第1章

第1話 倶利伽羅峠の戦い、閉幕

 都落ち、という言葉を聞いたときにドキリとしたってことは、私はまだ負けている。


「語源は、平家物語の、倶利伽羅峠の戦いを描いた部分にあります」


 中学2年生、冬。


 中3を前に『都落ち』――通っている私立の女子中学から転校することが決定したのは、つい1週間ほど前のことだった。まだ友人には伝えていない。口に出せば、この悲しみが現実のことになってしまうような気がして。まあ、現実なんだけどさ。


 外銀に勤めていた親は、リストラに会った。安定した日系企業に勤めようと足掻いても、40を出た父を雇ってくれる待遇のいい企業なんて、見つからなかった。父はかなり優秀な方だと聞いているけれど、どうやら若さには勝てないらしい。


 恨みはない。社会での戦いは、全て親に任せている。子どもに口を出す権利はない。高い学費を、どうやって収入0の懐から出せと言うのか。




 気づいたら、かけているメガネに水滴が乗っていた。手元に置いておいたメガネケースから、メガネふきを取り出す。じわり、と布の色が濃くなるのを見ながら、これは涙ではないと言い聞かせる。


 親友の涼子が、こちらをうかがっていた。ニヤッと笑顔を向けると、少し安心したような顔になる。言わなきゃ、涼子には。




 3か月後、――父の実家のある田舎町に、私は初めましての挨拶をしていた。東京から3時間、もうあの場所には戻れない。

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