第15話 三日月の邂逅



 ――――夜半。三日月の僅かな月明かりの下でヤトは宿の井戸のある裏庭で剣を振っていた。

 明日も遺跡探索があるから程々にしておかなければいけないが、昼間フロイドから神代のエルフの話を聞いてしまったので気が昂っていた。それを鎮めるために鍛錬も兼ねて剣を振っていた。

 単に気を落ち着けたければ伴侶のクシナと子作りに励むのも一つの手だが、そうなると互いに底無しの体力から朝まで続けてしまうのと、宿どころか隣の家屋にまで騒音が届いてしまうのでカイルから禁止の沙汰が言い渡された。もちろんクシナは不満タラタラだったが、ヤトが宥めて納得してもらった。

 それに今のクシナは昼間散々にサミー達に着せ替え人形として玩具にされてしまい、疲れていたのでそのまま寝かせてあげた。古竜の彼女をあれほど披露させるとは、女性の買い物というのはまさしく殺人的。絶対に関わり合いになりたくないと思った。

 一時間ほどイメージトレーニングを併せた鍛錬に費やした所で、ふと何者かに見られているのに気付いた。直接相手を見たわけではないが、確かに見られている感覚だった。


「『颯』≪はやて≫」


 なんとなく感じた視線の元は宿の煙突の上。そこに違わず気功の衝撃波を飛ばした。屋根には何も変化が無い。傍から見れば一人で遊んでいるように見えるが今のヤトに遊び心はない。

 いつの間にか井戸のそばに佇む一人の影が増えていた。

 ヤトはその影に見覚えがあった。この街に来た日に一度だけすれ違った法衣の女の連れの男だ。前に見た時は腰に金属の杖を佩いていたが、今は何も持っていない。なぜ宿の屋根の上にいたのか、なぜヤトを見ていたのかは分からない。

 褐色肌の男は無言でヤトを見つめている。ヤトも剣を握ったまま彼を見ている。交錯する視線に二人が何を思ったのかは当人達にしか分からない。

 男はやはり無言で一歩また一歩と近づく。その鋭利な瞳の奥に一体どのような感情を宿しているのか余人は窺い知ることは出来ない。


 ―――――閃光が走った―――――


「ぐっ!」


「むう」


 二人の口から苦悶の声が漏れた。彼らの距離は互いの息が感じ取れる程に近い。ヤトは腹這いになるほど低い体勢のまま剣で男の膝を斬り、男は右手と右足を突き出した体勢で短杖をヤトの背に突き立てていた。

 二人は示し合わせたように間合いを離す。ヤトは肩を動かして不備が無いのを確かめ、男は斬られた膝に手を当てて流血を確認すると初めて感情を露わにする。男は微笑んでいた。


「己の血とはこんな色をしていたのか」


「随分と頑丈な身体をしているから見た事無かったんですね」


「人の事は言えまい。俺は串刺しにするつもりだったぞ」


 男はこれ見よがしに短い杖を手の中で弄ぶ。何をとは言わないし聞かない。

 ヤトはあの時、男の歩みに呼応して間合いを詰めて体勢を低くしながら練気の剣を横に薙いだ。鳩尾への杖の突きを躱しながら足を斬るためだ。

 躱したと思った。そして踏み込んだ右足を斬ったと思った。しかしどちらもそうはならなかった。

 男の肉体は気功で切れ味を増したミスリル剣でも皮しか斬れないほどに堅固。杖も躱したと思ったらいつの間にかヤトの背に突き込まれていた。文字通りの痛み分けだろう。


「それで見定めは終わりましたか?」


「なぜそう思った?」


「殺気が無いからです。でもあの突きは容易に人を殺せた。殺す気は無いが死んだらそれまで。誰かに言われて面倒だが実力を確かめに来た。そんな倦怠的な動きでしたよ」


 誰に言われたかは知らないが舐められたものだ。人から怨まれたり妬まれるのは日常茶飯事だが、単に力を推し量るためにこれほどの実力者を寄越すとは。無駄遣いにもほどがある。

 背景をスラスラと言い当てられた男はますます笑みを深めて肯定した。


「あの女の命令には毎度うんざりさせられたが、こんなに楽しい事は初めてだ」


「初めて尽くしですね。ところで続きはしますか?続きをするなら場所を変えないと宿が無くなります」


「無論――――と言いたいが、楽しみはまたの機会にしたい」


 心底残念そうに短杖を腰に差した。ヤトも自分と対等に戦える使い手と納得するまで優劣を付けたかったが、相手にも都合がある以上は無理にとは言わない。出来る事なら次は何のしがらみも無く戦いたいものだ。

 男は最初に裏庭に降りてきたのと同様、いつの間にか屋根の上にいた。そのまま姿を消すと思われたが、その前にヤトに呼び止められた。


「名を名乗っていませんでした。僕はヤトと言います」


「覚えておく。俺は―――――そういえば俺は人に名を名乗るのも名乗られるのも初めてだった」


「僕が言うのもおかしいですが、貴方は今までどうやって生きてきたんですか」


「碌な生き方をしていないのは確かだ。――――――覚えておけ、俺の名はアジーダだ」


 言うべきことを言いきった褐色の男アジーダは今度こそ闇夜に溶けて消えた。

 一人残されたヤトは冷めない高揚感を冷たい井戸水で無理に静めてから部屋に戻った。



 部屋に戻るとクシナが二人用のベッドを占領して腹を出して寝ていた。寝相も悪く、かけ布団を足で蹴り出していて床に落ちていた。

 子供のような寝姿だったが、ヤトはその美しい肢体を見て無理に静めていた高ぶりが再燃したのを自覚した。ようはムラムラした。


「――――んが?んん、ヤトか?なんだいきなり――――いや、儂は別にいいが―――――――――なんだかいつもより恐いぞ――――――ちょ、ちょっと落ち着け―――ひゃん!」


 翌朝、宿屋の主からは煩くしたので『ゆうべはお楽しみでしたね』と嫌味を言われた。


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