第7話 夜更かし朝寝坊

 翌日、登校してすぐに、教室の入り口近くに突っ立っていた浜辺くんに声をかけた。


「おはよー」

「あ……おはよ」


 挨拶を返すと、彼はそそくさと自席へと戻った。えー、仮にも恩人にその態度は何なんだと思いつつも、仕方がないよな、という気もしている。自分で言うのもなんだけど、転校初日にマイルドヤンキー(?)にケンカを売るような女、関わらない方が身のためだわ。


「おはよー、美波!」


 美琴が早速、下の名前で呼んでくる。


「おはよう」

「なんか、今日疲れてる?」

「そんなことはないけど……あ、でも昨日結構夜遅くまで動画サイトみてたわ」


 嘘をついた。ガリ勉キャラは、定着しないに越したことはない。昨日寝たのは夜中の2時。さすがに夜更かししすぎたか。努力を見せつけるのは、スマートではない。



「美琴、もう転校生と仲良くなったの? いいな、私も混ぜてよ」

「あ、春奈だ!」


 春奈、と呼ばれた女子は、美琴に抱きつかれながら、私に視線をやる。


「朝からうっとうしいってば。転校生ちゃんもドン引きでしょ」


 苦笑いを浮かべた。一瞬の目線、私のことを「転校生ちゃん」と呼ぶ言葉尻から、相手が味方になりうるのか、敵になりうるのか判断するのはとても難しい。



 遠藤 春奈は、隣のクラス――A組の生徒だった。一昨年、去年は美琴と同じクラスで、いつも一緒に行動していたらしい。


「春奈ってさ、めちゃくちゃ可愛いでしょ? あの子、実は芸能事務所に入ってるの。たまに、東京に行ってお仕事してる」

「へえ……」


 つい最近まで、芸能活動禁止の学校に通っていた私からすると、雲の上の人みたいな話だ。


「女優さん?」

「いや、モデル。雑誌とかに載ってる」


 そっか。世間一般の女子中学生たるもの、雑誌やトレンドには敏感でなければならない。これは要チェックだ。




 担任、かつ古文の教師である桜井先生は、中年の穏やかそうな女性だった。ぶっちゃけ、特に問題を起こす予定もなければ、学校の授業に期待を寄せているわけでもないので、教師は口煩くなくてある程度優しければなんでもいい。世間では流行ってるけどね、熱血教師。私はそういうの好かない。有りもしない問題を掘り返したり、やたらと干渉してきたりするからさ。


 朝のホームルームから古文の授業へとぬるりと移り変わる。話し手がよほど話術巧みでない限り、文系科目はとても眠くなりやすい。そんでもって睡眠時間5時間半は、育ち盛りの中学生にはまあまあキツいんですよね。


 まあ、気づいた頃には夢の中でしたね、はい。


 夢の中で私は、何故か模擬試験を受けていた。高校受験じゃなくて、中学受験の――その時点で、これは夢だと認識する。そして返却される場面に移り変わるのはとても早い。


『私立O中学 E判定 合格可能性20%未満』


 ちなみに、実際にE判定を取ったことはない。むしろ、A判定――合格可能性80%以上しか取ったことはなかった。それでも私は中学受験に合格して数年経った今も、度々この夢を見る。


「ねえ。起きなって。もう4時間目も終わったよ、お昼だよ」


 そんな声で目覚め、時計を見るとあら不思議、12時10分。さすがに寝すぎでは?


「美琴は元気ね?」

「まあ、11時に寝てたからね……」


 朝早くからしっかり髪を巻いてアレンジして、睫毛をビューラーで上げて。私なんて、寝癖を直してコンタクトを入れるだけで精一杯。この生活、いつまで続けるのかな……



 給食なんて、いつぶりに食べた? 小学校6年生以来食べていないな、転校する前の中学は、お弁当を各自持ってくるスタイルだったから。母は朝が苦手だったから、私はコンビニ弁当を買って持っていくことも多々あった。ありがたいシステムだわ。転校すると、そういう些末な点で感動したり、違いを感じたりする。こういうの案外、嫌いじゃない。


「そうだ、美波。5限目体育なんだけど、更衣室の場所知ってる? あとでつれていってあげる」


 一緒に食べていた美琴が唐突に提案する。


 5限目の体育は、見学すると決めていた。寝不足で体調が良くないというのもそうなんだけど、まあ、それ以上に昨日の怪我が悪化しないようにね。


「ありがとう。今日は見学だけど、場所は見たいかも」


 基本的に、相手の提案は断らない。無理な要求であっても、せめて相手の意図しているところを汲み取り、それに沿うような代替案をこちらから提示する。美琴は単に、私に校舎案内をしたいのだろう。転校生の世話係に憧れる子は多いから。



 給食を食べ終わり、片づけている最中に、背後から声をかけられた。


「あのさ、菅原さん」


 浜辺くんだった。


「さっきちゃんと言えなかったんだけど、昨日はありがとう」

「いえいえ! 気にしないで」


 この子、私にお礼を言いたかったのか。朝の態度に違和感を覚えたことに申し訳なさすら感じる。


「あの、本当に足……無理しないで」

「ありがとね?」


 笑えてくる。そうか、私がこの子を守ったからな。


「……じゃ」


 浜辺くんはそう言って、そそくさと去っていった。


 何かを言い足りない様子なのは、分かった。でも、それを汲み取ってあげるほど、私は親切な人間ではない。

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