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 私も悪かった。

 本当は、私だけが悪かった。

 でも、その選択に何ひとつ後悔はなかった。



 小学生の頃、父が亡くなった。

 高校の卒業式の三日後、母も他界した。

 九歳年上の姉と義兄の支援もあって、そのまま決まっていた大学に入学。

 卒業後、就職して二年目で学生時代から付き合っていた人と結婚した。

 お互い仕事も忙しくて、すれ違うことも多く、ケンカも良くしたけれど、それでも付き合っている時よりは長く一緒にいられたし、幸せだったと思う。

 結婚生活が一年過ぎたころ、姉夫婦が亡くなった。交通事故だった。

 うちと同様、義兄も身内と縁が薄かったらしく、流されるまま喪主を務めた。

 そして私と姪だけが残された。

 真っ赤な目で、でも泣き顔を見せずに唇をかんでいた。

志緒しお、二人になっちゃったね」

 まだ幼い、ちいさな体を抱きしめる。

「ねぇ、志緒。私、志緒の家で一緒に暮らしていいかな」

 放っておくことなんて、一人にすることなんてできなかった。なにより、私自身のために。

 声を押し殺して泣きながら、志緒は腕の中で確かにうなずいた。

 折悪く、海外出張中で葬儀には戻ってこられなかった夫のことは、すっかり頭から抜け落ちていた。

 当然のようにけんかになった。

 何の相談もなく、自分一人で勝手に決めてしまったのだから当然だ。

 それに関しては頭を下げた。何度も。

「志緒ちゃんのことは可哀そうだと思う。キミの気持ちもわかる。けど」

 何度繰り返してもお互いの主張は変わらず、折れず、交わらず、そして別々になることを選んだ。

 私は志緒を選んだ。

 もう、志緒しかいなかった。



 勤め先に無理を言って早めに退職させてもらい、志緒が姉と暮らしていた実家に戻り、近所の病院に転職した。

 私自身の子供のころからのかかりつけ医でもあり、若先生と義兄とが友人だったのもあり、いろいろ融通を利かせてくれるのがありがたかった。

「おかーさん、ただいま」

「おかえり」

 以前は「恵理ちゃん」と呼んでいたのだけれど、二人で話し合って「おかーさん」呼びに決まった。

 志緒の母のことは「ママ」と呼んでいたので、本人的には問題ないらしい。

 ただ「恵理ちゃん、イヤじゃない?」とこちらを気遣った。

「おやつ、何? いいにおいー」

「クッキー。もうすぐ焼けるはず」

 嫌なはず、なかった。

 望むところだった。



 その日、志緒は友達の家に遊びに行っていて、帰る途中に「それ」を見つけたらしかった

 放っておくことができるわけもなく、あわててうちの病院に駆け込んできたらしい。

 それはちょうど昼の休憩時間で、外出していたせいでその場に居合わせず、全て後から聞いた話だ。

 先生が志緒と現地に向かい、声をかけると一応、反応もあり、覚束ないながらも歩くことも出来たので支えながら、病院まで連れ帰ったとのことだった。

「びっくりしちゃうと、いろいろ間違えるね。救急車、呼べばよかったのに、先生のとこ行っちゃった」

 志緒は深々とため息をこぼす。

「そうだね。でも大したことなかったみたいだし、結果的には良かったよ」

 熱は少し高めではあったけれど、ただの風邪のようだし、薬を飲んで寝てれば治るだろう。

「明日、おかーさんと一緒に病院行って良い? 先生は良いよって言ってたけど」

 自分が見つけたから気になるという気持ちはわかるし、事前に先生にまで許可を取っているなら仕方がない。

「風邪、うつされないようにしっかり、マスクしてね」


 

 翌朝、志緒は小まめに病室を覗きに行き、その何度目かで目を覚ましたことを伝えに来た。

 先生はちょうど診察中で手が離せず、私が病室に向かった。

「大丈夫ですか、あけますよ」

 一声かけて、カーテンを開ける。

 ベッドに腰掛けて、少し目を細めてこちらの様子をうかがうその表情に、一瞬固まる。

 似ていた。元、夫だった人に。

 動揺を表に出さないよう、努めて平静を装い、検温を済ませた。

「おかーさん。おかゆ持ってきた」

 志緒の声に、ほっとする。

「じゃ、これ食べてください。少ししたら先生が来ると思うから、診察うけてください」

 事務的に青年に伝えて、志緒を促して病室を出る。

「ありがとうございます。いただきます」

 背後に届いた声は、やわらかくて、全然似ていなかった。



 その後、快復した青年は治療費がわりに、大掃除を手伝い、先生とウマが合ったらしく遊びに来るようになり、ちょくちょく病院で顔を合わせるようになった。

 改めて見ると、人懐っこい笑顔の多い子で、元夫には全然似てなかった。

「おかーさん。いっちゃんが今度三人でどこか行こうって」

「どこかで会ったの?」

 志緒もあの青年にはよく懐いていて、親としてはちょっと複雑な気持ちだ。

「スーパーで。かごの中、カップ麺ばっかりだったんだよ? ダメダメだよねぇ」

 懐いているというか、面倒を見てやっている気分なのかもしれない。十歳近く年齢差があるはずなのだけれど。

「志緒はいたるくんが好きなの?」

 ちょっとからかうような気持ちで尋ねると思いきっり眉を顰められた。

「ない。タイプじゃないもん」

 あまりにきっぱりした口調に、ちょっと至くんが不憫になった。



 志緒と至くんの間でどういうやり取りをしたのか、いつの間にか水族館に行く話がまとまっていた。

「おれが誘ったんだし、おれが出します」

「学生に出させるわけにはいかないでしょ。ワリカン。志緒は私の娘だから私が出す……キミが志緒をデートに誘ったつもりなら、志緒の分は出させてあげても良いけど?」

 不満そうな至くんは付け加えた言葉にあわてて首を横に振る。

「いやいやいや、ない。です。いくらなんでも、小学生は範囲外です」

「じゃ、決まりね」

 至くんに二人分の代金を渡す。 

 こっちは社会人だし、志緒とも仲良くしてくれてるし、入場券代ぐらい支払ってあげたいところなのだけれど、本人が気にしそうなのであえてワリカンにしておく。

 春休み中ではあるけれど、平日のせいか思ったほど混んでいなくて快適に観て回れる。

「ちょっと、いっちゃん。ふらふら行っちゃダメでしょー」

 ぼんやりと水槽をながめているところに、志緒の呆れたような声が飛び込んでくる。

「だって、ペンギンショー、観たくない?」

「だからって、一人で勝手に行っちゃダメだってば」

 どっちが年上なんだかわからないな。

「おかーさん、いっちゃんがペンギンってうるさいから、行こ」

「ん。志緒、えらいねぇ。弟の面倒見て」

「え、おれ、志緒ちゃんの弟?」

 笑いをかみ殺せないまま言うと、志緒に引っ張られて戻ってきた至くんは眉を下げる。

「だって、私が見つけたから、ちゃんと面倒見ないと」

 弟というか、捨て犬を拾った感じなのか、志緒にとっては。

 そう思ってみれば、人懐っこい大型犬に似ている気がする。

「恵理さん、笑いすぎ」

「ごめんごめん。えぇと、ペンギン行くんだっけ?」

「ものすごく、子供扱いしてますね?」

「そんなことないよ。ほら、はぐれないように手をつなぎましょーねー」

 いつも志緒にするように、当たり前みたいに手を掴んで、ちょっと失敗した気持ちになった。

 言動が志緒と同等以下なので、つい忘れていた。

 至くんは大人ではないけれど、子どもでもなかった。

 今更、その大きな手を離すのも、わざとらしくて、何でもないふりで三人横並びでペンギンを観に向かった。


 

 それからも、一、二カ月に一度くらいのペースで出掛けた。

 当初は必ず一緒だった志緒がいつしか、友達との約束を優先したりするようになり、至くんと二人のことも増えたけれど、志緒がいる時とそれほど変わらず、普通に楽しめた。

 こんな風にゆるい友達のような関係も悪くないと思っていたけれど、至くんはこの先就職活動が始まって、就職してと環境が変わっていく中で、そのうち消滅するものだろうとも思っていた。

「次の日曜、花見行きませんか?」

「私、ムリ。クラスの子と行く約束してる」

 至くんの言葉に志緒は即答する。

「ぇえ? 志緒。最近付き合い悪いー。恵理さんは?」

「私は予定ないけど」

「じゃ、行きましょ。丁度、見ごろらしいですよ」

 にこにこと嬉しそうな表情につられて、笑みがこぼれた。



「静かなところで、ビール飲んで、ちょっと遠くの桜見てって、オトナな感じ?」

 満開の桜が咲き誇る公園の、ものすごい人ごみの中から抜け出して、人のまばらな河川敷からピンク色を眺める。

「そう?」

 大人というのとはちょっと違う気がするけれど、落ち着いて桜を見られる状況にほっとする。

「志緒、来なくて正解かも。あんな人ゴミの中だったらつぶされたり迷子になりそう」

「かもね。それに、あの子、人混み嫌いだから、花見ならもっと静かなところでって言いそう」

「確かに。でも、こういうところで露店で買い食いも楽しいんだよねぇ」

 それもわかる。

 たこ焼き、やきそば、フランクフルトに串焼き、諸々。二人であれこれ買い込んだ。

 その、たこ焼きを口にして頷く。

 ちょっと、冷めちゃったな。

「あのさぁ、恵理さん。たこ焼き頬張ってるところに言うことでもないのかもだけどさぁ」。

 爪楊枝から滑り落ちそうになった残りのたこ焼きを慌てて口の中に放りこんだタイミングで話しかけられ、目線だけで聞いていることを伝える。

「おれ、学生だし、恵理さんからしたら全然頼りないし、稼ぎもないし、だけど、えぇと、結婚を前提に付き合ってもらえませんか?」

 真面目な顔で、まっすぐこちらを見つめる。

 ?

 大粒のたこを飲み込んでしまい、あわててビールで流し込む。

「……な、に?」

 なんとか息を整えてる。

 聞き間違いじゃないよね? でも、今までそんな素振りが……いや、なくはなかったかもしれないけれど、ものすごーく淡い感じで。

 それが、一気に結婚前提? 

 それもこのタイミングで?

「実際、結婚するのはおれが就職してからになると思うけど、いい加減な気持ちじゃないってことで。よろしくお願いします」

 至くんは膝に手を突き深々と頭を下げる。

 別に、嫌いじゃない。一緒に住んでも、まぁ、普通に楽しいかもしれない。

 でも。どう伝えるべきか。

「恵理さん?」

「無理。至くんは良い子だと思う。でも、まだ若いから、わかってないよ、現実を」

「そんなの、こうご期待、でしょ。がんばっていい男になるよ、おれ」

 その真っ直ぐさは微笑ましくて、そしてやっぱりわかってない。

「そうじゃないよ。聞いてるかもしれないけど、私、バツイチなの。夫を捨てて、志緒を取ったの。迷いもしなかったの」

「そんなの、だって志緒は一人になったら、生きていけないんだから」

 この口ぶりだと、ある程度のことは聞いているのだろう。

 私は軽くうなずく。

「そう。私の一番は志緒なの」

「いいよ。もともと志緒に勝てるとか思ってないし。その次で充分」

「至くんのご両親はきっとそうは思わないよ? 大事に育てた息子がバツイチで子供優先の女じゃ悲しむ。私だったら、やめろって言う。……他にいくらでも条件も性格も良い人はいくらでもいる」

 言葉に詰まっている至くんに笑ってみせる。

「好意はうれしいよ。ホントにね」

「……じゃ、結婚を前提としなければOK?」

 しばらく無言だと思ったら、どういう思考回路でその答えになるのか。

 まっすぐすぎる視線を避けるように川面に目をやる。きらきらとまぶしい。

「何で私かなぁ」

「恵理さん、しっかり、きっちりしてるのに、志緒のこと話す時とか、すごく可愛いし、やさしいし、一緒にいて落ち着くし、楽しいし」

「ちょっと、ストップ」

 独り言めいたボヤキにつらつらと理由を並べてくれる。そういうことが聞きたいんじゃないんだよ。頬が熱い。

「照れ屋だし、かわいいし」

「至くん。もういい。わかった」

「末永くよろしくお願いします」

 しつこく続ける至くんの言葉を遮ると、深々と頭を下げられる。だから、そうじゃない。

「OKってことじゃなくてね……とりあえず、友人以上恋人未満からってことで」

 素直に真っ直ぐな視線に負けて折衷案を出すと至くんは破顔する。

 まぁ、そのうち他に好きな子が出来るだろうと軽くため息をこぼした。



「では、改めて。結婚してください」

 大学を卒業し、就職して一年が経った春。

 あの時と同じように人の少ない河川敷で、至くんはどこか勝ち誇ったような顔をする。

 ご両親にも着々と根回しし、外堀を固めて来たあたり、可愛げがない。

 子どもっぽいとか思ってたはずなのに。

「私、相変わらず志緒が一番だけど?」

「知ってるけど?」

 ごく当たり前にうなずいてくれるから。

「末永くよろしくお願いします」



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