第28話
「放っておけとは言いませんよ。だが、今引き返せばあなたは捕まって間違いなく殺される。それでアーシファ姫が助かったとしても、姫とあなたでは我々にとって存在価値が全然異なります」
「価値だと……!?」
「姫君が亡くなればもちろん悲しいですよ。でも、あなたに死なれたら悲しいでは済まない。我々全員がものすごく困るんです。あなたを頼って集まってきた兵士たちのことを考えてください。あなたは彼らの命を預かる立場にある。それを忘れてもらっては困ります」
キリアスは絶句し、射殺しそうな目つきでナイトハルトを睨んだ。鞘ごと剣を掴んだ手が不穏に震えている。見るに見かねた様子でカドルーが割って入った。
「わかりました、俺が行きますよ。俺が姫様を探してきます。だから若君、あんたはとっとと出発してください。こう言っちゃ何だが、姫様を探すのは誰でもできます。だが、〈始祖の剣〉はやっぱり若君が自ら探しに行って手に入れるべきだ。そうでなきゃダメな気がします」
キリアスは憮然とした顔でカドルーを見た。
「……どうやってアーシファを探すつもりだ」
「そうですねぇ。とりあえず頃合いを見計らってフォリーシュ軍に傭兵として売り込みます。俺はナヴァドに顔見られてませんしね」
それを聞いてナイトハルトが頷いた。
「ふむ、それはいい。ついでに情報収集も頼む」
「おまえのようにはいかんと思うが、まぁできるだけやってみよう。──何人か使えそうな奴を選んで連れてってもいいですかね?」
キリアスが頷くと、早速カドゥルーは兵を選びに行った。キリアスは白い布をかけられたギーゼラの遺体に向き直った。
「せめてイシュカの神殿に運んでやりたい」
「いいでしょう。どうせダロムへ行く途中で寄りますからね」
急拵えの棺にジャリード城から持ち出してきていたオリバナを敷き詰め、遺骸を収めた。死餓鬼化の恐れはないが、オリバナには腐敗を防止する効果がある。
棺を荷馬車に積み終えると、一行は慌ただしく出発した。カドゥルーは選び出した三人の騎兵を連れて別れた。
(生きていてくれ、アーシファ)
キリアスは遠ざかるカドルーたちの姿を見送りながら念じた。そんなキリアスをナイトハルトが促す。
「さぁ、行きましょう」
キリアスは頷き、馬の向きを変えた。かつてジャリードに到着した時には部下と呼べるのはカドルーとナイトハルトのふたりだけで、キリアスは復讐心に燃えた亡国の王子にすぎなかった。同じ道を引き返す今、自ら望んだわけではないにせよ百名近くの軍を率い、帝位を象徴する神器を求める旅に出ようとしている。そのことに、奇妙な感慨をキリアスは覚えたのだった。
ジャリード領から出る前に、ナイトハルトはジャリードの神殿に向けて騎士三人と従士六人を送り出した。騎士のひとりが神官と知り合いなので悶着は起こらないはずだ。
ナイトハルトは砦を出発して最初に通りがかった都市に立ち寄り、知人に宛てて郵便を出していた。八葉州では都市郵便が発達していて、三通りの業者が連繋して都市を繋いでいる。どんな小さな都市でも必ず一軒は郵便屋はあり、戦乱続きの世の中でも立派に機能を保っていた。
ナイトハルトは郵便で、市場に出回っている乳香を買い占めるよう指示したのである。値を吊り上げる気かと食ってかかるキリアスに、『逆ですよ』と彼は涼しい顔で答えた。
「不当に値を吊り上げさせないために手を打っておくんです。買い占めておいて適正価格で売る。必要とする人の懐具合に応じてね」
要するに、金持ちからはそれなりにいただくということだ。兵を預けた神殿には乳香の効果について説明した。その情報が神殿以外に広まるのは時間の問題。商人や領主が買いあされば神殿に納める分がなくなってしまう。
各国の神殿に兵を預けながら一行は進んだ。ネドラムでは他国人の兵を受け入れることに難色を示すところも多かったが、ナイトハルトの巧みな弁舌と、オリバナの種を分けることで受け入れてもらえた。
進むにつれてネドラム王家に仕えていた騎士たちが幾人か、軍勢に加えてほしいとやってきた。断れば彼らはいずれモールドレット卿のような盗賊騎士に転落してしまうだろう。そのうちの何人かは一緒に連れていくことにして、残りの者にはオリバナの種を持たせて神殿へ送った。
ヴァストの領内に戻ると、噂を聞きつけた幾人かの地方領主が手勢を引き連れてキリアスの元に馳せ参じた。彼らによれば、国内にフォリーシュの兵はいない。王城は廃墟と化したまま放置され、各領主が領地を巡って相争っている状態だという。生き延びたキリアス王子を支持する一派と、この機会に独立領主となりたい一派に別れていがみあっているようだ。
彼らはキリアスに王として正式に即位し、混乱を収めてほしいと懇願した。そんな彼らに事情を説明し、必ず戻ってくると約束して兵を預けた。キリアスは叔母に宛てて手紙をしたため、ギドウの遺髪を同封してヴァストの騎士に託した。ギドウを葬ってやることはできなかった。城を占拠したフォリーシュ軍が彼の亡骸を発見して葬ってくれることを祈るばかりだ。
ヴァストにある神殿は、どこも厭な顔をせず兵を受け入れてくれた。なるべく負担にならないよう人数は絞ったし、オリバナの種という手土産はある。それ以上に、唯一生き残った王子に対して彼らは好意を示してくれた。イシュカほど強い結びつきはないが、ヴァストでも王家と神殿の関係はそう悪いものではなかったのが幸いだった。
イシュカの中央神殿に着いた時には、ジャリードから連れてきた兵は四分の一になっていた。その代わりヴァスト各地の領主から遣わされた騎士が十名増えた。神殿に迎えられてすぐ神官長が現れ、キリアスはイシュカの従姉妹と初めて顔を合わせた。
キリアスより三つ年上の美しい女性だった。ただその目は閉ざされたまま、外界の景色を映すことはない。幼い頃に病で失明したという。
ギーゼラの訃報を聞くと彼女はしばらく黙って俯いていた。
「……こんなことになるのではないかと、思っていました」
「ギーゼラはフォリーシュの将軍ナヴァド・ラガルを知っていたんですね?」
「かつて仲間だった人物なのです」
悄然と頷いた盲目の神官長からギーゼラが神殿に入った顛末を聞き、キリアスは目を瞠った。
「ギーゼラが暗殺団の一味……!?」
「本人はそういう仕事はしていなかったそうですけれど……」
「彼女がどういう出自なのかは、結局わからなかったのですか?」
ナイトハルトが控えめに尋ねる。神官長は閉ざした瞳を彼に向けて頷いた。
「兄のダリオンは知っていたようですが、話してくれなかったそうです。何でも、下手に知れば命が危ういから、と……」
「出自を知れば命が危うい? 何だか背後に複雑な事情がありそうですね。しかし、ふたりとも死んでしまった今となっては意味はないか」
「ダリオンを殺したのも、やっぱりナヴァド……?」
「でしょうね。暗殺団の一味を皆殺しにしたのも彼の仕業だったのかも。その辺の事情を問いただされてギーゼラを殺したのだとしたら辻褄は合う。元暗殺者の傭兵隊長という履歴を彼は隠してはいませんが、雇われの身とはいえ一国の将軍に収まった今では、かつての仲間を惨殺したという過去は体裁のいいものではない。それに、身内を裏切る男だと思われたら傭兵隊長など到底務まりませんよ」
神官長は悲しげに嘆息した。
「ギーゼラは兄のことをずっと気に病んでいました。自分を逃がしたために兄は犠牲になったのではないかと思い悩んでいたのです。可哀相に、ギーゼラには兄の亡骸さえ区別できませんでした。どの遺体もあまりに損傷がひどくて……。彼女は志願して剣を取りました。わたしは普通の神官になるよう勧めたのですが、兄が自分を守るために手を汚したのだということがギーゼラには大変な負い目になっていたようです。彼女は言いました。自分だけ綺麗なままではいたくない、と。実際に暗殺仕事はしていなくても訓練は相当積んでいたようで、めきめき腕を上げてしまって」
「俺にイシュカの宝珠を届ける役目は、彼女が自ら買って出たのですか?」
「わたしは他の者に任せたかったのです。でも断ればギーゼラは出奔してしまったでしょう。そうなったら彼女を守ってあげられない。せめて、神殿からの正式な使者である身分を保証し、できる限りの身の安全を図ってやりたいと思ったのです……」
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