第95話 夜戦
吸血鬼達は未だ強く押してきていない。敵陣地の奥へと日が沈んでいく。暗くなれば、
「夜がこれ程嫌に感じるのは俺だけじゃないよな?」
「私も同じ気持ちよ。闇に紛れられると厳しくなるわ。」
「明るい間に数を減らしたかったが、相手も馬鹿では無いらしいな。」
「シェア。夜戦となると明かりが必要になるわ。しっかり準備をお願いね。」
「既に進めています。ですが…」
「昼間の様にはいかないわ。それは仕方ない事よ。出来る事をやりましょう。最善を尽くすのよ。」
「…はい!指示をして来ますね!」
「…空元気に見えるな。」
「聞いた話では、自警団となる前から慕ってくれていた部下を二人失ったそうよ。」
「……部下を失う辛さは俺にもよく分かる。」
「空元気だとしても、塞ぎ込んで動けなくなるよりは良いわ。」
「無茶をしないように気を付けておこう。」
「そうね。」
「…そろそろ日が落ちる。あいつらが上手く動いてくれると良いが…」
「信じましょう。私達の役目はこの前線を維持する事よ。」
「そうだな…」
ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー
「隊長。」
「どうだった?」
「はい。この先に数人の見張りがいます。」
「迂回は?」
「難しいかと。」
「……分かった。ガナブ。数人を連れて北から周り込め。残りは私と共に進む。」
「分かりました。トジャリ隊長……お気を付けて。」
「私より自分の心配をしろ。行け。」
「はい。」
私の指示に従って森の中を進んでいくガナブ。その姿が見えなくなったのを確認して私は部下を連れて崖の下へ降りる。
最前線である場所からは大きく北へズレた場所。ここに来た理由は二つ。一つは相手の吸血鬼達が北から回り込まない様に見張りと処理。
もう一つは逆に私達が北から回り込んで敵の情報の入手、可能ならば被害を与える事。
本隊のある中央では派手な戦闘が続いているが、こちらではひたすら静かな戦闘が続いていた。
崖を挟んで、互いに相手の懐に入ろうと行ったり来たりを繰り返している。いかに頭を抑えるか、抑えられないかの攻防。しかも、静かに事を進めなければ意味が無い。突出した奴らを狙い、少しずつ数を削いでいき、相手の警戒心が高まった今。私達の方から敵陣地へと乗り込む。暗闇が得意な吸血鬼とはいえ、昼間程視界は通らないはずだ。
相手は突出しないように固まり始め、大きな身動きが取れない様になっている。ここで一気に叩いておきたい。
本戦場からは大きく離れたこの場所には木々が生い茂っている。シャーハンドの様な大きな木は無いが、森は私達の得意とする地形だ。吸血鬼の身体能力が高いからといって、私達の動きを簡単に真似出来るものではない。
周囲の状況を見ながら木々の間を抜けていく。既に日は完全に沈み、明かりは月と星々以外には一切無い。木々の下に入ればそれすらもほとんど届かず、まさに闇の世界だ。
そんな場所をどうやって進むのか。答えは呼吸だ。私達エルフは、生まれた時からずっと森の中で暮らしている。身の回りの全てが木で出来ていて、何処に行くにも何をするにも木が無ければ始まらない。先祖代々そんな生活をしてきたエルフは、木の呼吸を感じられるようになった。
あれ程の大きく壮大な森ですら密やかに控えめな呼吸だが、確かに聞こえるのだ。
それはここに来ても同じ事だと初めて知ったが、それが分かるのであれば、例え目を瞑ったままでも森を走り回る事が出来る。リーシャが心眼というものを身に付けたらしいが、それの下位互換の様なものだろう。
木の呼吸が分かると、その中に居る動物が感知できるようになる。これはフルズとして修練を積んできたからこそ分かることであって、全てのエルフが…とはいかないが。
夜の森の中。そう聞くと静かで物音一つしない想像をするかもしれないが、実は結構騒がしい。昼間には多くの動物が活動する為、それを避けて夜に活動する虫が数多く存在する。そんな虫達は、それぞれの種で独特の鳴き声を出して互いを呼び合う。それがそこかしこから聞こえてくるのだ。
フルズの隊員は、隠密時、喋ったりはしない。虫の鳴き声を真似て互いに意思疎通を取るのだ。
「チキチキチキチキ…」
「ピーピピー…」
互いに何が言いたいのかは散々シャーハンドの森で修練してきた。敵がいる。左に二。右に一。
後方に居た隊員が数人左に向かい、右から回り込んでいた一人が吸血鬼の背後を取る。
左に移動した数人が位置に付いた所で一斉に飛び掛かる。警戒はしていたらしいが、 それでも気が付けなかったらしい。
確実に頭を破壊するフルズ隊員達。吸血鬼達は一人も声を出す事無く灰となる。
全然余裕で簡単な仕事に感じられるかもしれないが、それは違う。もし一人でも大声を出されたら、周囲に居る吸血鬼達や、奥に控えている軍勢が襲ってくる。そうなれば私達の様な少数の裏取り部隊は一瞬にして全滅してしまう。慎重に慎重を重ねる必要がある。
ただ、幸いだったのは、本陣から離れた位置にいるこの辺りの敵兵は、街のチンピラの様な連中がほとんどだった事だ。吸血鬼の力に憧れたのか、不老に憧れたのか、下級吸血鬼となった自分達の力に酔った者達ばかり。自分達が狩られる側だと言うことに気付くのは、私達の刃が頭部を貫いた時だ。
着実に敵兵の数を減らし、側面へと食い込んで行くと、チンピラとは明らかに違う者達が現れる。
恐らく吸血鬼になる前は冒険者をやっていた者達だろう。名前は売れていなかったかもしれないが、それなりの経験を積んだ者達。
私達の様な者が攻めくると仮定した配置。隠密役の一人も、近付く事が難しい位置取り。迂回したとしても他の連中が待っているだけ。迂回する意味は無い。
フルズの隊員が一度その場に止まり、私からの指示を求めてくる。見付かった時点で死を意味するこの作戦で、見付かる可能性のある無理な侵入は極力控えるべきだ。だが、未だ肝心な情報は掴めていない。それを得る為には、もう少し食い込む必要がある。
この先に待っているであろう激しい戦闘を、有利に進める為にはある程度強引に食い込む必要がある。私達がここまで侵入した事が相手にバレるのは時間の問題。ここで引けば、警備が強化されて二度と近付くことは出来なくなる。
私は隊員達に進めと命令を下す。
フルズの隊員達には、今回の戦争で死ぬ可能性が高い事を伝えてある。その上で、今回の戦争に参加する意志を示した者達だけを連れてきた。つまり、私を含め、皆死ぬ覚悟は出来ているという事だ。
私の命令に疑問を持つ者はいなかった。
吸血鬼の集団は全部で五人。隠密が一人。ハスラー二人。魔法剣士一人。そして大盾が一人。
木々の影を利用して隊員達が徐々に距離を詰めていく。近付くことが難しい隠密は、隊員の二人が弓を使って狙いを定めている。
私も大盾を持った男に近付いていく。いつもの様に直剣に手を伸ばそうとしたが、その手を腰に回す。
マコトから貰った短剣を引き抜く。何度も私を救ってくれたマコト。彼を信じて死ぬのなら後悔は無い。
一呼吸置いて息を止める。
木の裏から飛び出して大盾を持った男の元に走り寄る。
私の姿を認識した瞬間に盾を構えて、ニヤリと笑い、その裏に隠れてしまう。ミスリルのぎらぎらと輝く盾を前に、私は回り込む事もせずにそのまま正面から突撃する。
マコトが渡してくれたのは普通の短剣ではない。ミスリルくらいは簡単に貫くと言っていた。ミスリルの盾を貫くなんて、普通なら想像が出来ない。それでも私は自分や世界の常識よりも、マコトを信じる。
盾の上から突き立てる短剣。刃先が盾に触れるが、私の手には何も衝撃が伝わってこない。まるで水に短剣を突き立てた様な感覚だ。
スルッと入っていく刃先。根元まで突き刺さってしまった。
盾の奥に居る男の驚きが盾越しに伝わってくる。
私はそのまま短剣を垂直に下へとズラしていく。それにも抵抗はほとんど感じない。
盾の裏にあったであろう腕が完全に切り離される。男から盾が離れ、ガランと地面に転がる。
「えっ…?」
あまりにも鋭い刃による切断。彼は自分の腕が切り取られた事に気が付かなかったらしい。
「なん………っ?!」
何かを言おうとした男が、目と口を開いて首に手をやって私の方を見る。声が出ないらしい。
私の手にあるのは毒のドラゴン最強と呼ばれるブレナルガの鱗を使った短剣。毒だけでも吸血鬼を殺すくらいは簡単だろう。実際、息もできない目の前の男は声も出せないまま、その場に膝を落とす。跪いた男の
他の連中は隊員が静かに仕留めてくれた様だ。盾を持った男が私の姿を見た瞬間に大声を出していたらその時点で終わっていた。舐められていた事も含めて運が良かった。見付からなかったのはただ運が良かっただけなのだ。
隊員の一人が何かを見付けたらしく、私を呼んだ。
隊員の方へと移動し、森の木々の奥に見えたのは、とてつもなく大きな魔石。それを取り囲む様にハスラー達が配置している。
「あれは……」
マコト達に話を聞いた事がある。ドワーフの国で
相手の意識を乗っ取り、意のままに操る魔法。禁術だからと詳しくは話してくれなかったが、人工の魔石を使ってその禁術を行使しようとしていたとか…
前線からの情報では、モンスター達が互いを攻撃する事無くこちらを攻撃しているとか。もしそれが、目の前にある魔石を使った禁術が原因なのだとしたら…
隊員を二人呼んで、このことを伝える様に指示する。直ぐに二人は来た道を戻って行く。
「私達はあの魔石を壊す必要がある。」
「しかし…敵の数が多いですよ。」
ここは既に本隊の近くなのだろう。敵の数も多く、無理な突っ込みを掛ければ何も成せずに私達は全滅する。
「このまま突っ込むのは無理だろうな。何か手を考える必要がある。」
「……」
「隊長。」
「どうした?」
「あれを見て下さい。」
隊員が指差した方向を見ると、迂回したガナブ達が少し高くなった岩場の上に見える。どうやら上手く忍び込めたらしい。私達とは、魔石を挟んで反対側に居る。
「ガナブ副隊長は、こちらにも気付いています。上手く挟み込めないでしょうか?」
「……」
挟み込んだだけでどうにか出来る様な人数差では無い。もっと別の作戦が必要だ。
何か使えそうなものが無いかと辺りを見渡していると、ふと、あるものが目に入る。
吸血鬼達がうじゃうじゃといる中に、今回の戦争で使われている魔道具、サニクシがいくつか転がっている。
「あれを使おう。」
「サニクシ…ですか?遠すぎます。ここからでは魔法も届きませんよ?」
「届かないなら届く位置まで近付けば良い。」
「本気ですか?!」
「本気だ。サニクシの影響を受けないのは、ここには私だけ。私が行こう。」
「自殺行為です!」
「他に何か良い案があるなら聞くが?」
「っ……」
「無いなら決まりだ。」
「せめて数人だけでも…」
「サニクシの影響を受けたら意味が無い。それに、この中を数人で突破するのは無理だ。」
「でしたらこちらが囮になります!」
「わざわざ見付かる事も無いだろう。私が失敗した時に備えてくれていればそれで良い。」
「隊長!」
「誰が見てもこれしか道が無い事は分かっているはずだ。」
「……隊長に何かあれば直ぐにこちらが囮になります。その間に逃げて下さい。」
「分かった。そうするとしよう。」
「お気を付けて。」
隊員の元を離れてサニクシの方へと向かっていく。先程までとは全く違い、人の密度が高い。それに対して立っている木が奥に行くにつれて少なくなっている。進軍の際に木々が倒されたのだろう。地面に横倒しになっている木々が見える。
自分で言っておきながらだが、なんて命知らずな作戦だろうか…
太い木の枝に飛び乗り、少しずつ、少しずつ前へと進んでいく。
サニクシまでのルートを何度も確認して、一番安全そうな道を選びながら進んでいく。
遠くに見える前線の戦場からは爆音が聞こえている。こちらは進軍しておらず、吸血鬼達は暇そうに地面に座ったり、木に背中を預けていたりと休憩中だ。動いている連中はあまりいない。
上手く視界を切りながら、ゆっくり、時には素早く走り抜ける。サニクシまであと少しという所まで迫ったが、人が多すぎてなかなか近付けない。横倒しになった木の下に隠れ、タイミングを見計らってはいるが…
動き出す事が出来ずに居ると、フルズ隊員の一人が、森の中から矢を放つ。それが吸血鬼の一人の頭部に直撃し、灰となる。
「なんだ…?」
「敵襲だ!」
吸血鬼達が殺気立ち、矢の飛んできた方向を見ると、弓を構えたフルズ隊員の一人を見付ける。
踵を返して走っていくフルズ隊員を追いかける吸血鬼達。
「無茶をするなとあれ程言っておいたのに…」
しかし、その無茶のおかげでやっとサニクシの付近から人が消え、視界も切れる。
木の下から抜け出し、一気にサニクシへと近付いていく。
「ん?なんだ?」
私の存在に気が付いた吸血鬼。でも、もう遅い。
水魔法を発動してサニクシをこちらへと飛ばす。ガラガラと音を立てながら飛んでくるサニクシ。
「敵だっ!この……」
私に向かって剣を抜こうとした吸血鬼が動きを止めて目の焦点がズレていく。
こんな事もあるかもと、手に持っている耳栓をしておけば良かったものを。休憩中だから他人と喋り合う為に外している者がほとんどだ。
飛んできたサニクシをフルズ隊員達の方向、魔石の方向、残りはランダムに放り投げる。
ガラガラと音を立てて空を飛んでいくサニクシ。その音を聞いた者達のほとんどが我を無くしてしまう。剣を抜いて隣の吸血鬼に襲いかかったり、笑いながら走り回ったり。完全に無秩序な場所へと変わる。
私はその混乱に覆われた地域を一気に走り抜ける。岩場の上にいたガナブ達も降りてきている。フルズの隊員達は魔法を上手く使ってサニクシを制御して空中をあっちへこっちへと移動させている。
ほとんどが混乱しているものの、正気を保っている者も当然いる。そんな連中は混乱した連中を無慈悲に殺しながら、私や隊員達へと向かってくる。
魔石まではガナブ達の方が近い。魔石の破壊はガナブ達に任せて、私達は正気な連中の相手をしよう。隊員達と合流し、戦闘を開始する。
「隊長!!」
「ガナブ達に任せてこちらは暴れるぞ!」
「はい!」
矢を放ち、剣を振る。次々と吸血鬼達が灰に変わり、サラサラと消えていく。
「うぉぉぉ!」
「そんな動きじゃ隊長に殴られるぜ!」
「油断するなよ!混乱しているとは言え、数は向こうの方が圧倒的に多い!」
「分かってい……」
私の言葉に返事をしていた隊員の首から上が突然無くなる。
「まったく。吸血鬼ってのは馬鹿ばかりらしい。」
消えた首から上を持って立っているのは、赤い髪、黒い角と尻尾を持ち、赤い瞳の男。悪魔種だ。
「この野郎!」
「ダメだ!下がれ!」
ザクッ!
私の言葉が届く前に、悪魔種へと向かっていった隊員の胸を貫通する悪魔種の腕。背中から突き出た手には、脈打ちながら血をピューピューと吹き出す心臓が握られている。
「全員下がれ!」
一瞬にして二人の隊員が殺られた。動きがほとんど見えない。速すぎる。こんな感覚はケン以外では初めてだ。
「下がっても、下がらなくても、全員帰す気はないから同じ事だ。」
殺気を放つ悪魔種の男を見て、悟る。この男には勝てないと。
「撤退しろ!」
「ですが隊長!」
「黙れ!早く撤退しろ!」
「…はい!」
「逃がさないと言っただろう?」
「お前の相手は私だぁ!」
直剣を抜き、悪魔種の男へと斬り掛かる。
バギィン!
悪魔種の男が軽く右手を振り、振り下ろした直剣に触れた瞬間。直剣が粉々に砕け散る。
「雑魚が出しゃばるな。」
直剣を砕いた右腕が、そのまま私の顔面に向かって来る。体を捻って無理矢理顔の位置をズラした事で、なんとか頭は守れたが、悪魔種の右手は私の左肩に当たる。
ボキボキと骨の砕ける音が聞こえてくる。自分の二の腕が砕ける音だ。
体が浮き上がり、10メートルの距離を横に回転しながら吹き飛ばされる。
バキバキッ!
「くっ…うぅ……」
木々の葉っぱや、枝がクッションになってくれた為、死んではいないが、それでも全身を突き抜ける痛みに声が漏れ出る。
常備している中級回復薬を腰袋から取り出して飲み干す。
左腕の骨や全身に受けた傷が治っていくのを感じる。治ったのは良いが、あの悪魔種に勝てるわけではない。勝てる見込みなんてない。
それでも、私は隊長だ。
ここで隊員を見捨てるなんて選択肢は有り得ない。
勝てない相手に、仲間を助ける為に向かっていく。そんな男を私は知っている。
「バリヌ……私に力を貸してくれ……」
短剣を腰から引き抜き、悪魔種へと向かって地面を蹴る。私が死んだとでも思っていたのか、それとも気にする程の相手ではないと判断したのか、悪魔種は隊員達の方を向いている。
「お前の相手は私だと言っただろ!」
私と悪魔種の間に水の壁を作り出す。水の奥に居た悪魔種の男が邪魔だとそれを吹き飛ばし、作られた水滴の数々が一瞬だけ私の姿を隠してくれる。
「しつこい奴だな。」
悪魔種の男が腕を振る。その腕が私の右腕を肩からもぎ取っていく。
悪魔種とすれ違い、悪魔種の背後に着地した私の右の肩口から大量の血が吹き出す。
「うっ……」
「残念だったな。」
悪魔種がもぎ取った私の右腕を私の足元に投げ捨てる。
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