人間とアンドロイドⅣ

河野章

第1話 人間とアンドロイドⅤ

「ねえ、お母さんがいないってどんな気持ち?」

 夕日が海に沈んでいくところだった。

 僕は丘に並んで座っていた幼馴染の少女にそんなことを急に問われて、驚いてしまった。

「どんなって……普段は……いないんだな、って気持ちだよ。単に」

 不審に思いつつも、僕は思ったままを返した。

 二人共小学5年生だった。

 彼女の2つにお下げにした髪先が海からの風で揺れていた。

 彼女とは家が近く、幼稚園から小学校のクラスまでずっと一緒。お互いの家を行き来することも多く、僕は彼女を姉弟のように感じていた。

 しかし、最近は学校では2人で話すことはほとんどなくなっていた。

 2人で並んでいるとクラスメイトに茶化されるからだ。

 僕はそうされると猛烈な恥ずかしさと、……少しのバカバカしさを感じて、いつも黙り込ん俯いていた。

 彼女は少し違った。毅然とした無表情で、茶化しているクラスメートを見ていた。

「最初は……寂しかったような気がするよ。幼稚園の時だもん」

 僕は横目でちらっと彼女を伺った。彼女の、アンドロイドであることを示す青い目が、夕日の赤で染まっている。

「けど、数年したら慣れちゃったよ。家族の絵を描きなさいとか言われても、動じなくなったし」

 まだ時々悲しくて、布団の中で声を押し殺して泣いていることは伏せておく。

 本当に普段は『いないことに慣れてしまった』、それに尽きるからだ。

「そう……」

 彼女はまぶたを軽く伏せた。何か考え込んでいるようだった。

 『何かあったの?』と聞くのは憚られる空気があった。

 夕日はゆっくりと沈んでいっていた。

 まだ周囲は明るいのに、僕らを照らすように、丘の上の街灯が一斉に点灯した。

「……お母さんの様子がおかしくて、病気みたいなの」

 彼女がぽつんと言った。

「病院、に入るのね。けど……お父さんがもうお別れの気持ちの、準備をしなさいって…」

「え……」

 僕はおばさんを思い出していた。

 僕のお母さんとも仲の良かったおばさん。今でも、時々お菓子やご飯を作って差し入れてくれる、優しいおばさん。最近は確かに顔を見ていなかった。

「どうして……」

 僕は知らずに呟いた。呟いてからはっとして、彼女を振り返った。

 彼女は無表情のまま、目に大粒の涙をためていた。

 涙は頬を伝って落ち、彼女のワンピースの生地を濡らした。

「だからね、聞いておこうと思って。お母さんがいないってどんな気持ちかを」

「……」

 僕は何とも言えない気持ちになった。

 その涙が気持ちじゃないのかとそう思った。

「けど、良かった」

「え?」

 彼女はふいに言った。にこっと微笑むとまた涙がその青い瞳から溢れる。

「今はね、胸がざわざわするの。けど、これがずっと続くわけじゃないのね」

「……✕✕ちゃん」

 僕は彼女の名前を呼んだ。

 僕はその時初めて切ないという気持ちを知った気がした。彼女が母親がいなくなることを寂しいと感じるのと同じで、僕も初めての気持ちに戸惑った。

「おーい、✕✕!」

 ふと、丘を登ってくる声がした。

 振り返ると、彼女のお父さんと病気だというお母さんが仲良く丘を登ってくるところだった。

「お母さん!」

 彼女が勢いよく立ち上がり母親の元へ跳ねるように抱きついた。

 名を呼んでもらえなかった父親は頭を掻いていた。

 仲良く両親に挟まれて手をつないでもらいながら、彼女がスキップする。

 もう、涙は流れていなかった。

「君のお父さんに聞いたら、2人でここへ遊びに行ったって聞いて」

 彼女のお父さんが僕に、いつもありがとうと言った。

 僕は気恥ずかしくて、うんとだけ頷いた。

「あの、おばさんは……」

 僕は上目遣いに彼女の母親を見上げた。

 彼女とおそろいのアンドロイドの青い目をしたおばさん。

「おばさん、死んでしまうの……?」

 僕は幸せそうなのが却って不安になって、単刀直入に聞いた。

 はっと、彼女も母親を見上げた。

「あら……そんなこと、この子が言ったの?」

 ふふっとおばさんは笑った。きゅっと彼女とつなぐ手を軽く持ち上げてみせる。

「大丈夫よ、おばさんはもう元気になったの」

 そう言うと、ねぇと隣のおじさんに言う。

 おじさんは少し困ったように、眉を寄せて、黒い瞳で僕に言った。

「そう。少し、具合が悪かったんだ……だから、前のおばさんは交換してもらった」

「え」

 僕は目を見張る。彼女を見ると唇をきゅっと結び、何かを堪えているようだった。

「そうよ。だから、死んだんじゃないの。……不安がらせて、ごめんね」

 優しく笑うおばさんは、彼女によく似た顔で、前のおばさんと全く一緒だった。

 僕はなぜだかわからないけど泣きたくなった。

 夕日は完全に沈んでしまった。

 僕らの足元を照らすのは、遠い街の明かりと街灯の頼りない光のみだった。

「さあ、帰りましょう」

 おばさんが言った。

 彼女はすがるようにその手を握った。おじさんが、気を使って僕を彼女の隣に寄せた。

「ごめんね……」

 彼女が僕に聞こえるだけの声で、囁いた。

「前のお母さん、もう死んじゃったの……嘘をついてごめん」

「うん……」

 大丈夫だよと、僕は彼女の手にそっと触れた。指先を握って、何度もその暖かさを反芻する。彼女にも伝わっていると良いなと思った。

「大丈夫だよ……、寂しさはいつかは変わるよ。僕らは……強いもの」

 恥ずかしいけど、言い切った。

 彼女はほっとした様子で笑って、手を握り返してきた。



【end】

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人間とアンドロイドⅣ 河野章 @konoakira

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