第5話

「ほしければ実力で奪い返せ。これであの三人の首を刎ねてやった。感謝するんだな、そうしなければ今頃おまえは兄の手で殺されていたかもしれんぞ」

「何だと……!?」

「見ただろう、死んだ兵士に噛まれた家士が蘇るのを。あれは死餓鬼と言ってな。ああやって無限に増殖してゆくのだ。敬愛する兄があのような化け物に成り果てた様は見たくあるまい?」

 嘲笑ったギドウに他愛もなく撥ね飛ばされ、キリアスは居館の壁に激突した。

「だから首を刎ねたって言うのか!」

「そうだ。蘇る前に首を刎ねれば死餓鬼にならないですむ。かつてしばしの縁を結んだゆえの情けと思え」

「ほざけ!」

 キリアスは咆哮を上げて斬りかかった。余裕の表情で受けるギドウは撃ち合いながら憐れむように薄く笑った。

「ようやく本気になったと思ったらこの程度か? つまらん」

 すっと目を細め、ギドウが反撃に出る。怒り任せの無茶な攻撃ですでに息の上がっていたキリアスは防ぐのがやっとだ。よろめく足を踏みしめて倒れないようにするのが精一杯だった。

 必死に握りしめた剣を難なく撥ね飛ばされ、キリアスはどうと地面に倒れた。遮二無二起き上がろうとすると目の前に切っ先を突きつけられる。

「……宝珠はどこだ?」

「知るか! 貴様らが奪ったんだろうが」

 奇妙な目つきで見下ろす元師匠を、キリアスは息を荒らげて睨み付けた。全身の筋肉がこわばり、立ち上がれそうにない。

 ギドウが剣を引く。殺される、と覚悟した瞬間、彼は懐から取り出したものをキリアスに投げつけた。反射的に受け取ってみると、それはたった今在り処を尋ねられた宝珠だった。

「ただのガラス玉だ」

 キリアスは偽の珠を握りしめ、犬歯を剥きだした。

「は! 骨折り損だったな。あいにく俺は本当に知らないよ。拷問でも何でもすればいいだろ。知らないものは教えられない」

 むっつりと眉をひそめるギドウの顔を、キリアスは猛々しく睨み付けた。しばし睨み合い、ギドウは持っていた剣をキリアスの前に放り投げた。

「……まぁよい。すでにヴァストは落ちた。ゆっくり探すとしよう。──その剣はおまえにくれてやる。形見にするがいい。兄たちの首を刎ねた剣を」

 軽く嘲笑い、ギドウは背を向けた。

 キリアスは兄の剣を支えによろよろと立ち上がったものの、もはや剣を振るう力は残っていなかった。手を噛まれた家士は腰を抜かしてへたり込んでいる。ギドウがちらと視線を向けるとさらに青くなって震え上がった。

 ギドウは振り向いて何事か言いかけ、思い直したように肩をすくめた。

 彼は懐から鎖に繋いだ小さな筒状のものを取り出し、唇に当てた。骨で作られた笛のようだ。肌が粟立つような、何とも言えないおぞましい感覚を引き起こす音が響くと同時に、積み重なる死体が次々に身を起こした。一斉に襲いかかられたらとても防ぎきれない。

 しかし死者たちはキリアスには見向きもせず、ギドウの後についてよろよろと歩きだした。中には片腕をなくしたり足を引きずるものもいた。

 家士は飛び出しそうに目を瞠って不気味な死者の行列を見送っていた。後に残った死体は首を切断されたものだけだった。

 死者たちを従えたギドウが城から出て行くと、キリアスは地面に尻餅をついた。膝から力が抜け、立っていられない。

 兄の剣を握り、茫然とバルコニーを見上げた。槍の先に突き刺された首は何も語らない。死者が蘇るのなら、この首が一時でも生き返って語りかけてくれたらいいのに……。

 いがらっぽい煙が風に乗って中庭を吹き過ぎる。キリアスは放心したまま、いつまでも無残な首級を見上げていた。

 どれくらいの時が過ぎたのか──、そっと肩に手を置かれ、キリアスは我に返った。充血した腫れぼったい目をした家士が声を詰まらせる。

「若君……」

「……傷は平気か」

「たいしたことありません。それより……、皆様がたを下ろして差し上げましょう」

「ああ、そうだな。それから……、遺体を探すのを手伝ってくれるか」

 中庭では三人の胴体は見つからなかった。城内は完全に焼け落ちている。無残な焼死体をひとつひとつキリアスは見て回った。

 かろうじて見つかったのは兄の腕だけだった。胴体は落ちた梁の下敷きになっていて、まるでキリアスを招くように中空に左手だけが差し伸べられていた。奇跡的に焼け焦げもなく、きれいな状態だった。

 見分けがついたのは、王の印章指輪を嵌めていたからだ。キリアスはしばらくその手を黙って握りしめていた。ふたりでは遺体を引き出すのはとても無理だったので、やむなく指輪を抜き取り、後でわかるように梁に印をつけておいた。

 エドゥアルドとアナベルの遺体は見つけだせなかった。喰われてしまったのかもしれないと思ったが、とても口には出せなかった。蘇った死者──ギドウの言う死餓鬼による蹂躙を免れた死体はひとつとしてなかった。

 首を収めるのに使えそうな容器をどうにか探し出し、死んだ家士の馬に積んで城を後にした。

 とりあえず叔母の館に戻ろうと森の中の道を辿り始めるや否や、鋭い悲鳴がどこからか聞こえてきた。それは若い女の声で──。

「……アーシファ!?」

 キリアスは反射的に馬の腹を蹴った。狼狽して怒鳴っている女の声が聞こえる。間違いない、アーシファだ。

「ちょっと! やめてよ、あたしがわかんないの!?」

 ビンッ、と弦の鳴る音がする。茂みを抜けると果たしてアーシファが、死兵に取り囲まれていた。

「キリアス! どうなってるの!? この人たち、どうしちゃったのよぉ。あたしのことわかんないみたい。それに何だか……死んでるみたいに見えるし」

「死んでるよ」

 キリアスは兄の剣で死餓鬼の首を斬り飛ばした。息を呑むアーシファの背後から死餓鬼が現れ、おぶさるように羽交い締めにする。白目を剥いた土気色の死体に抱きつかれ、アーシファはすっかり取り乱した。

「ひぃっ! いやあああっ、くっつかないでぇっ」

 死餓鬼がバクリと口を開く。アーシファは限界まで目を見開き、手にした弓を振り回して力任せにバンバン死体を叩き始めた。

「ばか、暴れんな!」

 首を刎ねたくてもアーシファと死餓鬼が密着していて狙いが定まらない。めった打ちにされて反り返りながらも、死餓鬼はアーシファに喰いつこうと色あせた歯茎を剥きだした。

 その喉を貫き、横から切っ先が飛び出す。剣を握っているのは見覚えのある青年だった。ようやく死餓鬼を引き剥がし、鳥肌立ちながらアーシファはキリアスに駆け寄った。急いで鞍の前に引き上げる。

「うわ。何だこいつ」

 青年が薄気味悪そうに叫ぶ。首を貫かれた死餓鬼は、それでも倒れずにふらふらと立ち向かってきた。

「首を斬り落とすんだ!」

「悪く思うなよ、っと」

 青年が水平に剣を振り回す。首が飛んで一瞬動きを止めたものの、今度は両手両足を滅茶苦茶に振り回して暴れ出した。それは何とも不気味なダンスだった。

 舌打ちした青年がふたたび剣を構えると、首をなくした死体はバランスを失って倒れた。片方の足首が急角度に折れ曲がっていた。

 キリアスに首を刎ねられた死体もまた脚に大きなダメージを負っているようだ。行軍には不向きとギドウが捨てていったのかもしれない。

 死者はなおも起き上がろうともがいていたが、しばらくしてようやく動かなくなった。青年は、ふぅと息をついて額を拭った。

「何なんです、こいつら。見たところうちの兵みたいだけど。追剥に転職ですか」

「……カドルー。おまえは死んでないだろうな」

「はぁ? 見てのとおりピンピンしてますけど?」

 二十代半ばの飄然とした青年が、いぶかしげにキリアスを見た。カドルーはヴァスト王家に仕える騎士である。

「無事だったんだな、よかった」

「姉の結婚式がありましてね。この一週間ばかり休暇をもらってシャニーエに行ってたんですよ。……いったいどうしたんです?」

 彼は仮面の人物が現れた時にはすでに休暇で城を出ていたのだ。

 話を聞き、カドルーとアーシファはともに言葉を失った。当然ながら俄には信じがたい様子だったが、三つの生首を見せられては納得せざるを得ない。

 キリアスは声を殺して泣きだしたアーシファの肩をそっと抱いた。朝日が射し始めたにも拘らず、森はひどく暗かった。

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