05.15 「学校で会えるから」

 翌朝。

 壁に張り付くようにして目が覚める。凜愛姫りあらの部屋との境界の壁に。


 僕のことを交換パーツとしてしか見ていないおっさんはいつも通りイビキをかいて眠りこけていた。どうせ遅くまで飲んで来たんだろう。顔も見たくないから丁度いいんだけど。

 この家には凜愛姫りあらがいて、姫花ひめかがいて、義母かあさんが居る。それが全てだ。このおっさんが家族じゃなかったってだけだ。

 問題ない、いつも通りだ。元々ろくに話すこともなかったんだから。このまま学校に行けばイビキだって聞こえなくなる。

 僕は一人じゃない。僕はいらない子じゃないんだ。


    ◇◇◇


 「とおるお姉様……」


 ここにも居た。校門の前に……

 僕が手に入れられなかったものをこの娘は……

 君がドナーになればいいのに……

 君とは話したくない。関わりたくもない……

 君は大事な子で……、僕は……、いらない子なんだから……


 「あの、とおるお姉様……」


 振り返りたくない。君を……、君という存在を認識したくない。


 「どうしたの? とおる

 「別に? 何か居た?」

 「居たって……、透華とうかちゃん、すごーく不安そうなんだけど?」


 このままドナーが現れなかったらそういう事になるんだろう。だからそんな表情にもなるんだろうね。僕には関係ないけど。

 この娘が必要なのは僕じゃなくて、僕の一部なんだ……


 「母の容態が芳しくありません」


 ああ、知ってる。


 「もう長くないかもしれません」


 それも知ってる。


 「母に……、会ってもらえませんか?」


 はぁ……、どういつもこいつも。僕には会う理由が無いのに。


 「とおる……、いいの?」

 「いいも悪いも、赤の他人だもん。僕には関係ない」


 そう、関係ないんだ。


 「そんな、もう会えなくなっちゃうかもしれないんだよ? いいの、それで」


 だって、それでいいんでしょ? その人も。だから今まで会いに来なかったんだから。


 「赤の……他人……」


 何? 産んでくれたとか言いたいのかなぁ。君はそうかも知れないけど、僕はそうじゃない。邪魔だったから捨てられたんだよ。邪魔だったから……

 僕が何をしたっていうの……

 勝手に妊娠して、勝手に産んで、勝手に捨てて……

 ……だから罰が当たったんだよ。


 「ごめんね、透華とうかちゃん。とおるってば昨日の夜からなんかおかしくて」

 「僕はいつも通りだよ」


 そう。僕は何も変わってない。家族だと思ってた人がそうじゃなかったってことが判明したけど、それも大した問題じゃなかった。元々他人みたいな奴だったし。

 産んでくれた人が死にそう? 違う。僕には関係ない人だ。関係ないんだよ……。会ったことも無い人がどうなろうと、僕には……


 「母は……、ずっと後悔してたんです」


 後悔? 何を後悔……、そうか……


 「僕を産んだ事か」

 「とおる、そんなわけ無いじゃないっ」

 「お姉様……」


 どうかな。


 「母が後悔してたのは、お姉様と引き――」

 「そんな話、聞きたくないっ。もう僕に関わらないでっ」


    ◇◇◇


 その日、帰宅すると居なくてもいいのに家族面したおっさんがリビングで待ち構えていた。仕事はどうした。二日酔いでサボりなのか?


 「緊急、家族会議だ」

 「家族じゃないし」

 「いいから話を聞け」

 「お願い、とおるちゃん。大事な話なの」


 昨日の事が有るから、おっさんの話なんか聞きたくも無いけど、義母かあさんがそういうのなら仕方ない。

 僕は渋々ソファーに腰掛ける。対面にはふてぶてしい面構えのおっさんが。もちろん、僕の隣には凜愛姫りあらが座る。


 「凜愛姫りあら、少しとおるちゃんの方に詰めて」

 「いいけど、こっちに座るの?」

 「ほら、早く」

 「ええ、ちょっと、押さないでよ」


 いつもはおっさんの隣に座るはずの義母かあさんは、何故か凜愛姫りあらの隣に座ろうとする。おかげで僕は凜愛姫りあらと密着できて……、うん、いいな、これ。僕の居場所はここて有るっていう実感が。こっち側が僕の家族で、そっちは他人席だ。漠然と感じていた不安も忘れさせてくれる。だから、こいつが変なことを言い出す前に牽制しておかないと。


 「昨日の話なら聞きたくもないんだけど?」

 「ああ、そうだろうな」


 義母かあさんを味方につけて説得でもする気なのかと思ったんだけど、そうでもないらしい。


 「じゃあ、何」

 「父さんたち、離婚することにした」


 離婚……


 「嘘っ、本当なの、お母さん」

 「ええ、本当よ、凜愛姫りあら


 何で急に……


 「それって、昨日の話と関係するの?」

 「……」


 否定しない……


 「義母かあさんを裏切って、姫花ひめかを捨てるんだね。僕を捨てたみたいに」

 「……」

 「決定事項だけ伝えてそれで終わり?」

 「とおるちゃん、二人で話し合って決めたことなの」


 話し合ってって……、昨日は何も言ってなかったのに。


 「義母かあさん……。そうだよね。こんな男……」

 「お母さん、いいの? それで……」

 「良くはないけど、仕方ないじゃない? 他の女の人の事思ってるんだもん。一番じゃなきゃ嫌なの、私が」

 「……済まない。だが最後ぐらいは寄り添ってやりたい」


 最後ぐらい寄り添って……


 「僕の所為……。僕が提供しないから……、だから僕の所為だって……」

 「そんな事言ってないだろ。大体から未成年者はドナーにはなれない」


 ドナーになれない?


 「じゃあ、脳死状態になればいいの? そしたら姫花ひめか義母かあさんも……」

 「とおるちゃん、変な事言わないの。浮気男を許すつもりは無いわよ、私。馬鹿なことして凜愛姫りあらを悲しませないでね」

 「凜愛姫りあら……」


 気がつけばぎゅっと腕を掴んでいる凜愛姫りあら。変な気は……、起こすつもりなんてない。そんなにその人の事が大事なら勝手に出ていけばいい。凜愛姫りあら姫花ひめか義母かあさんも僕が――


 「そういうことだから、週末までに荷物を纏めておけ。ここを出ていくぞ」

 「はぁ?」

 「当然だろう。この家は春華はるかさんに。せめてもの償いだ」


 そうか……。この男一人が出ていけばいい問題じゃないんだ。僕はこいつの子供で、義母かあさんとは血の繋がりはない。二人が離婚したら僕もここに居られないんだ……


 「とおる……」


 大丈夫、会えなくなるわけじゃないから。凜愛姫りあらの近くにさえ居れば。


 「学校で会えるから」


 でもこんな奴と一緒に暮らしたくなんてない。


 「あんたには着いて行かない」

 「……」

 「僕は一人で暮らす。あんたの顔も見たくないし、その人に会うつもりもない」

 「……勝手にしろ」

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