魔導士の懊悩

依澄礼

第1話「魔導士は変化する」

 


 心から望むもの。



 

 五番目の魔導士は二番目の魔導士にそう言った。


 今自分自身にかけている眩惑シナゲレモスの魔術は、相手が『心の底から望むもの』にみえるようになっていると五番目ペンテが言った時、二番目デュオ幻視えたもの、その本当の意味を理解してからはそれをずっと追いかけていた。


 

 しかし今、辺境の街の裏路地で、目の前に広がる青い空を見ながら二番目デュオの頭の中は疑問符で一杯だった。


 

 何故なんだ。何でこいつなんだ。


 

 デュオはその自分が『心から望んでいる』はずの人物に投げ飛ばされ、地面にしたたかに背中を打ちつけ悶絶していた。


 

「ぴーちゃん、今度はストーカーに変態メタモルフォーゼですか?」


 

 肩ほどの黒い髪を無造作にひとつ結びにした、緋衣草サルビアのような明るい緋色ひいろの瞳を持つ、異世界人で半分魔物のシズルが眉間に皺を寄せてデュオを上から見下ろしていた。

 最初の出会いから、デュオをさまざまな蔑称あだなで呼ぶこの女は、ついこのあいだから彼を『おこさまなひよこ』の意味を込めて、彼をこう呼ぶようになった。


 『すとーかー』が何なのかわからないが、きっと碌なものではないんだろうと、今までの経験上デュオには大体の予想はついていた。


 


 


 デュオはこの魔力の強さで全てが決まる世界で、通称『番号持ち』と呼ばれる、世界に数多あまた存在する魔導士たちの中で、その魔力の強さを認められた上位十人にしか与えられない、特別な名前を持つ二番目デュオだ。



 この世界の住人は皆、老若男女、身分を問わず、多かれ少なかれ魔力を持っている。

 しかし魔力の強いものは貴族が殆どで、城に住む魔導士たちも皆、貴族出身者ばかりだったが、デュオは平民だった。


 そのため魔導士たち憧れの『番号持ち』となったあとも、侮蔑や軽蔑、時には殺意まで向けられ、実際に命まで狙われることもしばしばで、うんざりしたデュオは魔道の研究と称し城を出て、世界中を彷徨うろついていた。


 『番号持ち』となると、名目上は王家が抱える魔導士ということになり、魔道研究という名目で潤沢な資金も与えられる上に、時折、貴族に頼まれごとをすることもあり、魔導士はそこからもきっちり金品を頂戴するので金に困ることはない。平民には考えもつかないような金持ちだ。



 王家お抱えの『番号持ち』の上から二番目で金持ちで、未婚の若い男。しかも格式などにこだわらない平民。


 

 なのでデュオは大変にモテる。今まで女に困ったことはない。




 元々で決して品行方正というわけでもなかったデュオは、その気ままで自由な性格と相まって、楽しく軽い、後腐れのない男女関係を好んだ。


 世界中を巡る彼にとっては、濃密な関係など足枷になりこそすれ、決して好ましいとは思えなかった。世界中を彷徨うろついている上に、特定の女性はつくらないので世界中のあちこちに情婦おんなはいるが、危険察知能力の高いデュオは、後を引きそうな危ない女には手を出さないよう心がけていた。女に追いかけられたことはあっても、女を追いかけたことなど一度たりともなかった。



 それなのに。



 どういうわけかデュオは、この世界どころか、ありとあらゆる女と呼ばれるものの中でも飛び抜けて、一番厄介で面倒くさそうな異世界人の女を『心から望んでいる』のだった。


 


 


 シズルは異世界からの招聘者しょうへいしゃで『混ざりもの』だ。


 太古、感情による魔力の暴走で起こったとされる災厄の時、それを収め、その後呪文を唱えないと魔力が発動しないという、この世界の人間が使う魔術のことわりを創ったとされる魔導士『原初のミゼン』。

 神にも等しい過去の亡霊が、ふとしたきっかけで現在の理に縛られず、呪文なしの異能を発現させた異世界人シズルを、自分の理に無理やり従わせようとその身体を精神を乗っ取ろうとした。

 シズルはそれに抗い、『原初の0』の理の外の存在になる為に、魔物ザカリのかけらを体内に取り込み半分魔物になった。


 

 だからというわけではないが、シズルは凶暴だ。

 口も達者だが、手も足も出る。

 そもそも女だてらに大男の辺境伯ジークハルトの護衛官などをしている事自体、普通の女性とは言い難い。しかも貧相な体つきで色気のかけらもない。


 しかし時折みせる所作は上品で、教養もあり頭の回転も速い。本人は平民だというが、国王とも遜色ない会話ができ、元の世界では高貴な出自だといわれれば、さもあらんと思えるほどだった。


 くるくる万華鏡のように、いろいろな顔を見せる底の見えない謎の多い異世界人、それが現在のデュオの知るシズルだった。



 それにも増してデュオを惹きつけるものがあった。



 デュオは人の内包する魔素がえる特別な目を持っている。

 人によって違うが、シズルの持つそれは今まで視たこともないほど大きく美しく、そして恐ろしかった。


 魔物の魔素の、銀とあかの混ざり合った眩く輝きゆらゆら揺れるその中心部は、なにもかも呑み込んでしまう闇黒あんこくで、だがそこに時折稲妻のような閃光がはしる。



 この世界に住む人のものとは全く違う、その美しくも恐ろしいシズルにデュオは呑み込まれてしまったのだ。



 

 シズルがこの世界に招聘される原因となった『聖女召喚事件』。これを通じて彼女を知ることになったのだが、そもそも最初から普通の出会いではなかった。


 なにせ出会い頭に痴漢呼ばわりされ、頭から床に叩きつけられたのだ。

 その後も腕や尻に火をつけられるわ、壁に叩きつけられるわとろくな目にあわされていない。胸ぐらを掴まれて投げ飛ばされたのは二回目だった。


 

 一度目に胸ぐらを掴まれ投げ飛ばされた時。


 

 泣きそうな笑顔で縋り付いて、必死で言葉を紡いでいたシズルを思い出すたび、今でも後ろめたさと後悔で、鳩尾の辺りがぎゅうと締め付けられる。


 あの後、術が依頼したものと違うことに気がついたデュオが、優しく問い質したところ、五番目ペンテは追加で手を加えていたことを白状した。

 ペンテにかけさせた『記憶の想起ミンミ・ティミシィテ』に知らぬ間に加えられていた『血縁者シュエティキ』よって、あの時のシズルには、デュオが異世界召喚直前に死んだ祖父の姿に幻視えていたのだ。


 あの時の自分の所業を思い出すと、デュオは自分で自分を死ぬほど殴り倒したくなる。

 くだらないプライドと、魔導士としての好奇心がないまぜになって周囲が何も見えていなかった愚か者。

 いつもシズルのそばにいて、彼女のことを理解していると自信ありげな、辺境のふたりの貴族の男に嫉妬していたのだと、後になって自分の本心に気づいた愚か者。


 それが王家お抱え高位魔導士、『番号持ち』二番目デュオの本当の姿だった。


 




 若干残る背中の痛みに耐えながらなんとか立ち上がり、裏路地の建物の壁に寄りかかったデュオを胡散臭そうに眺めながら、シズルが呆れたように質問を投げかけてきた。


 

「街に出てから、どうも後頭部に視線が刺さると思ったら、こんな所で何やってんです? お城に帰ったんじゃなかったんですか? それより瑠花ちゃんはちゃんと約束通り、王妃様のところまで送り届けてきたんでしょうね、嘘ついたら針千本呑ませますよ?」



「なんだよそりゃ恐ろしいな。俺はそんなに信用ならねぇのかよ、ちゃんと送り届けてきたぜ? 何なら魔導通信エピキノニアで直接確認してみるか?」  



「自分のことをよくわかっているようで何よりです。私は仏様のように寛大なので、そこまでいうなら今回は、ぴーちゃんの言うことを信用してあげます」



 上から目線で放つ台詞と、出会い頭にいきなり投げ飛ばす事のどこが寛大なのかと呆れ果て、言葉に詰まったデュオにシズルが唐突に言い出した。



「それよりぴーちゃん丁度良かった、なんかおごってください」



「は?」



「シビアな領主で雇い主のジークハルト様が、ぴーちゃんがふき飛ばしたお邸の修理代金の支払いを、ぴーちゃんと七対三しちさんにしてくれと頼んでいたら、私から『七』ぶん取ったんです。お陰で金欠なんです」



 シズルはそういって顰めっ面をしている。



 相変わらずこのふたりは、よくわからない関係性だとデュオは思った。


 辺境のフロトポロス伯爵領の領主でシズルの雇い主のジークハルトは、シズルに対して本気で拳骨をくれたり、あの大きな手で頭を掴んで悲鳴を上げさせたり、女扱いは全くしていないのに、シズルのことは損得抜きで大事にしているのだ。

 デュオがシズルを『価値のある』扱いしたことを、表面には余り出さないが深く静かに激怒するくらいには。


 しかしいくら領主で雇い主で、シズルを女扱いしていないとしても、彼女に遠慮なく触れ、怒ったり可愛がったりする男が、自分が望む女の直ぐそばにいるのは面白くない。


 

 伯爵邸でシズルに会ってデュオが詫びた時、彼女はもういい、と言った。

 本当にもうあの時のことを何とも思っていないのか、今、デュオとは会話をしている。

 このまま流れに任せて一緒にいても構わないんだろうか、デュオは僅かに逡巡したが、シズル自ら誘いをかけてきたからにはそれに乗ってもいいだろうと判断した。


 

「・・・その、『ぴーちゃん』て呼ぶのを止めてくれれば、何でも好きなだけ奢ってやる」



「何と太っ腹な発言! そんななりして意外と金持ちだったんですね。ではお言葉に甘えてたらふく奢っていただきましょうか、



 王家お抱えの高位魔導士に暴言を吐きながら、シズルはころっと態度を変えてとても下品ににやりと笑った。


 心から望むもの。が?


 デュオの頭の中はまた疑問符で溢れそうになった。






 辺境には珍しい、テラス席のある洒落た感じの軽食屋で、どこかどう見ても男ふたり連れにしか見えないデュオとシズルは、カップルだらけの周囲の目を気にすることなく堂々とテラス席に着いた。


 

「そういえばシズル、お前今日はひとりか? 使い魔ザカリやシルベスタは一緒じゃないのか?」



つけ回しストーキングてたんだったらわかってるでしょう? おひとり様を堪能中だったのに、ぴ、デュオさんが邪魔したんです」



「その『さん』づけもやめてくれ」



「一応年上に敬意を払ってるんですけど」



「敬意を払われるほど歳食ってねぇぞ、俺はまだ二十二歳だ」


 

 ぴたりとシズルの動きが止まった。眉間にぐっと皺が寄っている。デュオはなんだかまずいことを言ったらしいが、自分のためにも確認しておきたかった。


 

「・・・お前、幾つだ?」



「どいつもこいつも、この世界の野郎どもはデリカシーというものが欠けてますね。黙秘します」



「年上なのか?! 俺はまたてっきりトリアと同じくらいだと思ってたぞ」



「トリアってあの女魔導士の? 因みにそのかたはお幾つで?」



「十九」



「・・・全くこの世界はどうなってんです? あんなに色気でおっぱ、いやとにかくけしからん!」



 そういって何故かぷりぷり怒りながら、目の前の菓子に噛り付いた。


 シズルはいつもと同じなんの変哲も無いシャツとパンツ姿で、凹凸のない平坦な体と童顔のせいで、どう見ても少年にしか見えない。

 シズルが年上なことに僅かに衝撃を受けたデュオだったが、そういえばと、ひらりと広がった、あの柔らかい手触りを思い出した。


 

「お前だってその格好をなんとかすりゃあいいんじゃねぇの? そういやあ予言の魔女プロフィティアからドレスをもらってたな。あれ、着たんだろ? 今度俺にも着て見せてくれよ」



です!」


 

 噛みつかんばかりの勢いで拒否されてしまった。

 何故自分に見せるのをそんなにも嫌がるのか、シズルが頑なに拒否する本当の理由を知らないデュオは、がっかりするとともにいつか意地でも着せてやる、と決意を固めた。





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