第233話 嵐山(3)
「でも。 あたしは嬉しかったけど、」
母はそこに腰掛けて言った。
「あんたが、もう一度幸せになる気持ちになってくれて。」
奈緒は
学校が長い休みになるたびに
ここへ連れてきたりしていた。
お互いの両親も認め合う仲で。
彼女が妊娠して結婚を決めた時も
みんな本当に喜んでくれた。
彼女が死んで
なかなか立ち直れなかった自分に
母は
ここで少しゆっくりしたらどうだ、と言ってくれたが
親に無気力な自分を見せたくなくて
彼女と暮らした部屋で何も考えないようにして過ごした。
そして
何も考えないようにして
少しずつ
彼女のものを
処分した。
「今の仕事もほんまにやりがいあるねん。 また音楽に向き合う気持ちになれたことも・・・少しずつ自分の気持ちが変化していったからやと思う。 オケのデビューコンサートを成功させることだけ考えてる。」
息子が
あんなに情熱を傾けていた音楽にも
再び目を向け始めたことも
母は嬉しかった。
「時間ってすごいな。 あんなに悲しくてやりきれなかったことも・・解決してくれるし。 人の気持ちはこうやって変わっていくねんな、」
志藤はふっと微笑んだ。
「まだまだこれからが大変や。 仕事も・・家庭も。」
母の言葉に
「うん。 そやな、」
志藤は壁にもたれて座りながら
タバコの煙を吐き出した。
「あ・・志藤です。 おはようございます。」
翌朝、ゆうこの実家に電話をした。
「今、京都の実家に来てるんですけど。 ウチの両親がぜひそちらにご挨拶に伺いたいと申してまして、」
「え? 志藤さんのご両親が?」
ゆうこの母が電話に出た。
「でも、お店やってるんでしょう? そんなお休みしてまで・・」
「いえ。 きちんとしたいと言っていますから、」
しばらくやりとりがあったあと、いきなりゆうこの父が電話口に出た。
「そんなもんいいから! 商売人にとったらな、店を休むなんて大変なことだ。 挨拶とかそんなのは、もっと落ち着いてからでいい。 そんなんで親の仕事休ませるな!」
そして
怒られた。
「いや・・でも、」
戸惑う志藤に
「もうおまえらは立派な大人なんだから! 親のことは後でいいんだ!」
一方的に電話を切られてしまった。
「どうしたの?」
志藤の母はその様子に心配そうに言った。
「彼女のお父さん。 浅草生まれの浅草育ちで。 大工をしてんねんけど。 もう江戸っ子を絵に描いたような人で。 ・・商売を休んでまで来ることないからって。」
志藤は言った。
「厳しい人なの?」
「・・かなり。」
すると新聞を読んでいた父が
「彼女も身体の具合が思わしくないんやろ? そうしたら・・少し落ち着いたら行かせてもろたらどうやろ。 申し訳ないけども。」
と言った。
「そうねえ、」
母もため息をついた。
ゆうこの入院は3日ほどの予定だったが、体力の回復が思わしくなく少し延びることになった。
ベッドに寝ていても気分が悪く
眠れるわけでもなく、つらかった。
ノックの音がしたので
「・・はい、」
と返事をすると
「こんにちわ、」
真太郎が入ってきた。
「真太郎さん・・」
ゆうこは慌てて起き上がろうとした。
「あ、そのままで。」
真太郎はそれを制して、彼女にかわいい花束を手渡した。
「す、すみません・・」
少し寝癖のついた髪を撫で付けた。
あれ以来。
彼とこうして向き合うのは初めてだった。
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