第102話 言質

「蜜井くん。君が好きな本命の女の子って、蜂須さんなんだよね?」


 蝶野会長は、僕と蜂須の関係が偽物である事を知っているはず。

 にも拘らず、どうしてこんな質問を僕にぶつけてきたのか。

 考えるまでもなく、答えは1つしか思い浮かばない。


 ――バレたんだ。

 僕が、蜂須を本当に好きだという事が。


 でも、どうして?

 僕は、会長の前でそれを匂わせるような言動を見せた覚えはない。

 一体どうやって、何処から手掛かりを掴んできたんだ?

 気になるところであるが、今ここでそれを追及するのは得策じゃない。


 当たり前の事だと思うが、自分の好きな人というのは、なるべく第三者には隠しておきたい情報だ。

 幾ら親しい間柄の相手であるとしても、そう易々とすべてを打ち明けられるはずもない。

 ここで情報が迂闊に漏れるのは、僕にとって喜ばしくない展開なのだ。

 僕が「何故知っているんですか?」などと口にすれば、それは即ち、会長の発言を認めたも同然。


 つまり、僕が今取るべき対応は、この話題をはぐらかして凌ぐ事に他ならない。

 まあ、問題はどのようにしてその目的を達成するかなんだが……とりあえず、やれるだけやってみるか。


「一体何の話ですか? 会長の言っている言葉の意味が、よく分からないのですが。」

「どうして分からないの? 蜜井くん、前に言っていたよね? 他に気になる人がいる、って。だから、少なくとも好きな人がいる事は確定しているって事になるよね。」

「それは、まあそうですね。」

「蜜井くんと親しい関係にある女子は、私が調べた限りだと、蟻塚さん、蜂須さん、私の3人だけ。私はハッキリと振られているし、蟻塚さんに対してもその気はなさそうだし、そうなると消去法で蜂須さん以外に本命の人物は考えられないでしょ?」


 うぐぐ。

 僕の交友関係の狭さが、こんな所で仇になるとはなぁ。

 しかし、僕もこんなところであっさりと全てを白状する訳にはいかない。

 交友関係に関しては蝶野会長の指摘通りであるが、そこを突かれたとしても、まだ抜け道は残っている。


「僕が気になっている人というのが、僕と既に親しい人物であるとは限らないでしょう。気にはなっているけど、なかなか相手に声を掛けられないっていう片思いの状態かもしれないですし。」

「かもしれない? 私の仮説が間違っているなら、どうしてもっと力強く断言しないの? 言葉尻があやふやな辺りが、やっぱり怪しいと思うんだけどな。」


 蝶野会長は涼しい表情で、矢継ぎ早に反論を繰り出してくる。

 少しでも僕の主張に不審な点があれば、すぐさまそこを突いて攻め立ててくる辺り、本当に容赦がない。

 この怒涛の攻勢を実現できるのも、ひとえに会長の頭の回転の速さがあってこそだろう。

 頭の出来に関しては、少なくとも僕の方が不利であるのは明白だ。


 となると、まともに言葉を交わして正面から衝突するのは避けるべきだろう。

 適当にはぐらかして、強引にでも話の流れを逸らすぞ。


「その物言い、何だか優華さんに似てきましたね。容赦なく突っ込んでくるところとか、本当にそっくりです。」

「どうしてここで私のお姉ちゃんの名前が出てくるのかな? もしかして、蜜井くんの本命ってお姉ちゃんだったりするの? お姉ちゃんだったら、さっき君が言っていた『親しくないせいで声を掛けられない人』っていう条件に当て嵌まるよね?」


 駄目だったぁ!

 話を逸らそうと思って優華さんの話題を出したのに、何の成果もっ、得られませんでしたぁ!


 ってか、蝶野会長、何か顔が怖いんですけど!?

 いつものゆるふわ美人な顔が、仄暗い雰囲気を纏った目と虚ろな表情のせいで台無しどころじゃないぞ。

 もし今の彼女と夜道で出くわしたら、幽霊と勘違いして悲鳴を上げてしまいそうだ。

 とにかく、ここはこれ以上会長を刺激しない回答に切り替える他ない。


「いや、僕の本命は優華さんではなくてですね……。」

「じゃあ、やっぱり蜂須さんが本命なんだ?」

「ち、違いますって! 僕は、別に綾音の事が好きな訳じゃありませんよ!」


 今は、嘘でもこう言っておくしかないだろう。

 僕の本命が蜂須である事が蝶野会長にバレないようにするために、な。

 さて、会長は僕の回答に如何なる反応を返してくるか。

 それ次第で、僕もこの後の対策を考える必要が出てくるんだけど……。


「ふーん、そっか。だったら、もういいかな。」

「へ?」

「君がはっきりと『蜂須さんは本命じゃない』って言ってくれたからね。私としては、その言質を取れただけで充分だよ。」

「は、はぁ。」


 先ほどまでの恐ろし気な表情はまるで嘘のように消え失せて、蝶野会長の顔に満面の笑みが表れる。

 ゆるふわ系の可愛らしい顔に戻ってくれたみたいだが、何だろう、この拭い切れない違和感は。

 会長が僕をしつこく問い詰めてきたのは、僕の本命を探るためではなかったのか?


 彼女の反応が妙にあっさりし過ぎている点は気になるが、ここでそれを追及するのは藪蛇になりかねないな。

 またこの話題が再燃するのを防ぐためにも、生じた疑問は僕の胸の内に留めておくとしよう。


「あ、そうだ。蜜井くん、今度行くキャンプについての話なんだけど――」


 キャンプの行先や当日のルートなどについて、蝶野会長は柔らかな微笑みを讃えながら説明を始めた。

 急な話題転換に戸惑いつつも、僕は時折相槌を打ったりして話についていく。

 そうして、およそ1時間は話し込んだ頃だろうか。

 窓の外から見える空がほぼ紫色になっていた事に気付いた僕は、そろそろこの辺りでお暇させてもらう事にした。


「ごめんね、長々と引き留めてしまって。色々と資料とかを見せながら説明したかったから、この機会にと思ったんだ。」

「いえ、電話だけで済ませて良いような話でもないですし、僕も丁度良かったと思っていますよ。」

「ふふ。蜂須さんへの説明は、私の方で後日させてもらおうと思っているから、君は何もしなくて良いからね。」

「分かりました。じゃあお任せしておきますね。」


 蜂須への説明に関しては、彼女を今回のキャンプに巻き込んだ僕の口から説明するつもりだったが、キャンプの発案者である蝶野会長から説明してもらう方が良さそうだしな。

 資料なども会長が全て握っているし、僕よりも会長の方が説明なども上手いだろうから、彼女の言う通り、僕の出る幕はなさそうだ。

 玄関まで見送りに来てくれた会長に、僕は片手を挙げて挨拶を返す。


「じゃあ、今日はこれで失礼します。」

「うん、今日は付き合ってくれてありがとう。またね!」


 自転車に跨った僕は、ヒラヒラと手を振ってくれる蝶野会長に手を振り返し、彼女の笑顔に見送られながらペダルを漕ぎ始める。

 思った以上に遅くなってしまったし、急いで帰らないとな。

 腹も減ったので、全速力で行くとしよう。


 …………。


 ……。


『僕は、別に綾音の事が好きな訳じゃありませんよ!』

「――えへへっ。その言質を録れただけで充分だよ。蜜井くん……ううんっ、義弘くん♡」

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