その顔は、目の前の顔とそっくりだった。

 それくらいにして、僕は瓶をカバンに戻した。おじいさんはしまわれる瓶を目で追っていた。

 ずいぶん長いこと話し込んだ。しばらくすると僕はうとうとしたので、おじいさんはそれに気づいたのか、寝床を用意してくれた。どこまでもやさしい人だと思った。

 僕は寝ることを伝えて、おじいさんはランプシェードを消した。


 砂嵐の吹き付ける音で、僕は目を覚ました。閉めたと思った窓が開いていた。立とうと思ったが、まだあたりが暗くて、手探りで身の回りの物を確認した。すると、気づいた。カバンがなかった。

 僕は駆け出していた。思考は後からついて来て、足跡を追って追いかけようとする僕を立ち止まらせようとした。罪から逃げられるかもしれない。証拠は今自分の手には無いのだから。今まで、僕は何度も彼をおいていこうと思ったが、できなかった。なぜかは分からなかった。分からなかったし、今もわからないけど、チャンスはやってきた。僕の気持ちの片方は、この事件をチャンスととらえているようだった。その考えは、僕がかつて母親と思っていた人に騙された経験からくるものだろう。あれ以来、独りで生きてきたのだから。

 結局、僕は走り続けた。1時間くらい走って、ついに盗人に追いついた。なんでかは分からないけど、連れ去られたホムンクルスのことを考えるとむしょうに腹が立った。僕は叫んで老人に殴りかかった。盗人と僕は砂をあたりにまき散らしながら、めちゃくちゃにもみあった。その拍子に、老人の手からカバンが落ちた。僕は絡みつく盗人をふりほどいてその顔にパンチを一発食らわせると、すぐにカバンを拾い上げて、中を確認した。

 無事だった。思わずため息が漏れた。彼は、砂まみれの瓶の中からいつものように不思議そうな表情をのぞかせていた。


 その日はめずらしく砂漠に雨が降った。長旅で疲れ切った僕の心はすこし潤った。先日の一件から人を信じられなくなった僕は、さそりやら空き家あさりをして手に入った食べものやらを食べながら野宿していた。ホムンクルスは何も食べなくても生きてゆけるから、その点は助かった。食べ物を探すのも一苦労なのだ。

 もう日が暮れて来たので、ここに火を起こして野宿することにした。僕の隣に、彼の瓶を置いた。


 「ねえ、みてみなよ」瓶の中の彼が上を向いた。

一面の星空だった。雲一つなく、何十万の星がきらきらと輝いて、目がくらみそうになった。僕は思わず砂の上に大の字になって寝転がった。

「すごいね」

「ほしは、今までになくなった人が天にのぼってひかってるんだよ!ぼくのおかあさんの星はあそこにあるとおもうんだ。」

 それは嘘だよ、と言ってあげたかった。ホムンクルスには親への信仰を教え込むために、幼い時から「母親は死んだ。父親は逃げてしまった」という記憶がプログラムされているのだ。

「君は、お父さんお母さんに会えなくってさみしくないのかい?」僕は尋ねた。

「さみしいけど、あいたくはない。しんじゃったら、ミラや先生やきょうしつのみんなに会えなくなっちゃうから」

「お母さんより、友達のほうが大事ってこと?」

すると、彼は怒ったような声で

「なんにも分かってないんだね!」と言った。

「どういうこと?」

「みんながみんな大事なんだ。ぼくがどう思ってるか、僕に何をしたかじゃない。お母さんは戻ってこないけど、お母さんから見れば、自分にも長い人生があって、それをまっとうしたはずだよ。お父さんとお母さんがりこんしたのも、お父さんにもっと、何か大事なやりたいことがあったのかもしれない。僕がお父さんに何をされたって、僕はお父さんをみとめてあげたいし、おかあさんが亡くなったのも、おかあさんにとって当たり前のことだ。友達だって、みんなぼくとおなじように人生があると思うんだ。だからみんな大切で、みんな平等で、大事なんだ。」

 瓶の中の彼はゆっくり目を閉じてから、「決められないよ」と言った。

 それを聞いていた僕は深く深呼吸をして、本当のことを言う覚悟を決めた。

「聞いてほしい。君の記憶は嘘で、お父さんとお母さんなんていないんだ。君は最初から瓶の中で命を与えられたんだ。学校も、先生も全部プログラムなんだ。だから―――」

「嘘じゃないよ」力強い口調だった。

「きみがいるじゃないか。長いこときみとはなしてて、僕は成長したみたいだ。だから、きみの言葉から、そうじゃないかって思ってた」

「だけど、きみが僕を助けてくれた。僕をあそこから連れ出して、広い世界を見せてくれた。砂漠は広いね。しかも一人で、夜はさみしい」

 成長して、外に出る時が近づいたんだ。僕はそう思った。彼の話ぶりは、もう普通の人間だ。

「僕は戻りたい」

「駄目だ」

「なんで?」

「いっしょに旅しよう」

「僕はきみの友達だ。友達は、ぼくの人生をみとめる」


僕がうなだれていると、友達は

「きみも人間の友達を作ったほうがいいよ」

「僕には無理だ」

「僕は、君の人生をすごいと思ってる。旅しちゃうんだもん。」

「だから、認めるよ」

僕は少し泣いた。


夜が明ける時、僕は決心した。友達を自由にさせよう。

僕はカバンに瓶をつっこんで、センターを目指してまた歩き出した。









 




 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

コミュニケーション 南雲 @peternoiz

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ