16話目 「その汚らしい発音で、喋るな!」

 沈黙を破ったのは、三人のうちの誰でもなかった。

 アーランははっとして振り向いた。カエンが立ち上がった。扉の一つが開いたのだ。


「おや、眠ってたんじゃなかったのですか?」


 奇妙に響く男の声がした。扉の前には小柄な男がにやにやと笑いを浮かべて立っていた。

 カエンが言ってた見張りの一人だ、とアーランは思った。

 撫で付けた髪は、既に薄くなりかかっているのを必死で隠しているようにも見える。結構多めに整髪剤を使っているのか、背後の室内灯の光が髪に当たっててらてらと光っていた。

 その後に一人、二人…… 五人の男達がついていた。総勢六人。


「もしもし?」


 先頭の男が三番目に向かってあごをしゃくる。


「そんなことありませんよお兄貴、だってありゃ専用の覚まし薬使わなきゃ、そう簡単には覚めねぇ奴ですぜ」

「やぁ、またとんでもないモノを掴まされましたねえ? この無能」


 先頭の男は、貼り付けた様な笑いのまま、のっそりと三番目の男を引きずり出す。横っ面を張り飛ばす。

 男は小柄だった。だが自分よりやや大きめの男を扉の外の壁に叩きつけるには充分な力を持っていた様だ。

 慌てて四番目と五番目が駆け寄る。壁に叩き付けられた三番目は、打ち所が悪いのか、その場にへたりこんでいた。

 アーランは息を呑んだ。

 子供同士のけんかならいくらでも見たことがあるが、大の男が力一杯殴り付ける/られるところなど見たことがない。


「……ひどい」


 しっ、とアーランは誰かが手で自分の口を塞ぐのを感じた。カラシュだった。平然として首を横に振っている。何事。


「まあよろしいでしょうね。お嬢さん方、起きたなら起きたでよろしいですが、ちょっとお付き合い願えませんか」

「何処へ」


 即、問い返したのはカエンだった。

 アーランは口を塞がれていて声が出せない。その上この男の喋り方に虫酸が走っていた。

 実に言葉使いは丁寧だが、その中に全く誠意が感じられない。ここまで徹底していたのはさすがに彼女にも始めてだった。


「お嬢さん方、別にねえあなた方のお身体に危害を加えようとかそういうのではございませんがねえ、ここに長い間閉じこめておく訳にはいかない、とおっしゃられる方がいるんですよねえ」

「嫌だ」


 またもカエンが即答した。


「そうですよねえ。そりゃあそうですよねえ。我々はあなた方を実に御無礼極まり無い方法で拉致させて頂いたんですからねえ。ええ当然ですねえ」


 語尾を伸ばす時に、「ア」と「エ」の中間のような濁った音を付ける。


「そうはおっしゃられてもねえ、そう勝手にされるとですねえ、我々も非常に困る訳なんですよねえ。できるだけ静かに言うこと聞いてくださいませんかねえ」


 今度は「エ」と「イ」の中間の音のようにも聞こえる。ひどく耳障りだ、とアーランは思う。


「嫌だ」


 カエンは同じ答を繰り返す。


「困りましたねえ。我々とてよおく判ってはいるのですよねえ。あなた方が晴れて『連合』への留学生として選ばれている方々でございましてねえ、もう出発の期日が決まっていることもですねえ、その期日までにみっちりと、本当にみっちりとお勉強なさらなくてはならないこともよおく判っているんですよねえ?でもそれはそれですよねえ。そんな事情は我々には関係ないですからねえ。我々は非常にあなた方にそうされると困るんですよ」


 むむむ、とアーランはカラシュの手の中でもがいた。

 カエンの大柄な身体と、幾つか積み上げた椅子のおかげでアーランとカラシュの姿は彼らの目には映りにくくなっていた。

 カラシュは再び首を横に振る。

 自分達の対応を全く何とも感じてない男に、カエンは再び言葉を投げる。


「そもそもあんたは誰なんだ。正体も言わずに閉じこめるなんて公正じゃない」

「そうですよねえ、公正じゃないですねえ。難しい言葉もよおく知ってらっしゃる。さすがに女の方で留学なんてする方は違いますねえ」


 笑いを決して崩さずに、男は一歩、カエンの方へ近付いた。

 カエンは慌てて一歩、しりぞく。

 瞬間、彼女でも背筋が一気に凍るような嫌悪感を目の前の見知らぬ男に感じた様だ。

 カエン、とアーランは叫びたかった。アーランも感じていた。近付かないでよカエンに! 触らないでよその手で!

 鼻に、おそらくはその男のらしい香水か整髪料の臭いが入り込んでくる。緊張のせいもあって、アーランは胸がむかついてくるのを感じた。


「とっても御説明差し上げたいんですがねえ…… そんなことすると我々が非常に悪い立場に陥るんですよねえ。そんなこと私だって彼らの上司という立場からしてしたくはございませんしねえ、あなた方だって良心が痛みませんかねえ?」


 喋るんじゃねえ、とアーランは叫びたくなっていた。

 施設では時々けんかの際に飛び出していた啖呵が飛び出しそうになる。

 本当に、生理的に胸がむかついてきていた。

 誰の良心が痛むってんだ! そうやっててめえは私達に責任転嫁させようっていうのか!

 アーランは、知っていた。

 これ程にでないにせよ、こんなに馬鹿丁寧に、そして下手に下手に出て喋る奴は、結局そんな飾り言葉に全く意味なんて持たせていないことを。

 彼らにとって、敬語とは相手への敬意から出てくるものではなく、自分の意志を押し通すための手段である。本心からの敬意なんて、一欠片も存在しないことを。

 もちろん自分も、かつてそうしてきた。そうしなかったら、世の中を渡ってこれなかった。

 だがそうしてきたからこそ判る。

 余計に嫌だったのだ。人の振り見て我が身振り返る。


 すげえ嫌だ。何て卑屈!何て汚らしい言葉!


 次の瞬間、アーランは思いきりカラシュの腕を解いていた。

 止める間もなかった。自分をそれまで隠してくれていた椅子の上に身体を乗り出すと、出る限りの声でアーランは叫んだ。


「その汚らしい発音で、喋るな!」


 男は、ぴくりとも表情を変えなかった。

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