臭う車
岳石祭人
1、
歩道を歩いていてとなりの車道を車が通ると、それだけで運転手がヘビースモーカーの車はたばこの臭いがぷーんとするものだ。
たばこ嫌いの久米沢はそんな車が通ると思わず顔をしかめた。あんな車に同乗するのは絶対にごめんだなと思う。
昼の休憩時間のことだ。じゃんけんで負けた久米沢は時間前に抜けて会社の近所の弁当屋に注文していた弁当を取りに向かった。
人数分の弁当を二つの袋に分けて受け取り、その帰り道だった。
それは真っ青な空にカンカン照りの真夏のように熱い昼だった。
車の流れに間が開いたのでさっさと道路を横断し、歩道を歩いていた。
後ろから走ってきた車が横を通り過ぎていったとき、久米沢は思わず、うっと、鼻の頭にしわを寄せ顔をしかめた。
ひどい臭いが、顔に吹き付けられていった。
なんなんだこの臭いは? と思った。
この炎天下に、強烈に生々しい悪臭だ。
たばこどころではない、日常的にあり得ない特殊な臭いだが、しかし久米沢は、それがどういう類の臭いか思い当たってしまった。
あれだ、あの、湖の周りを散歩していたときの。
道ばたに大きな水鳥の死骸が横たわっていたのだ。
長いくちばしを半分開き、周りがピンク色の目を半分開いているのが怖かった。
飛んでいるところを車高のあるトラックなんかにはねられたのだろう。鳥というのは目が横についているせいか走ってくる車に対して前を通って逃げようとする。反対に逃げてくれれば安全なものを。
その水鳥が死後どれくらい経ったものか全然知識のない久米沢には分からなかったが、首がへし折れべったりアスファルトに張り付くように伏せた体は、寒々と羽毛が毛羽だったようで、皮膚の下の肉体がべったり重くなっているように感じられた。
その水鳥から、死の臭いがしていたのだ。
それは一呼吸で胃が裏返ってむせ返るような、生きている物にとっての相容れない異臭だった。
あの臭いは始めて嗅いでもはっきり出自の分かる臭いだ。
その異臭が、今通り過ぎていった車から臭っていた。
信号が赤になってその車は止まっている。
久米沢は顔をしかめながら近づいていった。
またあの臭いを嗅がされるのがごめんで追いつく前に止まった。変なところに立ち止まってとなりの車の運転手におかしな目で見られるのも嫌だが、あの臭いよりましだ。
2台先に止まっている問題の車は、建築現場か電気工事に向かうような白いくたびれたワンボックスタイプのバンだ。
横断歩道の青信号が点滅を始めたのを見て久米沢は歩き出した。
追いつく前にバンは走りだしてくれたが、久米沢はそのナンバープレートを見ることが出来た。
久米沢は横断歩道まで車の残り香を嗅がないように顔を外に背けながら歩いた。
「4××9、4××9、4××9…」
ぶつぶつつぶやきながら歩いていると、
「よっ、こんにちは。なんだ、宝くじの番号か?」
と後ろから声をかけてくる者があった。立ち止まって振り返ると顔馴染みのお巡りさんだった。久米沢の勤める会社は地元も地元、通っていた高校のすぐ近所で、もうずいぶん年輩のお巡りさんはこれまたすぐ近所の交番に勤める、学生時代から顔を合わせているお馴染みのおじさんだ。
「この間も宝くじ売場に並んでいるのを見たぞ? 当たったことあるのか?」
パトロールの途中なのだろう自転車を止めてニヤニヤ笑うお巡りさんに、久米沢は訊いた。
「お巡りさんさあ、死体って見たことある?」
お巡りさんは思いがけない質問に面食らい、顔をしかめた。
「そりゃあこの仕事だ、見たことあるが……」
なんでそんなことを?といぶかしがる顔に重ねて訊いた。
「どんな死体? 事故? 殺人? 血とか出てた?」
「おいおい」
お巡りさんは久米沢が両手にぶら下げる弁当を見て訊いた。
「なんだよ、飯が不味くなるだろう? なんでそんなこと訊く?」
ちょっと目つきの怖くなったお巡りさんに首をすくめて久米沢は話した。
「さっき隣を通った車から死臭がしたんだよ」
「死臭だと? おまえこそ、死体なんか見たことあるのか?」
「道端に死んでた鳥だよ。すんげえ臭かったから忘れようがないよ」
「そういう臭いが、その車からしたのか?」
「うん」
「ナンバーが4××9?」
「そう。白い、ぼろっちい、工事用みたいなワンボックスカー」
「白いワンボックスカーの4××9だな……」
お巡りさんは難しい顔をしたが、すぐに口を曲げて表情をゆるめた。
「ま、それだけじゃあな、事件とも決めつけられんな。それこそ、犬の死骸でも踏んづけたのかも知れないだろう?」
久米沢はグチャッという質感を想像して気持ち悪くなった。お巡りさんは笑った。
「今さらなんて顔してる。ま、なんか報告がないか、一応、覚えておいてやるよ」
じゃあな、と笑ってお巡りさんは久米沢を追い越して行ってしまった。
久米沢は嫌なこと聞いちゃったなあと思いつつ、
「4××9。よし」
と再度ナンバーを確認した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます