第83話 情報交換

 夏休みに入ってから、早1週間。

 本来であれば、僕は毎日のように自宅でダラダラと過ごす日々を送っている……はずだった。

 少なくとも、夏休みに入る直前までは、そうした日々が続く事を僕は想像していたんだ。


 しかし。

 現実というのは、斯くも儚く理不尽な物である。

 それはさながら、夜空に溶けて消える流れ星のように……自分で言ってて何だが、この言い回し、ちょっと中二病が入ってるような。

 誰かさんの病気が移ってしまったか?

 コホン、ここは気を取り直して。


「何で、毎日毎日外に連れ出されるハメになるんだ……。」


 仕切り直して出てきたのがただの愚痴かよ、と突っ込まれそうだが、これが僕の偽らざる本音なのだから仕方がない。

 だって、この暑い中、誰が好き好んで毎日外に出たがるのか。


 それでも僕が外に出ざるを得なかったのは、毎日のようにお誘いが来るからだ。

 主に蜂須や蝶野会長から、な。

 蟻塚は、相変わらず毎日メッセージは飛んでくるものの、終業式の日以来こちらに接触してくる気配はない。

 だからこそ、むしろ不気味さが際立つのだが、今は考えないでおくとしよう。

 それよりも、今は目の前の呼び出しだ。


 蜂須と蝶野会長から日替わりで飛んでくる呼び出しは、断ろうと思えば断る事も出来た。

 だが、僕としては蜂須との関係が深まるのはむしろ望むところであるし、会長については今後もケアしていく事を約束してしまったので、あまり蔑ろにする訳にもいかない。

 そんな理由で、僕は今日も今日とて、真夏の太陽が照り付ける中で外出を強いられる事になったのだ。


 本日、お昼前に自宅を出た僕が自転車を漕いで向かったのは、蝶野会長が住む安アパート。

 僕の家からはそれなりに距離があるため、到着した頃には毎回僕のシャツが汗だくになってしまうのが困りものだ。

 女子に会うのに汗塗れなのはあまり宜しくない事だが、会長は「気にしないでいい」と言ってくれるので、そのお言葉に甘えさせてもらっている。

 いや、気にしないでくれているだけなら、まだマシだったと言うべきか。


 え?

 どういう意味かって?

 直に分かるさ、直にな。


「こんにちは。蜜井です。」


 チャイムを鳴らし、僕が呼び掛けると、数秒もしないうちに玄関の扉が開いた。

 部屋の中から顔を覗かせたのは、もちろんこの部屋の主である蝶野会長だ。


 今日の彼女は、シンプルな白いシャツと水色のショートパンツを履いている。

 更にその上からピンク色のエプロンを着けており、今まで料理をしていたのであろう事が窺えた。

 以前に比べれば露出をかなり抑えた恰好になっていて、ひとまず一安心といったところか。

 とはいえ、まだ油断は出来ない。


「こんにちはっ、蜜井くん! ついさっき、お昼ご飯が出来たところだよ!」


 弾ける笑顔で飛び出してきた蝶野会長の口調は、中二モードではなく、素の彼女の物になっている。

 夏休みに入って以来、プライベートで会う時の彼女は、ずっとこの調子なのだ。


 今までが今までだっただけに当初は戸惑ったが、今はもう慣れた。

 中二病を前面に出さなくなった事で可愛さが増した反面、キャラが薄くなったようにも思えそうだが、実際は全然そんな事はない。

 会長は僕のシャツに顔を近付けると、スンスンと鼻を鳴らす。


「今日も暑い中来てくれてありがとう。すっかり汗だくだね。」

「ええ、まあ。僕が家を出る直前には、もう気温は35度を超えていたらしいですし。毎回そうやって僕の服の匂いを嗅いでますけど、臭くないんですか?」

「もちろん汗臭いよ? でも、不快な気持ちにはならないし、むしろ……えへへっ♡」


 僕の服から顔を離した蝶野会長が、何故か頬を赤らめて視線をこちらから逸らす。

 表情が緩んでいる辺り、僕の汗臭さを不快に思っていないのは確かなのだろう。

 しかし、彼女の反応には何か他の意思も含まれているように感じる。

 あくまで僕の直感でそう思っただけに過ぎないが……。

 会長の照れたような笑顔は可愛い事は可愛いけど、裏がありそうな気がしてならないのが怖いところだ。


「さ、上がって。ご飯、もう出来てるから。」

「お邪魔します。」


 軽く頭を下げて、僕は蝶野会長の自宅に上がり込む。

 狭く短い廊下を抜けた先にある1LDKのリビングには、来客用の丸テーブルが既に設置されており、ご丁寧に2人分の座布団まで配備されている。

 冷房も効いてはいるが、電気代節約のためか設定温度は高めにしてあるらしく、あまり涼しさは感じない。

 まあ、ないよりはマシというレベルだ。


「今日はオムライスを作ってみたの。あと、これが付け合わせのサラダだよ。」

「オムライスですか。この前より一段と難易度の高い物に挑戦したんですね……。」


 蝶野会長が持ってきたオムライスは、形が微妙に崩れている上、卵の皮が少々黒焦げになってしまっている。

 1人暮らしを始めてから自炊をするようになった彼女は、急速に料理の腕前を上げているが、まだまだ発展途上といったところだろう。


「あ、食べる前に少し待っててね。実はもう1つ、練習してた事があるんだよ。」

「え?」

「美味しくなるおまじない、私が掛けてあげるね!」


 おまじない?

 って、一体何をするつもりなんだ?

 いつもの中二発言とはまた違うベクトルで反応に困るんですが。

 ここ数日で中二病が改善しつつあるかと思いきや、今度は別の方向に何かを拗らせたんじゃないだろうな?


 とはいえ、会長が何をするつもりなのかが分からなければ、こちらも反応のしようがない。

 半ば呆れながらも、僕はとりあえず蝶野会長の動向を見守る事にした。


 会長は僕の目の前の円卓にお皿を並べた後、エプロン姿のまま、ケチャップの容器を手に取る。

 彼女はそれを僕のオムライスの上で逆さにすると、弾ける笑顔でこう言った。


「おいしくなーれ、えいっ! ダーリンに、桃華のラブをお見舞いしちゃうゾ☆」


 僕のオムライスの上で、蝶野会長は器用にケチャップで大きく♡マークを描いていく。

 パチンとウインクを決めた笑顔といい、様になっているけど……あんた、もしやメイド喫茶のメイドになりきったつもりか?

 アニメオタクの会長にはピッタリなチョイスなのかもしれないが、キャラが行方不明過ぎて僕の頭が混乱しちゃいそうだゾっ☆


「蜜井くん。ど、どうかな? か、可愛く出来たと思う、かなっ?」

「いや、まあ可愛いとは思いますけど、やり過ぎでは?」


 本人の素材が良いから、正直に言えば滅茶苦茶可愛いのは確かだ。

 僕はメイド喫茶に行った事はないが、蝶野会長が今の感じで接客できるのであれば、間違いなくとんでもない人気が出るだろう。


 しかし、忘れてはならない事が1つある。

 この人、これでも一応コミュ障なのだ。


「良い接客だったと思いますが、僕以外の人にも同じ事は出来ないんですか?」

「うぇっ!? む、むむ無理だよっ! 相手が蜜井くんだから、勇気を振り絞って……が、頑張ってみたの。」

「はぁ。そう言ってもらえて悪い気はしないですけど、会話の練習の道のりは長そうですね。」


 僕が蝶野会長と取り交わした約束は、彼女の会話の練習に付き合い、コミュニケーション能力の向上を手伝う事だ。

 その代わりに、僕の周りで何かが起きた際には、解決のために彼女の助力を得られる。

 僕が今日はるばるこうしてここへ来た理由の1つも、まさにその助力を目的としているのだ。

 そろそろ、こちらの本題を切り出させてもらうか。


「いただきます。ところで会長、先日お願いしていた調査の方はどうでしょうか?」

「蜜井くんの周りをウロウロしている、変な人影についての話? うーん、まだちょっと分からない事が多いかな。」


 僕の正面でオムライスを頬張りながら、蝶野会長は首を傾げた。

 生徒会長であるとはいえ、一介の女子高生に過ぎない彼女に集められる情報はどうしても限られる。

 友人が多ければそこから入ってくる情報なども頼れるんだが、僕も会長もその辺りが弱いからなぁ。


「そうですか。僕の単なる勘違いで終わるならいいんですが、もし危害が及ぶような事になったら……。」

「心配はいらないよ。蜜井くんが言っている人影とやらが君に危害を加える事はないはずだから。」

「え? どうしてそう断言できるんです?」

「何となく、かな。女の勘だよ。」


 蝶野会長は僕から視線を外し、自分の目の前のオムライスにスプーンを差し込む。

 少し多めにスプーンに盛られたご飯がポロポロと皿の上に落ちるが、会長はそれを気にする事なく口をやや大きく開けて頬張った。


 その後も、僕と会長は取り留めのない雑談を続けたが、結局、この日に僕が得られた収穫が皆無だったのは残念だ。

 会長の発言に一部引っ掛かるところはあったけど、恐らく大した意味もないだろうしな。

 明日は蜂須と会う予定が入っているから、そこに期待しておくとしよう。

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