第27話 衝突②

「アメジアは? アメジアはどうしたの?」

「話し合いが上手くいかなくてね。ちょっと彼女には眠ってもらうことにしたんだ」


「そんな……!」

「あぁ、大丈夫だよ。別に命まで奪っちゃいない。ただ君の返答次第では、永遠の眠りについてもらうことになるかもしれないけどね?」


 くすくすと笑うハーゲスの目は、しかし笑ってはいなかった。

 彼の本気を察したサフィアの白い顔が、よりいっそう青褪める。


 リーズはハーゲスの視線を遮るように、サフィアの前に躍り出る。


 ハーゲスの目が僅かに細められた。

 視線と視線の無言の攻防。両者の譲れない想いが、見えない火花を散らす。


「ハーゲス……」


 地に這いつくばったまま顔だけを何とか上げて、ウィーネは愛する青年の名を呼んだ。

 しかし、ハーゲスは荒んだ眼差しを彼女に返すのみ。

 その視線を受けたウィーネの顔色は、瞬時に絶望に染まった。


「ご、ごめんなさい……」


「まぁ、風の精霊の魂を抜く時もかなり苦戦していたし。というか、あれは僕がいたから成功したようなものだよね。それに加え、昨日の失敗。正直、こうなるのではないかなと、少し思っていたわけだけれど」


「ハーゲス。お願い、もう一度私にやらせて。もう一度だけ、チャンスを――」


「君が三度目の正直を実行するビジョンが、僕には見えないな」

「――っ!」


 冷たく言い放つハーゲスに、ウィーネの顔に焦りが浮かぶ。

 愛する青年から呆れられた水の精霊は、何とか取り縋ろうと視線を宙に彷徨さまよわせ、次の言葉を必死に探していた。


 そんな彼女に向けて、ハーゲスは切れ長の目を細くしながら、淡々と告げる。


「君一人には任せられない。僕が直接、この人工生命体ホムンクルスを手にするよ」

「お前にサフィアは渡さない」


 ハーゲスの言葉にリーズが反応する。ハーゲスは顔をリーズに向けると、僅かに微笑んだ。


「ウィーネから聞いたよ。君は、あの風の精霊の弟なんだってね?」

「それがどうした」


 露天商のような忌避のない笑みを浮かべながら、ハーゲスは続けた。


「僕にその人工生命体ホムンクルスを渡してくれたら、君のお姉さんの魂を救えるかもしれないよ?」

「何だって!?」


 リーズは思わず声を上げていた。

 だが驚愕で見開かれたその目は、瞬時に憂いを帯びたものに変化する。


「いや。姉貴の魂は鷹の魂と融合してしまってるんだろ? 一度混ぜた物をまた取り出すのは不可能だと、さっきウィーネが言っていた。悔しいけれど、俺もそんなことは不可能だと思う……」


「……結構いらないことまで喋ってくれたんだね」


 嘆息しながら呟くアルラズに、ウィーネはビクリと肩を震わせた。

 まるで親に叱られるのを恐れる子供のように。


 このままでは、愛する青年に見捨てられてしまう。


 そう感じ取ってしまったウィーネの身体は、小刻みに震えだした。


 そんな彼女のもとまで、ハーゲスは静かに歩み寄る。そして彼女の耳に顔を近付け、穏やかな声で囁いた。


「ウィーネ。僕はどうしてもあの人工生命体ホムンクルスを手に入れたい。だから、君にお願いしたいことがあるんだ」


「ハーゲスの頼みなら何でもするわ。だから――」

「君の力を、僕にくれるかい?」


「――!?」


 突拍子もないハーゲスの台詞に、元々青いウィーネの顔がいっそう青褪めた。


「あの風の精霊の魂を抜くことができた君だ。それくらい、難なくできると思うのだけどな」

「た、確かに、無理なことじゃない。で、でも……」


「僕と一つになれるってことだよ?」

「……ええ。そうね。でも……そしたら私……」


「僕のこと、嫌いかい?」

「――っ!? そんなわけない。私は、私は……っ!」


 ウィーネは髪を振り乱し、躍起になってハーゲスに訴えかける。

 自分の愛は嘘ではない。本物だと、懸命に。


「それは肯定と受け取っていいんだね?」


 言葉の端を押さえ、有無を言わさぬ物言いでハーゲスは問い掛ける。


 いや、それはもはや一方的な脅し。

 しかしウィーネは、その脅しに美しい顔を歪ませながら頷いた。


「わかったわ。私はハーゲスのことを、愛しているんだもの……」


 ウィーネは自分に言い聞かせるように呟いた後、歯を食い縛りながら目を伏せる。


「やっぱり君は最高だよ。ウィーネ」


 にっこりと、曇り一つない笑顔を見せるハーゲス。


 そんな彼らを見ながら、リーズもサフィアもただ困惑していた。

 彼らのやり取りが理解できなかったのだ。


 わかったのは、ウィーネはハーゲスにその心を利用され、逆らうことができないということだけだ。


「何をしようとしているか知らんが、サフィアはお前には渡すつもりはない」

「僕も諦めるつもりはないよ」


 ウィーネに異変が起きたのは、ハーゲスがそう返した時だった。


 ゴポッ――。


 水のくぐもった音がしたと同時に、ウィーネの口から蒼く丸い物体が勢い良く飛び出て来たのだ。

 同時にウィーネの体は、崩れるようにしてその場に伏せる。


「なっ!? あれは!」


 丸い物体を目にしたリーズは、思わず驚愕の声を洩らしていた。


 蒼い球体はしばらくウィーネの身体の上をふよふよと漂っていたが、ほどなくしてハーゲスの顔の前まで飛んで行き、静止した。


「これが君の『精霊の力』か。綺麗だね」


 球体に向かってそう呟くと、ハーゲスは躊躇ためらうことなくその球体を丸呑みにした。 

 直後――。


 どくん!


 ハーゲスの全身が大きく一度痙攣けいれんする。

 そして間を置かず胸、腕、腹、脚と、彼の身体が波打つように跳ねだしたのだ。


「――――!」


 リーズは咄嗟に腕を構え、耳の毛を逆立てる。リーズの頭の中で、あれは危険だと大きな警鐘が鳴り響いていた。


 蒸気のような白い煙が、音を立てながらハーゲスの全身を瞬く間に覆う。

 まるで彼の存在を、一時的にこの世から隔離するかのように。


 サフィアは息をするのも忘れ、その様子をリーズの後ろからただ見ることしかできないでいた。


 ハーゲスから発生した白い煙は部屋全体を呑みこみ始め、リーズとサフィアの身体にもまとわり付く。


 リーズは自分達に触れるなと言わんばかりに、身体の周囲に風を発生させた。


 その風で、部屋の空気は乱された。

 白い煙は渦を巻きながら、徐々に濃さを減らしていく。


 そして二人の目に飛び込んできたのは――。


 ウィーネの水の精霊としての力を取り込み変貌した、ハーゲスの姿だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る