第32話

(俺の目は節穴だ)


 夜見世の準備で忙しなくなっていく遊女達や若い衆達の様子に目を配りながら、源一郎は自ら握った掌に力を込める。今日、実際梅に直接かまをかけるまでは半信半疑だったが、梅の反応は、明らかに佐知の勘が正しいことを物語っていた。いや、佐知だけではない。源一郎が今日、本気で梅に探りを入れることにしたのは


『あれは、男を知ってる女の顔だ』


  高野屋の言葉を思い出し、源一郎は深くため息をつく。




 お凛と梅の新造出しが行われた日、艶やかな曙染の振袖に身を包み道中を練り歩く二人の姿を、源一郎は胸を撫で下ろし見守っていた。胡蝶の足抜けと心中という最悪の事態に見舞われながらも、千歳屋と紫のおかげで、玉楼はなんとか大見世としての体面を保てたのだ。とその時、沢山の見物客で賑わう通りの片隅に、紛れるように立つ小柄な高野屋を見つけ、源一郎は驚き走りよる。


「御隠居様!見に来てくださったんですね!」

「胡蝶が可愛がっていたお凛の新造出し、最後にしっかり目に焼き付けておこうと思ってな」

「最後ってそんな…」

「わしは所詮、先の長くない隠居した耄碌じじいじゃ、胡蝶もいなくなってしまったし、お凛の突き出しもできないし、わしもそろそろ引き時かのう」

「そうおっしゃらずに、突き出しが終わったら、是非花里の客として玉楼にきてやってくださいよ」


 高野屋が玉楼に来なくなったのは、胡蝶の心中だけでなく、もう一つ、お凛絡みの大きな理由があった。本来振袖新造は留袖新造と違い、新造出し後も17になるまでは花魁についてみっちり学び、すぐに客をとることはない。だが胡蝶の心中で売り上げが激減し、悠長なことを言っていられなくなったことから、お凛と梅の水揚げ、突き出しを早めることになった。


 梅は、張見世に並ぶ見世張突き出しを近いうちに行い、お凛の突き出しは、お凛が16をむかえる9月、不老長寿と繁栄を願う吉日、9月9日重陽の節句の日に再び大々的に道中で行われ、水揚げも千歳屋がすることが決まっていた。するとどこで聞きつけたのか、高野屋が突然、自分こそお凛を水揚げするのに相応しいと横槍を入れてきたのだ。


 突き出しをする客は、振袖新造に寝具一式を送り、その日初めて水揚げされて処女を失う、いわば廓で育った遊女にとって最初の男となる重要な役所だ。花魁にするべく育ててきたお凛が、今後男と寝ることに恐怖心を抱かないようにするためにも、水揚げは千歳屋ではない方がいいと、前々からお吉と虎吉に進言していた源一郎は、高野屋が名乗りを上げたことを密かに喜んだ。 


 しかし、高野屋の動きを知った千歳屋が、とんでもない額の心付けをお吉に渡したことで、源一郎の言葉はあえなく切り捨てられ、高野屋の足も玉楼から益々遠のいてしまった。その事をずっと残念に思っていた源一郎は、高野屋がお凛の新造出しを見にきてくれたことが心底嬉しかったのだ。


「それにしても懐かしいのう、胡蝶の新造出しも、丁度こんなよく晴れた日だった」

「さすがによく覚えておいでで、胡蝶の新造出しは高野屋様が引き受けてくださいましたね」

「あはは!そうじゃったそうじゃった、あれは花魁にはなれなかったが本当に気っ風の良い、いい女だったぞ、まあ、 あっさり光楽に連れてかれてあの世へ行ってしまったがな」

「その節は、本当に申し訳ありませんでした。こちらがもう少ししっかり見張っていれば…」

「何々、お前が謝ることじゃない、女は本気で男に惚れると後先考えずに行動してしまうもんさ。それでも客であるわしには夫婦のように振舞っていたぞ。遊女ってのは大した役者じゃないか、こっちも騙されてるのをわかっていながら、その女のためならなんでもしてやりたくなる」


 高野屋の懐の深さに、源一郎は頭を下げ礼を言う。


「ありがとうございます」

「ところで源一郎、今回引っ込み禿として育ててきたのはお凛だけか?」

「いえ、もう一人梅というのがいます。まあ、正直お凛ほど器量良しとは言えませんが舞や小唄が得意で、佳乃花魁の推薦で引っ込み禿として育てることになりまして」

「ほう、あの佳乃の、どれどれ」


 そう言って小柄な高野屋が背伸びしてよく見ようとしたので、源一郎は指差して教えてやる。


「お凛の後ろを歩いているのが梅です。いや、お凛と違って中々突き出しに名乗りを上げてくれる方がいなくて。これから遊女として一本立ちしなきゃいけないってのに、この間も気づけば一人で昼寝をしていて、本当にいつまでもガキくさいというか」

「…」


 ため息をつきながら話す源一郎を背に、高野屋は遠くから観察するようにじっと梅を眺めていたが、しばらくすると源一郎に目線を戻し、おもむろに口を開いた。


「源一郎お前、女を見る目を、これから本気でしっかり養っていかなくてはいけないな」

「え?」

「あれは、男を知ってる女の顔だ」

「…」 


 瞬間、源一郎は頭を殴られるような衝撃を受ける。


「確かに、所謂美人というのではないかもしれないが、男好きのする独特の色気がある、育て方を間違えなきゃ中々売れっ妓になるかもしれない」


 高野屋の続く言葉もまともに耳に入ってこず、源一郎は動揺し、声を震わせながら否定した。


「いやいや…ちょっと待ってください、あいつはつい最近まで客もとっていな禿で、いくらなんでも…」


 だがそこまで言って、高野屋と全く同じ言葉を、つい最近佐知から聞いたばかりであることを思い出す。


『私も昔経験があるからわかるんですよ。あれは男ができた女の顔です!』

「…」

(そんな、まさか…)


 混乱する源一郎を尻目に、高野屋は悪戯に笑いながら言った。


「まあいい源一郎、あの新造の突き出しわしが引き受けてやろう。わしも老いぼれてきたし思い違いかもしれないからな、この勘が正しいのかどうか確かめてみるのも悪くない」

「え?」


 思ってもみなかった高野屋からの申し出に、源一郎は声を上げる。


「いや、しかしいいんですか?梅の馴染みになってしまったら…」

「そこはお前がうまいこと便宜を図ってくれないとな」

「御隠居様…」


 邪気のない笑顔でそう言う高野屋に、源一郎は呆れながらもつい笑みを零してしまう。遊郭では、馴染みの遊女以外のところへいくのはご法度であり、見つかると禿や新造から制裁を加えられる。そのため高野屋は、他に気になる遊女がいると、下手な変装や偽名を使って玉楼を訪れることがあった。


『吉原には色々な決まりごとがあって敵わんわ、たまには他の女にも目がいってしまうのが男ってものだろう、わしならもっと上手いこと商売できるぞ』


 散々吉原で遊び尽くしていた高野屋は、父虎吉にそう嘯いていたこともあるらしい。実際隠居してから、中見世松葉屋の立て直しに手を出し、密かに中抜きで儲けていると楼主達の間で噂されているが、それでも許せてしまうのは、高野屋の人柄ゆえだろう。


「なんだ?わしがあの新造の突き出しじゃ不満か?」

「とんでもございません、御隠居様がしてくださるなら、こちらは願っても無いことです」


 高野屋の言葉に、源一郎は慌てて頭を下げる。


「だったら決まりじゃな」

「何卒、よろしくお願い致します」




 高野屋とのやりとりを思い出しながら、源一郎は、夜見世が始まり張見世に並びだす遊女達を見やる。艶やかに着飾った女達が居並ぶ光景は華やかで壮観だが華の命は短く、その中でも花魁になれる遊女はほんの一握りだ。そして、その花魁の売り上げは見世の存続を左右し、玉楼ほどの大見世でも、いつまでも安泰である保証などない。


 だからこそ、女の目利きは楼主になるものにとって最も重要な能力であり、我が父親ながら、虎吉の女を見る目は一流だった。思えば、胡蝶を花魁にするわけにはいかないと言った虎吉の判断も正しかったと言わざるおえない。 


 だが今、虎吉の病状は悪く、次に風邪を引いたらいよいよ危ないと医者に言われている。お吉の尻に敷かれているように見えて、見世の重要な決定や女の目利きは虎吉がやってきたが、最近はお吉の独裁状態が続いており、お吉に若い間夫がいることも、はたして気づいているのかいないのか…。


 父に何かあれば、自分が玉楼の楼主になるのだという覚悟はとっくにできていたはずなのに、佐知の忠告を聞き流し、梅の異変に気づかなかった事実は、源一郎の自信を喪失させた。


(こんな俺に、花魁になれる器の少女を見出すことができるのか?)


  美しいだけではダメなのだ。どんなに美しくても心が強くなければ、見世を背負って立つ花魁にはなれない。


『源ちゃんは優しいね…』


 不意に浮かんだ面影に、源一郎の心は抉られるように痛みだしたが、必死に打ち消し頭から追い払う。


(しっかりしろ、今は過去に囚われている場合じゃない) 


 恋は女を狂わせ弱くする。お凛が絵師に惚れてしまったと佐知から報告を受けた時はどうなることかと思ったが、まだ深い仲にはなっていなかったからか、様子を見た限り幾分落ちついている。


 しかし梅は、すでに男女の関係になっている可能性が高く事態はもっと深刻だ。これから売り出そうという振袖新造が二人も恋に溺れろくに客の相手もできなくなったなんてことになったら、今まで使った金をドブに捨てたも同じことになる。


(とにかく、梅の相手を一日もはやくつきとめて出入り禁止にしなくては。玉楼を俺の代で廃れさすわけにはいかない)


 自らを鼓舞するように決意する源一郎の掌は、気づけば再び、爪が食い込むほど強く握りしめられていた。

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