もう逢えない人(分話版)

逢雲千生

前編


 ずっとずっと忘れられない人がいます。

 幼い私が出会った大切な“お友達”。

 もう二度と逢えない、大事な人です。




 その人と出会ったのは、私が中学生の時でした。

 この頃の私は、優秀な兄がいたことで肩身が狭く、いつもテストの点数で両親に怒られていました。


『お兄ちゃんだったら、こんなテスト満点なのにね』


 八十点、九十点と高得点をとっても、両親はいつも、満点しかとらない兄を基準にしていました。

 百点をとって当たり前だという態度が嫌で、あの年は、逃げるように祖母の家に遊びに行ったのです。


 遊びに行ったのは、夏休みに入って間もなくだったので、田舎の祖母の家に着くまでは、あらゆるところで人の多さに苦労しました。

 お盆ほどではなかったのですが、それまで電車に乗る機会が多いわけではなかったので、なおさら苦労したのだと思います。

 ようやく人の少ない駅に着く頃にはクタクタで、祖母が待つ目的の駅までは、ほとんど寝ていたような気がするほどでした。


 歓迎してくれた祖母と共に過ごした最後の夏は、そんなところから始まったのです。




 私が祖母と呼んでいる人は、正確には本当の祖母ではありません。

 母のお母さんだと友達には説明していますが、本当は、母の叔母にあたる人なのです。


 母のお母さんーー血の繋がった私の祖母は体が弱く、母を産んで間もなく亡くなりました。

 母のお父さんーー血の繋がった私の祖父は仕事人間だったらしく、私の祖母が亡くなるとすぐに、縁を切るようにさっさと家を出て行ったそうなのです。

 

 そもそも、祖父母の結婚は親の決めたもので、当時流行り始めていた恋愛結婚とは無縁のものでした。

 私の祖父は家庭よりも仕事が大事で、結婚してからも仕事中心の生活をしていたそうなのです。


 祖父母が結婚した頃は、女性の社会進出が広まってきた頃だったので、仕事が何よりも大事だった私の祖父にしてみれば、学校を出てすぐ専業主婦になって、家事に専念していた私の祖母を好きになれなかったのだと思います。


『女だからって家にいるな。子供を抱えてでも外で働け』


 それが私の祖父の口癖だったそうです。


「あなたのおじいさんは、本当に仕事が生きがいでしたからねえ。私や姉さんみたいに家庭に入る女は、あの人にとっては甘えているとしか思えなかったのでしょう」


 祖母はそう言って笑いますが、数年前に亡くなった祖父ーー正確には母の叔父にあたる人は、私の祖父に対していつも怒っていました。


『兄さんはいつもそうなんだ。仕事仕事って言い訳して。だから親父にも愛想を尽かされたんだよ』


 私の本当のおじいさんは、結婚してからも仕事に打ち込みすぎて、家に帰らない日が多かったそうです。

 初めは仕方がないと言っていた私の曽祖父ーー祖父達の実の父も、何ヶ月も帰ってこない祖父に怒り、縁を切ろうとしていたと聞かされました。


 祖父の話になると怖いイメージの曽祖父ですが、普段は温和で、めったに怒らない人だったそうです。

 そんな人を怒らせたというのですから、祖父の仕事好きは相当な事だったのでしょう。


 けっきょく、私の本当のおばあさんが亡くなった事で家に寄りつかなくなったおじいさんに代わり、子供がいなかった叔父夫婦が母を育てたそうなのです。

 その事を思春期の頃に知った母は、ショックのあまり家出をしたらしく、近所の人達の協力で戻っては来ましたが、それ以来実家が嫌いになってしまったというわけなのです。


 実家嫌いの母のおかげで、私は自由な場所を手に入れたのですが、ここに来るといつも寂しい気持ちになりました。


 祖母の家がある村には、親しい友達も、知人もいなかったので、庭の向こうから聞こえてくる子供達の声を聞きながら、両親に押しつけられた課題を黙々とこなす日々。

 家族からの心ない一言が聞こえないだけマシでしたが、畑仕事をしている祖母の代わりに留守番をしていたので、家にはいつも私一人でした。


 祖父が生きていた頃は祖母も家にいてくれて、私の家では話せないことを何でも聞いてくれました。

 学校で流行っていること、クラスの人気者、誰が誰を好きなのか、嫌いな先生は誰か、などなど、私の友達が家族に話していることを祖母に話せていたあの頃が、私にとって一番子供らしかったのかもしれません。


 祖父が亡くなると、祖母は畑仕事をするようになりました。

 祖父が大事にしていた場所を守りたいからなのだそうですが、大きな田んぼが何枚も入るほどの土地を一人で耕すのは難しいらしく、時々は近所の人に手伝ってもらっているそうでした。

 私も手伝おうとしましたが、慣れていないことと、家に誰もいなくなることを心配されて、しぶしぶ留守番役になっていたのでした。



 祖母の家があるのは、日本海側に面する県の山の中です。

 冬には大雪、夏は猛暑と、厳しい天候に左右される場所ですが、それを乗り越えて人が住んでいるので、人々の結託は強いものでした。


 今は名前が変わったらしいのですが、当時は小さな村で、過疎化が進む田舎の一つになっているほど寂しい場所です。

 今でこそ、村おこしとして農産物を推していますが、当時は当たり前にあったものですから、周囲の町や村に比べれば貧しい方だったのだと思うのです。


 若い人達は農地を売り、誰もいなくなった家を壊して更地にしては放置していましたが、それでも祖父母がいる家は、きちんと土地の管理がされていました。

 数組ほどの若い夫婦が暮らしている家もあったので、過疎化が進んでいるとはいえ、まだ廃村になるほどのものではなかったのでしょう。

 お盆とお正月には親戚達が各家に集まり、夜遅くまで明かりをつけて騒いでいたこともあったので、微笑ましい暮らしぶりだったのかもしれないと、今では思うのです。


 最寄り駅から祖母の知り合いが出してくれた車に乗り、三十分ほどに走ると橋が見えます。

 この橋は、村と外をつなぐ大事な架け橋です。

 数十年前に鉄骨で再建されて以来、不便だった交通状況を良くしてくれた橋として、村人から大事にされてきました。

 

 その下には川があり、急な流れが大きな音を生み出しています。

 車に乗っていても聞こえてくるほどの大きさで、幼い頃はとても恐ろしく感じていました。


 成長したこの頃は恐怖などなく、ただうるさいなとだけ思っていまいしたが、橋の上から川を眺めると少しだけ寒気がしました。


 橋を渡ると、しばらく川沿いに村へ続く道を走ります。

 昔は砂利道だったこの道は、ここ数年で砂が敷かれてなだらかになり、揺れもそれほどありません。


 雨の日になると悲惨ですが、川より十メートル以上も高い道を舗装してしまうと道路に水が溜まるため、それが流れて土手を削ってしまうと言われているそうなのです。

 土手の補強にお金をかけるよりも、多少不便でも長持ちする道にしようと、村人と役場の人達の意見が一致したようで、晴れの日は砂埃、雨の日はグチャグチャという、都会っ子には不便極まりない道になったというわけなのです。


 適度な雨が最近降ったと祖母に聞いていたので、窓を開けても砂埃は入ってきませんでした。

 楽しそうに話す祖母と知り合いの人の後ろ姿を、車の座席越しに見ながら、私は入り込んでくる生温い風を感じて、背もたれに寄り掛かりました。


 流れる景色を見ながらぼうっとしていると、道の途中に誰かがいると思い、体を起こしました。

 この暑い中、白いワイシャツに黒いズボンを穿いたその人は、うつむいた姿で歩いています。


 窓から顔を出して、通り過ぎる時に顔を見ようとしましたが、頭に帽子をかぶっていて顔は見えませんでした。

 ただ男性だということはわかったのですが、不思議と違和感を抱くことなく、祖母の家に着くなり彼のことを忘れてしまったのです。

 

 この暑いのに、学校にでも行っていたのかなあ。

 そんな程度の認識で、私は最後の訪問となった村へと入ったのでした。




 田舎の情報網は迅速で、私が祖母の家に遊びに来た事はすぐに広まります。

 田んぼや畑で仕事をしている人が必ずいるので、そこから奥さんやお嫁さん、通りがかりの人などの口を伝って情報が広まり、半日もすれば村中に情報が行き渡るのです。


 知らない人が家に来ても、すぐに名前を呼ばれて「いらっしゃい。よく来たね」と歓迎されますが、その感じにはいつまでも慣れません。

 それでも、お菓子や果物などをいただいて「好きなだけいなよ。ばあちゃんが喜ぶからね」と言われると、なんともむず痒い気持ちになっていました。


 母の実家嫌いを知っている人は意外にも多く、噂で聞いたらしい若い奥さん達も、それとなく私に遠慮して母の話をしないようにしていました。

 それをありがたいと思うよりも、あからさまに腫れ物扱いされているようで気に入らなかったのですから、やはり私も捻くれ者だったのでしょうか。




 私の家族は、私が生まれてからは、数えるほどしかこの村に来ていないため、評判が悪く、村ではあまり話題にされません。

 兄が生まれた時は、お盆と正月以外でも顔を出しに来ていたそうですが、私が生まれるとすぐに兄の秀才ぶりがわかり、邪魔にならないように私を預けに来る時だけになったそうなのです。


 記憶にはありませんでしたが、生まれて間もない私を預けに来た時があったそうで、その時は優しい祖母も大声で怒鳴ったと言います。


『すごかったんだよ、おキネさんたら。あの人が怒るのを初めて見たくらいだからねえ』


 近所のおばさんから聞いたのですが、祖母は私が知る通り穏やかな性格の人で、めったな事では声を上げない人だったそうです。

 私を預けに来た母が何を言ったのかは知りませんが、長い付き合いのある人達にまで「初めて見た」と言わせたのですから、その時の祖母は相当恐ろしかったのでしょう。


 今でもおじさん達の間で語り継がれているほどで、お酒の席でたまに話題に上がるのだそうです。

 なぜそんな事を知っているのかというと、私もその場にいた事があるからです。


 この村では飲みに行けるお店がなかったり、あるいは遠かったりするので、誰かの家にお酒を持ち寄って飲み会をするのが普通でした。

 祖父が生きていた頃は時々、祖母の家で飲み会をする事があったので、お酒や料理を運ぶ手伝いをしながら、村の人達から昔話を聞いていました。


 母が家に来ない事を責める人はいませんでしたが、父の事を褒める人もいませんでした。

 そこから、なんとなくですが、この村で両親は好かれていないのだなと感じたのです。


 私の兄も何度か一緒に遊びに来ていましたが、頭でっかちで人の話を聞かないところがある人なので、彼を相手にするのが嫌なのだろうな、と感じた時もありました。

 嫌いではないのでしょうが、母達の話になるとぎこちなくなる村人達に、私は少しだけ親近感を覚えたのです。


 祖母が父の事を苦手だというのは知っていました。

 結婚の挨拶に来た時に何かあったらしく、母の事は大切に思っているようなのですが、父と顔が似ている兄が来ると、少しだけ距離を置こうとします。

 幼い頃は気になりませんでしたが、兄を苦手に思うようになった私は、祖母の気持ちが少しだけわかるのです。




 私を家に送り届けた後、祖母の知り合いは隣町に帰って行きました。

 祖母がお礼にと麦茶を振る舞おうとしていましたが、彼は家で出産間近の牛がいると焦っていたので、気をつけてと手を振りながら、悪い時に来てしまったなと申し訳なく思いました。


 いつも泊まっている二階の一室に荷物を置くと、祖母はお昼と夕飯用に野菜をとってくると言って、作業用の土がついたエプロンをつけて畑に行ってしまいました。

 お昼をだいぶ過ぎてはいましたが、祖母は私を待っていてくれたらしく、台所には作りかけのご飯が並んでいます。

 暑いからと冷たい汁を味噌汁がわりに、少し冷めたご飯に具材を混ぜたおにぎりを作っていたようで、付け合わせに何かをもいでくるのだと思いました。


 日が高いうちは外に出るのも億劫になりますが、この村は川から離れているものの、周囲に田んぼと畑しかないため風通しが良く、少しでも風が吹けば涼しい場所です。

 この日はそれほど強くはありませんでしたが、心地よい強さの風が吹いていたので、祖母が消したままの扇風機をつけると、外からの風と重なって体を冷やし始めました。


 そのまま扇風機の風を浴びていると、玄関から声が聞こえました。

 行ってみると隣に住むおじいちゃんで、トマトが採れたからお裾分けに来てくれたのだそうです。

 お礼を言うと嬉しそうに笑うおじいちゃんは、私の背後を見て「お兄ちゃんが来ているのかい?」と聞いてきました。


「ううん、今回は私だけだよ。お兄ちゃんは勉強で忙しいんだって」


 そう言うと、おじいちゃんは明らかにホッとしました。

 すぐに気がついて「いや、お兄ちゃんの事が嫌なわけじゃないんだよ」と言いましたが、私は笑って「大丈夫、私も苦手だから」と答えました。


 するとおじいちゃんは安心したのか、玄関の一部である廊下に座ると、ついでにと持ってきてくれた缶ジュースを開けて、私に渡しました。

 それを受け取って、私も廊下に座ると、おじいちゃんは玄関の外を見ながら話し始めたのです。


誠治せいじくんの事は嫌いじゃないんだよ。……ただね、どうもおじいちゃんと話が合わないんだ。もっと若くて、もっと頭が良ければ相手できたんだけどねえ」


 ーーおじいちゃんの家はとても貧しくて、家族の誰も学校に行けなかったそうです。

 末っ子だったおじいちゃんは、義務教育の時代に入った事で、なんとか小学校を卒業させてもらえたそうですが、それからは家の手伝いをしながら大人になるまで実家の世話になり、親戚のつてを頼って大きな町の会社に就職する事ができたそうなのです。


 それからはがむしゃらに働いて、どうにか食べていけるだけの収入を得られましたが、時代の変化と共に、勉強ができるかできないかで差別されるようになり、肩身の狭い思いをしてきました。

 会社には高校を出た人や大学を出た人が増えていき、小学校しか出ていないおじいちゃんを馬鹿にする人もいたそうなのですが、それでも、仕事でおじいちゃんに敵う人はいなかったといいます。


 誰よりも必死に働いたおじいちゃんは、会社でも一目置かれていたそうで、誰もいなくなった実家を守るために、定年退職してこの村に戻ってきた後も、たまに昔の仕事仲間が遊びにきてくれるのだそうです。


「おじいちゃんが子供の頃は、勉強よりも食べていくのに必死だったからねえ。おじいちゃんの奥さんも苦労してきた人だけど、それでも良い人なんだよ。子供達も立派に巣立って、孫達にも恵まれて、今はこうして、実家でのんびり余生を過ごす事ができている。おじいちゃんは、それが何より嬉しいんだ」


 温くなってきたジュースを飲みながら、今まで聞いた事がなかったおじいちゃんの昔話を聞いていました。

 おじいちゃんは、見ているこちらが恥ずかしくなるほど、今でもおばあちゃんと仲が良いのですが、貧しかった二人はようやく小学校を出してもらえただけなので、それがコンプレックスになっているのだそうです。


 この村に住む人達の大半は高校卒業か中学校卒業ですが、中には小学校をやっと出られたという人もいます。

 それは、けして頭が悪かったからだというわけではなく、戦後の貧しい時期の中で、食べていくのに必死だったからなのです。


 特に交通が不便だった田舎では多かった話らしく、私の友達のおじいさんやひいおじいさん達もそうだったと聞いた事があります。

 それを不思議に思った事もありますが、学校で戦中戦後の暮らしを習った事があるので、おじいちゃん達の苦しみは理解できました。


「誠治くんみたいに勉強ができる子はすごいよ。おじいちゃんも尊敬する。だけどね、正美まさみちゃんだってすごいんだよ。こうしておじいちゃんの話を聞いてくれるし、遠いところに住んでいるおばあちゃんに、毎年欠かさず会いに来てくれてるんだからーー」


 おじいちゃんは私の家庭事情を知っています。

 どうして祖母の家によく来るのかも知っていますが、それでもこうして優しい言葉をかけてくれるのです。


 おじいちゃんは、足を悪くしたおばあちゃんの代わりに、家の事を一人でこなしているので、どんな時も長居はしません。

 私と一通り話すと、いつもの優しい顔で、おばあちゃんが待っている家に帰って行きました。

 私も涙ぐむ目を手の甲で軽く拭うと、残りの課題を進めるために茶の間に戻ります。


 祖母の実家は広いため、リビングである居間の他に、みんながのんびりする茶の間という部屋がありました。

 居間ではお客様が来る時があるので、私はほとんどの時間を茶の間で過ごしますが、茶の間のすぐ横には外に出られる縁側があり、顔を出すと家の出入り口が見えるのです。


 風がよく通る場所であるため、たまに縁側でお昼寝をして日焼けする事もありますが、そんな事をしていても誰も怒らないのがいつも不思議でした。

 それに甘えて、一日中寝転がっていると、さすがに祖母も呆れて注意しますが、それでもやめられないほど快適な場所なのです。


 おじいちゃんからもらったトマトをボウルに入れ、水道の水を入れます。

 そのまま水を流しっぱなしにすると、水はすぐに溢れましたが、冷やすためにそのままにしておくのです。


 本当は山水や井戸水が最適なのですが、この村では地下水がとれず、ずっと昔は山の沢まで水を汲みに行っていたと聞いています。

 水道が引かれるまでは、それでどうにかしていたそうなのですが、雨が降ると水が濁る時があり、毎年必ず水には苦労していたそうなのです。


 今では蛇口ひとつで水が使い放題なので、私は特にありがたみを感じませんが、この暑さでも水道水を飲む気にはなれません。

 仕方なく作り置きの麦茶をもらって飲むと、茶の間の縁側に近寄って涼みながら、暑くなり始めた外を見てあることに気がつきました。


「誰だろう?」


 家の庭には生け垣があり、たまに祖母の知り合いの人が手入れしてくれています。

 祖父の同級生だった人で、祖母がお茶を出して話をしているところを何度も見ていますが、その人は今年腰を痛めてしまったらしく、冬まで仕事ができないと言っていたと、祖母が車の中で話していたのを思い出しました。


 てっきりその人が心配で来てくれたのかと思いましたが、生け垣の上からは黒い髪がわずかに見えています。

 祖父の同級生だった人は、お世辞にも髪があるとは言えないので、ならばあれは誰だろうと目を凝らしていると、出入り口の前まで来た誰かが戸口から顔を覗かせました。


 知らない人です。

 薄いワイシャツに黒のズボンを穿いたその人は、どこからどう見ても私と同じくらいの男の子でした。


 彼と同じような体勢で、私も縁側から彼を見ていると、私に気づいたのか頭を下げて「入ってもいいですか?」と聞いてきました。

 知らない人だったのと、祖母がいない事もあってどうするか悩みましたが、もしかすると誰かの親戚かもしれないと思いうなずきました。


 たまに近所のお孫さんや親戚の子供が家に来て、祖父母に挨拶をしていく人がいます。

 子供が生まれると必ず行う挨拶回りらしく、大きくなった子供や生まれたばかりの赤ん坊を嬉しそうに見つめる祖父母の顔を今でも覚えています。


 この人もそうなのだろうかと思って家に招くと、彼は何も持たずに入ってきました。


木野嶋きのしまさんの家、ですよね?」


「はい、そうですが……」


 精一杯の敬語で対応しようとしましたが、相手は白いワイシャツに黒のズボンを穿いた、いかにも真面目そうな人で、その姿があまりにも古い印象だったので驚いてしまいました。

 何十年も昔の男子学生という服装だったのですが、私の住む町にある高校では、彼と似たような男子制服を着ている事を思い出し、すぐに「どちら様ですか?」と尋ねました。


「僕は正太しょうたと言います。キネさんはいらっしゃいますか?」


「祖母は出かけていて、今はおりません。暑くなる前には戻ってくると思いますが、中で待ちますか?」


 すると彼は少し悩みましたが、すぐに「また来ます」と言って戸口から出て行ってしまいました。

 それからすぐに祖母が帰ってきたので、その男子学生の事を話しましたが、祖母は「そんな子は知らないわねえ」と言ったのです。


「今年は親戚が帰ってくる家は少ないし、おじいちゃんおばあちゃんの家に遊びにくるのに、制服では来ないと思うわよ。それに、正美ちゃんと同じくらいの男の子はいないはずだけどねえ」


 祖母の話だと、私と同じくらいの年頃になる男の子は近所にいないらしく、祖母の言う通り、こんな田舎に遊びに来るのに制服では来ないはずです。

 古い印象を与える彼に違和感を覚えましたが、その日は彼の以外の来客はなかったため、また来ると言っていた言葉を信じて眠りにつきました。




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