ヴァルプルギスの夜に逢おう*3

「危ないわ! こっちへ!」


 空からの襲撃と阿鼻叫喚あびきょうかんの中、慌てる柚樹の手を引っ張り、ローズマリーが飛び交う術をよけながら大木の影へと走った。


 その時、彼らと大木の間に何かが落下するようにして立ち塞がった。


 「ポセイドンとかの武器!?」と、柚樹の頭をよぎったほどの長槍の先が三本の鋭い矢に分かれている三叉槍さんさそうを手にし、腰まである長い黒髪に、男性のように骨張った怒り肩の長身。


 身体にピッタリとして足元は広がっているマーメイド型の黒いドレスをまとい、黒いアイメイクを施しているような目の周りは黒く縁取られ、銀色の瞳には揺らめく炎が映り込むが、冷たい光を放っていた。


 冷酷無情、残忍さに加えて、これから獲物を狩る喜びを隠し切れていない、そんな風に柚樹には見えた。


「おや、珍しいね」


 周囲の黒魔女たちの中にあって別格である、一際美しいが威圧感、重圧感あふれるその魔女が、柚樹とローズマリーを見下ろし、一歩ずつ近づく。


「ローズマリー、否、イルゼ。黒魔女たちに混ざって、白魔女のお前がこんなところで何をしている?」


「ヴァルプルギスの夜は誰でも楽しんでいいものでしょう? 大白魔女様はそうおっしゃっていたわ」


 柚樹がさっとローズマリーを庇うように前に出た。

 勇気を振り絞る前に、反射的にそうしていた。 


「ほほう、この男はお前たちの生贄いけにえか?」


「違うわ!」


 口の端を上げた黒い魔女のてのひらには青い炎が現れ、柚樹に向かって投げつけられた。


 恐怖で足がすくんだ柚樹の目が、大きく見開かれる。


 バチバチバチッ!


 稲光と轟音、爆風で悲鳴は打ち消されていた。


 と同時に、黒い魔女が身体中を青く放電させながら飛ばされ、大木に激突した。


 跳ね返り、バタン! と、うつ伏せに倒れた身体からは、黒い煙がぶすぶすと立ちのぼる。


 防御していた腕を下げると、柚樹の前にはローズマリーが立っていた。


「え……?」


 彼女を守るつもりだった柚樹には、一体何が起こったのか理解できない。


 よく見ると、これまで見たことのないものが、彼女の手に握られていた。

 魔法使いの使うイメージの木の枝を集めて草のつるで束ねたものを、黒魔女に向けている。


「……き、貴様……! 白魔女の……くせに……なぜ、そんなことが……!」


 身を起こしかけた魔女はうめき声を上げ、再びうつ伏せる。


 魔女の身体にはプラズマが走るようにして、青い稲光がまだバチバチと収まらないでいる。


 空中でも地上でも、瞬時に静かになった黒魔女たちの頬を、冷や汗が伝った。


 沈黙とざわめき、そして、全員の視線がローズマリーに釘付けになった。


 呆気に取られているどころではない、恐怖におののいた血走った目。


 額から頬、首筋にも冷や汗が吹き出し、噛み締めたゆえに口角から血をにじませる者、泡を吹き出す者、ほぼ全員の硬直した足はガタガタと震え出した。


 叫びたくても叫べない。

 そんな恐怖に取り憑かれた魔女たちは、逃げ出すことも出来ず、その場に凍りついていた。


「さ、お祭りの続きを。皆で仲良く楽しみましょ!」


 何事もなかったようににっこりと、いつもの天使の微笑みで、彼女はそう言った。




「楽しい夜でしたね!」


 天使の微笑みが、そう言った。


 ヴァーテリンデの魔女集団は早々に撤退し、地上の魔女たちも逃げるようにして引き上げていった後だ。


 木々はへし折れ、炎はくすぶり、煙があちこちから上がっている。

 奇怪な光景に目を白黒させながら、視線を彼女に戻す。


「え……、あ、は、はい、そうですね!」


 取り繕ってはみたものの、柚樹の笑顔はぎこちない。


「橘さん、ファーストネームはなんでしたっけ?」


「柚樹ですけど……?」


「柚樹さん」


 美しい声と桜色の唇が名前を口にすると、どきっ、と柚樹の心臓が飛び跳ねた気がした。


 白くか細い両のてのひらが、柚樹の頬を包み込んだ。


「あ、あの……っ?」


 どぎまぎしながら、口をつぐむ。


 柔らかいものが、やさしく、額に触れた。


「……忘れてください。今日のことは」


「……どういう……?」


 唐突に眠りに落ちた柚樹の身体が、がくんと膝から崩れ落ちるのを、細腕が抱えた。


「忘れて。そして、どうか元の生活に戻って」


 額の唇の触れた場所を二本指で撫で、前髪をいた。


「じゃあ、そろそろ帰りましょうか」


 独り言を言うと、ローズマリーはチェーンソーのざっくりした切り口の木の枝に左手を向ける。

 枝はひゅんと勢いよく飛んでいくと、腰の高さほどに横向きに浮かんだ。


 「よいしょっと」


 軽々と青年男性の身体をくの字に乗せ、その後ろにまたがり、暁色の空へと浮かび上がった。

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