第52話 門出

 昼休みの別れ際の蟻塚の豹変ぶりは、一体何だったのだろうか。

 モヤモヤとした不安が胸の内で燻ってはいるものの、今それを気にしても仕方がない。

 あいつが何を考えているのか、僕には全く想像がつかないしな。


 それよりも、今は会長の様子を確認する方が先決だ。

 昼休みは蟻塚に捕まってしまったので、結局蝶野会長とは会えずじまいだったから、教室まで様子を見に行ってみようか。

 そう思い、僕が3年生の教室を目指して廊下を歩き始めた矢先、僕の進行方向から現れた蝶野会長とばったり出くわした。


「おお、蜜井くんか。丁度、今から其方の教室に向かおうと思っていたのだ。」

「奇遇ですね。僕も、会長が昨日どうなったのか話を聞こうと思っていたんです。」

「ククク、そうか。ならば、これから生徒会室へ共に向かうとしよう。」

「分かりました。」


 廊下で立ち話をする訳にもいかないので、僕は蝶野会長の提案に従う事にした。

 蝶野会長に先導されるがまま、僕は生徒会室へ向けて歩き出す。


 土曜日にショッピングモールで別れて以来、会長はずっと沈んだ雰囲気を纏い続けていた。

 だが、ちらりと横目で盗み見た今の会長の表情からはそういった陰鬱な空気が消え失せており、かつての彼女を取り戻しているように見える。

 いや、むしろ、顔つきがいつも以上に晴れやかな気もするが……。


「まずは、先にこれを返しておこう。」


 生徒会室には、他の生徒会役員は誰もいなかった。

 会長は定位置の席を確保すると、鞄から一冊の漫画を僕に手渡してくる。


「どうも。無事に戻ってきて何よりでした。」

「私のために大切な物を貸してくれて、本当に助かった。ありがとう。」

「いえ。お役に立てたなら良かったです。」


 蝶野会長に貸していた「漆黒の魔法戦記」の最終巻の単行本を受け取り、僕はそれを自分の鞄に仕舞う。

 これで、会長に会う目的の1つは果たした事になる。

 会長の両親に漫画を捨てられる可能性も危惧していたが、杞憂に終わって何よりだ。


 だが、本題はここから。

 会長には、聞かせてもらわねばならない話があるからな。


「さあ、座ってくれ。」

「はい。失礼します。」


 適当な椅子を引いて腰を下ろし、僕は話を聞く体勢を整えた。

 僕から見て、会長が座っている席は、生徒会室の窓に近い位置にある。

 その窓には鼠色の空が映し出されており、横殴りに殴りつけてくる風によって窓ガラスはガタガタと音を立てていた。


「雨が降ってきたみたいですね。」

「そのようだな。傘は持ってきているのか?」

「一応は持ってきていますよ。天気予報でも、今日の夕方から大雨が降ると言っていましたし。」

「なら、話が多少長引いても問題はなさそうだな。とはいえ、傘を差しながら自転車に乗るのは危ないのではないか?」

「大丈夫です。帰りのルートに、そんなに危険な道はないですし。」


 いざとなれば、自転車を押して帰るか、自転車を学校に置いてバスで帰るという選択肢もある。

 今すぐ校舎を出たところで、既に降り出した雨を避ける術はないし、蝶野会長の話を聞く時間は充分に取れるしな。


「ならば、話をさせてもらうとしよう。昨日、私が挑んだ試練の結果についてな。」


 蝶野会長は机に両肘を突き、両手の指先を口の前で絡ませる。

 まるでフィクションの世界に登場する敵のボスがやりそうなポーズだな……。

 中二病の彼女らしいと言えばらしいけど。


「其方が貸してくれた魔導書のお陰で、私は初心を取り戻し、勇気を奮い立たせる事が出来た。覚醒した私は宿敵に立ち向かい、見事に勝利を勝ち取ったのだ!」

「すみません、もっと分かるように説明してもらえませんか?」


 説明がぶっ飛び過ぎていて、何が言いたいかよく分からなくなっている。

 少なくとも状況が好転したのであろう事は想像できるが、それ以外の情報が全く入ってこないんだよなぁ。


「む、すまない。要約すると、実家から勘当されたという話だ。」

「は? 勘当!?」

「うむっ! 実家の方針に逆らったために、勘当されてしまったのだよ。私は、今流行りの追放系作品の主人公になったという訳だな!」


 何処で流行ってるんだよ、そんなジャンルの作品。

 全然聞いた事ないぞ。

 それに、心なしか以前よりも中二発言が悪化してないか、この人。


「勘当されたって事は、何処かで1人暮らしでもするつもりなんですか?」

「ああ。両親の最後の慈悲で、我が新たな居城を用意してもらえる事になった。今週末には引っ越す予定だ。」

「生活費はどうなるんです?」

「世間体があるから、私がこの高校を卒業するまでの間は出してくれるそうだ。但し、あくまでも最低限の金額だけ、という条件付きだがな。」

「昨日1日だけで状況が変わり過ぎてて、びっくりしましたよ……。」


 幾ら何でも、急展開にも程がある。

 たった一晩のやり取りだけで行き着くところまで行き着いたな、という感想しか出てこない。

 蝶野会長は、これから一体どうするつもりなんだろうか。


「クク、私もまさかここまで状況が動くとは予想だにしていなかった。だが、これで晴れて、私は自分の夢に向かって走り出す事が出来る。」

「確か、声優を目指しているんでしたっけ? 売れる人はほんの一握りだ、とも聞きますけど……。」

「ああ、当然ながら平坦な道ではないだろう。だが、最初から諦めていたら、何事も叶えられない。」

「仮に声優として売れたとしても、最近の声優って、顔を出してアイドル的な活動をする事も割とありますよね? 会長は、そういうのは平気なんですか?」


 ルックスだけで言えば、蝶野会長なら声優どころか余裕でアイドルも務まるだろう。

 ゆるふわ系の可愛らしい顔と抜群のスタイルを兼ね備えた彼女であれば、ファンの心を鷲掴みにする事も容易いはずだ。

 コミュニケーション能力が壊滅的でなければ、の話だがな。

 いや、生徒会長が務まっているくらいだし、実は意外と何とかなる……かも?

 うーん、どうなんだろうな。


「もちろん、今の私のままでは厳しい道だと思っている。そもそも、1人暮らしで生計を立てていくには、仕事もしなければならないからな。」

「何かプランはあるんですか?」

「それについてなんだが――その、だな……」


 蝶野会長が急に視線を逸らし、ほんのりと顔を赤らめた。

 まるで照れているような、恥ずかしがっているような、そんな表情だ。

 そういう表情をされると、滅茶苦茶可愛く見えてしまうから、僕の方まで緊張してくるじゃないか。


「い、以前にもお願いしていたと思うんだが、私との会話に、つ、付き合って欲しいのだ。」

「あー。最初に会った頃に、確かにそういう事を頼まれた記憶がありますけど……。」

「だ、駄目か?」


 蝶野会長は上目遣いで僕をジッと見つめ、無言で僕の返答を待っている。

 普通に可愛い仕草をされると、本当に返答に困るので止めてくれ。

 中身は変人でも、外見は紛れもない美少女なんだから。


 まあ、会長の容姿については一旦置いておくとして、だ。

 今後も、僕の周囲で何らかの問題が発生した時、会長にお世話になる可能性は高い。

 それを思えば、会長の申し出を断る訳にはいかないだろう。

 これまでの借りを清算しつつ、むしろこちらが貸しを作っていくのが理想だ。


「分かりました。引き受けますよ。」

「本当か!? で、では、早速だが頼めるか?」

「構いませんけど、具体的には何をすれば良いんです?」

「そ、それは、だな……」


 カッ!

 ゴロゴロゴロ!


 蝶野会長が何かを言い掛けたその時、室内を揺らす程の轟音が響き渡った。

 まさかと思い窓の外を見てみると、空でピカッと閃光が弾け、再び轟音が生徒会室を襲う。


「雨、かなりひどくなってきていませんか?」

「そうだな……。これ以上ひどくなる前に、今日のところは話を中断する他なさそうだ。今日はもう帰った方が良い。」

「じゃあ、後日に話は持ち越し、って事で良いんでしょうか?」

「いや、週末の引っ越しに備えての準備が私にはあるからな。引っ越しが終わるまでの間、放課後に時間を取る事は出来ないだろう。その代わり、没収されたスマホが返ってきたから、これで連絡を取り合うとしよう。」

「それなら問題なさそうですね。では、僕はこれで失礼します。」

「ああ、またな。」


 僕は軽く一礼してから、生徒会室を後にする。

 廊下を歩きながら窓の方へ改めて視線を向けると、突風が窓をガタガタと揺らし、雨が横殴りにガラスを叩いていた。


 どう考えても、傘を差して自転車に乗るのは無理があるな……。

 突風に傘を取られて横転する未来が容易に想像できる。

 下手な場所で横転してしまったら、大怪我を負う事もあり得るだろう。

 今回は自転車は諦めて、学校近くのバス停からバスに乗って帰るのが一番安全か。


「ん? あれ?」


 靴を履き替え、傘立てから自分の傘を取ろうとした僕は、傘立てに伸ばした手を止めた。


 何度目を凝らしてみても、傘立てに置いていたはずの僕の傘が全く見当たらない。

 隣の傘立てなども粗方探してみたものの、やはり僕の傘はなさそうだ。


「まさか……!」


 冷たい汗が、背中からダラダラと流れてくる。

 すぐ外では未だに雷雨が轟音を立てているが、その音が気にならないくらい、僕は必死で頭を回転させた。


 ここに傘がないという事は、誰かが僕の傘を持っていったのは間違いない。

 問題は、そいつが単に間違えて僕の傘を持ち出したか否か、だ。

 果たして、これは偶然なのか?

 この出来事は、状況が再び動き出そうとしている兆候ではなかろうか。


 特に根拠がある訳ではないが、僕にはそう思えてならなかった。

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