第152話 凪ぎ(3)

彼がここへ来て


もう4ヶ月くらい経つのに



部屋はガランとして


まだ解いてないダンボールもあったりした。



「・・どうぞ。」



ゆうこは志藤にコーヒーを差し出した。



「あ、ごめんね。 結局、きみに淹れてもらっちゃって。 ま、白川さんが淹れてくれたほうが断然美味しいからね。」


志藤はお気楽に笑った。



「そんなこと。 ないです。」




志藤はスペアのメガネを取り出してかけた。



「あ・・」



ゆうこは思わず声をあげた。



「ん?」



「なんか。 そっちのがいいんじゃないかなって。」



壊れたメガネより少しフレームの存在感があって、角ばったような形だった。



「そう? んじゃ、今度っからこっちメインにしようかな。」


と笑う。




「女の影もないですね。」



部屋を見回して、そんなことを言ってしまった。



志藤はまた笑って



「ありませんって。 おれだってねえ。 誰でもいいわけじゃないんだから。」



と、言った後で


ハッとして、口を噤んでしまった。



そして


珍しく照れたような顔を見せた。


ゆうこも少し顔を赤くした。



妙な沈黙が続いて、それを打ち破ろうとゆうこは顔を上げまた部屋を見回した。



そして、出窓においてあったかわいいウサギのクリスタルの置物を見て


ガバっと立ち上がった。



「かわいい。 すっごくかわいいですね。 これ。」



思わず手に取ってしまった。



かわいいもの好きな彼女にはこたえられない品だった。



「それ?」


志藤はゆっくりと立ち上がる。



「もう、あたしカワイイもの大好きで・・」



その5cmほどの薄いガラスでできたキラキラしたウサギを手に乗せているだけで笑顔になる。




「彼女が・・ 持ってたの。」




志藤はポツリとそう言った。



「え・・」


ゆうこは彼に振り返る。



「彼女も小さくてかわいいものが大好きだったから。 そんなのいっぱいあったんだ。 形見分けでもらったんだ。」



志藤は同じ笑顔でそう言った。



「・・そう、だったんですか。 ご、ごめんなさい。 勝手に・・」


ゆうこは悪いことを言ってしまった、と思いそっとそのウサギを置いた。



「いいよ。 別に。 気にしなくても。」


そう言われたが。



「聞いても、いいですか?」



ゆうこはうつむいたままそう言った。



「え?」




「彼女って。 どんな人だったんですか?」



ゆっくりと顔を彼に向けた。




「んー。 まあ、とにかくかわいくってね。 大学中、彼女のことを知らない人間はいなかったと思う。 男たちはみんな彼女のことを狙ってたしね。」


志藤はあっさりと彼女の思い出話をしてくれた。



「そんな人だったんですかあ・・」



「だから。 おれとつきあってくれるって言ってくれたときは。 ほんっと嬉しかったなあ。」



「今はそんなに自信満々なのに?」


ゆうこはクスっと笑う。



「その頃は。 まだ純粋だったからね。 彼女はかわいいだけじゃなくて、明るくて社交的で。 友達もたくさんいた。 負けず嫌いでね。 ピアノが巧く弾けないって言っては、泣いたりして。 ・・ショパンが大好きで。」




まるですぐそこに恋人がいるように話す志藤に


ゆうこは少し胸が痛かった。



「彼女のものはね。 全部捨てたり、家族に返したり。  冷たいと言われるかもしれないけど。 もう捨てないとやってらんなかったし。 でも。 このウサギは・・捨てられなかったなあ。」



と、そのウサギを手に取った。




大事な


大事な彼女との思い出なんだろう。




これを見るたびに


きっと彼女のことを思い出して


切ない気持ちになるんだろう。




ゆうこは志藤の背中を見つめた。

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