第23話 対峙①

 馬車を降りたアメジア達は、木々が鬱蒼と茂る山の中を歩き続けた。


 整備などされていない、細い獣道。斜面はなだらかとは言えない。


 長時間歩くことに慣れていないサフィアが、少し遅れだした。

 口から短い息が繰り返し吐かれている。


「サフィア。大丈夫?」


 アメジアが足を止め、後ろを振り返る。

 サフィアはそれに笑顔で答えようとするが、口からは息が出てくるばかりで、話すことができないでいるようだった。

 アメジアの顔が少しだけ険しくなる。


「ごめんなさい。急ぎすぎたわよね。少し休憩しましょう」

「いや、進もう」


 アメジアの提案を、しかしリーズが即座に拒否した。

 リーズはそのままサフィアの膝裏と背に手を置き、彼女の身体を抱き上げる。


「リ、リーズ!? そんな、あの、私重たいよ!?」

「気にするなって。こんな場所で強襲された場合の方が不都合だ。それに、サフィアは軽い」


 二人のやり取りを目を丸くしたまま眺めていたアメジアに、リーズは無言のまま首を縦に振る。

 リーズの「大丈夫」という意思を汲み取ったアメジアは、そのまま前に向き直り、再び歩を進め始めた。






 強襲の心配をよそに、何の妨害もないまま一行は目的地に到着した。

 あまりにも何もなさすぎて、拍子抜けするほどだった。


 三人が今立っているのは、昨日攫われたサフィアが連れて来られた、建物の入り口の前だ。


 山の中腹に、大きな獣の巣かと見紛う横穴が空いていた。

 建物の入り口はその奥にあった。


 石造りの大きな扉は砂と埃でまみれているが、凹んだ取っ手の部分だけ、不自然なほど汚れていない。

 それは、誰かが出入りしている証拠。


「しかし、何でまたこんな山奥なんかに、研究所なんか造ったんだ」


 リーズは取っ手部分に指を掛けながら、アメジアに率直な疑問をぶつけた。


「この山は調剤の元になる植物が豊富なのよ。街からここに来るのは結構大変だしね。エルマール先生の前の代からこの建物はあるみたい。調剤師にとって、ここはまたとない立地なのよ」 


 街から随分と離れた研究所。

 人がほとんど立ち入ることのないこの土地に研究所がなかったら、エルマールは『趣味』をやらなかったかもしれない。


 リーズの脳裏に、ふとそんな考えが過ぎった。

 だが、今さらもしもの世界を考えても仕方がない。

 小さく深呼吸をすると、彼は改めて眼前の扉を見据えた。


「開けるぞ」


 石造りの扉が、重い音を立て地を擦る。

 その低い音は横穴に反響した。

 野獣の唸り声のような不気味な音に、サフィアが喉を小さく鳴らす。


 一人がするりと通り抜けられる程度に開けたところで、リーズは取っ手から手を離した。


 まず、アメジアが中に足を踏み入れた。次にサフィア、最後にリーズという順番で続く。


 部屋に入った瞬間、植物の青臭い匂いが三人の鼻を刺激した。

 しかし建物の中は深い闇が広がり、上下左右の感覚は勿論、何があるのかさえ視覚からは全くわからない。


 恐怖心からか、サフィアはアメジアの服の裾を握って唾を飲みこんだ。

 だが夜目など関係ないリーズだけは、その建物の内部をはっきりとその目で見ていた。


「ここの右手の壁に、明かりを灯すスイッチがあるはずよ。今点けるわ」

「スイッチってあの四角いやつか。俺がやるよ。ちょっと待ってろ」


 リーズが部屋の石壁に取り付けられたスイッチを押すと、室内は瞬く間に明るくなった。

 急に明るくなって目が眩んだのか、サフィアはしばし目を手で覆い隠し、目が慣れるのを待った。


「凄いな。一瞬で部屋のランタン全てに火が燈ったぞ。光の精霊もびっくりだ」


「この仕掛けは、エルマール先生が作ったと仰ってたわ。わざわざ火を点けて回らなくて良いから凄く楽なの」


 アメジアの説明に、リーズは感嘆の声を洩らした。


 精霊の力とは全く別物の、人間の『発明』。

 それは人間のことについて無知なリーズにとって、かなり新鮮で興味深いものだった。


 しかし今は、その好奇心に従っている場合ではない。

 リーズは浮つきかけた心を引き締めるため、軽く拳を握る。

 そして再度部屋の中を見回した。


「それにしても、散らかってんな」


 部屋には、大きめサイズの長方形のテーブルが三卓置かれている。そのどれもが、物で溢れて返っていた。


 乾燥した花、分厚い本、秤に白い小皿、フラスコにピンセット――。


 様々な調剤道具や書類が乱雑に置かれている光景に、リーズとサフィアは少し圧倒されていた。


「私がいた頃とほとんど変わっていないわ。ハーゲスはこの部屋は使っていないのかしら」

「そうだよ」


 アメジアの疑問に答えた男の声に、空気が凍った。


 部屋の奥へと続く、もう一つのドア。

 その手前に、藍色の髪の青年が佇んでいた。


 青年の口元は微笑の形を作ってはいるが、そこに柔らかさはない。狡猾なキツネのような表情だ。


「わざわざそちらから来てくれたんだ。勝手に入ったことに関してはこの際目を瞑ろう。僕は君達を心から歓迎するよ」


「あの人が、ハーゲス……」


 恐怖に震えた声で、サフィアがぽつりと呟く。

 アメジアはハーゲスからサフィアを隠すようにして、彼女の前に立った。


 ハーゲスは切れ長の目をアメジアに向けたまま告げる。


「アメジア、君と二人だけで話がしたい」

「…………」


 突然のハーゲスの申し出に、アメジアの額から一筋の汗が流れ落ちた。

 震えそうになる四肢を押さえるため、彼女は唇を強く噛む。


「そんなに警戒しないでくれ。別に痛い目に遭わせようとしているわけじゃない。僕は、あくまで君と話し合いがしたいんだ」


「それは、俺達がいたらダメな話のか?」


 リーズが怪訝な顔をしたまま問う。

 即座に、ハーゲスは首を横に振った。


「君達には別室で待っていて欲しい」


 そう答えるハーゲスの視線は、アメジアの後ろに隠れるサフィアへと向けられていた。

 まるで獲物を前にした、蛇のようなギラついた目付き。

 アメジアは思わずサフィアの手を握る。


「……アメジア、どうする」


 張り詰めた空気の中、リーズは乾いた声でアメジアに聞く。

 決定権はリーズにはない。

 もどかしい気持ちを抱えたリーズと、アメジアの視線がしばし交わった。


「大丈夫。ここは彼の言うことを聞きましょう」


 元々、話し合いをするためにやってきたのだ。

 アメジアはハーゲスの提案を呑んだ。


 だがこの場合、呑まざるをえなかったと言った方が正しいか。


 拒否をしたら、サフィアの安全は保証しない――という雰囲気がハーゲスから滲み出ていたからだ。


「君が聡明で助かるよアメジア。では、彼らには別室で待機してもらうことにしよう。ウィーネ」


 ハーゲスが呼ぶと、いつの間にか部屋の隅に佇んでいた、水の精霊が前へと踊り出た。


「こっちよ。着いて来て」


 そして細い顎をくいっと動かして、リーズ達を奥の扉へと促す。

 アメジアの後ろからおずおずと出てきたサフィアの背に、リーズはそっと手を置いた。


(もし何かあったら、呼べ)


 リーズはアメジアの横を通り抜ける際、小さく呟いた。

 そしてリーズとサフィアはウィーネに連れられ、無言のまま部屋を後にした。


 ドアを閉める際、サフィアは後ろを振り返り、不安げな表情をアメジアに向けた。

 それに気付いたアメジアは、安心させるように小さく微笑む。


 ハーゲスは三人が姿を消した扉を、しばらくの間満足そうに眺めていた。


 部屋を支配するのは、無音。


 アメジアは動けない。

 ハーゲスの動向を固唾を飲んで見守ることしか、今の彼女にはできなかった。


 長い長い沈黙の後、ようやくハーゲスは穏やかな口調で切り出した。


「さて、これで誰にも邪魔をされずに君と話し合いができるね。もっとも、結末の決まっている話し合いだけど、ね?」

「あなた……」


 ハーゲスはにっこりと微笑みながらアメジアに向き直る。


 彼の全身から滲み出る異様な雰囲気に、アメジアは無意識のまま半歩後退した。

 彼女の眼鏡の下の瞳に、微かな動揺が広がっていく。


 ハーゲスは表情を崩さぬまま、懐から小型のナイフを取り出した。

 アメジアの表情が強張る。


 ハーゲスは腕を伸ばし、銀に光るその切っ先を、真っ直ぐアメジアへと向けたのだった。

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