第151話 凪ぎ(2)

この人だって


死んだ恋人が忘れられなくて



その心の隙間を埋めるために、今までだってこうやって


愛してもない女性を抱いてきたんだろう。



ゆうこはそんな風に思った。



だけど


そう思うと、胸が締め付けられそうになるのは


どうしてなのだろう。




ウソをついてしまった。




なんとも思っていないわけがなかった。



男の人に抱かれるのに理由の要らない女性もいるのだろうが、自分はそんなんじゃなかったはずだ。


いくら、さびしかったと言っても誰でもよかったわけではない。



不思議に


彼に抱かれたことは


後悔していなかった。




志藤はふうっとひとつため息をつき、



「おれ、裸眼だと0.1以下なんだ。 周りがよく見えなくて帰れない。 一緒に帰ってくれる?」


ゆうこに言った。


「は?」



突然そう言われて目を丸くした。



「おれを家まで送ってくれる?」



ゆうこが持っていたファイルを取り上げるように手にして、資料室を出て行った。




自分の責任も少し感じ、ゆうこは仕方なく志藤と一緒に帰ることになってしまった。



会社を出ようとすると、外出から戻った真太郎とばったり会ってしまった。




「あ・・」



真太郎は二人を見て一瞬、顔がこわばった。



「お先に、失礼します。」


ゆうこは何となく志藤と一緒のところを見られて、恥ずかしくて逃げ出したくなった。



「・・ジュニア、ですか?」


志藤はずいっと真太郎に顔を近づける。



「そ、そうですけど。 どうしたんですか、そのオデコ。」



「上から分厚いファイルがおっこってきて。 メガネがぶっ壊れました、」


と笑う。



「大丈夫ですか?」



「何とか。 じゃあ、お先に失礼します。」


とニッコリ笑ってゆうこと会社を出た。



真太郎はそんな二人を何となく見送った。





本当に彼は裸眼だと周りがよく見えないらしく、駅の階段もいちいち危なっかしい。



「わっ・・」


段差でけつまづいたりしていた。



「段差があるときは事前に言ってよ、」


ゆうこに文句を言ったりしていた。



「あ、ごめんなさい。」


何だか知らないけれど謝ってしまったりして。



志藤はいきなりゆうこの腕を取って自分の腕に組ませた。


「なっ・・」


ゆうこは慌てて身を引こうとしたが



「もう介護だと思って、」



志藤はおかしそうに笑った。





メガネのないその顔の


笑顔に


胸の高鳴りが押さえきれない。




な・・


なにドキドキしてんの。


あたしは!




ゆうこは必死にそれを静めようとした。



そして


何とか彼のマンションの前に来て



「じゃあ・・これであたしは。」


ゆうこはようやく帰れるとホッとした。



しかし、志藤は



「ちょっと、寄ってかない?」



と笑顔で言った。



「えっ・・!!」



激しく驚き、身構えるゆうこに



志藤はまたも笑って、



「べつに。 なんもしないし。 お礼にコーヒーでもごちそうします。」


そう言った。


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