第3話 傭兵の望み



 ――――――三日後の朝。


 老紳士ロングに言われた通り、黒髪黒眼の青年ヤトは街の西門に旅装束で待っていた。

 約束の時刻には少し時間があるが、既に何人もの傭兵が同じように待っている。彼等もロングの依頼を受けたギルドの傭兵達だった。

 ヤトと他の傭兵達は交わらない。非は殺された傭兵にあっても、躊躇いもせずに同業者を殺せる鬼想の怪物と仲良くしたいと思う鬼は滅多にいない。

 誰もが鬼を視界に入れないように振舞った。

 もっともそれはヤトも望むところであり、有象無象と慣れ合うよりは瞑目して精神鍛錬に勤しむ方が有意義な時間の使い方だと思っている。

 しばらくの間、瞑想していると傭兵達が騒ぎ始めた。どうやらロングが来たらしい。相変わらず品の良い仕立ての服を纏っていた。つまり旅には適さない。

 そして彼に続いて鎧姿の男や、弓を携えた数名が馬車を曳いて姿を現す。


「傭兵達、揃っているかね」


 気さくな挨拶に傭兵達はそれぞれ軽い挨拶をする。ヤトも一応挨拶はしていた。


「さて、諸君らはこれから西国アポロンとの国境に行ってもらいたい。詳細は指揮官のメンター君に伝えてある。では、頑張ってくれたまえ」


 必要な事だけ言って老紳士はさっさと街へと戻っていった。元々彼は荒事担当ではなく、ギルドとの交渉役だったのだろう。

 代わりにプレートメイルを着込んだ金髪の偉丈夫が傭兵達の前に立つ。


「私が指揮官のメンターだ。諸君らにはアポロンの国境にほど近い当家の領地を荒らす盗賊と戦ってもらう。以上、出発だ」


 簡潔な説明を終えたメンターは颯爽と馬に跨る。傭兵達も用意された馬車に全員乗り、一行は西を目指した。



      □□□□□□□□□□



 一行の旅路は何事もなく進み、夕刻には予定の野営場所で腰を落ち着けた。

 メンター達は簡易ながら天幕を張り、傭兵組は各自で夜営の準備に入った。

 ヤトも火を焚いて近くの泉で汲んだ水を張った鍋を上に載せて、保存用の固焼きパンを齧っていた。基本的に食事に頓着せず、腹が満たされていれば味はさほど気にしない。

 気にするのは水である。旅先では赤痢などを避けるために必ず煮沸消毒した水を口にする。今火にかけている水は明日用の飲料水だ。

 しばらく火の番をしてから沸騰した湯を水筒に移し替える作業をしていたが、横から差し出された皿に視線が移る。


「パンだけでは味気なかろう。多めに作ったから差し入れだ」


 皿を差し出したのは指揮官のメンターだった。ヤトは取り合えず礼を言って湯気の立つ野菜スープを受け取った。

 メンターはヤトの隣に座り、スープを飲む。そしておもむろに話し始めた。


「君と一度話をしてみたくてな。ロング殿が褒めていたぞ」


「僕は褒められるような事はしていませんよ。ギルドからは除名扱いですから」


「ははは。だが、男は強くなくてはいかん。―――ところで生国はどこだ?容姿から察するに東の出に見えるが」


「大陸東端のアシハラ(葦原)です」


 ヤトの言葉にメンターは感心したように息をつく。

 アシハラとはこの大陸の東の果てにある、独自の文化を持つ国だ。大陸西部のヘスティ王国とは距離があり過ぎで国交は結ばれていないが、冒険心に富んだ商人によって交易路は確立しており、僅かながら人と物が行き交った。

 もっともそれには幾つもの山脈や大河を超える片道一年以上の大冒険が必要だった。あるいは同じ期間の船旅でもいい。

 メンターもそれなりに外国の知識はあるが、実際にアシハラの民と言葉を交わすのは生まれて初めても経験だった。


「それは随分と遠くから来たものだ。何か特別な理由で国を出たのか?」


「ただの修行の旅ですよ。強くなるには実戦が一番ですから」


「それで傭兵か。結果は…聞くまでもないな」


「まだまだですよ。せめて竜ぐらいは斬らないと」


 メンターは笑みを絶やさなかったが内心ではヤトの大言に呆れた。

 竜とはこの世界における最強の存在。曰く、万の軍勢を食い尽くす。曰く、不滅の存在。曰く、神の憑代。

 様々な伝承に伝えられる生きた災厄。お伽噺には必ずと言っていいほどに登場する伝説の存在。武人にとって彼等を討滅するのは最高の誉れである。

 それを最低ラインとしか見ていない青年の大望には呆れを通り越して正気を疑う。若人の大望は得てして身の丈以上だが、彼のは非常識にも程がある。ならば最終目標とは一体なんなのか。


「ワイバーンは斬った事があるんですが、本物の竜はどれぐらい強いんでしょうね」


「さてな。それは相対しない事には推し量れぬよ」


 メンターはスープを飲み干したのを区切りに会話を切り上げた。

 元々彼はヤトがどういう人物なのかを知るために近づいた。そしてこれまでの会話からおおよそ人物像を把握した。


(やはり、こいつは立身出世や財産にまったく興味の無い戦闘狂だ。扱いさえ間違えなければ良い道具になる)


 少なくとも倫理観や甘ったるい正義感でこちらの仕事を邪魔するような事はしない。強い相手や戦場を提供してやれば逃げるどころか喜んで戦ってくれる。今回の仕事には最適な人材と言えた。ロングもヤトの気質を察して雇ったのだろう。強さも申し分ない。

 強くて扱いやすい手駒がある事は望外の幸運だった。



      □□□□□□□□□□



 ――――――移動三日目。メンター率いる傭兵組は行程の半分を超えた。

 傭兵達は馬車に乗っているので自分の足で歩かず楽だったが、代り映えの無い移動に飽き始めていた。

 ヤトも戦えずに暇を持て余していたのは一緒だが、瞑想やイメージトレーニングに時間を当てているので苦にはならない。

 ある時、ヤトと同じ馬車に乗っていた壮年の傭兵の二人が暇つぶしに酒を飲みながら話をしていた。


「しかし移動用に馬車まで用意してくれるなんて、今回のお貴族様は気前が良いねえ」


「そうだなぁ、所詮俺達傭兵なんて使い捨てだってのに。次の依頼があったらまた受けたいぜ」


「そうそう、ギルドの受付が言ってたんだが、依頼者ってうちの国の大臣の一人の親戚らしいぜ」


「マジかよっ!すげー貴族の依頼じゃねーか!!それが何で傭兵なんて雇うんだよ?」


「なんか私兵が別件で出払ってて動けないのと、辺境の木っ端盗賊なんて傭兵程度で十分倒せるからだとよ」


「要は面倒くさいから、はした金で俺達に代わりをさせるって事かよ」


「そう言うなよ。割が良い稼ぎに違いねえし、俺はここで手柄を立てて私兵にでも引き上げてもらいてえよ。いい加減、その日暮らしはウンザリだ」


「ちげえねぇ。あーあ、小作農が嫌で田舎から出てきたのに、一向に金持ちになれねえなー」


「俺は騎士か貴族になって毎日美味いもん食いてえよ。それで美人の嫁さん貰ったりよ」


「学も金も強さも無え俺たちがなれるかよ。ああやっぱり、今回の仕事頑張ってあのメンターさんに顔を覚えてもらおう。取り合えず安全に金を稼ぎたい」


 そこから先は酒に酔った酔っ払いの儚い願望の羅列だ。

 途中から意識を外界に向けていたヤトは、彼らの望みと自分の渇望とを比較してみる。

 基本的に傭兵は貧しさから抜け出すために、己の命を掛け金にして大金を得ようとする博打だ。前提からして堅実とは対極にある。

 にも拘らず、彼等は貴族の私兵となって安定した生活を望んでいる。矛盾した願望が理解出来なかった。

 元よりヤトは自身がまともな精神を持ち合わせていると思っていないが、世の人間が安全で裕福な生活を望んでいるのは知っている。しかし自分から堅気の生活を捨てておいて、今更安全に生きたいと考える傭兵の思考が分からない。

 他者との共感の欠如は自覚しているが特に気にならない。何故ならヤトにとって他者とは斬り伏せるために存在する生き物だ。それも出来れば強い方が良い。相手が強ければ強いほど、斬った己がより強いと証明出来る。

 故に傭兵という職は都合が良い。好きな時に好きなだけ後腐れ無い相手を斬る事が出来るから。もっとも、本当に強い相手など年に数度有るか無いかなのが困りものだが。

 出来れば今回の依頼が実りある時間であることをヤトは切に願った。




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