昨日の善と今日の悪と明日の
女良 息子
昨日の善と今日の悪と明日の
ふたつの人格に個別の名前は無く、私は便宜的に『寺尾有模A』『寺尾有模B』と呼んでいる。
『寺尾有模A』はどこにでもいる普通の学生だ。性格は真面目で善良だが、不器用な所為で何かと苦労が絶えなかったという。
しかし、どんな苦境にあっても彼女の顔から朗らかで魅力的な笑みが消えたことは一度もない。
そんな部分に惹かれて、私は彼女の友人になったのだ。
では、もう片方の『寺尾有模B』はどんな人格なのか。
一言で言うと、殺人鬼だ。
一日ごとに表に現れ、周囲の人間を狩る殺人鬼である。
そんな凶悪な人格は今日も目覚め、日付が変わったばかりの繁華街に赴き、路地裏で死体を作っていた。
「相変わらず異常に汚い殺し方をするわね」
ケチャップを混ぜたもんじゃ焼きみたいな物体が散らばっている地面を見下ろしながら私は眉を顰めた。殺人を終えた『寺尾有模B』はあちこちがぼこぼこに凹んだ金属バットを手元で転がしていた。
「こうやってめちゃくちゃのぐちゃぐちゃにした方が、アイツのストレス発散になるんだよ」
犯行現場を見た私が呟いた感想に『寺尾有模B』が上のような言葉を返すのが、私たちのルーティーンめいた掛け合いになっていた。
『寺尾有模B』が殺人の形でストレスを発散することで『寺尾有模A』は笑顔が似合う良い子の人格のままでいられる──いつかの殺人の後に『寺尾有模B』が語った持論だ。
ちなみに『寺尾有模A』は『寺尾有模B』と記憶を共有していない。それどころか二重人格者としての自覚すらない。以前、試しに昨日あった出来事を訊ねてみたら、殺人鬼としての行動だけが切り取られた都合のいい形で記憶が捏造されていた。どうやら『寺尾有模B』の犯行自体もストレスの一種として切り捨てられているようである。
「アタシからすればお前の方がよっぽど異常だと思うぜ。何せ、アタシが人を殺す一部始終を毎回ただ眺めるだけで、止めることもなければ通報することもないんだからな」
「だって仮にそうしたらアンタは私を殺すでしょう?」
「そりゃそうだが」
さも当然のように即答する『寺尾有模B』。
「だけど、保身以外の理由もあるはずだろ?」
「…………」
殺人鬼としての天性の勘なのか、彼女はこういう鋭い部分がある。
「私が彼女の笑顔に惹かれて友達になったっていうのは、前にも言ったわよね」
それを守るために殺人が必要と言うのなら、止めることはできない。通報なんてもっとダメだ。何せ、『寺尾有模A』と『寺尾有模B』は同じ肉体を共有しているのだから。
「そういうわけで、あなたには捕まってもらっちゃ困るんだけど、こんなに汚したらいつか足が付くんじゃないかとハラハラするわね。だからこうして見守っている──ってのもあるわ」
「舐めてもらっちゃ困るね。アタシは殺人の天才だぜ? そのために生まれたような人格だ。サツに捕まるようなヘマしないよう、多少の工作は心得てるっての」
そう言って『寺尾有模B』は得意げに鼻を鳴らすのであった。
バットを投げ捨て、犯行現場を去って行く。私もその背中を追いかける。
一仕事終えた『寺尾有模B』は笑っていた。『寺尾有模A』とは似ても似つかない下品な笑みだった。同じ顔をしているのに、どうしてこうも異なるのか不思議である。
「ねえ、あなた」
歩きながら、私は語りかけた。
「いつまでこんなことが続くのかしら」
「知るかよ。多分、死ぬまでなんじゃね?」
適当な言い方で返される。
しかし彼女の台詞はそこで終わらず、「あるいは」と続いた。
「もうひとりのアタシがストレスも悪感情も負の思いも全部まとめて受け入れられるように成長したら、それまでその処理を担当していたアタシは消えるだろうし、殺人も収まるんじゃないか?」
そんな推測を聞き、私は想像する。今の清廉潔白で善性に満ちた『寺尾有模A』が黒い感情に汚されてしまった姿を。
……………。
それは考えるだけで吐きそうになるくらい悍ましい未来だった。
「……そんな日は来てほしくないわね。あなたにはずっと居てもらわないと困るわ」
「え、何それ? もしかしてプロポーズ?」
「違うわよ」
傍観者は殺人鬼と並んで夜を歩く。
その先にも同じ道がずっと続くことを願いながら。
昨日の善と今日の悪と明日の 女良 息子 @Son_of_Kanade
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