第8話

「うん……、そうだね。それに、死餓鬼は大きな都市の周りに集まってるってカドルーが言ってた。人里離れた田舎の方が却って安全かも」

 呟きながらアーシファは顔色を窺うようにそろりとキリアスを見た。

「……ねぇ。ひょっとして叔母様、ギドウ師匠の裏切りに責任みたいなものを感じているのかな」

 あの日、疲れ切って離宮に帰り着くと、叔母が真っ青な顔で待ち構えていた。突然ギドウが現れ、宝珠の行方を訊かれたという。

 もちろん叔母は何も知らず、正直にそう答えた。ギドウは離宮を荒らすことなく消えた。キリアスから事の次第を聞いた叔母は絶望に打ちのめされ、しばらく口をきくこともできなかった。

「……叔母上にはなんの落ち度もない。裏切ったのはギドウだ」

「もちろん、そうだけどさ。あのふたり、昔、結婚話があったんだよね?」

「兄上に勧められたけど、ギドウは断った」

 それからまもなくギドウは暇を願い出て──。藪蛇だったとアルフレートはずいぶん悔やんでいたものだ。

「なんで断ったのかな? 師匠は叔母様のことがずっと好きだったんでしょ。叔母様も師匠が好きだったのに、政略結婚であちこちお嫁に行かされて……。でもずっと想いあってたんだよ。アルフレートもそれを知ってたから結婚を勧めたのに、どうして──」

 いきなりテーブルに拳を叩きつけるとアーシファはびくりと身をすくめた。

「あいつの話はするな! あんな裏切り者、もう師匠でも弟子でもなんでもない」

 アーシファは泣きそうに顔をゆがめ、席を蹴って怒鳴った。

「何よ! 子どもみたいに八つ当たりしないで! 悲しいのは自分だけだとでも思ってるの!? 死餓鬼をやっつけて回ってるのも、人助けなんかじゃないわ、当たり散らしてるだよ。この、甘ったれの極楽トンボ! あたしだって──、あたしだってねぇ……!」

 顔を真っ赤にして叫ぶアーシファを呆気にとられて見上げていると、食堂の扉が開いた。丸めた大きな羊皮紙を手に持ったナイトハルトが顔を出す。

 後ろからカドルーも現れた。怒鳴り声が外まで聞こえていたのだろう、彼は気まずそうにぽりぽりと頬を掻いた。ナイトハルトの方は完璧に平然としている。

「お揃いでちょうどよかった。必要な情報がようやく集まりましたので、遅まきながら作戦会議と行きますか。今後の方針を決めないと」

 ナイトハルトが羊皮紙をテーブルの上に広げる。それは八葉州の地図だった。真ん中に皇帝領、それを八つの国が取り巻いている。

「交易商人のネットワークも大混乱に陥ってまして。えらく時間をくってしまいました」

「このバツ印がついてるのは?」

 地図を覗き込んだアーシファが尋ねる。

「〈竜の宝珠〉を奪われ、王族が全滅した国です」

「えっ。五か国も、いきなり……!?」

「残っているのは我がヴァストの他はジャリードとフォリーシュだけのようです」

「この二国って、あまり目立った動きのなかったところだよね」

「ええ、どちらも覇権争いからは一歩引いて静観の構えでしたね。ジャリードはシャルに与し、フォリーシュは両隣のシャルとアルドが争っているなか中立を守って自国防衛に徹していました。そして、このフォリーシュが大混乱の元凶であることがはっきりしました」

 ナイトハルトは八葉州の北西部を指で叩く。

「七国を攻めると同時に帝都に軍勢を送り込み、シャル軍をあっさり退けて占拠したそうです。今や帝都を実効支配しているのはフォリーシュ軍だ」

「シャルのパジーズ王子はどうなったの?」

 気になってアーシファは尋ねた。勝手に決められた結婚相手で、自分としてはとっくに婚約破棄済みだが、虫酸が走るほど嫌いでも死んでほしいとまでは思っていない。

「軟禁状態で生きてはいるようですよ。帰りたくても帰れないでしょう。シャル王を始め一族郎党は全員戦死、城は落ちて宝珠は奪われた。帝都に入ったフォリーシュ軍は先遣隊で、本隊からの指示があるまで帝都を押さえておくことが役目のようです」

「フォリーシュの指揮官って、確か傭兵出身だったよな?」

 しかつめらしい顔でカドルーが顎を撫でる。

「ああ、ナヴァド・ラガルと名乗る傭兵隊長で、部下を率いてフォリーシュ王家に売り込んだ。あっというまに脆弱だった軍を鍛え直し、今では総司令官として全軍を率いてる。王太后にえらく気に入られているようだ。フォリーシュの王は若年で、実権を握っているのは王太后だ。彼は王太后の情人だという噂もあるが、これはどうもやっかみ混じりの中傷らしい」

「仮面の使者を送り込んで来たのも、そのナヴァドっていう男なの?」

「彼は傭兵になる前は暗殺者だったと言われています。〈道化師ファル・グリン〉という暗殺団がかつてありましてね。八州を股にかけて暗躍していた。今は壊滅して存在しません。彼はその生き残りらしい」

 晩餐の席に突然現れた不気味な笑い顔の仮面を思い出し、アーシファはぞくりと身を震わせた。三日月型の眼と口の、道化師の仮面──。

「そいつは妖術まで使うのかよ、厄介だなぁ」

「死餓鬼に関する記録はいくつか残っています。魔法の薬を使って死人を生き返らせたところ、それが狂暴化して生者を襲ったというような」

「そんな薬、本当あんの?」

「怪しげな行商人が時々扱ってるな。ほとんどは毒々しく着色されただけの小麦粉だが、ごくたま~に本当に効く奴があるらしい」

「ここでも売ってる?」

「そんなくだらないもの扱うわけないだろう」

 軽蔑の目つきで睨まれ、カドルーは苦笑いして頭を掻いた。

「ま、たまに効く場合があるってことは、残念ながら怪しい薬が実在しているということですね。どういうやり方かわかりませんが、敵は墓で眠っていた死者たちを死餓鬼として蘇らせ、それぞれの王や領主の城を襲わせたわけです。死餓鬼は恐れも痛みも感じず、動ける限り襲いかかってくる。兵士たちがパニックに陥ったのも無理もない。しかも、死餓鬼に噛まれたら死餓鬼になってしまう。つまり味方がどんどん敵になっていく」

「くそっ。とんでもないやり口だぜ」

 カドルーが忌ま忌ましげに吐き出す。キリアスは生き残った家士の無残な最後を思い出した。

 死餓鬼に食いつかれた仲間を看取ろうとして手を噛まれた家士は、一晩経って死餓鬼と化した。蘇った死者は生前の人格も記憶も留めてはいない。何も考えず、何も感じず、あさましく生きた人間を襲う動く死体にすぎない。

 キリアスはその手で家士を殺した。蘇った死者はもはや彼自身ではないのだ。生前の彼を穢し、貶めるものでしかない。そのことを、キリアスは心底実感した。

「敵は死餓鬼を操る術を持っているようだ。死餓鬼と化したヴァスト兵を連れて行ったそうですね?」

 キリアスはナイトハルトの視線に無言で頷いた。

「もともと敵兵、しかも死人だ。使い捨ての兵力としては最適ですね。おそらく他の国でも同様のことが起こっているでしょう」

「ジャリードをふたたび攻める時に使うつもりかね」

「だろうな。落ちてないのはあの国だけだ」

「うちだって滅んでなどいない」

 きっぱりとキリアスは言い切った。一瞬言葉を失ったナイトハルトが、胸に手をあてて頭を下げる。

「仰せのとおりです、若君。少なくとも我がヴァストにはあなたが、王位を継ぐべき御方がおられる。しかし王国存続の条件は正統の後継者が生存し、かつ〈竜の宝珠〉を保持していること。いずれが欠けても王権は認められない。」

「だけどあいつらは〈竜の宝珠〉を奪えなかった」

「偽物だったというわけですね。で、本物はどこなんです」

「だから俺は知らないって! 城の宝物庫にあるとばっかり思ってた。あのけったくそ悪い仮面男が現れてから、兄上は宝物庫の警備を厳重にしたんだ。昼も夜も、交替制で室内に二人、扉の前に四人、腕自慢の兵を配置していた。あそこにあると思うだろうが」

 ムッとして噛みつくキリアスを軽く受け流し、ナイトハルトは顎を撫でた。

「確かに敵はそこを真っ先に狙ってくるでしょう。まともなフォリーシュ兵が何人いたのかわかりませんが、指揮していたのがギドウなら場所はわかってる。──おそらく彼は死餓鬼の襲撃で城をパニック状態に陥れると、まずは宝物庫へ行ったでしょう」

 警備兵は驚愕しただろう。かつて彼らの指揮官であり、王の顧問であった男が敵となって現れたのだから。それでも彼らは役目をまっとうしようとしたはずだ。だが、ギドウの強さは彼らを全員合わせたよりも遥かに抜きんでていた。

 ひとり、ふたり。彼の刃が閃くたびに兵が倒れてゆく。彼は宝物庫の扉を開く。室内の兵もまた奮戦むなしく散る。そして彼は〈竜の宝珠〉を手にする──。

「……しかしそれは偽物だった。本物かどうか、どうやって見分けたんでしょう。この偽物、見た目にはいかにもそれらしく見えるんですが」

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