第一章 第1話
女衒の弥七に連れられてやってきたその子供は、お世辞にも器量よしとは言えず、目じりの切れ上がった少し腫れぼったい目で、キョロキョロと見世の様子を見回しているその姿は、まるで男の子のようだった。
(今回買いはなしだな)
源一郎がそう思っていると、案の定お吉は弥七に気のない様子を見せ、他の店をあたるように促す。
「女将さん、確かにこいつの器量は十人並みかもしれない。だが見てくれよ、この色の白さ、江戸中探したってこれだけ色白な子はいませんぜ。しかもこいつは本当に素直で愛嬌があるんだ」
自分の連れてきた商品をなんとか買ってもらおうと、弥七は必死に食い下がる。
「十人並みで愛嬌ある子なんて、うちには今あまるほどいるからね。玉楼一の花魁だった夕霧が身請けされていなくなっちまったから、うちが今欲しいのは将来花魁になるような子なんだよ。この間あんたから買ったお凛、あれは器量はいいがとんでもないはねっかえりだったし、売ったあんたに責任とってもらいたいくらいだ」
その子供は、二人の大人のやりとりをただ黙って見あげていたが、不意にお吉の隣にいる源一郎に目線をむけると、じっと観察するように、上目遣いで源一郎を見つめてきた。今思えば、あれは、幼い頃から沢山の遊女達を見てきた男特有の勘のようなものだったのかもしれない。
普通に見ているぶんには、特に際立った華もない、平々たる顔であるにもかかわらず、上目遣いで自分を見るその目に、妙な色気を感じた。まだ10歳にも満たない子供にそんなものを感じる自分に少し驚いたが、この勘が正しいのかどうか確かめてみたい欲望も同時にうまれた。
「1両でだったら買ってやってもいいぜ」
お吉は急に交渉に入ってきた源一郎に、目を丸くして声を上げる。
「何言ってるんだい!1両だって大金だよ!」
「その器量じゃどうせどこの見世まわったって買手はいねえよ、どうする?」
弥七は源一郎の急な申し出に面食らったようだったが、すぐに女衒特有の狡賢い表情を浮かべた。
「確かにそうかもしれませんがね、1両ってのはいくらなんでも安すぎやしませんか?こいつの父親は病気でね、その薬代をどうにかしようと、母親は泣く泣く身を切る思いでこいつをあっしに売ったんですよ、その思いをたったの1両で…」
「心にもねーこと言ってんじゃねーよ!どうせ金の価値もわからねえ田舎の百姓騙して、なんのたしにもならない値段で買ったんだろう!
別にこっちはそいつがどうしても欲しいわけじゃねーんだから、このまま帰ってもらっても構わないんだぜ」
弥七が全部言い終わらぬうちに、源一郎は脅すような声で凄み、そのあまりの迫力に驚いたのか、弥七はへりくだったように源一郎に頭を下げる。交渉は成立した。
「まったく何考えてるんだい!うちは慈善で商売してんじゃないんだよ!夕霧が身請けされたってのに、楼主は呑気に構えてるし、跡継ぎ息子のおまえは無駄な買い物をするし、玉楼はこの先一体どうなっちまうんだろうね」
弥七が去った後、お吉はわざとらしく大袈裟にため息をつき、源一郎をきつく詰る。お吉は源一郎の母であり、この見世の楼主虎吉は、源一郎の父親だ。
虎吉は、女を見出し育てる事には熱心だが、それ以外のことに興味は薄く、見世の切りもりはほぼお吉が担っている。お吉は気性が激しく、源一郎自身、母に逆らうことなど、ここ数年の間はほとんどなかった。そんな源一郎が久々に母の意思に反したのが、今目の前にいる凡庸な子供のためかと思うと、自分でも思わず苦笑いがもれてしまう。
その子供の名前は梅といった。縁起のいい名前をつけてもらっているところをみると、貧しい百姓ながら、それなりに愛情を受けて育ってきたのだろう。
「おめーは今日からこの玉楼の子だ」
「へい」
「へいっていう返事はこれから使うなよ」
「へい」
「使うなって言ってんだろうが!」
「ひゃい、ごめんなさい」
源一郎の剣幕に驚き、ひゃいなどとおかしな返事をする梅に、源一郎は頭を抱えた。梅の百姓丸出しな言動を見ていると、あの時感じた色気は錯覚だったのもしれないと、早くも自信がなくなっていく。
「その子が、源さんが女将さんにはむかってまで買った子かい?」
急に声をかけられ振り向くと、そこには遣手の佐知が、笑いをこらえるような顔で立っていた。佐知は、愛嬌のある顔と人懐っこさでそれなりに人気があった元遊女だ。年季を終えた後、嫁に欲しいという男もいたが、玉楼に残ることを選び、虎吉に優秀さをかわれ、番頭新造から早々遣手に出世した。
遣手にしてはまだ若い佐知を、源一郎は、遊女達に舐められるのではないかと心配したのだが、その心配は杞憂だった。佐知は、普段は遊女達の相談に親身に乗り、面倒見のいい姉のように接するが、いざ遊女がこの店の損になる事をすれば、誰よりも厳しく容赦ない折檻をする。
この間も、遊郭から逃げ出そうとした禿のお凛を、手酷く折檻した後一晩中木に吊り下げたばかりで、かえってぎゃあぎゃあと怒鳴り散らすお吉や年配の遣手達より恐れられていた。
「女将さんは文句言ってたけど、素直でいい子そうじゃないか。こっちはこの間来たばかりのお凛に散々手え焼かされてるから安心したよ。お凛のような花魁候補とまではいかなくても、それなりに人気がでるんじゃないかね」
佐知の言葉に、源一郎は下手な買い物をしたことを慰められているような気分になる。
「じゃあ、後はよろしく頼む」
なんとなく居た堪れず、梅を佐知に手渡し立ち去ろうとしたが、梅に突然着物の袖を掴まれ足を止めた。
「なんだ?」
源一郎が尋ねると、梅はびくりと身体を震わせ俯いてしまう。
「源さん、相手はまだ子供なんだから、もっと優しい顔できないのかい?怖がっちゃってるじゃないか。ほら、梅、言いたいことがあるならちゃんと言いな。この人があんたを買うって言ってくれなかったら、お前は今頃路頭に迷って野たれ死んでたんだよ」
佐知の優しいんだか脅してるんだかわからない言葉につい吹き出すと、梅が、勇気を振り絞るように源一郎に向かって言った。
「おいら、一生懸命働いて、にいちゃんがあの人に怒られないように頑張るよ!」
源一郎と佐知は同時に顔を見合わせ、堪えきれずに大声て笑う。梅は、どうして笑ってるのかわからないという表情で二人を見上げている。
「そうそう、その心意気だよ。お前はきっと立派な遊女になれるよ!」
佐知は梅の肩をぽんぽん叩き、源一郎も、至って大真面目な梅の様子に頬が緩んだが、佐知の言葉を聞いて、微かな罪悪感を抱く。
ここで働くことが一体何を意味するのか、当然、幼い梅は理解していない。年季を終えるまで働ききることができれば、女としての幸せを掴むことも、佐知のように、番頭新造や遣手になることも可能だ。だが、客がとれなくなるまで散々働かされ、最後には体を壊し、一人虚しくで死んでいく遊女の方が多いことを、源一郎は知っている。
(それがどうした)
一瞬過ぎった辛い思い出を頭から降り払い、源一郎は自身に言い聞かせる。
(いちいち心なんて痛めてたら、女郎屋なんてやっていけない。女は自分たちにとって商品だ。それ以外のなにものでもない)
「女は商品」
佐知に手を引かれていく梅の後ろ姿を見つめながら、源一郎は、もう一度声にだしてそう呟いた。
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