弱虫な僕のゲン担ぎ

@koris

弱虫な僕のゲン担ぎ

 僕が彼女と出会ったのは、中学二年の冬。当時ハマっていた漫画の真似をして、心眼を体得すべく両目を閉じたまま道を歩いていたところをトラックに跳ねられて搬送された病院の屋上だった。

 運ばれたときは涙を流して「生きてくれ」と懇願していた両親も、跳ねられた経緯を知るや否や「くたばれ」と吐き捨てる始末で、この時僕は血の繋がりの儚さと、心眼体得の難しさを骨身に染みて実感した。

 幸いトラックに跳ねられたにしては軽傷で済んだ僕は、ぽっきり逝った右足と右腕を庇いながら松葉杖でえっちらおっちら歩いていると、病院案内で屋上の存在を知った。病院では日差しと風が心地いい朝の十時から昼の十四時の間だけ特別に開放しているらしく、暇を持て余していた僕はなんとなしに屋上を目指した。

 エレベータで上層まで向かい、屋上へ続く扉へ手をかける。普段なら気にもならない扉の重さに苦戦しながら、僕はゆっくりと扉を開いた。

 ――そして、彼女を見つける。

 第一印象は、白い人。

 次いで、漫画のキャラクターみたいだな、という感想が浮かんだ。

 空を見上げていた。

 長い髪が風になびいていた。

 不意に目があった。

 赤い瞳をしていて、綺麗だなと思った。

 薄い唇が、柔らかく弧を描く。

 その微笑み一つで、不覚にも。

 僕は、彼女に恋をした。


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 1日目だった。僕が彼女と出会った、記念すべき1日目。

 彼女は空を見ていた。太陽を一身に浴びていた。

「こんにちは」

 だから、声をかけられても、すぐには返せなかった。

 その姿が綺麗すぎて、喉が詰まる。

「?」

 不思議そうに首を傾げ、彼女はゆったり近づいてくる。だがちょっと待って欲しい。現実とは思えない幻想が歩み寄ってくる経験など、十四年生きてきた時間の中に一度たりとも存在しない。だから一般的な対応ができなくても、非常識な言葉が出てしまっても、そこは許して欲しいと思うのだ。

「……綺麗だ」

 初対面の人に、間抜け顔で、オツムの足りなさ全開の感想を漏らしても。

「ありがとう?」

 頭上にぽん、とはてなマークを浮かべて、彼女は再度、首を傾げる。

 目の前にある、赤く澄んだ二つの瞳。視線が自然と吸い込まれて、世界がぎゅっと狭まる。

 鼓動の音がうるさい。息が苦しい。瞬きの動作を忘れてしまって、考える事を脳は放棄して、ただ目の前の人を、凝視して――。

 ふりふり、と手のひらを眼前で振られている事に気づき、はっと僕は目を覚ます。

「あ、ああいやのっ、すまっせん!?」

「?」

 また首を傾げられる。当たり前だ。いきなり凝視して、綺麗ですねなどと赤面ものの台詞を吐いて、挙句にパニック言語を炸裂させて、訝しまない方がどうかしている。

「し、失礼しました――!」

 叫び声を上げて、僕は屋上を逃げ出した。

 これが僕の記念すべき一日目で、恥だらけの出会いだった。


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 二日目になった。僕が彼女と出会ってから、挑戦に赴く二日目。

 朝の十時になった瞬間、僕は屋上へと向かった。目的は単純にして明快だ。謝罪と交流。それに尽きる。

 出会いの最悪さを払拭し、彼女との繋がりを作る。それが目下の目的だ。

 初めてだった。人を好きだと感じたのは。これが恋なら、強烈に過ぎる。昨日は興奮が引かず眠れなかった。夜眠れなくなる事など、小学四年の時に両親のスマホを興味本位で電子レンジにかけた日の夜、両親が僕を電子レンジにかける方法を真剣に検討していたのを盗み見てしまった日以来だった。

 頬をパンと叩き、レッツトライ。扉を開けば、太陽の光と冬の風。少し肌寒いけど、見上げた顔をあぶる陽光はとても気持ちよかった。

 そして屋上に設置されたベンチの横。車いすに座る彼女を見つける。イメージトレーニングはすでに昨晩、幾度となく繰り返したその成果を発揮しようと意を決して。

「いい天気でしゅね」

「……?」

「いい天気ですね」

 何事も無かったように話を進める。

「はい。いい天気です」

 彼女は眩しそうに視線を上げる。細く走る首筋のラインに、また吸い寄せられるように見惚れてしまう。そして、返事をもらえた事に舞い上がり、僕は間髪入れず話題をまくし立てた。

 昨日の謝罪から始まり、最近見たテレビの話、病院食が存外美味い事、自身の些末な思い出など。思いついた事を脈絡なく話した。それも、人生で初めてだと断言できる発声速度で、初対面に等しい人に。

 それが不審者丸出しの行為だと気づくのに、恐らく十分以上はかかったと思う。ふいに自身の行為の異常さに気づき、しまったと血の気が引いていく。また会えた事が嬉しくて、つい話し込んでしまった。

 またやってしまったと首の角度が急降下を始めたとき、とんとん、と彼女はベンチの背を軽く叩いた。なんだろう、と目を向けると。

「続き、聞かせて下さい」

 ここへ座って、じっくり話して、と。彼女の手が僕を招いていた。

 その瞳は、非難や奇異の色もなく、まっすぐに僕を見てくれていた。

 それは、それだけで今日という日が幸福なのだと。心からそう感じて。


 時が過ぎて、看護師が屋上にやってくる。時間になっても居残る不届き者を回収する役割を持ち、僕の首根っこを容赦なく掴む。

「また明日、会えますか」

 引きずられながら投げた言葉に、彼女は静かに。

「また明日」

 ……ゆっくりと、微笑んでくれた。


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 三日目になった。僕が彼女と出会ってから、再会を果たす三日目。

 十時ぴったりに扉を開けると、既に彼女はベンチの横で、車いすに座って呼吸器をつけていた。僕は緊張を隠しながら歩き、その間、昨日の会話を思い出す。

 昨日、彼女にベンチへ招かれてからの会話の中で、彼女は学校へ行った事が無いと言っていた。

 だから、僕は彼女が聞きたい事を話した。特にお気に召したのは、やはりというか、学校の話だった。授業の様子、給食と病院食の違い、部活動の内容。そんな、当たり前の内容を、彼女は平然と、しかし隠しきれない好奇心のままに聞いてきた。

「……学校。本でしか知りません」

凛とした雰囲気とは少し離れた子供の様な好奇心。いや、子供の様なという表現もおかしい。僕よりは年上だろうけど、極端な差は見られない。気になるけど、女性に年齢関連の話題はご法度というのは世界共通の常識なので、僕は粛々と口を紡ぐ。かつて父が母に「お前、今年××歳だっけ?」と実際より二つ上の年齢を口走ったが最後、頬を引っぱたかれて紅葉が咲いた過去を、僕は鮮明に覚えている。

僕は話した。彼女の知りたい、僕にとっては当たり前の日常を。

「ありがとう」

 言葉が、耳を通り、心へ落ちる。どうして彼女の言葉は、これほどまでに体へ染みるのだろう。一目惚れした相手だからか、もしくは、彼女が今まで出会った誰よりも、大切に言葉を発している様に見えるからだろうか。

 ささやくような音量なのに、風の中でも澄んで聞こえる。

 もっと、その声が聞きたいと、僕は心から願った。

 タイムリミットはあっという間にやって来る。顔の上半分はエビスなのに下半分は仁王像の看護師に首根っこを掴まれ、僕は連行される。

 だから僕はもう一度、願いを込めて言う。

「また明日、会えますか」

 投げかけた言葉に、彼女は静かに微笑んで。

「また明日」

 ……ゆっくりと、頷いてくれた。


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 四日目になった。僕が彼女と出会ってから、約束を果たす四日目。

 十時ぴったりに扉を開けると、やはり彼女はベンチの横、車いすに座っていた。呼吸器に加えて体に点滴の管が伸びる。僕は慣れない緊張を、なんとか笑顔の裏にしまう。

 話す内容は学校の話だ。学校の内容の話は昨日、あらかたし尽してしまったから、今日は始まりと終わりの話をしようと言った。

「始まりと、終わり?」

 さらり、と純白の長い髪が肩から流れる。クセの無い白髪が、陽光に照らされてキラキラと光る。……これは不味いな、と僕は心中で呟く。出会う度、話す度に、好きな所が増えてしまう。

「そう、始まりと終わり。つまりは、入学式と卒業式」

 僕は、入学式と卒業式の説明をした。生徒が一堂に会し、校長先生の有難いお言葉を聞き流し、誰と同じクラスになるか一喜一憂するイベント。例えば、と僕はコホンと咳ばらいをして立ち上がると。

「入学おめでとう!」

 叫ぶ。ビクッ、と彼女の肩が震え、ごめんと一言謝った後。

「これからも誠心誠意、勉学に努める様に! ……入学式はこんな感じ」

 恐らく本来の1%も再現できていないだろう入学式に、しかし彼女はそんなしょうもない事でも、興味深そうに頷いていて。

「それから、……はい、卒業証書」

 何も持たない両手で、さも証書を持っている様に彼女の前へ差し出す。彼女はそれを見て目を丸くした後。

「……入学式と、卒業式。一日で体験しちゃった」

 感慨深そうに笑ってくれた。


 僕が差し出したフリの卒業証書を、彼女は受け取るフリをしようと頑張ってくれたけど。

 その両手は、もう上げる事ができなかった。


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五日目になった。僕が彼女と出会ってから、別れを告げる五日目。

十時ぴったりに扉を開けると、彼女の代わりに、医者がベンチの前に立っていた。立ち尽くす僕に、医者は手紙を渡して去っていった。

僕はベンチに腰掛けると、手紙の封を開く。震えた文字は汚くて、読むのに時間がかかった。


 〝ありがとうございました。

  卒業証書、受け取れなくて、ごめんなさい。〟

 

 短い手紙は、本当に汚くて、読むのに、時間がかかった。


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 もう何回目になるかな、と僕は病院の屋上から空を見て思う。

 あれから四年に一度、僕はここへ来ていた。

 学校に憧れていた彼女が、謝らなくてもいいように、僕は四年毎に訪れる。


 始めの一年は遭遇の一日目。

 お次の二年は挑戦の二日目。

 続きの三年は再会の三日目。

 最後の四年は別れの四日目。


 だから、これは意味のないゲン担ぎのようなもの。四日目に渡せなかった卒業証書を、今度は受け取って貰えるだろうかと、彼女の名前もお墓も知らない僕の、単なる自己満足。


 中学生時代の感傷をいまだに引きずる、 〝好きです〟と言えなかった弱虫の、ただそれだけの物語。

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