ラフレシア
TARO
ラフレシア
私の幼馴染のN君は花が好きな少年でした。私と遊んでいると、いつも、植物の生態について説明してくれたり、花言葉を教えてくれるのでした。そんな時、A君の目はひときわ輝くのでした。途中で私は退屈になり、目を逸らしたり、あくびをかみ殺したりしていたのですが、そんな私の様子にも構わずひたすらしゃべり続けるのです。私はNくんと一緒にいること自体は楽しかったので、彼の家によく遊びに行っていました。
しかし、時が過ぎるうち、次第に会わなくなりました。お互いの交友関係が変化していったからです。思春期を迎え、その傾向は顕著になり、高校で離れ離れになり、思い出すこともあまり無くなっていました。
それから私は大学に通い始めました。新歓コンパに参加し、そこに見知った顔を発見したのです。N君でした。彼は全く気づいていませんでした。まさか同じ大学に受かっているなんてしらなかったし、それは彼も同様でしょう。誰かに話しかけられて、呑気に愛想笑いなんかしている。私はノーマークのようでした。一次会が終わって二次会に移る時に彼が一人でいるところを狙って私は話しかけました。
「久しぶり、私のこと覚えている?」
「ああ、いつ話しかけてくるかと思って」
「ひどい、気づいてたんだったら、さっさと声かけてよ」
彼は笑っていました。私は思い出しました。そういえば小さい頃もこんな感じでからかわれていたんだっけと。それから私たちはまたよく一緒に過ごすようになりました。
ある時学食で彼を見かけました。一人で分厚い本を読みながら、一番安いざるそばをすすっていました。私が声をかけると、
「おお」と言って本を閉じてしまいました。
「何の本?花の絵が書いてあったけど、まだ好きなんだ」
すると彼はちょっと照れ臭そうに本を開いて私に見せました。そこには熱帯の花々が英語の解説とともに掲載されていました。
「見ろよこれ、アンスリウム、ハート形の花だ。ほんとは花じゃないけど、サトイモの仲間だ。これはヒスイカズラ」
「色の悪いバナナみたい」
「そんなこと言うなって。これはレアで、日本だと温室でしか育たないんだ。現地ではオオコウモリが媒介して受粉するんだ。神秘的だろ」
「コウモリ? なんか不気味ね」
「しょうがねえなあ。これなんかどうだ? キャットテール、お前猫好きだろ?…」
こんな感じで昔みたいなやり取りが復活したのです。
「今度俺んち来いよ、みせたいものがある」と彼は目を輝かして私の目を見つめてきました。私は気押しされつつ了解しました。
N君の家は私の実家から歩いて行ける距離にまだあります。こんな近くなのに、会わなくなれば気配すら感じなくなるものです。考えてみれば不思議なことでした。
何年振りかで彼の家の呼び鈴を押します。すると彼が出迎えてくれました。彼は半そで一枚でした。冬も近いのに、寒くないのかしら、と思いつつ、家の中に入りましたが、その理由がわかりました。
部屋に入ると、ムッとした空気に驚きました。30度はあるんじゃないかという室温です。
「ちょっと暑すぎるんじゃないの?」と言いつつ、私は原因を発見しました。
「まあ、見てくれよ。俺のコレクションだ」
部屋中に見たことのない極彩色の植物が溢れていました。まるで温室です。聞けば彼の両親は仕事の都合で、海外で暮らしているそうで、何年も前から彼は一人暮らしをつづけていて、好きに家を使っているとのことでした。
彼はいろいろ熱心に一つ一つコレクションの説明をしだしました。私は圧倒されて聞いていましたが、次第にめまいを覚え始めました。
「何かクラクラするの。ちょっと休ませて」私はN君から離れて床にへたり込みました。
いつの間にか眠ってしまった私が目を覚ますと、彼が私をのぞき込んでいます。しかし私はその姿に驚きました。私ははっとして飛び起きました。彼はパンツ一枚の姿になっていたのです。
「帰る!」
「おい、勘違いするなって」と彼は私の腕をつかみました。私はそれを振り払って逃げ帰りました。
それからN君は大学にも顔を出さなくなりました。ちょっと過剰反応して彼を傷つけたかもしれない、と思っていた私はメールしてみましたが、返信はありませんでした。しばらくして彼から着信がありました。
「N君? みんな心配しているよ。大丈夫なの?」
「なあ、こんなにつらいとは思わなかったんだ…になるのなんてやめればよかった。…痛くてたまらない」
電話の声は途切れ途切れで聞き取れないところがあり、聞き返しているうちに切れてしまいました。私は不安になり、彼の家に向かうことにしました。
着いて、呼び鈴を押しても反応がありませんでした。門は開いていたので、私は子供の頃、庭から出入りしていたことを思い出し、隙間から庭へ回りました。
「ううう苦しい…」と彼の声が聞こえたので、私はお勝手に面したサッシに手をかけました。幸いに鍵がかかっていなかったので、躊躇せず中に入りました。
彼の部屋に向かうと、この前来た時にはむせかえるような花の匂いで満ちていたのに、枯れた草のような、澱んだ匂いが漂っていることに気づきました。病気になって花の世話もままならなくなっているのではないか、と不安になりました。
「N君、開けるよ」言うなり私はドアを開け中を確認しました。薄暗い部屋の中でN君の背中が見えました。彼は上半身裸で不自然な姿勢で立っていました。
「何やっているの!」私はカーテンを開けようとしました。
「おい、開けるな!」彼はしわがれた声で叫びました。「光合成が始まってしまう」
彼の姿は大きく変貌していました。顔は引きつり、半ば干からびていて、目はあらぬ方向を向いて凝視したまま固まっていました。痩せて筋張った手は上に伸ばされて人間業とは思われない形にへし曲げられていました。そして足は、クロスして畳と同化していたのです。
「俺は…」と彼は声を失って呆然と立ち尽くしている私に向かって語り始めました。「花になりたかったんだ。愛情が嵩じて、熱帯の花々と一体になりたくて、俺はその花の形を真似てひたすら念じるようになったんだ。どんなに念じてもうまくいかなくて悩んだよ。だけど繰り返しているうちに集中できるポーズを発見して…
ある時ついに俺は願いが成就するのを体全体で感じ始めた。そこからはもはや自分の意思は関係なくなった。代わりに人間が植物に変異するものすごい苦痛がやって来た。もう止められなかった。かろうじて動いた手を使って君に電話を掛けた」
「病院行こう! 間に合うよきっと」
「いや、もう間に合わない。それより、お前は俺と一緒になれ」
彼の腕がつるのように伸ばされ、私に向かって来ました。
「ここで永遠に生きるのだ」
「嫌ーッ!」と私はその場を走り去りました。
4年後。廃屋で珍しい熱帯の植物が発見されたことが報じられて、ちょっとした話題になりました。それは直径1メートル以上の大きな花で、中から異臭を放っているのです。
ラフレシア TARO @taro2791
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