閏年が必ずしも四年に一度ではないことを僕は知っている。
真兎颯也
閏日生まれの君と、閏日にした話
「私、今日が誕生日なんです」
開口一番、彼女は僕にそう告げた。
僕は読んでいた本から顔を上げた。
「それは知っている」
「じゃあ、どうして祝いの言葉も言ってくれないんですか? 四年に一度しか来ない誕生日なんですよ?」
彼女がブスッと頬を膨らませる。
窓の外はオレンジ色に染まり、カラスの鳴き声だけが響いてくる。
僕は、深いため息をついた。
「……君は四年に一度しか来ないと言ったが、正確には違うぞ」
「はい?」
「西暦年が四で割り切れる年のことを原則として閏年と呼ぶが、百で割り切れる年は原則として平年だ」
「じゃあ、私が生まれた西暦2000年は閏年じゃないんですね」
「いや、その年は閏年だ」
「え? でも、百で割り切れる年は平年なんですよね?」
「原則としてな。だが、四百で割り切れる年は必ず閏年になる。まあ、これはグレゴリオ暦での話で、日本における閏年の判定は皇紀によって行うと法令で定められている」
「でも、日本の閏年と世界の閏年って同じですよね?」
「当たり前だ。日本の皇紀によって行われる計算でも、西暦年数から閏年を判定する方法と同値になるようになっているからな」
「へぇー!」
彼女は感心したように、目を輝かせて僕を見つめていた。
が、ハッと何かに気づいて、再び頬を膨らませた。
「先輩、話を逸らしましたね?」
「何のことだ?」
「とぼけないでください! 私の誕生日を先輩にちゃんと祝って欲しいんです!」
そういって、彼女は僕を睨んだ。
僕はただ、彼女を見つめ返す。
「そもそも、君の誕生日は四年に一度では無いだろう。法的には二月二十八日の午後十二時に君は歳をとるのだから」
「またそうやって屁理屈言って、なあなあにしようとしてますね!」
「屁理屈ではなく、事実を言っているだけだ」
「事実であったとしても、論点をずらしてる時点で屁理屈です!」
「そうかもしれないな」
「……んもう、どうしてそんな頑なに祝ってくれないんですか?」
不機嫌そうに頬を膨らませている彼女。
僕は、手に持っていた本を閉じた。
「……そうだな。少し、昔話をしよう」
「はい? またそうやって話を」
「まあ、聞いてくれ。とても大事な話なんだ」
僕がそう言うと、彼女は渋々といった様子で頷いた。
「わかりました。その話が終わったら、お祝いの言葉を貰いますからね!」
「約束しよう」
そう言って、僕は彼女に語り始めた。
――僕がこの高校に入学したばかりの頃。
僕は入る部活を決めるべく、部室棟を歩き回っていた。
しかし、特に入りたい部活は無く、見学をするのも気が引けていた。
あてもなくさまよい続けて部室棟二階の端まで来た時。
他の部室とは様子が違う部屋を見つけた。
他は何の部活かわかるようにデカデカと部活名を書いた紙を扉に貼り、装飾なんかもしている所もあった。
でも、そこは貼り紙が無く、一目見ただけでは何の部活なのか全くわからない。
気になった僕は、扉の小窓から中を覗いた。
中は壁一面に本棚が並んでいて、本がぎっしり詰まっていた。
真ん中には長テーブルが置かれており、その窓側の端に女子生徒が一人、座っているのが見えた。
窓から差し込む夕陽によってオレンジ色に染まる彼女は、とても美しく見えた。
今まで感じたことの無い胸の高鳴りに、僕は思わずその部屋の扉を開けてしまっていた。
中にいた女子生徒がビクッと肩を震わせる。
「あ、ご、ごめんなさい! 部活見学をしてたんですけど、うっかりノックするのを忘れてしまいました……」
僕が慌ててそう言うと、女子生徒は何故かホッとしたように笑った。
「なぁんだ。てっきりここの部活の人が来たのかと思ってびっくりしちゃった」
「え?」
「実は、私も一年生なんだ。たまたま鍵が開いてたから、勝手に入って本読んでたの」
そう言って、彼女は手に持っていた本を指す。
僕は驚いて目を瞬かせた。
「……勝手に入ったら怒られるよ?」
「えへへ……後でちゃんと入部届出すから見逃して欲しいな」
恥ずかしそうに笑う彼女は、廊下から覗いて見た時よりもずっと魅力的だった。
だから、僕はこの部室が何の部活のものなのかを尋ねることしかできなかった。
これが、僕と彼女の出会いだった。
その日以降、僕はその部室に頻繁に行くようになった。
文芸部の部室だと彼女に聞いたので、僕はその日のうちに入部届を出した。
彼女も宣言通り入部届を出したようで、僕が行くたびに彼女は部室で待っていた。
僕達以外は幽霊部員らしく、僕達以外の人がこの部室にやって来ることは無かった。
放課後、彼女と二人きりになれるこの時間は、僕にとってかけがえのないものだった。
ただ不思議だったのは、この部室以外で彼女を見かけたことが無いことだ。
でも、当時の僕はクラスが離れてるからだろう程度にしか考えていなかった。
それからしばらくして、二月が間もなく終わりを迎える頃。
彼女は、部室に現れなくなった。
前日まではいつも通りだったのに、急に来なくなった彼女に僕は戸惑いを隠せなかった。
春休み期間中も何度か来たけど、それでも彼女はやってこない。
何かあったのかと不安を募らせながらも、僕は彼女のことを何も知れないまま新学期を迎えてしまった。
もう来てくれないと思いつつも、僕の足は自然と部室に向かっていた。
ふと扉の小窓から中を見ると、彼女がいた。
彼女は初めて出会った時のように、窓から漏れる夕日に照らされている。
僕は慌てて扉を開けた。
「きゃあ!?」
驚きの声を上げる彼女は、以前と変わらないように見えた。
彼女が無事であることに安堵しつつ、僕は彼女に今まで何をしていたのかと尋ねようとした。
すると、彼女は僕の顔を見てこう言った。
「あ、ごめんなさい! 勝手に入ってきてしまって……」
「え?」
「ここの部活の方ですよね? 私、一年生なんですけど、たまたまここが開いていたので入ってしまいました」
彼女は初めて出会った時のようなことを僕に言ってきた。
それだけじゃなく、まるで僕のことを知らないかのように接してくる。
「待ってよ、ふざけるのも大概に……」
「怒るのもわかります。勝手に入って本まで読むのは図々しすぎますもんね! 入部届出すので許してください!」
彼女は必死に頭を下げてくる。
ふざけているわけではなさそうだった。
彼女に忘れられた悲しさと、彼女が普通の人では無いかもしれない恐怖で、頭がおかしくなりそうだった。
彼女との会話もそこそこに、僕は急いで家に帰り、彼女のことを調べた。
ネットで高校名と彼女の名前を検索したら、知りたいことはすぐに見つかった。
……彼女は、僕が高校に入学する一年前に亡くなっていた。
閏日生まれの彼女は、誕生日の二日前に事故で命を落としたらしい。
僕は、彼女が現れなくなる直前のことを思い出した。
「あと二日で誕生日なんだ! めっちゃ豪勢に祝ってくれるって約束したから楽しみなんだよね!」
この時の僕は三月一日に誕生日会をやるんだろうなと思っていた。
でも、彼女が亡くなった年は閏年で、二日後は本当に彼女の誕生日だったんだ。
誕生日を心待ちにしていた彼女は、その日を迎えることなく亡くなった。
それが未練となって、この世に残っているのだろう。
それなら、彼女の誕生日を祝えば成仏するんじゃないかと思った。
しかし、祝っても、閏日じゃないと彼女は成仏しないかもしれない。
もしかすると、閏年でも彼女は亡くなった日以降現れないかもしれない。
それでも、僕は閏日に向けて準備を重ねた。
それからまたしばらく経って、彼女は一年の時と同じ日に現れなくなった。
そして、三年生になってから再び僕のことを忘れた状態で現れた。
「……だが、三度目の今回はその日以降も現れていた。そして、今日という日を迎えた」
目の前の彼女は、顔を青くしていた。
「ま、待ってください。それ、まるで私のことを言ってるみたいじゃないですか」
「当たり前だ。君のことを言っているのだから」
そう言って、僕は自嘲するように笑った。
「でも、ダメだな。君と永遠に会えなくなることを考えたら、怖気付いてしまった。素直に祝えなくなってしまった……」
なんて酷い男だろう。
自分のわがままで彼女を現世に縛りつけようとしている。
ちゃんと、見送ってあげなくてはいけないのに。
「……先輩」
不意に、彼女が僕を呼んだ。
「約束、守ってくださいよ」
そう言って、彼女は笑った。
その目には薄らと涙が浮かんでいた。
「約束破る人は嫌われますよ?」
「……そうだな」
彼女はもう、覚悟していた。
僕は予め用意していた誕生日プレゼントを彼女に渡す。
「これは?」
「うさぎのぬいぐるみだ。可愛いものが好きと聞いたから」
そして、僕はその言葉を言った。
「――誕生日、おめでとう」
それを聞いた彼女はプレゼントのうさぎを抱いて、嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます……」
彼女の目から溢れ出た涙が頬を伝う。
それが夕陽で煌めいたと思った瞬間、彼女は姿を消した。
彼女が抱いていたぬいぐるみが、床に落ちて転がる。
静かになった部室にカラスの声が響く中、僕の初恋は終わりを告げた。
閏年が必ずしも四年に一度ではないことを僕は知っている。 真兎颯也 @souya_mato
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