第23話 過去の影
問題解決のための助っ人として蝶野会長に目を付け、生徒会室に足を運んだはいいものの、蝶野会長と蜂須は今回が初対面という間柄だ。
この場で彼女達を繋げる事が出来るのは、僕以外に存在しない。
止む無く、僕は自ら本題を切り出す事にした。
「実は、こちらの蜂須さんがクラスの友人達と揉めていて、最近は嫌がらせの類を受けていまして。それで、どう解決すれば良いか、会長に相談したいと思って、ここへ足を運びました。」
「なるほど、嫌がらせか。この私が生徒会長を務めている我が校において、そのような狼藉を許す訳にはいかんな。ええと、蜂須さん、だったか? そ、その、詳細を聞かせてもらっても、よ、良いか、な?」
「何か凄く怖がられてるっぽいんだけど……。」
「こ、怖がってなどいないぞ! さ、さあ、は、話してくれ!」
「分かりました……。」
蜂須は呆れたように嘆息し、僕を一瞬だけ睨みつけてきた。
――あれ、僕また何かやっちゃいました?
という冗談はさておいて、大方、蜂須は僕が選んだ助っ人の人選に未だ不満を持っているのだろう。
ただ、遺憾な事に、頼りになりそうな人物の心当たりが他にはいないのだ。
何とか我慢してくれ、と僕が心の中で念じていると、それが通じたのか、蜂須は不満を零す事なく、淡々とこれまでの経緯について語り始めた。
「じゃあ、最初の切っ掛けからお話していきますけど……。あたし、この前の球技大会の最中に、仲良くしていた3人の友人達と揉めてしまったんです。球技大会が終わった後も、上手く仲直りできないまま、ゴールデンウィークに入って、結局有耶無耶になっちゃって。ゴールデンウィークが明けてからは、あの子達に完全に無視されるようになって、それどころか嫌がらせをされるようになったんです。しかも、嫌がらせの対象はあたしだけじゃなくて、あたしと授業中によくペアを組む蜜井にまで及んでいるので、早くどうにかしなきゃって思っているんですが……。」
「む!? 蜜井くんも嫌がらせを受けているのか!?」
蝶野会長は素っ頓狂な大声を上げて、勢い良く机に両手を突き、僕の方へ軽く身を乗り出した。
その刹那、会長の大きく膨らんだ胸元が上下にブルンと揺れて……って、いかん、いかん!
真剣な話の最中に、僕は何処を見ているんだ!?
ここは深呼吸して、一旦気持ちを落ち着かせよう。
「すぅーっ、はぁーっ……。」
「あんた、急にどうしたのよ?」
「い、いや、何でもない。それより、僕が受けている嫌がらせについて、だったな。」
怪訝な顔でこちらを見ている蜂須を誤魔化しつつ、僕は昨日のパスケースの件について蝶野会長に説明した。
一通り話が終わると、蝶野会長は眉間に皺を寄せ、顎に手を当てて「ふむ」と小さく唸る。
「それは由々しき事態だな。下手をすれば、君がパスケースを盗んだという嫌疑をかけられていた可能性もある。これ以上エスカレートすれば、次はないかもしれない。」
「そうですね。だから、僕達も困っている訳でして。」
「話は理解した。ところで、蜂須さんは、担任やご家族にこの事を相談したのか?」
「この事については、あたしは蜜井としか話してないです。今の段階で先生に報告したところで、あいつらが大人しくなるとは思えないし。それにあたし、お母さんと仲が悪くて殆ど口を利かないから、こんな事は話せないし。」
まあ、そうだろうな。
娘がこんな派手なギャルになったら、大抵の親は絶対に怒る。
それでも尚、娘が恰好を改めようとしないのなら、親子関係が悪化するのは火を見るよりも明らかだ。
親子の関係が拗れた状態であれば、蜂須が親に悩みを相談できないのも当然の流れだろう。
だが、「両親には話せない」ではなく「お母さんには話せない」と蜂須が発言した点については、少々引っ掛かるな。
父親と蜂須の関係性は、そう悪くはないという事なのか?
蝶野会長もどうやら僕と同じ考えに至ったらしく、僕が蜂須に尋ねようとした疑問をそのまま口に出した。
「母上が駄目なら、父上はどうなのだ? 其方の父上も話は聞いてくれないのか?」
「あたしの家は、お母さんと2人暮らしの母子家庭なので、お父さんはいません。」
「――えっ!?」
蜂須のパスケースに、電車の通学定期券と一緒に入っていた家族写真の存在が、僕の脳裏を過る。
あの写真には、父と母、そして姉と弟と思しき4人の家族が笑顔で映っていた。
あれは、蜂須とは全く無関係の人物の家族写真だったのか?
いや、パスケースに、ギャル連中が他の誰かの家族写真を忍ばせたという事であれば、話の辻褄は合う。
要するに、写真が蜂須の物であるとは限らない訳だ。
もしあの写真も盗まれた誰かの物だとしたら、僕達以外にも被害者が存在する可能性が浮上してくる。
「急に椅子から立って、あんた一体どうしたのよ?」
「あー、その、だな……付かぬ事を蜂須さんに聞きたいんだが、いいか?」
「ええ、構わないわよ。で、何を聞きたいの?」
「昨日、パスケースを拾った時に、定期券に印字されていた名前がパスケースの窓から見切れてしまってて、見えなかったんだ。だから、定期券の持ち主を確認しようと、パスケースから定期券を取り出しんだけど、その時に、パスケースの中に家族写真みたいな物が一緒に入っていた事に気付いてな。あの写真は、蜂須さんの物か?」
「……っ!」
つい先程まで気だるげな面持ちをしていた蜂須が、一気に表情を強張らせた。
暫くそのまま固まっていた彼女は、徐々に目を細め、視線で刺すような鋭い雰囲気を放出し始める。
蜂須の反応を見るに、あの写真は、恐らく第三者の持ち物なんかじゃないな。
写真に写っていた、真面目そうな外見の女子中学生の正体が、もし蜂須本人だったとしたら。
もしや、僕は特大の地雷を踏んだのではなかろうか。
「あんた、写真を見たの?」
「ごめん。やっぱり、あれは蜂須さんの写真だったのか?」
「……。」
蜂須の顔から、表情がスッと消えていく。
間違いない、これは確実にやってしまったみたいだな。
僕は、紛れもなく蜂須の地雷を踏んだのだ。
戦々恐々としながら、僕が口を閉ざして蜂須の動向を見守っていると、彼女は突如として椅子から立ち上がり、その場で回れ右をした。
「ごめん。この相談は、やっぱりなかった事にして。あいつらとのケリは、あたしが1人で着けるわ。蜜井にはなるべく被害が及ばないように、急いで何とかするから。もうあたしに構わないで。」
「え、あっ、蜂須さん!?」
蜂須は僕達を置いて、足早に生徒会室から出て行く。
呆然と彼女の背中を見送ったところで、僕はようやく我に返った。
どう考えてもこの展開は不味い!
すぐに追い掛けて、話し合いに戻るよう説得しないと!
「蜂須さんっ!」
慌てて生徒会室を飛び出した僕は、一目散に蜂須を追い掛ける。
見かけによらず真面目な彼女は、生徒会室を出た後も廊下を走らずに早足で移動していたため、足があまり速くない僕でもあっさりと追い付けた。
「まだ話の途中だっただろ!? 急にどうしたんだ!?」
「さっきも言ったでしょ。この問題は、あたしが1人で何とかする。あんたにこれ以上迷惑は掛けない。だから、もう放っておいて。」
「そういう訳にはいかないだろ。乗り掛かった舟なんだし、僕にとっても最早これは他人事じゃないんだ。」
「あたしに関わる方が、もっと大変な事になるかもしれないわよ?」
「どういう意味だ?」
蜂須の言葉の意味が分からず、僕はただ茫然と彼女の背を見つめる。
廊下の窓から吹き込む微風が、蜂須の金髪をさらさらと揺らし、甘い香水の匂いが僕の鼻腔を擽った。
蜂須はこちらへ僅かに顔を向け、小さな声で呟く。
「だって、あたしは疫病神だから。あたしに関わった人間は、みんな不幸になっていく。」
「え……?」
「じゃあ、もうあたしは行くから。あんたは、もうあたしに関わらないようにして。」
僕の顔を正面から一度も見ようとしないままに、蜂須はその場から歩き去っていく。
気のせいかもしれないが、彼女が最期に発した一言は、声が少しだけ震えているように聞こえた。
蜂須の先程の言葉は、本心からの物だったのだろうか。
それに、「疫病神」ってどういう意味なんだ?
現時点では、蜂須の真意は何も分からない。
彼女が遺した言葉の意味を必死に考えながら、僕は遠ざかる少女の弱々しい背中を見送った。
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