花竜の飛んだ後に

七野りく

プロローグ

「せんせー、せんせー、何してるの? 外はすっごく良い天気だよっ! そんなことしてないで、ボクとあそぼーよー!」


 天幕の中に入って来た獅子族の小柄で、淡い橙髪を三つ編みにしている少女は、可愛らしい獣耳と尻尾を動かしながら、僕へ叫んだ。今日もこの子は元気だ。

 僕はノートにペンを走らせながら手を振る。


「キファ、一応、僕も御仕事で此処に来ているんですよ? 何しろ、王都の学者で『花の谷』に入ったのは極少数。人族では僕が知る限り、かの教授くらいです。どんな、些細な事も記録するのが最低限の義務であって」

「う~難しいお話……あと、せんせー、話し方がおじさんぽーい」

「!? ……何を言うんです。僕はまだ二十四です。確かに、貴女からすれば、そう見えるかもしれませんが、間違っても『おじさん』ではありません。『お兄さん』枠の筈です」

「ボク、十一歳だもん♪ 二十四歳はおじさんだよ~」


 くすくす、と少女は笑い、僕へ近寄って来て背中に、ぴたっ、と抱き着く。

 ……一年前、此処に来た時はこんな風に懐かれるとは思わなかったな。

 少女は背中越しに僕のノートを覗き込む。


「わっ! 細かいっ!!」

「当然です。これは王都へ送る大事な報告書ですからね。飛竜便で送るのはこれで、最後になるでしょう」

「…………せんせー、本当に帰っちゃうの?」


 キファが寂しそうに尋ねてきた。

 ――獅子族は王国内でも少数民族。

 此処、王国西方の秘境である『花の谷』にしかおらず、キファはその族長の孫で、両親はいない。

 何でも、両親は赤ん坊の時にこの子を族長へ預けたっきり、だそうだ。僕に懐いたのも、父親の影を追っているのだろう。

 端的に答える。


「帰ります。族長の話では――今晩、花竜かりゅうがやって来るかもしれない、とのことですし」

「……花竜様は四年に一度だけ谷に来られる。でもでも、その御姿を見た人はいないんだよ?」

「ええ、知っています。――だからこそ、見たいんですよ。その為に一年間、この谷に逗留していたんですから」


 僕の専門は魔獣学。

 中でも、『竜』を研究対象にしている。

 厳密に言えば『竜』を果たして、魔獣という枠に収めて良いのかは大いに議論の余地はあり、僕個人の意見としては否定的ではある。


 『竜』は人知を超越した存在であり――その存在は大半の場合、災厄そのもの。

 そして――この『花の谷』のような事例では祝福を与える神に近い存在でもある。


 遥か古から、人は『竜』を畏れ、敬い……時に、蹂躙されてきた。

 それでいて、遭遇し、その姿を実際に見た人は、数えるほど。

 理由は単純。大半は生きて帰れなかったからだ。

 近い話では、数年前、王都近郊で黒竜と『王国最強』の黒騎士がやり合い、黒騎士はあえなく行方不明に……、なんて噂話もあるくらいだ。


 ――けど、この地ならば。 

  

 四年に一度、花竜が降り立つこの地ならば、その姿を記録出来るかもしれない。

 姿を見た者はいなくても――祝福の事実は残っているのだから。

 僕はペンを置き、立ち上がる。

 すると少女は器用に位置を変え、肩に乗っかる。

 ……これまた何時ものことだ。

 頭の上から、声が降って来る。


「せんせー、せんせー、花竜様が来なかったらどうするの? まだ、谷に残るよね? ねっ??」

「……残念ながら帰ります」

「ええええ~~~~~~!!!!!」

「っ! キファ! 耳の近くで叫ばないでくださいっ!」


 文句を言いつつ歩き出し、宿営の外へ。

 

 そこには一面の草原が広がっていた。


 所々に天幕。その周囲には大人達が集まり、慌ただしく動き回っている。

 僕はそんな光景を眺めながら、少女へ事情を話す。


「本来、一年間も大学校を離れるのもまずかったんです。教授には、大分高い借りを作ってしまいました。王都へ帰ったら、何に巻き込まることやら……あそこの研究室に関わるのは、出来れば御免被りたいんですが……」

「う~……その人とけんきゅー室の人達は悪い人達?? せんせーを虐めるの??」

「…………良くもなれば、悪くもなります。複雑なんです」

「???」


 少女が不思議そうに小首を捻っているのが分かる。

 けれど、この子は分からなくていい。 

 族長が僕達を見つけ、歩いて来るのが見えた。

 普段の温厚な顔ではなく、真剣み。

 どうやら、予測通りのようだ。


※※※


 その日の晩。

 僕は天幕で撮影宝珠の準備をしていた。わざわざ、王都から持ち込んだ貴重品だ。

 族長や見たことがある大人達の聞き取りによれば、花竜が谷に降り立つのは、人々が寝静まった深夜。

 魔力は一切感じられず、何時の間にか降り立っているそうだ。

 かといって、外で待つことは許されない。

 人が一人でもいれば、花竜は降りてこず、不思議とその晩は、皆、寝入ってしまうそうだ。

 

 ……今晩は長い夜になるだろう。


 お湯を沸かし、目覚ましの薬草茶を淹れる。

 僕とて王都の大学校に属する魔法士の端くれ。

 魔力と音に耳を澄ませ、待てば必ずや――宿営の外を誰かが歩く気配。

 程なく入り口を開け、ぴょこんと少女が顔を覗かせた。


「……せんせー」

「キファ? どうしたんですか?」

「…………」


 少女は無言で、僕に抱き着いて来た。

 そのまま、器用によじ登り、背中にぴたり。


「キファ??」

「……せんせー、かえるの、やだっ! 寂しいよぉ……。今晩は一緒にいたい」

「……仕方ない子ですね。丁度、薬草茶を淹れたところなんです。一緒に飲みましょうか」

「……うん♪」


 少女を降ろし、薬草茶を差し出す。

 

 ――淡い魔灯の下、穏やかな時間が過ぎる。

 

 王都の話。大学校の話。僕が借りを作ってしまった教授の話。そして、その教授の研究室を牛耳っている怖い怖い少年少女と黒猫様の話。

 キファからは、学校の話や、族長夫人から習っている伝統的な機織りの話、そして――


「それじゃ、キファは何時か、王都へ来たいんですか?」

「うん! だって、せんせーがいるんでしょ?? せんせーは、ボクがいないと、すぐに汚くするからっ!!」

「…………キファ、僕だって、やる時はやるんです。王都の部屋は――……」


 研究室内を思い出す。

 

 書類は山積み。資料は散乱。確保されているのは寝床のみ。


 ……帰ったら、少しは綺麗にしよう。

 僕はキファに答えようとし――その時だった。

 少女の耳が動いた。


 キファは立ち上がり、そーっと、天幕の入口へ。

 少しだけ入り口を開け、外を確認。

 振り返り、僕を小声で呼ぶ。


「(せんせー! きて、きてっ!!)」 

「(!)」


 頷き、音を立てないよう、キファの傍へ。

 少女と頷き合い、ゆっくりと、入り口を開け


「「!!!」」


 顔を見合わせる。少女の獣耳と尻尾は、ぴんっ! と立っている。


 ――谷に、巨大な『花竜』が降り立っていた。


 その威容たるやっ!!!

 月明かりの下、薄く極々淡い赤みがかった巨大な身体。獅子族の宿営地よりも巨大かもしれない。

 瞳は虹彩を放ち、周囲には無数の魔力光。

 恐ろしさは一切、感じず、ただただ、美しく優雅。神聖さすら感じる。

 

 これが……これが……『竜』!


 感動で身体が震える。

 キファと再度、顔を見合わせ、頷き合う。

 

 ――竜がその場にいたのは、おそらくは極短い時間だったのだろう。

 

 翼を広げた飛び立っていくその姿を瞳に焼き付けた僕とキーファは、そのまま、ベッドへ飛び込み――興奮したまま眠りについたのだった。


※※※


「それじゃ、長い間、御世話になりました」

「…………」


 『花竜』が降り立ってから数日。

 僕が王都へ帰る日がやって来た。族長達へ最後の挨拶をする中、キファだけは俯いたままだ。

 視線を後方へ向ける。


 ――周囲は一面の花に覆われていた。


 『花竜』は四年に一度、この谷に降り立ち、去る際、谷を花で覆うのだ。

 そこに何かしらの意味があるのか、ないのか……それは今後の研究で確かめるしかない。

 言えるのは、この花々が王国内で珍重される薬となること。

 獅子族はこれから、四年間をかけて、谷中を巡ることだろう。

 返す返すも……『花竜』の姿を映像宝珠で収めなかったのは大失敗だった。

 膝を曲げ、少女と視線を合わす。


「キファ、君はまだ小さい」

「……ボク、小さくないもん」

「十一歳は、世間では小さいと形容するんです。――この前の晩の話、もしも、もう一度『花竜』がこの地を訪れてもなお、その気持ちがあるのなら」


 僕は懐からメモ紙を取り出し、渡す。


「せんせー?」

「王都の僕の研究室の住所です。王都に来たら報せてください。僕等は一緒に『竜』を見た仲です」

「! うん! 分かったっ!! ボク、四年間できちんと勉強しておくから!!!」

「? 勉強?? ……まぁ、いいです。しっかり学んでくださいね」

「うん♪」


 キファは満面の笑みを浮かべ頷いた。

 

※※※


 結論を言えば――この日した約束を少女は果たした。

 ……問題は、だ。


「あ~! また、お部屋を汚してるっ!! もう~!!!」

「……キファ、研究室ではもう少し静かに」

「うわっ~! 洗濯物、溜まりっぱなしっ!!」

「…………」


 なんと、そのまま王都の学校に入学し、僕の研究室へ入り浸るようになってしまったことだ。

 確かに研究室内の住環境は日々改善されている。それは素晴らしいし、有難い。

 ……けれども。

 目の前に、この四年間ですっかり大人びた少女の顔。

 その髪には美しい花飾り。


「フレッドぉぉぉ? 聞いているのぉぉぉ??」

「……ご、ごめん」

「よろしい! ――お昼、作るね♪」


 キファはエプロンを身に着け、口笛を吹きながらキッチンへ。

 僕は頭を抱える。

 ……また、大学校内で噂が広がってしまう。


『フレッド・フロストは、幼気な獅子族の少女を研究室に連れ込んでいる!』 


 確かに、約束はした。

 したけれども……キッチンから声。


「あちっ! せ、せんせぇ~……」

「はぁ……今、行きます!」

 

 ――僕が『『花竜』を見た男女は生涯の伴侶にならなければならないんですよね?』と教授の教え子である青年に告げられるまで、後――。

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