第25話

 ギーゼラはアーシファの日常的な護衛をキリアスから頼まれているので、同じ部屋で休む。ひとつしかない寝台はアーシファが使い、ギーゼラは入り口近くの床にマットを敷いて横になっていた。


 灯を消してひと眠りしたアーシファは、ふと何かの気配を感じて目を覚ました。横になったまま耳を澄ましていると、入り口の方で衣擦れの音がする。そっと窺うと、暗闇の中でもギーゼラが起き上がって身支度しているのがわかった。彼女は音を立てないようにそっと扉を開くと足音を忍ばせて出て行った。


 単に用足しに行くだけかもしれないが、何となく気になってアーシファは急いで身支度を整えた。通路に出ると、ちょうどギーゼラが角を曲がるところだった。彼女は砦から抜け出し、馬に跨がった。星明りの下でその姿が闇に紛れてゆく。アーシファは夢中で馬に鞍をつけ、後を追った。


 月はないがよく晴れて星明りが大地を照らしている。ギーゼラが去ったのは、この城砦に来た時の方向だ。


(まさか引き返すつもり……!?)


 一刻も早く追いつこうと馬を急かしたが、一向にギーゼラの姿が見えない。そうこうするうち、後ろで物音がしたかと思うと背中に鋭いものを押し当てられた。


「何者だ」

「あ、あたし!」


 押し殺した声はギーゼラのものだ。冷汗をどっと流してアーシファは叫んだ。面食らった様子でギーゼラは剣を引いた。


「姫様!? どうしてここに」

「ギーゼラこそ何してるの。こんな夜中にこっそり抜け出したりして」


「それは……」と言い淀んだギーゼラは、アーシファが担いだ矢筒に気付いてぎくりとした顔になった。


「姫様、まさか宝珠を持って来られたのですか!?」

「え? あ、つい癖になっちゃった。ううん、宝珠はハルが預かるって言うから渡しちゃった。──あ! ハルなら大丈夫だよ。あんなこと言ってたけど絶対裏切ったりしないから。よく憎まれ口の叩き合いをしてるけど、あれはゲームみたいなもので……」


 くす、とギーゼラは笑った。


「ええ、わかってます。キリアス様を焚きつけるあの方なりのやり方なんでしょう。ナイトハルトさんは何とかしてキリアス様自身に帝位を目指すようになってほしいと思っていらっしゃるんですよね」


 ホッとしてアーシファは頷いた。


「うん……。──で、ギーゼラは何してるの?」

「わたし……、もう皆さんとはお別れしようと思いまして」


「ええっ、どうして!? そんな突然……」

「もともとわたしの役目はキリアス様にイシュカの宝珠をお渡しすること。受け取っていただければ役目は終わりです」


「そんな……。ギーゼラも仲間だと思ってたのに」


 アーシファの言葉に、ギーゼラはつらそうに眉根を寄せた。


「……ありがとうございます。短い間でしたが、皆さんと一緒にいられてとても楽しかった。わたしも、キリアス様に帝位を目指してほしいと思います。だから──、だからこそ、わたしは行かないと。皆さんにお礼とお詫びを。さぁ、姫様。お早くお戻りに」


 ギーゼラは振り切って馬を進めてしまう。アーシファは慌てて馬の腹を蹴った。


「待って! そんなこと言ったって皆納得しないよ。ギーゼラのこと頼りに思ってるんだから。ハルの作戦だって、神殿騎士のギーゼラがいないと……」


「大丈夫、わたしがいなくても神殿はあの方の思惑どおりに兵士たちを受け入れてくれるはずです。キリアス王子と三つの宝珠があれば何の問題もありません」


「ねぇ! ギーゼラ、昨日から何か変だよ。ジャリードの王城で何があったの。キリアスから聞いたよ、殺されかけたって。それで怖くなったとしても、そんなの全然普通──」


「いいえ! ……違います。怖いのではありません。わたしは──恐ろしくなったんです。でもそれは命を取られかけたせいじゃない」


 横に並び、アーシファは暗がりの中ギーゼラの表情を窺った。


「……ギーゼラ。ナヴァド・ラガルの顔見たんでしょ。どんな人だった? キリアスに訊いても、ぶすっとして教えてくれないの。ね、もしかしてギーゼラ、あの人のこと知ってるんじゃない……?」


 長い沈黙の末、ギーゼラは呻くように呟いた。


「あの男はナヴァド・ラガルではありません」

「えっ……!? どういうこと」


 ギーゼラは答えず、アーシファの馬の轡を掴むと強引に方向を変えさせようとした。


「どうぞお帰りを。わたしのことはもう放っておいて――、忘れてください!」

「そうはいかないよ!」


 押し問答をしているとギーゼラがハッと顔を上げた。いつのまにか幾つもの松明に取り囲まれていた。灯に浮かび上がる甲冑はジャリードのものではない。


「フォリーシュ軍……!」


 ギーゼラが低く呻き、剣の柄に手を置く。一斉に槍を向けられ、剣を抜き放つことはできなかった。もし抜いていたら有無を言わさず刺し殺されていただろう。


「ジャリードの残党か」


 進み出た指揮官らしき男に、ギーゼラは猛々しい目を向けた。


「……わたしはイシュカの神殿騎士だ! 無礼な真似は許されぬぞ」

「神殿騎士だと?」


 指揮官は松明を近づけさせ、しげしげとギーゼラの全身を眺めた。


「確かにそのようだが、イシュカと言ったな。何故イシュカの神殿騎士がここにいる」


「フォリーシュのナヴァド・ラガル将軍にお目にかかりたい。是非ともお伝えしたいことがある。〈竜の宝珠〉のことで」


 指揮官は押し黙り、兵士たちがざわめいた。指揮官は疑わしげにしばらくギーゼラを眺めていたが、やがて『まぁいいだろう』と言うように肩をすくめた。


「そっちの女は?」

「わたしの従者だ」


 アーシファは目を見開いた。黙っていてとギーゼラが視線で伝えてくる。こく、とアーシファは小さく喉を鳴らした。ふたりは武器を取り上げられ、連行された。


「ヴァストの王子に行き会わなかったか? ジャリードに来ていたはずだが姿が見えん」

「亡国の王子などわたしの知ったことではない」


 昂然と顎を上げ、冷やかにギーゼラは吐き捨てた。指揮官はフンと鼻を鳴らし、離れていった。大声で部下たちに告げる。


「引き上げるぞ。これ以上深追いしても無駄だ」


 前後左右を敵兵に囲まれながら、アーシファはホッとしていた。少なくともキリアスたちは無事だ。宝珠を持ってなくてよかったと、アーシファはつくづく思った。




(まさかこんなすぐに戻ってくるはめになるとはね……)


 わずか一日前に出立したばかりの城門を潜りながら、アーシファは嘆息した。ふたりは適当な空き部屋に放り込まれた。めぼしいものは略奪された後なのだろう、いくつかの家具は残っているものの部屋は寒々しくがらんとしていた。


 武器は取り上げられても縛り上げられはしなかった。神殿騎士ということで、あまり乱暴に扱うことは憚られたのだろう。


「申し訳ありません、姫様。きっとご無事にお返しいたしますから、今しばらくご辛抱を」

「ねぇ、どういうことなの? あの男がナヴァド・ラガルじゃないって……」


 シッと鋭く制し、ギーゼラは声をひそめた。


「……このようなご迷惑をかけたからにはお話しするしかありませんね。実はわたしはナヴァド・ラガルという人物を以前から知っているのです」


「フォリーシュの将軍は、その人とは別人なのね? 誰なの? ギーゼラの知ってる人?」

「あの男は……、わたしの兄です」


 アーシファは目を見開き、まじまじとギーゼラを見つめた。美しいギーゼラの顔は憂愁に曇り、とても冗談を言っているようには思えない。


「お兄さん……?」

「ええ。本当の名はダリオン。六つ上の、わたしの兄。とうに死んだと思っていました」


「じゃあ、ナヴァド・ラガルというのは?」


「かつてわたしたちの仲間だった男の名です。どうして兄がその名を名乗っているのか……。わたしは彼がフォリーシュの将軍だと聞き、てっきり本人だと思いました。彼に会えば兄が死んだ経緯がわかるのではないかと思ったのです」


「仲間ってことは、ナヴァド・ラガルも神殿騎士だったの?」


 ギーゼラはうっそりと笑った。


「彼は暗殺者です。今はもうありませんが、〈道化師ファル・グリン〉という暗殺団に属していました」


 あっ、とアーシファは声を呑んだ。そういえばナイトハルトが言っていた。ナヴァド・ラガルは元暗殺者で、傭兵上がりの雇われ将軍だと。


「……そ、それじゃ、ギーゼラ、も……?」

「わたしは団の雑用をしていただけで、暗殺仕事には就いていませんでした。兄が庇ってくれたんです」


 ギーゼラは周囲を見回し、『座りませんか』と言った。適当な場所に座ると、壁にもたれてギーゼラは嘆息した。


「どこから話したらいいか……。やはり最初からお話しすべきでしょう。わたしと兄は子どもの頃に攫われて暗殺団に売られたのです──」

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