12星座ヤンデレ 9 いて座~うお座+α(へび)

@redbluegreen

第1話

タイトル:『働く女性の悩み第一位!』

星座:いて座

タイプ:殺害型ヤンデレ




 パクパクモグモグ。ゴク、ゴク、ゴク。

「プハー! お肉サイコー! ビールもサイコー!」

 空のジョッキを高く掲げて、私は居酒屋の店内に響き渡る大声で高らかに宣言した。

 お肉は美味しい。ビールも美味しい。

 最高の一時。のはずなのだが………

「はあ………」

 なぜか私の口から出てきたのは、溜息。

 ここ最近のところ、いつもこんな調子だった。

 一時的にテンションがてっぺんまで上る時があっても、しかしそれ以外の全ての時間、底辺間際をさまよっていた。

 頭の中にもやがかかっているかのような、そんな気分。

 こんな調子になってしまったのは。

 そう、確か………

 と、店員さんがテーブルに近寄ってきて私に向かって口を開いた。

 どうやら店の中が満員らしく、相席をお願いできないかという事らしい。

「いいですよー。一人でも二人でもなんなら百人でも」

 私の冗談を店員さんは華麗にスルーして受け流し、手招きでその合席客を私の正面の席に案内する。

 合席客は席に座ると、開口一番少し驚いた声を上げる。

 あれ? ………ああ、どうも。六時間ぶりくらいっすね。

 その台詞に私は目の焦点を合わせ、正面に座った人物の顔を確認する。

 と、そこにいたのは、

「はっ。あ、あ。ほ、本日はお日柄もよきゅ! ~~~っ!!」

 うまく呂律が回らず舌を噛んだ。痛い。

 大丈夫ですか、と心配する声を上げる相手に、口元を押さえつつ大丈夫な事をアピールする。本当は痛いけれど。

 あー、別に今はプライベートなんすから、そんなかしこまんなくてもいいっすよ。会社の取引相手とかは忘れましょうよ。

 なんとか痛みが引いた頃、仕切りなおすように彼が言った。

 私の正面にいたのは、私の営業先の、取引相手。

 それと同時に、私をこんな調子にした張本人だった。

 この店にはよく来るんすか? そっちの会社からはだいぶ遠そうっすけど。

「い、いえ。初めてですよ」

 いや、ここじゃ敬語とかなしでいいっすって。

「はあ、はい。………じゃなくて、うん、わかった」

 私は素直に頷く。確かにこんな場所で丁寧な言葉遣いはかったるかった。それ以前に、お酒を飲んだ状態でちゃんと使えるかも怪しい。

 にしても、昼間の時だいぶ印象違うんすね。最初見た時、あまりに違うんでこっちの見間違いかと思いましたもん。

「そう?」

 そうですそうです。会社で会う時は仕事バリバリできるOLって感じですもん。

「いやいや、それほどでもー」

 頭をかきつつ照れ照れ。

 なので、クールビューティー系かなって思ってましたけど………なんか、色々激変しました。

 彼はテーブルの上の惨状を見やりながら、後半声を低くしてつぶやく。

 何を言ってるかよくわからなかった。テーブルの上には、何段にも積み重ねられたお皿と、空になったジョッキが十個くらいあるだけなのに。

 私は新しく来たビールをちびちびと飲みがながら、彼に気付かれないようちらちらと見やる。

 私の不調の原因。

 それは、彼と初めて会った時から始まった。

 私が営業の仕事で彼の会社に初めて行った時、対応してくれたのが彼だった。

 初めて行く会社での営業という事で、少なからず私は緊張していた。

 言葉に詰まったり、書類をばら撒いてしまったりと、いくつかのミスを犯してしまった私だったが、彼はそんな私に終始笑顔で対応してくれた。

 その日はいくつか話をしただけで終わったのだが、それからというもの、彼の顔が頭から離れず、空いた時間に彼の事を考えるようになった。

 彼の会社には何度か足を運んだ。

 最初は営業が目的だったはずが、いつしかその会社に行く事。その会社に行って、彼に会いに行く事へと変わってしまっていた。

 日々を重ねるにつれ、段々と頭の中で彼の占める割合が増えていった。時には彼の事を考えるあまり、おおぽかをやらかす事もままあった。

 今日このお店で飲んでいるのも、彼の会社から程近いこの場所なら、もしかしたら会えるのではないかという考えからだった。

 どうしてそんな事を考えたのかわからない。

 そして実際に実を結び彼に会えているわけだが、だからどうだというのか。

 わからないわからないわからない。

「うーん………」

 どうして私はこんなに彼の事を考えてしまっているのか。

 どうして私は彼の事が頭から離れないのか。

 その悩みが頭の中をぐるぐると渦巻く。

 問いの答えが出ず、雲を掴むような霞を食べるような徒労感がのしかかった。

 なんか悩み事っすか?

 そんな私を見かねたのか、彼がつまみを食べるかたわらそう言った。

 自分でよければ聞きますよ。ま、そう深刻な奴だと無理っすけど。

 なんとも気楽な声を出してくれる。誰のせいでこんな事になってると思ってるんだか。

 まあしかし、彼がそう言ってくれるなら、話してみるのもいいかもしれない。

 こうなったのも彼が原因。なら、その責任を取ってもらおうじゃないか。

 だがさすがにありのままを吐き出すのもアレだったので、「えっと、あくまで友達の話なんですけど………」という前置きで、私は彼に話した。

 …………………………。

 …………………………。

 …………………………。

「………って、友達は言ってるんですけど、どう思います?」

 私の真剣な吐露に対し、彼はあくまで友達の話だと思ってるのか、ごく平坦な口調で答えた。

 それは………その人の事が、好きなんじゃないっすかね?

「ふにゃ?」

 好き?

 好きって、一体何?




 ムシャムシャ、ゴクン。グビッ。

「おーし。もう一軒行くぞー」

 私はコンビニで買った焼き鳥の串とビールの空き缶をゴミ箱に放り込むと、千鳥足でコンクリートの道路を歩き出す。

 トトト、トトト。

 いやいや、そんな足じゃもう無理っすって。もう帰りしょうって。

 ふらついた私を支えながら彼がそう進言してくるが、

「いーや。まだ飲めるぞー。食べるぞー。そうじゃなきゃやってられないんだー!」

 空に向かって吠えた私の言葉は、閑静な住宅街に響き渡り、やがて消えた。

 なんかあったんすか。今日はやけ酒って感じっすけど。

 人の気も知らない彼が何か言ってる。

 元はといえばそっちのせいなのに。

 先日彼が答えた台詞。

 私の頭を悩ませるのは「好き」というものが原因らしい。

 じゃあ、好きってなんぞや。

 同じ会社の同姓の同僚に聞いてみると、その彼女はくすくすと笑いながら、今流行っているという恋愛漫画を薦めてきた。まるで私が世間知らずとでも言いたげな、含みのある笑みだった。

 だってしょうがないじゃんか。

 私は昔から男性と接する機会があまりなかった。

 家は母子家庭で、父親は最初からいなかった。

 通った学校は全部いいとこのお嬢様学校。

 通ってる人全員が全員「ごきげんよう」が挨拶で「ですわ」が語尾に付く超々お嬢様学校。

 好きとか嫌いとか、誰が付き合ってるとか、その手の話が出ると大騒ぎどころではなく、退学を言いわたすレベルの学校だった。

 そして今も、女性社員が大半の会社に勤めている。

 そんな環境下で育ったものだから、誰かが好きとか嫌いとかそういったものとはこれまで無縁だった。無関係だった。無視だった。

 だから好きって言われてもなんのこっちゃ。

 同僚から言われたとおり何冊か漫画を読んでみたけれど、どれもこれも『自分のこの気持ちがなんなのかわからない』とかいう主人公ばっかり。

 いやいや、それを知りたくてこっちは読んでるんやい。

 ただ、そういったものに初めて目を通したので、一度読み始めると止まらず、気が付くと漫画喫茶で夜が明けた事もあったのは内緒。

 あ、そういえば。

 私はその漫画の中のとあるシーンを思い出す。

 それは男子と女子が夜道を帰るシーンで………

 パッ。

 私は彼から距離を離して対峙し、右半身を前に出し、腕を構え、好戦的な目を彼に向けた。

 いきなりどうしたんすか?

 不思議そうに首をかしげる彼に、私は威嚇するように言う。

「知ってるんだぞー、私は。男の子って、夜になると狼になっちゃうんでしょう」

 来るなら来ーい、とクイクイと指を動かし彼を挑発した。

 そんな私を見て彼はプッ、と軽く噴き出した。

 なんだなんだ、ずいぶんと余裕な態度じゃん。かと私は思ったが、彼は違う違うと手を横に振った。

 いやいや、すっげーかたよった知識なんだなーって思って、思わず笑っちゃいました。

 すんませんと、まったく謝意のない謝罪をし、彼はこう続けた。

 でも大丈夫っすよ。こっちにそんな度胸はないっすから。こんな肉食系相手にした後、どんな目に合わされるか分かったもんじゃないですし。

 降参の意を示すかのように両手を頭上でヒラヒラと振る彼。

「やったー、勝った勝ったー!」

 何が勝ったのかよくわからなかったが、とりあえず勝利の余韻を味わった。

 が、しかし、勝ったところで賞品は貰えず、私の悩みは絶賛継続中のまま。

 彼は私を笑顔で見ている。

 笑顔というか、哄笑とかの方面の笑いだけど。

 何を笑ってるんだろう。こっちはそっちのせいで悩んでいるというのにだ。

 むかむか。

 段々と腹が立ってくる。さっきまで山というほどのお肉を食べたにも関わらずだ。

 あ、いや、それは途中で戻したりしたんだけど。

 まあそれはともかく、むかつく事はむかつく。

 この鬱憤を今すぐ発散させたい。

 だから私は発散させた。

「好きってなんなんだよー、こんにゃろ――――――――っ!!!」

 月に向かって、といきたいところだが、あいにく曇り空なので仕方なく電灯に向かって大声を張り上げた。

 突如とした大声に彼の顔から笑顔が消える。

 そして目をぱちくりとさせた後、恐る恐るといった体で言葉をつむぐ。

 好きって。そりゃまあ……………幸せって事なんじゃないっすかね。

「ほにょ?」

 幸せって、一体なんですか?




 ガツガツガツガツ。ムシャムシャムシャムシャ。グッ、グッ、グッ………

「ップッハー! ほらほらー、どんどん食べていいよー、じゃんじゃん飲んでいいよー。私のおごりだー」

 私はコタツテーブルの上に乗った山盛りの肉と瓶ビールを彼の方に押しやった。

 おごりって、これ買いに行かされたのこっちなんすけどね………

「でもお金は私が出したじゃんかー。んで、ここは私の家だし。私の借りた家で私のお金で買ったお酒。だから私のものだよね?」

 あれ? じゃあ彼にあげちゃだめじゃないのかな?

 でもまあいいや。私には別のお酒があるしー。

「ほらー、飲んで飲んでー」

 私は彼にあげた瓶ビールのお酒を彼のコップに注ぐ。

 いや、もう入らないっすって、まじで。

「な、なんだとー。私のお酒が飲めないっていうのかー。しくしく、ひどいよー」

 清々しいほどに下手な泣きまねっすね。

「あ、わかっちゃったかー。大正解! じゃあご褒美にビールねー」

 八方塞がりじゃないっすか………

 彼は諦めたように吐露すると、コップを手に取り傾ける。

 それから半分ほど中身の減ったコップをテーブルに置くと、部屋の中を見渡した。

 ………にしても、聞いてた通りなんもない部屋なんすね。まじで酒しかない。どんだけの酒飲みなんすか。

「んー? えっとねー。だいたい毎日、缶ビールのケース二つくらい呑んでるかな?」

 なので空き缶とダンボールのゴミが山のようにたまるたまる。ゴミの日を一回忘れただけでひどい有様になる。

 彼が私に聞く。

 趣味とかないんすか?

「お酒飲む事。それと食べる事ー」

 いや、それ以外で。

「それ以外で? うーん…………ない!」

 ………ないんすか。

 彼は呆れたようにそう言って、焼いたお肉に箸を伸ばした。

 私も負けじと箸を伸ばし、何枚かまとめて口に含む。

「うまっ!」

 私は昔から、何でもできる子だった。

 興味を持った事にすぐに手を出すと、あっという間に上手くなり、誰よりも上手くなった所で興味をなくし、また別のものに手を出す。

 早いもので三日、長くても一ヵ月以上同じものを続けた記憶はなかった。

 国語も英語も数学も。

 バスケもバレーボールもテニスも。

 オセロも囲碁もチェスも。

 手芸も生け花もダーツも。

 槍投げも弓道もフェンシングも。

 瞬く間に上達し、全てを極め、制覇した頃にやめる。

 なんか、どっかの学者さんとかアスリートの人が、弟子入りしてこないかと言ってきた事もあったけど、その時にはもうそれについては興味を失っていたので断った。

 自分でもどうしてそんなに早く興味をなくすのか疑問だったけど、ある時気付いた。

 学ぶ事、上達する事は楽しい。

 でも、全てを学んでしまったり、周りに敵なしになってしまうと、もうそれ以上の成長がなくなる。そこでストップ、頭打ち。ゲームの中の最高レベル。

 そうなってしまうとそれ以上続けても無意味。

 だから私は興味を失う。いろんなものに手を出しては、すぐに飽きてしまう。

 今のこの空っぽの部屋が、それを象徴していた。

 何でもできる私は、何にもなかった。

 けど、だからこそここ最近の私は自分でも思うくらいに珍しい自分。

 一つの事に悩んで悩んで、それでいて今なおその答えが出ていなかった。

 私の中にあったもやもやは彼が好きだということ。

 そして好きというのは、幸せだということ。

 なら、その幸せとは一体なんなのだろう。

 いくら頭をグルグル回しても答えは出てこない。

 お酒を飲んでも、お肉を食べても、正解が振ってわいたりしない。

 出口のない迷宮を、永遠と彷徨っているようだ。

 わからないわからないわからない。

 幸せって何? 幸福ってなんなの?

 見えるものなの? 触れるものなの?

 どんな形をしているの? どのくらいの重さなの?

 大きいの? 小さいの?

 どこにでもあるの? たくさんあるの?

「……………幸せって、なんなのかなー………」

 …………………………ってんだか。

「ん? 何か言った?」

 彼の呟きが聞き取れず、私は聞き返す。彼は幼い子供に言い聞かせるような口調で、言った。

 あんな幸せそうな顔してた人が、何言ってんだか、って言ったんすよ。

 その表情は呆れ顔。こんな簡単な事がどうしてわからないのか、と暗に示していた。

「え? 私そんな顔してた? いつのこと?」

 いや、さっきまで普通にしてじゃないっすか。肉食ってる時とかに、思いっきりしてました。

「…………………………」

 雷に打たれたくらいの衝撃が、私の中を突き抜けた。

 食べてる時が幸せ?

 そういえば確かに、飲んで食べている時は、いろんな事を忘れられる。

 ただ飲んで、ただ食べている。

 何も考えず、ただ飲む事ができ、食べる事ができる。

 会社の事とか、家族の小言とか、悩み事とか、考える事なく。

 確かにその時の私は、最高の気分、てっぺんにいる気分だった。

 そうやって食べる事が幸せ。

 幸せ。

「………にゃるにゃるにゃるにゃる」

 なあんだ。そういう事だったのかー。

 好きなのは幸せな事。

 幸せなのは食べる事。

 つまり、好きだっていうのは、食べる事だという事だ。

 なあんだ。なあんだ。こんなに簡単な事だったんだ。

 やっと全ての謎が解けた。真実はいつも一つだった。

 好きだっていうのは食べる事なんだ。

 確かに確かに私は食べる事が好き。お酒を飲むのが好き。お肉を食べるのが好き。

 それだけができればそれで満足。大大大大大満足。楽しく生きていける。

 わかったわかった。じゃあこれから彼を食べよう食べよう食べちゃおう。

 それが好きだって、幸せだって事なんだから、食べちゃおう。

 うーん、でも、食べたら彼は彼じゃなくなっちゃうよね。

 私が食べたら私の血となり肉となって、私の体と共にあり、一緒くたになる。

 それはつまり、私の物になるー、って事だよね。

 好きなものを食べて、それが私の物になる。

 それはとっても嬉しい。それはとっても楽しい。

 いいないいな、今すぐにでも食べちゃいたい。

 でも一応、本人に聞いておかないとダメだよね。勝手に食べたら食い意地がはってるって思われちゃう。

 なので私は彼に聞きました。

 頬を赤らめて、精一杯甘えた声で。

「キミの事食べて私の物にしちゃおうかな~」




 ―――数十分後。

 パクパクモグモグムシャムシャ。

 パクパクモグモグムシャムシャ。

 パクパクモグモグムシャムシャ。

 パクパクモグモグムシャムシャパクパクモグモグムシャムシャパクパクモグモグムシャムシャパクパクモグモグムシャムシャパクパクモグモグムシャムシャパクパクモグモグムシャムシャパクパクモグモグムシャムシャパクパクモグモグムシャムシャパクパクモグモグムシャムシャパクパクモグモグムシャムシャ。

「ああ、美味しい。サイコー!」

 パクパクモグモグパクパクモグモグパクパクモグモグ。

 ガブガブガブガブゴクゴクゴクゴク。

 パクパクモグモグ、ガブガブゴクゴク、パクパクモグモグ、ガブガブゴクゴク、パクパクモグモグ、ガブガブゴクゴク、パクパクモグモグ、ガブガブゴクゴク、パクパクモグモグ、ガブガブゴクゴク、パクパクモグモグ、ガブガブゴクゴク、パクパクモグモグ、ガブガブゴクゴク、パクパクモグモグ、ガブガブゴクゴク、パクパクモグモグ、ガブガブゴクゴク、パクパクモグモグ、ガブガブゴクゴク。

「うーん。まだまだ飲み足りないぞー!」

 ガツガツガツガツガツガツガツガツ。

 クチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャ。

 ガツガツクチャクチャガツガツクチャクチャガツガツクチャクチャガツガツクチャクチャガツガツクチャクチャガツガツクチャクチャガツガツクチャクチャガツガツクチャクチャガツガツクチャクチャガツガツクチャクチャガツガツクチャクチャガツガツクチャクチャガツガツクチャクチャガツガツクチャクチャガツガツクチャクチャガツガツクチャクチャガツガツクチャクチャガツガツクチャクチャガツガツクチャクチャガツガツクチャクチャ。

 ゴックン。

 ―――カラン。

「ごちそうさまでした」






タイトル:貴方様を一番に考えて

星座:やぎ座

タイプ:洗脳型ヤンデレ




(コンコン)

「失礼します。お飲み物をお持ちしました。少し、休憩なさったらいかがでしょう?」

 ああ、もらうよ。

 貴方様は執務机から顔を上げると、私(わたくし)の差し出した湯飲みを受け取りました。

 ありがとう。

 私にそうお礼を言った後、湯飲みを一口含みます。

 私はその光景を確認した後、脇の置かれている別の椅子に座りました。

「お仕事の方は順調ですか?」

 私の問いにゆっくりと首を縦に振る貴方様。

「そうですか。それは何よりです」

 順調であるなら嬉しい事の外ありません。

 私と貴方様の生活を守るための大切なお仕事。

 貴方様が働き、そしてそんな貴方様を支えるのがこの私の役割なのです。

「長時間同じ体勢でお疲れでしょう。肩をお揉みします」

 貴方様の返事を待ってから、私は椅子から立ち上がり、貴方様の背後に回ります。そして両手をその肩に乗せると、ゆっくりと動かし始めました。

(もみもみもみもみ)

「………ずいぶんとこっているようですね。筋肉が硬くなっていますよ、貴方様」

 私は肩の部分を満遍なく揉み解していきます。首との付け根から腕の部分まで幅広く。

 貴方様は私の動きになすがままのようでした。時折安堵の吐息がこぼれるのが私の耳へと届いてきます。

 気持ち良さそうで何よりかな。貴方様の疲れを癒してあげるのは、私の果たすべき責務。当然の事です。

 貴方様のみに尽くし、貴方様にこの身を捧げ、貴方様の為だけに行動する。

 それが私の存在意義です。

 そして、そんな私の行動に応えるのはまた、貴方様の義務なのです。

「そうそう、貴方様。一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 なんだい?

 貴方様は前を向いたまま聞き返してきました。

 私は手の動きを続けたまま、それを尋ねました。

「先ほどは、一体誰と、ご連絡を取っていたのですか?」

 ………!

 私が尋ねた瞬間、貴方様の体がこわばったのが手の平から伝わってきました。

 あらあら、折角ほぐしてあげたというのに、また元通りです。

 私は先ほどよりも力を強くして、もう一度揉み直します。

(もみもみもみもみ)

 ………し、仕事の電話だよ。

 たっぷりの沈黙を置いた後、貴方様はそう答えました。

「お仕事の………そうですか」

 そうそう、そうだよ。ちょっと打ち合わせでね………

「好きだの愛してるだの、一緒に出かけようなどと言っていたのに、お仕事のそれなんですか」

 ……………!

 私の台詞に、再度体をこわばらせる貴方様。

 まったくもう、仕方ありません事。

 私は更に力を込めて、貴方様の肩を揉みます。

(もみもみもみもみ)

 実の所、先の私の台詞は半分推測の上での言葉だったのですが、しかしそれは当たっていたようです。

 い、いや、違うんだよ………これには訳が。

 うろたえた様に言葉を震えさせる貴方様。まるで閻魔大王でも相手にしているかのようです。そんな存在などどこにもいないというのに、おかしな人でした。

「言い訳ですか。違いますでしょう? 今、貴方様が言うべきなのは、違う事ではないのですか?」

 私は耳元に口を寄せ、優しく諭すように言って差し上げます。甘く甘く、とろけるような声音で。

 なぜか貴方様は滴るような大量の汗を流しながら、震えた声で口を開きます。

 ご、ごめんなさい………

「……………」

 私は手の力を更に強くしました。

(もみもみもみもみ)

 許してください。もうしないから………

「……………」

 私は手の力を更に更に強くしました。

(もみもみもみもみ)

 何でもしますから、勘弁して………

「何でもすると、言いましたか?」

 私が確認するように問い返すと、貴方様は首を縦に振りました。

 私はそれを見て満足すると、手の力を弱くして差し上げました。

 貴方様がほっと一息吐いたのが見て取れました。まるで肩の荷が下りたかのような。心なしか、筋肉が柔らかくなっているような気がします。

 私は手の動きを継続しつつ「それでは………」と折角の貴方様の言葉に甘える事にいたします。

「これから、もう金輪際、未来永劫、私以外の女性と話をしないでください。触れないでください。目を合わせないでください。同じ空気を吸わないでください。他の女性の事を考えないでください。思い浮かべないでください。他の女性の名前を出さないでください。貴方様の記憶から抹消してください。よろしいですね?」

 ……………。

 なぜでしょうか、貴方様の返事がありません。

「どうしたのですか? 何でもすると、そう仰いましたよね? もしかして、私の聞き間違いだったのでしょうか?」

 ………け、けど。

 貴方様が何かを言います。

「それとももしかすると、嘘だったのですか? ああ、なんて事でしょうなんて事でしょう。まさか貴方様がこの私に嘘を吐くなんて。最愛たる私に嘘を吐くなんて吐くなんて。ああ、ひどいひどい。本当に本当にひどい事をなさるんですね」

 ………い、いや………。

 貴方様が何かを述べます。

「私は悲しいです。貴方様からそんな仕打ちを受けて悲しいです。心の底から傷つきました。深い深い傷を受けました。その痛みに胸が張り裂けそうです。泣き叫びたいです。ああ、悲しいです。悲しいです……………」

 わ、わかったわかった。君の言うとおりにする。君の言うとおりにするから!

 私が悲しみに明け暮れると、貴方様が焦りの感情と共にそう言葉をつむぎました。

 私はそんな貴方様の言葉に心から安心し、「ありがとうございます」とお礼の弁を述べ、すっかりほぐれた肩から、手を下ろします。

 これは貴方様のため。

 全ては貴方様のため。

 私は貴方様の為を思ってやっているのです。

 それ以外の他意など何もありません。

 思惑もなければ策略だってありません。

 貴方様が道を外れそうになったら、私が導いて差し上げる。

 私が正しい道へと手を引っ張って導いていく。

 この私が導いた場所こそ正しい道です。

 ですので私に全てをお任せください。

 貴方様を導いていく。

 それが、私の役目なのです。




(ガチャッ)

「あ、貴方様。おはようございます。もう少しで朝食がご用意できますで、もうしばらくお待ちくださいませ」

 私は入ってきた貴方様に向けてそう言うと、再び手元に視線を戻し、朝食の準備を再開させます。

(トントントントン、トントントントン)

 包丁を小気味よく叩きつつ、手際よく調理を進めて行きます。

 そんな私の脇で、貴方様は食卓に着くと、置いてあった今朝の新聞を手に取りました。

 なんらいつもと変わらぬ風景。日常の光景。

(トントントントン、トントントントン)

 私は野菜を切ります。細かく細かく、一口大に小さくしていきます。大きい塊だと火の通りが悪くなります。一つ一つ、細やかな気配りが、最終的な美味しさへと繋がります。

 貴方様に美味しい食事を食べていただくべく、私は努力を惜しみません。

(トントントントン、トントントントン)

 貴方様の健康を気遣うのが妻たる私の役割。

 それは食事だけに収まるものではありません。

 食事以外の健康も、もちろん重要です。

 貴方様がいつまでも元気でいられるよう、支えるのは当然の事なのです。

 ごくごく当たり前の、義務の一つです。

(トントントントン、トントントントン)

 私は包丁を操る手を動かしながら、新聞を読む貴方様に話しかけます。

「そうそう。貴方様」

 何?

 貴方様は新聞を読むのをやめないまま、横着に聞き返しました。私も手を止める事なく、その問いを発します。

「昨晩の夜中は、一体どこにお出かけになったのですか?」

 ぐしゃりと、新聞を握り締める音が聞こえてきました。

「確か深夜の一時ごろから三時前まででしたか。その間の時間、一体どこに行っていたのです?」

(トントントントン、トントントントン)

 手元の野菜はどんどんと小さくなっていきます。一口大というより、豆粒くらいの大きさになっていました。

 まあ、小さければ小さいほど、食べやすいですので、あまり気にはしません。

 ……………。

 貴方様からの答えは中々返って来ませんでした。

 貴方様自身の事のはずなのに、どうして答えられないのでしょうか。

 仕方がありませんので、私がその答えを言って差し上げます。

「深夜も開いているお店と、近くの公園でしたよね?」

 ぐしゃぐしゃ、と再度新聞を握る音がしました。

 そんなにぐしゃぐしゃにしてしまったら、文字を読む事ができなくなってしまうでしょうに。いったいどうしたというのでしょう。

 まさか、私が言い当てた事に驚いているのでしょうか。

 いやはや、なんて事はありません。私は、愛する貴方様の事なら何でも知っているのです。愛しているが故に、私が貴方様の事で知らない事は何一つないのです。

 貴方様の事を全て知るのは当然の事。責務であり、義務。

 いえもちろん、望まない義務感などではなく、私は喜んだ上で、率先して行っているのですけれど。

 貴方様の何もかも全てを知った上で、貴方様の健康をお守りする。

 それのどこが、驚く事なのでしょう。不思議なのでしょう。わかりませんでした。

(トントントントン、トントントントン)

「一体なぜ、そんな事をしていたのですか? こっそりと、こそこそする真似をしてまで」

(トントントントン、トントントントン)

「まったく困ります。夜はきちんと寝ていただかないと。睡眠不足は病気の第一歩なのですよ」

(トントントントン、トントントントン)

「更に加えて、お夜食もお食べになっていましたわよね。一食分もかくやというくらいに。しかも油や塩分が過剰に付与されているものをわざわざ選んで。やれやれ、困ったものです」

(トントントントン、トントントントン)

「私が寝てくださいと言ったら寝てください。私が用意する以外の物は食べないでください。これは何も意地悪ではなく、貴方様の為を思って言っているのですよ?」

(トントントントン、トントントントン)

「私は貴方様の健康を第一に考えています。貴方様がいつまでも元気でいられるよう考えて考えてお世話しています。貴方様に少しでも長生きしていただきたく、考えて考えて考え抜いて健康管理をして差し上げているのです」

(トントントントン、トントントントン)

「ですので、今後は二度と、あんな真似をなさらないようにしてください。

 貴方様は私が言う事以外はしなくていいのです。

 貴方様は私が言う事以外はする必要はないのです。

 貴方様は私が言う事以外はしないでください。

 貴方様は私が言う事以外はしてはいけません。

 全ては私の言うとおりに。

 私の言う事だけをしていればそれで良いのです」

 ―――それが何より、貴方様の為になるのですから。

 私は貴方様への愛情を真摯に込めつつ、そう言葉を送ります。

「わかっていただけましたか、貴方様?」

 私は手を止め、にっこりとした笑顔を貴方様に向けます。これ以上なく、自愛に満ちた天使の如くの表情で。

 は、はい………。

 貴方様は消え入りそうな小さな声で、そう返事をするのでした。

 わかってくれたようでよかったです。

 私は貴方様の全てを管理します。

 貴方様の為に。

 貴方様の為に。

 貴方様の為に。

 それが貴方様の為になると信じて。

 私の言う事に何一つ間違いはありません。

 だって、貴方様を一番に考えている、この私が言う事なのですから。

 間違っているとすればそれは貴方様であり、対して、この私がする事は全てが正しいのです。

 貴方様は安心して私の言葉をお聞きください。

 迷える貴方様を私が正しく導いて差し上げます。




(ジャラン)

「今日は実にいい天気ですね。貴方様」

 見渡す限りの青空。お天道様の光が何の境もなく届けられる陽気。心地よい風が私達の間を抜けていきます。

 今日はまさに、絶好のお散歩日和。

 私は貴方様と共に、緑の自然が両脇に生い茂る中を歩いておりました。

 ………そうだね。

 そんな天気が良いのにも関わらず、貴方様はどことなく影を帯びた声でつぶやきます。ここの所、あまり外に出ていなかったのが原因なのでしょうか。

 だとすれば久々の陽光の下。今日は思う存分たっぷりと太陽の光を浴びてもらいましょう。

(ジャラン)

 私達は道なりに歩を進めて行きます。

 時折野花に足を止めつつ、ゆっくりと、風景を楽しむように。

 その間、何度か言葉を交わしますが、私が話しかけるばかりで、あなた様は気のない返事を繰り返すばかりでした。

 折角のお散歩であるというのに、話甲斐のない事です。

 というより、私との話に集中していないようにも見えます。

 じっと、何かを考え込んでいるかのような様子。

 私の事を差し置きながら、一体何を考えているのでしょう。

(ジャラン)

 道なりに休む事なく歩いていくと、やがて視界が開けた場所へと到達します。

「まあ………」

 視界に入る光景に、思わず感嘆の声が出てきました。

 そこに広がるのは、一面の花畑。

 色とりどり、数多くの花が満面に広がる光景。

 なんという美しい風景でしょうか。

 私がそれに目を奪われていた、その時、

(ジャラッ! ガシッ!)

 貴方様が突如走り出そうとしたので、私は手に持った鎖を引っ張ります。すると鎖の先につながれた首輪を嵌めた貴方様は当然、鎖の長さ以上には離れる事ができず、足を滑らせ勢いあまって地面に倒れてしまいました。

「突然どうしたのですか、貴方様?」

 ……………。

 地面にうずくまる貴方様は何も答えようとしませんでした。

(ジャラン!)

 私は鎖を引っ張ります。当然、貴方様がこちらに近付く形になります。

「ですから、どうしたのですか?」

 私はもう一度問います。ちゃんと言葉が届くように、ゆっくりとした口調で。

 貴方様は苦悶の表情を浮かべつつ、その口を開きました。

 ………いい天気だから、ちょっと走りたくなって。

 目が泳ぎ、声は震え、つっけんどんとした台詞。

「そうですか。運動は健康にいいものですからね」

 貴方様の本心は違うような気がしましたが、しかし、貴方様がそう言うのであれば、そう信じる事にいたしましょう。

 信じる事もまた愛の一つの形。

 そう、この鎖と首輪と同じように、ね。

 貴方様は私に言ってくださいました。

 私の傍に一生いてくれる、と。

 私の傍を一生離れない、と。

 私と一生を添い遂げてくれる、と。

 私を一生の間愛してくれる、と。

 そう、私に約束してくれたのです。

 私も、貴方様と同じ気持ちです。

(ジャラン)

 だからこの鎖と首輪は、私の愛の形を示したもの。

 どんな言葉を貴方様に伝えても足りません。

 どんなに貴方に尽くしても尽くしきれないこの想い。

 それを現実に形にしたのが、この鎖と首輪。

 これがあれば、私と貴方様は永遠に離れる事はありません。

 朝も昼も夜も、食事の時も湯汲みの時も夜愛してくださる時も、ずっとずっと一緒にいる事ができます。

 どんな時も、いかなる時も、いざという時も、けっして貴方様を離しません。

 けっして離さず、私の手の中に。

 私の物である貴方様。

 私の物は私の物。

 貴方様という全ては、私の物なのです。私の所有物なのです。

 私は愛の証である鎖を引き、貴方様を引き寄せ、囁くように言葉をつむぎます。

「愛しています。貴方様。

 この世の誰よりも、愛しています。

 これより先、未来永劫、永遠に貴方を愛して差し上げます。

 ですので、貴方様の全てをください。

 上から下、頭の上からつま先まで。

 貴方様の全てという全て。

 心も体も、全てをこの私に」

 その全てはこの私の物。

 他の誰にもけっして譲りません。あげません。奪わせません。

 私は何があろうとこの手を離しません。

 この私が、大事に大事にとっておきます。

「ですので、安心してください。

 私の物である以上、大事に大事に扱ってあげますから。

 大事に大事にお世話してあげますから」

 箱の中にしまって大切に大切にします。

 箱の外には絶対に出しません。

 壊れないよう、大切に大切に、繊細に触れてあげます。

 壊れてしまったら元も子もありません。

 何もかも、食事から排泄まで全て、私がお世話してあげますから。

 何もかも、過不足なく、不自由なく、私が飼育してあげますから。

 ですので。

 ―――私の物になりなさい。

「大丈夫ですよ。貴方様」

 私は貴方様からの見返りなど求めません。

 ああ、いえ、わがままを言わせてもらうのなら、一つだけ。

 その一つ以外は、私は求めません。

 その一つだけがあれば、私は満足です。

 私は貴方様の顔のすぐ間近で、それを口にします。

「貴方様はただ私を愛していれば良いのです」

 それさえあれば、私は一生幸せでいられます。

 貴方様が幸せであるように。






タイトル:デイドリームトゥモロー

星座:みずがめ座

タイプ:崇拝型ヤンデレ




【研究レポート:No.1843】

(かなり精緻で硬筆のお手本のような文字で書かれている)

 本日は短距離間によるテレポートの実証実験を行った。

 場所Aから十メートル間隔に場所B、場所C、…と、等間隔に出現位置を定めて出力装置を置いていき、場所Aに置いた入力装置から様々な大きさ、形の物体を移動させる実験。

 場所Aから電子信号のみを物体に与え、その物体にまったく触れる事なく移動させる事ができれば成功だったが、ほぼ全ての物体は移動する事なく失敗。

 ごくごく一部が移動した物体もあったのだが、大きさ、形ともに元の物体とはまったく異なる物体に変容したため、そのデータは今後の研究にはあまり役に立たないかと思われる。

 それと本日、他社の研究所より派遣された新たな研究員がチームに加わった。

 技術交流の一時的な参加だが、わたし達の研究の邪魔をしなければあまり関係ない事だ。


【研究レポート:No.1855】

 昨日より引き続き行われている電気信号がその強度によってどの程度物体に影響を与えるか調べる実験。

 昨日は主に固体に関する実験だったが、本日は、液体の物体を使った実験を行った。

 やはり液体は物体が流動する性質を持つため、固体以上に分子間の移動が激しく行われていた。

 他の固形物を混ぜた粘性のある液体よりも、純粋な液体の方がより顕著な傾向にあり、今後のテレポートの実験では、より複雑で精密な電気信号を送らなければ成功する可能性は低いように思われる。

 それにしても、あの新人は派遣されてきただけあって能力はそこそこあるようだが、いかんせん頭の回転が鈍い所があるようだ。至極簡単な経過観察の記録にも関わらず、入力方法を他の研究員が指摘するまで間違って記録してしまっていた。

 そのため実験のやり直しが行われた。

 まあ初期段階で発見したため大過に影響は無かったのだが。


【研究レポート:No.1871】

 本日はテレポートの移動距離に応じて同じ電気信号を送り、それぞれの物体にかかる負荷を確かめる実験を行った。

 移動距離が長くなるに応じて負荷もそれに乗じて増加したが、その増加量は等差数列ではなく、等比数列。それも、三次関数の比重において変化していた。

 しかしまったく、いったいなんだというのだろうあの新人は。

 実験の結果が出た直後、データが間違っているだの前提条件がおかしいなどとわたしに向かって抗議してきた。

 一度こうだと信じてしまうとガンと譲らない性格であるらしく、散々喚きに喚いて耳障りな事この上なかった。

 この研究チームのリーダーであるわたしに刃向かうとは。

 いくらなんでも「チビだから」というのが間違っている理由になるはずがないだろう。もう少し理路整然と話をしてもらいたい。

 意外な事に知識量のみに関してはわたしと同列なのだから、もっと頭を使って欲しい。

 にしても、わたしと面と向かってあんな事を言ってくるのは彼が初めてだった。

 幼い頃から神童だ天才だと持て囃され、数年前にこの研究所のトップに立ってからは、皆わたしを腫れ物のように扱ってくる者が殆どだったからだ。

 ああ、忌々しい。

 彼の顔を思い出すだけで怒りが蘇ってくる。


【研究レポート:No.1880】

 再度物体を移動させるテレポートの実証実験が行われた。

 前回の実験の時よりも電気信号の精度を上げ、時間、強さをより詳細にして実験した。

 少なくとも以前よりは移動する体積が増えた結果に終わった。

 実験終了後、休憩室であの彼と話す機会があった。

 彼はわたしが休憩室に入ってもなんら忖度する事なく普通に話しかけてきた。

 皆が皆、わたしの事を変人扱いして研究の事以外で話しかける事などまったくないというのに。

 人とあまりコミュニケーションを取らないわたしは口下手でうまくしゃべる事ができなかったため、主に彼の話を聞いた。

 彼は自身の夢を語った。

 彼の夢は、時間を移動するタイムマシンを作る事なのだそうだ。

 タイムマシンを作り、未来の人間と多くの話をする。

 未来は今よりももっともっと技術が発展しているはずで、その話をたくさん聞いて、知って、見たいのだという。

 何でそんな夢を抱いたのか、聞いてもいないのにかかわらず彼はこう言った。

 その昔、自分は未来人に会った事があるからだと。

 わたしは笑わなかった。いや、頭の中では一笑に付する話なのだが、普段のコミュニケーションの欠如からか、こういった際に笑うという感情が表に出なかったのだった。

 それをどのように勘違いしたのか、彼は真面目に聞いてくれてありがとう、とそう言って更に、これを聞いて笑わなかったのは君が初めてだ、とも言った。

 その時の彼の表情は、とても純真無垢のそれだった。


【研究レポート:No.1887】

 本日は固体及び液体の複雑な構造物によるテレポートの実験だった。失敗だった。

 何か変だ。

 いや、実験ではなくわたし個人の事なのだが、最近少し変だった。

 実験中であるにも関わらず頭がボーっとする事があり、そんな時にまったく関係ない事が頭の中を過ぎってしまうのだった。

 その時決まって浮かんでくるのは、いや本当によくわからないのだが、あの彼の顔だった。

 先日あの休憩室で彼と話してから、よくその顔が頭に浮かんでくる。

 更に気が付くと彼の動向を目で追ってしまっている事があり、それで危うく大惨事を招く直前に陥った事も何度かあった。

 一体なんだろう。どうしたのだろう。

 わたしは何かあるいはどこか、おかしくなってしまったのだろうか。


【研究レポート:No.1895】

 本日の実験も失敗に終わった。

 彼の参加期間ももうすぐ終了の日付がせまってきていた。

 かねてより一時的な参加という事で、当初より決まっている事なのだから当然だ。

 そう、その日を越えれば、もうあの顔を見なくて済む。

 もうあの顔を見ないで済む。

 もうあの顔を見ないでいい。

 もうあの顔を見る事はない。

 もうあの顔を見る事ができない。

 もうあの顔が見えない。

 もうあの顔が見れない。

 もうあの顔がわたしの前からなくなってしまう。

 もうあの顔がわたしより消えてしまう。

 もうあの顔が……………

 もう…………………………

 ………………………………………


【研究レポート:No.1898】

 本日、彼が研究所を去る日。

 この研究所を去って、海外の施設へ旅立つ日。

 他の研究員は彼を見送りに表へと見送ったが、わたしはそれに参加せずに実験に取り組んでいた。

 実験の前に彼はわたしの前に顔を出したが、わたしは彼の顔を見る事なく、さりとて何も言う事はなかった。横目で盗み見た限りでは、彼は少しだけ寂寥感ある表情を浮かべていた。

 実験の最中、わたしは集中する事ができずにいた。

 その時浮かんできたのは、彼の表情だった。

 彼の見せた笑顔。

 彼の見せた怒り顔。

 彼の見せた寂し顔。

 彼の見せた落ち込み顔。

 彼の見せた照れ顔。

 彼の見せた真摯な顔。

 今まで彼の見せた顔がわたしの頭の中にぐるぐると回るように次々と浮かんできては消えを繰り返した。

 彼の顔。彼の顔。彼の顔。

 それがわたしの頭の中を埋め尽くした。

 そしていつしか、わたしは実験が途中であるにも関わらずそれを放り出して、研究所を飛び出していた。

 走って走って、息を切らせながら向かった先は、空港だった。

 ちょうど飛行機が到着した直後らしく、そこは人でごった返していて、人ごみが苦手なわたしは人の多さに卒倒しそうになったもののなんとかそれを押し止め、懸命に目を走らせてあるものを探した。

 それは中々見つからなかった。

 しかし諦めずにあちこちを探すと、それが見つかった。

 ようやく見つかったそれにわたしは急いで近付き、その人物の服の袖を掴んだ。

 その人物が振り向き、驚いた表情をしたその顔に、わたしはこう言った。

「わたしも、付いてく。わたしも、連れてって」

 その人物、彼は再度驚きの表情を浮かべたものの、いいよ、と了承してくれた。

 そしてわたしは今、飛行機の中、彼の隣の席で、これを書いている。

 彼が不思議そうに覗き込んでくるものの、わたしは腕で見えないようにしながら、ペンを持つ腕を動かす。

 どうして自分がこんな事をしてしまったのかは、今でもよくわからない。

 でも、唯一つ言えるとすれば、はっきりと正解だと証明できるのは。

 こうして、彼の隣にいる事を、まったく欠片も一ミリも、後悔していない事だった。


【研究レポート:No.4032】

(丁寧な文字だが、端々で乱れた部分が見受けられる)

 本日になってようやく、四次元間を移動する転送装置、いわゆるタイムマシンの試行機一号が完成した。

 ここにいたるまで、思えばかなりの年月を経過した。

 わたしが彼とともに研究するようになってから。

 彼の夢をかなえるべく、彼の研究を手助けするようになってから、もう数年の時間が経過している。

 このわたしがひとつの事に集中し没頭し研究して、結果を出すまでこれほど時間がかかったものは他に類を見ない。

 いや、その成果を鑑みればむしろ早い方なのかもしれない。わたしはそこまで理解はしていないが、周囲は偉大な成果だと騒いでいる。

 実際、このわたしがいなかったら、誇張するわけではなくここまで到達するのに後何十年、いや、何百年、いや、どれほど時間を費やしても到達する事さえなかったのかもしれない。そのくらいの成果だという自負はあった。

 彼の夢がかなうのは、彼の死後のはるか先になったのかもしれない。

 そう思うと、本当にあの時彼を追いかけて来てよかったと思う。

 この成し遂げた成果に対してではなく、彼のために。彼の夢にために。


【研究レポート:No.4057】

 本日、全ての準備が整って、初めてタイムマシンの試行機一号による時間移動の実験が行われる。

 実験に参加し時間移動を行うのは、このわたし一人だ。

 彼と同じこの研究の第一人者であるこのわたしが選ばれた。

 彼が担うという案も合ったが、体のサイズがよりコンパクトな方が失敗の確率が少ないだろうと、なかばわたしが自薦する形で最終決定した。

 彼の夢なのだから彼が行くべきだったのかもしれないが、彼は不満を顔に出す事なくむしろわたしを激励してくれた。

 それに、もちろん失敗の可能性だって当然存在している。それを考えれても、わたしがやるべきだと思った。

 彼がいなくなれば、彼の夢がかなう事は永遠になくなってしまうのだから。

 だからというわけではないし、もちろん遺書のつもりもさらさらないが、本日はこうして実験前にこの文章を書いている。

 彼の夢。

 そう、彼の夢をかなえるためにわたしはここまで彼を手助けしてきた。

 どうして彼のために、赤の他人のためにそんな事をしたのか。

 感情論であるため、更に主観的な問題なので推測する他ないが、おそらくわたしは彼の夢に対する純真さ、そのまっすぐさに、惹かれたように思う。

 わたしはそれまで、言われるがまま、レールの上に乗りながら、研究を行ってきた。自分のためでも、誰かのためでもなく、淡々と研究を繰り返してきた。

 彼は違った。

 彼は自分のため、自分の夢のためにまっすぐ自分の足で歩きながら行動していた。

 その姿が、わたしにはまぶしく見えたようだ。

 わたしはそんな彼のために。

 いや、違う。

 そんなまっすぐな彼と共にいたい、一緒にいたい自分のために、ここまでやってきた。

 もしこの実験が成功すれば、飛躍的に彼の夢が叶う時は目前にまで近付くだろう。

 彼の夢がかなったら、わたしがいる必要もなくなってしまう。

 わたしと彼は、離れ離れになるかもしれない。

 だから、本日の実験が終わったら。

 実験が成功し、無事に帰ってこられたのなら。

 彼の元へ行き、わたしはこう言おうと思っている。

「―――ずっと、これから。この先も。

 きっとあなたの役に立つ発明をするから、傍にいてもいい…?」

 ………と、いけないいけない。これじゃまるで本当に遺書の文章に見えてしまう。

 このわたしがしている研究なのだ。

 成功するに決まっている。

 このくらいにしておいて、そろそろいこう。

 次に書くこれは、成功の二文字を記すだろうと、わたしは確信している。

 では。


【研究レポート:No.4058】

(文字とも記号とも取れないひどく形の崩れた文章が何行にもわたっている。その部分の解読は不可能)

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 ―――。――――――、――――――。―――――。

 ……………落ち着け、落ち着け、落ち着こう。深呼吸しよう。

 落ち着いて、何が起こったのか、一つ一つ整理していこう。

 ありのままあった事を書き出していってそれから理解していこう。

 まずわたしはタイムマシンを使って未来の時間へと飛んだ。

 現段階では、時間のプラス側、未来の側の方がより不確定であり、イレギュラーが発生しても修正がしやすいという事で未来への時間移行と相成った。

 未来のどの場所へと向かうのか、迷うわたしに彼は、君の行きたい所に行ってきたらいいよと言ったので、必然的にそれは一つしかなかった。

 到着した当初は確信できなかったが、確かにわたしは未来の時間へと飛んだ。

 そして、わたしの行きたかった場所、即ち未来の彼がいる場所へと来ていた。

 そこはバーのような所だった。

 その席の一つに、彼は座っていた。

 彼は確かに、皮脂が十数年分経過した劣化具合で、髪の毛も同様で根元辺りに白色した箇所が見受けられたので、未来の彼だとすぐにわかった。

 実験の成功にわたしは嬉しくなって彼に近付こうとしたものの、しかし鼻に付いたにおいに思わず足を止めた。

 それは久しく嗅いだ事のないお酒の匂いだった。しかもその匂いは店の中にあるお酒ではなく、彼の体から発せられている匂いだった。

 泥酔した彼はなかばテーブルに突っ伏したような体勢で、とろんとした目をわたしへと向け、わたしに気付いた。が、お酒のせいで正しく認識している様子ではなかった。

 そんな彼に手招きされ、そのままわたしは彼の隣へと座った。

 彼は話相手が見つかったとばかりに話し始める。

 自分は人類史上最大最高の発明をして大金持ちになったのだと。

 そのお金で毎晩毎晩、豪遊し、お酒を飲む生活で日々を過ごしているのだと。

 わたしは意味がわからなかった。理解できなかった。

 つい先ほどの確信が嘘のように、今目の前にいるのが、本当にあの彼なのだろうかと。

 姿形は幾分年月が経過しているものの、確かに彼だった。そう頭の中ではわかってはいるのだが、しかしどうやっても、同一人物だという認識をする事が不可能だった。

 彼はお酒を飲みつつ繰り返し同じ話を何度もし続け、その内に閉店時間へと相成った。

 わたしはぐでんぐでんになった彼を店の前で放置する事ができず、彼の体をなんとか支えるようにして、彼の家へと送り届けた。

 家の中はひどい有様だった。いや、わたしも人の事は言えないのだが、それでもそこかしこに酒瓶やカップ麺やお弁当のゴミで足の踏み場もないくらい散らかっているのはひどいと思った。

 自宅に戻ってもまだ、彼は酔っ払ったままだった。目がとろんとしていて足がおぼつかない。

 じゃ、じゃあ。とわたしが帰ろうとしたその時、パシ、と彼に腕をつかまれた。

 振り返ると、にたにたとした笑顔を貼り付けた彼の姿がそこにはあった。

 そんな彼の顔は初めて見た。ひどく醜悪で陰険な笑顔。

 彼がろれつの回らない声で言葉を発する。

 いわく、お前はずっと俺と一緒に働いてたよな。

 いわく、絶対俺の事好きなんだろう。

 いわく、だから、いいよな。

 え、とわたしが疑問に思う間もなく、彼の腕がわたしの服に伸びてきて、そのまま引きちぎるように前の部分を開かされる。飛んでいったボタンがコロンと音を立てる。開いた服の間からすうっと空気が入り込み、素肌に冷たい感触が伝わった。

 そして、彼に押されるように後ろに倒され、わたしの上に彼が覆いかぶさってくる。

 彼の顔面が目の前にあり、はあぁ、と彼のお酒臭い不快感あふれる息が顔面にかけられた所で、やっと今何をされようとしているのかを理解した。

 やめて! とわたしは大声で発し、小さい腕で思い切り彼を突き飛ばして横にどけると、右手で服をかき抱くようにしながら彼の家を後にした。

 どれくらい走ったのかわからない。どれだけ走ったのかもわからない。

 しかしなんとかあの場を逃げ出し、どことも知れぬ公園に今、腰を落ち着けている。

 さっきのは一体、誰だったのか?

 彼?

 いや、違う。

 違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う。

 あんなのは彼じゃない彼じゃない彼じゃない。

 わたしの崇拝する、敬愛する彼なんかじゃない!

 絶対違う絶対違う絶対違う絶対違う絶対違う!!!!!!

 違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!!!!!!!!!!!!!

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 ―――。―――、―――。――――。

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 ―――。―――、―――――。――――。

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【研究レポート:No.4059】

 実験は失敗した。

 現在の時間に戻ったわたしは、駆けつけてきた今の彼に、そう告げていた。

 成功していたにも関わらず、なぜかわたしの口はそう言っていた。

 わからないわからない。

 わたしはわたしがわからない。


【研究レポート:No.4073】

 本日の実験も失敗した。

 わたしはあからさまに、手を抜いていた。


【研究レポート:No.4091】

 本日の実験も失敗した。

 わたしはほとんど何もしていなかった。


【研究レポート:No.4120】

 本日の実験も失敗した。

 わたしが失敗するよう仕向けたのだから当然の結果だ。


【研究レポート:No.4142】

 本日の実験も失敗した。

 彼が心配するような言葉をかけてきたが、わたしはそれを無視した。


【研究レポート:No.4163】

 本日の実験も失敗した。

 彼が少しだけ責めるようにわたしを咎めたが、無視した。


【研究レポート:No.4175】

 本日の実験も失敗した。

 彼が怒ってわたしに詰め寄ってきたが、適当にあしらった。


【研究レポート:No.4193】

 本日の実験も失敗した。

 その後彼から、もうこの研究チームから抜けるよう言われた。

 わたしはその日の内に荷物をまとめ、研究所を後にした。

 けっして後ろを振り返ることなく、誰かが見送りにきたとしても、その顔を見る事はできなかった。


【研究レポート:No.5542】

(殴り書きのような全体的に傾いた文字が並んでいる)

 彼に会いたい。

 何の研究もしなかった。


【研究レポート:No.5802】

 彼に会いたい。

 彼に会いたい。

 何の研究もしなかった。


【研究レポート:No.6394】

 彼に会いたい。

 彼に会いたい。

 彼に会いたい。

 私が崇拝し敬愛する彼に会いたい。

 何の研究もしなかった。


【研究レポート:No.6620】

 彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい。

 本日は研究が少しだけ進んだ。


【研究レポート:No.6820】

 彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい。

 本日は研究が順調に進んだ。


【研究レポート:No.7088】

 彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい彼に会いたい。

 本日は研究が飛躍的に進んだ。


【研究レポート:No.7306】

 やった。ついにやった。

 本日とうとう、四次元におけるマイナス方向、つまり過去へ逆行するタイムマシンの試行機が完成した。

 一度未来への時間移動の実験には成功していたが、それとは正反対、まったく異なる過去への時間移動。

 未来への移動は不確定要素が多くそれがゆえに後の調整がしやすかったが、過去への移動は既に確定している状況下に移動しなければならず、一つのミスが命取りとなる。

 何もかもが正反対の時間軸。ゼロから全てを研究しなおさなければなかった。

 しかしこのわたしである。

 たとえ一人きりの研究だろうとも、ここまで到達できたのは必然の出来事だ。

 誰からも依頼される事もなく、誰に命令されるでもなく、わたしが自分の意思によって始めた研究。

 過去への時間移動。

 わたしが崇拝し敬愛する彼は、未来にはいない。

 いや、その未来はもはや今現在の事かもしれない。

 わたしが崇拝し敬愛する彼は、消えていなくなってしまった。

 だが、そんな彼が確実に存在した時間軸がある。

 それが過去の時間。

 未来は不確定だが、しかし過去は確定している。

 わたしが見て聞いて、歩いてきた過去にわたしが崇拝し敬愛した彼は必ずいる。絶対にいる。否が応なくいる。

 それに気が付いた時、それまでの死人のような日々からは一変した。

 本日に至るまで一日たりとも休む事なく研究に没頭し続けた。

 彼に会いたい、その一心で。

 その努力が、ようやく実を結ぶ。

 これで彼に会える。

 これで彼に会う事ができる。

 これで彼に会いに行ける。

 わたしが崇拝し敬愛する彼に会いに行く事ができる。

 さあ、彼に会いに行こう。


【研究レポーと:No.7307】

 過去への時間移動に成功した。

 あくまで試行機の完成のため、実験的な時間移動だったが、やはりわたしの行った研究に綻びや狂いなどなかった。

 相応のリスクが発生する危険性は少なからずあったが、彼に早く会えさえすればわたしにとってはそれで良かった。仮に失敗しわたしが死んだとしても、その後の事など、どうでもよかった。

 そうしてついにやってきた過去。

 その過去でわたしは、彼に会う事ができた。

 わたしと出会った頃より、更に遡って数十年ほど前の過去。

 幼少時の彼。

 ………わたしと出会ったまさにその時に戻るという考えもあった。

 しかし、その時間は、わたしが過去のわたしとして存在していた時間。

 その時間に戻り、過去のわたしが彼と過ごしていた時間を横取りする形になってしまうと、わたしが彼を崇拝し敬愛していたという過去がなくなってしまうかもしれない。

 となるとわたしが彼と未来へのタイムマシンを作る事もなり、こうして過去のタイムマシンを作る事も………

 といった考えをめぐらせた結果、少なくとも出会った頃の時間帯だけは避けたほうがいいと判断し、それより遡った過去へとやってきたのだった。

 幼少時の彼。

 わたしの身長はわたしの年齢の平均よりかなり低いそれだったが、そのわたしよりも更に小さい頃の彼。

 純真無垢な、穢れのない彼。真面目でひたむきで、まっすぐな彼。

 そんな彼が、わたしがどこから来たのかと聞いてきた。

 わたしは「未来から、来た」と、そう答えた。


【研究レポート:No.7312】

 わたしは彼と共に過去の時間を過ごした。

 彼は年相応の屋外での遊びに講じていた。

 身長から勘違いしているのか、彼はわたしを同じ年代の子供と思っているらしく、わたしの手を引っ張り仲間として遊びを強要していた。

 頭脳労働はともかく肉体的な運動は不得意の分野だったため、彼の言うように肉体をうまく動かせず、ノロマやドジという罵倒を頂戴した。

 脳内に鬱憤が溜まったわたしは頭脳をフル回転し策を講じて彼との立場を逆転させた。圧勝の粋まで達してしまったのは、少々大人気なかったかもしれない。

 帰り道、彼の隣を歩きながら、わたしは彼の夢を尋ねた。

 彼は言った。

 タイムマシンを作って、君のような未来の人間といっぱい会って話をするのだと。

 やはり彼はわたしの崇拝し、敬愛する彼だった。彼そのものだった。


【研究レポート:No.7326】

 本日は彼に勉学を教えた。

 彼と過ごす中で、どうやらわたしの頭脳明晰さに気付いたらしい彼が勉強を教えて欲しいと懇願してきたのだ。

 自身の抱く夢のため、少しでも知識を得ておきたい、と。

 肉体的運動では時折遅れをとってしまうわたしは、意気揚々と彼に教えようとしたのだが、いかんせんわたしはコミュニケーション能力に欠点があった。

 数式や化学式をわたしとしては丁寧に説明したつもりなのだが、彼の顔には?マークがありありと浮かんでいた。

 高校生レベルの簡単な問題なのに、何がわからないのかわたしにはわからなかった。

 それでもなんとか言葉を重ねていく内、ようやく彼が理解に至った。

 わかったわかったと、はしゃぎながら嬉しさを表現する彼を見てわたし自身も嬉しくなった。

 彼はわたしに聞いてきた。君はどんな夢があるのかと。

 わたしは少し思慮した後、彼に語った。

 わたし自身の夢を。


【研究レポート:No.7356】

 本日も彼と共に過ごした。

 夜の時間、タイムマシンの研究を進めた。既に一度成功例があるため、本当の完成は近い。


【研究レポート:No.7417】

 本日も彼と共に過ごした。

 完全なるタイムマシンが完成した。これでいつでも、過去への時間移動がかなう。


【研究レポート:No.9274】

 本日も彼と共に過ごした。

 この彼とは、最後の邂逅。

 わたしは彼に何も言うことなく、再びタイムマシンを使用し、過去へと移動した。


【研究レポート:No.9281】

 本日も彼と共に過ごした。

 二度目の過去への移動。

 わたしが二度目という事もあって、一度目とは少々違った彼の行動が見受けられた。


【研究レポート:No.9293】

 本日も彼と共に過ごした。

 微々たる異なった点はあるものの、それでも彼はわたしが崇拝し敬愛する彼である事に変わりなかった。


【研究レポート:No.10967】

 本日も彼と共に過ごした。

 わたしはタイムマシンを使い、再び過去へと移動した。

 

【研究レポート:No.12760】

 本日も彼と共に過ごした。

 わたしはタイムマシンを使い、過去の彼の元へと戻った。


【研究レポート:No.14700】

 本日も彼と共に過ごした。

 わたしはタイムマシンを使い、わたしを知らない彼のところに行った。


【研究レポート:No.16316】

 本日も彼と共に過ごした。

 わたしはタイムマシンを使い、わたしが崇拝し敬愛する彼のところに舞い戻った。


【研究レポート:No.19008】

 本日も彼と共に過ごした。

 わたしはタイムマシンを使い、また彼の所を訪れた。


【研究レポート:No.31892】

(細々とした弱弱しい文字。ところどころがかすれつつもなんとか文章として成立している)

 本日も、彼と、一緒だった。

 もう目があまり見えない。足は棒のようでろくに動かない。

 こうして文字を書くのもやっと、だ。

 わたしは今日まで、彼と一緒にいた。

 何度も何度も、タイムマシンを使って、わたしの愛する彼と共に、過ごした。

 過去に戻り始めてから、わたしは最後の研究を始めていた。

 夢を抱く人間の研究、だ。

 夢を持つ人間の行動、心理を、研究した。

 夢がどれだけ人間を変えるのか、その実態を研究し続けてきた。

 本日までの考察では、夢は人を大きく変える。

 夢は人に希望を与え、活力を与え、人生を変える。

 夢という実体のないものが、人間の生きる意味を変えさせる。

 わたしの研究対象は、どれだけの月日が経とうと、その夢を色あせることなく、胸に抱き続けた。

 何もかもをなげうち、その夢のために奔走した。

 夢が人を変える事は、もう証明されたといってもいいだろう。

 このわたしが言うのだ。間違いない。

 そういえば、いつしか彼が、わたしの夢が何か、尋ねてきた事もあった。

 わたしの夢。わたしの抱いていた夢。

 それは、わたしの愛する人の夢を、わたしの愛する人の傍で、かなえ続けていく事。

 わたしの前にいた彼は、その夢をかなえ続けていた。

 ずっとずっと、無意識の内に、かなえ続けていた。

 彼は意識していないかもしれないが、しかしそれでもいい。

 夢をかなえる彼を見ていて、わたしは幸せだった。

 ああ、本当に夢を持つ事は素晴らしい。

 その夢を持ち続ける事で、文字通りわたしの人生は、変わった。

 灰色だった世界が、薔薇色の世界へと変化した。

 無気力だった自分が、活気溢れる自分になった。

 それもこれも、夢を持った、彼の、おかげだ。

 夢を、抱き続けた。人生。

 それは、と、ても、充実、で、と、て、も、素晴、らし、

(文章はここで途切れている。これ以後、空白のみ)




―――――――――――――――――――――――――


 以上が、とある身元不明者が住処と思しき家の一室にばら撒いていたレポートの一部である。最後の一枚をのぞいて、残りは全て床にまき散らかされており、そのほとんどが汚れや劣化によって判読が不能だった。

 その身元不明者は空き家を不法に占拠していたと思われており、現在警察はその行方を追っている。

 なお、その身元不明者とよく親しくしていた人物が一人浮上し、その人物に身元不明者の事を尋ねた。その人物の証言からすると、その身元不明者は妄言や虚言を吐くような人物だった可能性が浮上している。

 引き続き警察は身元不明者の行方を探しているものの、あたかも幽霊のように忽然と消えた状況下に、捜査は難色を示している。






タイトル:王子様はどこにいる?

星座:うお座

タイプ:妄想型ヤンデレ




 かきかき。

 ぬりぬり。

 ぺたぺたぺた。

 私は絵を描いていました。

 私はいつも絵を描いています。

 絵を描く事が好きです。

 でも、一番好きなのはそれではありません。

 私が一番好きなのは、王子様。

 私の王子様。

 私だけの王子様。

 私の王子様は、優しくて、格好良くて、いつも私を助けてくれる人です。

 そんな王子様と私は、いつも一緒です。

 王子様は優しい瞳で私を見てくれます。

 王子様は楽しげに私と話してくれます。

 王子様はどんな時でも私と一緒にいてくれます。

 いつも私の事を考えてくれる王子様。

 私の頭の中も王子様でいっぱいです。

 王子様の事を考えると心がぽかぽかします。

 それだけで、幸せになれます。

 ―――バタン。

 ああ、今日も私の王子様が来てくれました。

 王子様が口を開きます。

「何を描いてるの?」

 私は答えました。

「王子様の絵だよ♪」




 かきかき。

 ぬりぬり。

 ぺたぺたぺた。

 私は絵を描いていました。

 テーブルの向かい側に座った王子様を見ながら、王子様の絵を描きます。

「これ美味しいね」

 王子様が私の用意したお茶を飲んで感想を口にします。

 私がお庭で取れたハーブを使って淹れたハーブティーです。

 王子様に喜んでもらえてよかった。

 私は筆を動かしつつ、王子様と楽しくお話します。

 美味しかったお菓子のこと。

 庭で育てているお花の世話のこと。

 最近見た動物のこと。

 その時の事を頭の中で思い出しながらお話します。

 王子様はニコニコしながら聞いてくれました。

 私が作ったお菓子を二人で食べつつ、時折笑い声が上がりました。

 とってもとっても楽しい時間。

 ハーブティーが半分くらい減った頃、今度は王子様から口を開きます。

「そういえば。こないだ見た映画なんだけど………」

 王子様が何かを話しますが、しかし私には何を言ってるかよくわかりませんでした。

「あ、じゃあ。ゲームの話だけど………」

 私には何を言ってるかよくわかりませんでした。

「えっと………学校の話とかなら………」

 私には何を言ってるかよくわかりませんでした。

「さすがに、テレビは………」

 私には何を言ってるかよくわかりませんでした。

「…………………………」

 どうしたのでしょう。王子様が黙ってしまいました。

 私が何か、粗相をしてしまったからでしょうか。

 それとも、お菓子の味がまずかったのでしょうか。

 どうしようと思いつつ、しかしどうする事もできず、ただ私は筆を動かし続けます。

 王子様はそんな私を見つつ、ようやく口を開いてくれます。

「あーっと、何の絵を描いてるのかな?」

 それなら私は答えられました。

「もちろん、王子様の絵を描いてるんだよ」




 かきかき。

 ぬりぬり。

 ぺたぺたぺた。

 私は絵を描いていました。

 今日は私のお城の中ではなくて、お外で描いています。

 といっても頭の上にお空は見えません。

 夜でないのにも関わらず、そこは薄暗く、何か箱の中にいるような気分になる場所でした。

 王子様が『えーが』とかいうもののために私をここへとつれてきたらしいのです。

 すぐ目の前では大きなカーテンの中に何かが写っていましたが、私は絵を描いていたので特に気にしませんでした。

『お前を守るために俺はここに来たんだ! お前だけは絶対に俺が守る!』

『ダメよ! 今すぐ逃げて!』

 なにやら人の声のようなものも私の耳には届けられていましたが、私は絵を描いていたので特に気にしませんでした。

「………せっかくだからちょっとは見てみない?」

 王子様の言葉は届きましたが、しかしその意味はよくわからず、私は絵を描いていたので特に気にしませんでした。

 私はすいすいと筆を動かし、最初は真っ白だったそれを徐々に色鮮やかに染め上げていきます。

 周囲は多少薄暗かったのですが、それでも絵を描くには十分な明るさでした。目の前の大きなカーテンが光っているのもそれを助けてくれました。

 ああ、あれはこの中を明るくするためのものなんだ。ようやくそれが何かがわかりました。

『ふっふっふ。よくぞ来たな。むざむざ殺されるためにな。ふっふっふ』

『人質を取っておきながらよく言う。この卑怯者!』

『ふっふっふ。褒め言葉として受け取っておこうか。ふっふっふ』

 周りからは絶えず人の声のようなものが聞こえてきましたが、私はそれに気をとられる事なく集中し、絵を描き進めていきました。

 かきかき。

 ぬりぬり。

 ぺたぺたぺた。

 そしてついに、その絵は出来上がりました。

 それと同時に、周囲がぱっと明るくなり、薄暗さはなくなりました。

 隣にいた王子様が、のっぺりした声で口を開きます。

「………一生懸命何描いてたの?」

 私は胸を張りながら答えます。

「私の王子様を描いてたの」




 かきかき。

 ぬりぬり。

 ぺたぺたぺた。

 私は絵を描いていました。

 勢いよく筆を走らせ、色を追加していきます。

「―――と、このように代入し、変数を処理します。次に右辺から左辺に………」

 私は思うがまま色を塗っていきます。

 先の事はあまり考えていません。塗りたい所に筆を乗せ、気分によって色を重ねて、気付いたらいつの間にか出来上がっている事が多いです。

「………ここの変数は二乗なのでプラスとマイナス両方と使う式を代入させて………」

 絵を描いている時、私は楽しい気分になります。

 まるでお花畑を駆け抜けているのかのような、そんな気分になります。

 筆を動かす事が楽しい。

 色を塗っていく事が楽しい。

 色々な色で埋め尽くすのが楽しい。

 絵が出来上がるのが楽しい。

 楽しくて楽しくて楽しい。

 ウキウキしてワクワクする。

 だから私は絵を描いているのです。

 毎日毎日。

 ずっとずっと。

 描き続けています。

 ―――バン。

 何かを叩くような音がしました。

「いい加減にしてください。ずっとお絵描きばかりして、子供ですかあなたは。きちんと授業を聞く気があるんですか。そもそも制服ですらないですし。一体どういうつもりですか」

 何か聞こえてきましたが、私にはよくわかりませんでした。私はかまわず絵を描きます。楽しく楽しく絵を描きます。

「あ、えっとすみません。その子今日初めて学校来たみたいで、その、よくわかってないみたいで………」

 王子様の声がしたような気がしましたが、しかし何を言っているかはよくわかりませんでした。私はかまわず絵を描きます。楽しく楽しく絵を描きます。

「いくらそうだと言っても、あまりにもこれは………」

「ま、まあまあまあまあ、今日はこれくらいで………お願いします」

 何か話し声がしてきましたが、いまいちよくわかりませんでした。私はかまわず絵を描きます。楽しく楽しく絵を描きます。

 かきかき。

 ぬりぬり。

 ぺたぺたぺた。

 しばらく絵を描き続けた後、傍によってきた王子様が私に話しかけてきました。

「あのさ、もうちょっとちゃんとできない?」

 王子様が何を言ってるか、私にはわかりませんでした。私は絵を描き続けます。

 そんな私に王子様は、怖い顔をして少し大きな声で言いました。

「ねえ、ちょっとはこっちの話も聞いてよ。何描いてるのかは知らないけど」

 私は言葉を返します。

「これは私の王子様だよ?」




 かきかき。

 ぬりぬり。

 ぺたぺたぺた。

 私は絵を描いていました。

 あれから、私の王子様はあまり私の城に来なくなってしまいました。

 なぜか王子様は私をいろんな所へと連れて行きましたが、私は王子様がいて、絵が描ければどこにいたって同じでした。

 王子様と絵。それがあれば私いつでも楽しく過ごしていく事ができます。

 ですが、私の王子様は違ったようです。

 近頃の王子様は時々怖い顔になったり怒った顔になったりしていました。

 どうやら、私の王子様は私の王子様じゃなくなってしまったようです。

 優しくて、格好よくて、いつも私を助けてくれる王子様ではなくなりました。

 でも、私は寂しくなったりはしません。

 だって、私の王子様は、ちゃんとここにいるのですから。

 私は見渡します。見渡す限りに飾られた王子様の絵の数々を。

 ある王子様の絵は私に語りかけます。

『今日はいい天気だね』

 別の王子様の絵は私に語りかけます。

『今日も君は可愛いね』

 また別の王子様の絵は私に語りかけます。

『白馬に乗って一緒に出かけないかい?』

 王子様の絵王子様の絵王子様の絵王子様の絵王子様の絵。

 私の王子様が、ちゃんとそこにはいました。

 いろんな王子様が、いろんな表情で私を囲むようにたくさんたくさんいます。

 剣を手に悪者と戦う王子様。

 白馬に乗って草原を駆け抜ける王子様。

 豪華なベッドで横になり目を閉じた王子様。

 微笑んだ王子様。

 勇ましい王子様。

 格好いい王子様。

 王子様王子様王子様王子様王子様王子様王子様王子様王子様王子様。

 私と一緒にいてくれる王子様。

 ずっとずっと、私の傍から離れる事のない王子様。

 いつまでもいつまでも、私は王子様と幸せに過ごすのです。

 ここにいる王子様と共に。

 そしてまた、私は新しい王子様を描いています。

 いつもとはちょっと違う王子様。

 でも王子様であるのに変わりありませんでした。

 ―――ガチャッ。

 開いた扉から誰かが入ってきます。

 それは、いつか王子様だった、それでした。

 その誰かは言います。

「それは………何を描いてるの?」

 私はにっこりと答えてあげました。

「私の王子様の絵を描いてるんだ~」

 私が今描いている絵。

 それはおどろおどろしい、黒や茶色をぐちゃぐちゃに塗ったおぞましい絵。

 悪い妖精に心を操られ、王子様であって王子様ではない絵。

 王子様の顔をした何か別の絵です。

「……………?」

 誰かは私の絵を見て首をかしげます。

 その絵がなんなのか、よくわからないのでしょうか。

 私は言ってあげました。

 それが、一体誰の絵なのかを。

「あなたの絵だよ」






タイトル:君を守るたった一つの方法

星座:へびつかい座

タイプ:自己犠牲型ヤンデレ




 もう学校へ行きたくない、と君は言った。

 勉強をしたくない。

 先生に怒られたくない。

 早起きしたくない。

 いじめられたくない。

 一人でお弁当を食べたくない。

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。

 なのでこれ以上学校に通いたくないそうだ。

「大丈夫、君はボクが守ってあげる」

 ボクは君に近付き、君の右手を取る。

 その右手を水平の高さにまで持ち上げると、

「ていっ」

 ポキッ。

 手首とひじのちょうど中間辺りに手刀を落として、君の腕を折った。

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。

 痛みをこらえる君の姿に心を痛めつつ、ボクは君を病院へと連れて行った。

 怪我をして入院する事になれば、その間、君は学校へと行かずに済む。

 大義名分、大手を振って休む事ができるよ。

 その為に君を傷つけるのは、それこそ胸が張り裂けそうになるくらい辛かったが、それも君のため。ボクはたとえ心を鬼にしてでも、君を助けてあげるんだ。


 ―――その後、君は手術を受け、無事にその手術は成功した。

 けれど、ボクの目論見とは裏腹に、入院する事なく、君はそのまま家へと戻った。

 腕に包帯とビブスをつけながら、次の日にはまた、学校へと行かなければならない。

「まだ学校に行きたくない?」

 と、ボクは聞いた。

 君はしばらく逡巡した後、小さく首を縦に振った。

「それなら、もう一度―――」

 ボクが提案を持ちかけようとした刹那、君はぶんぶんと首を横に振り、ボクの目の前から逃げるように去って行ってしまった。

 どうして逃げるの?

 ボクはただ、君を守りたいだけなのに。




 みんなが影で自分の悪口を言ってるんだ、と君は言った。

 君の言うところによると、ネットの中で君の悪口があちこちで出回っているらしい。

 チェーンメール。SNS。裏サイト。掲示板。等など。

 ボクも自分のスマートフォンで確認してみると、君のある事ない事、デマ、根も葉もない噂話、嘘、虚実、誤解、語弊がいたるところで拡散されていた。

『馬鹿』『アホ』『クズ』『もう学校来るな』『害虫』『ゴミ』『疫病神』『でくの坊』『ヤクザの子供』『裏口入学』『貧乏人』『犯罪者』等など。

 それを見た君が怯え、震え、恐怖し、ガタガタと体を震わせていた。

 そんな君をボクは見ていられなかった。

 ボクはドンと胸を叩いて宣言する。

「安心して。ボクがなんとかしてみせるよ」

 ボクは学校へと足を運ぶ。

 ねえ、これ見て。

 え、何々ー?

 校舎内に入るやいなや、女子二名がスマートフォン片手に何かを見せ合っている。

「ねえねえ。ちょっといいかな」

 ボクはそう言って彼女らに近付くと、おもむろにそのスマートフォンを取り上げる。

 そして。

 ―――バンッ! ガシャッ。

 思い切りそれを床に叩きつけ、更に両足で思い切り体重をかけ、そのスマートフォンを壊した。

 ちょ、何すんのよ!?

 困惑と悲鳴の入り混じった声を背後にボクはその場を離れ、すぐさま別のターゲットを見つけると、またその人のスマートフォンを奪い、それから、

 バンッ! ガシャッ。

 壊す。

 ボクはありとあらゆるスマートフォンを壊す。壊す。壊す。

 電話をしている人。

 動画を見ている人。

 ゲームをやっている人。

 そのスマートフォンを壊していく。

 もちろん使用している人だけでなく、ポケットや鞄にしまってあるそれも出してもらったり、手探りで見つけたり、強制的に奪っては、壊して壊して壊して壊していった。

 スマートフォンだけではなく、タブレット、ノートPCも対象に入れ、メモリーごと完膚なきまで壊していく。

 さらにはPC室のパソコンも破壊して破壊して破壊していく。

 折って折って折って折って折って。

 曲げて曲げて曲げて曲げて曲げていく。

 壊して壊して壊して壊して壊して。

 破壊して破壊して破壊して破壊して破壊する。

 そう、学校の人間が使うそれら機器を壊し、使えなくすれば、もうこれ以上、君の悪口を書き込む事はできないはずだ。

 君が怯える必要もなくなる。震える必要も、恐怖する必要もなくなる。

 君は安心する事ができる。夜にきちんと眠る事ができる。

 そこまでの事をすれば、ボクもただじゃすまないのかもしれない。

 でも、そんなのはへっちゃらだ。

 だってそうする事で、君を守る事ができるのだから。


 ―――けれど、その後もネットの中の君の悪口は減る事がなかった。

 毎日のように更新されていくそれに、君は怯え、震え、恐怖し、体をガタガタと震わせていた。

 むしろ、以前にも増してそれらは増えている節があった。

『ヤバイ奴がバックにいる』『自分では何もできない無能』『守られるだけの赤ん坊』

『人任せの復讐者』『臆病者』『ヤクザを雇った』『ゴミ』『ゴミ』『ゴミ』『ゴミ』『ゴミ』『死ね』『死ね』『死ね』『死ね』『死ね』『死ね』『死ね』『死ね』『死ね』『死ね』

 なんという根も葉も信憑性の欠片もないそれだろうか。

 他人を容赦なく何の言われもなく傷つけるなんて、許せない。

 ガシャッ。

 ボクは怒りと共にそれらを表示した自身のスマートフォンを握りつぶす。

 その後、それが原因で君は学校を不登校になった。

 そんな君をボクは歯がゆい思いで見てる他なかった。

 ボクはただ、君を守りたいだけなのに。




 外の世界が怖い、と君は言った。

 他の人間の視線が怖い。

 たくさんの人間が怖い。

 話しかけられるのが怖い。

 交通事故が怖い。

 通り魔が怖い。

 銀行強盗が怖い。

 犬が怖い。

 猫が怖い。

 蛇が怖い。

 怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて外を出歩くのが怖い。

 玄関を一歩出ると、身が縮こまって足がすくむんだ。

 君は己の身に降りかかった体験を大仰に述べる。

「心配いらないよ。ボクが君の事を守るから」

 その日からボクは、君が外を出歩く時その後ろを付いて行くようにした。

 君の背後で、一瞬たりとも気を抜く事なく、君を見守り続けた。

 コンビニで立ち読みをしている時も。

 公園のベンチで一休みしている時も。

 ゲームショップで物色している時も。

 見守って見守って見守って見守って見守り続けた。

 君を煩わせないよう、十二分に距離をとった後ろから、そっと見守った。

 何かあればすぐに飛び出せるよう、警戒は怠らなかった。

 二十四時間三百六十五日、いつ何時も君が外出する時はいつでも駆けつけて見守った。

 たとえ何も起こらない日々が続いたとしても、次こそは災いが降りかかるかもとけっして気を緩めず、君を見守って見守って見守った。

 君を害悪から守りきる。

 そう決意を固め、君を見守った。

 それで、君は安全に、安らかに、心地よく外を出歩ける。

 そのはずだった。


 ―――ボクが見守るようになってからしばらく。

 君が出かける機会は極端に減っていった。

 ほぼほぼ毎日が、三日に一回に。

 三日に一回が、一週間に一回に。

 一週間に一回が、月に一回に。

 外に出る回数が減り、君は家に引きこもるようになってしまった。

 外がより一層怖くなったと、君は言う。

 外に出ていると、誰かの視線を感じるようになった。

 その視線はいつでもどこでも、絶え間なく自分を見つめていると。

 気になって振り返っても、そこには誰もいない。

 しかし歩き出すとまた、その視線を感じているらしい。

 そんな事はないはずだった。

 ボクの知る限り、そんな事をしている人間はいなかった。

 ボクは常に警戒を怠っていなかった。

 君を見守っていたボクだからこそ、それは確信できた。

「そんな人間なんていない。だから外は大丈夫だよ」

 そう優しく諭すが、君はふるふると力ない動きで首を横に振る。

 ボクがそう言ってるのに、なんで信用してくれないの? 信頼してくれないの?

 ボクはただ、君を守りたいだけなのに。




 家にいるのが嫌だ、と君は言った。

 暗い部屋にいるのが嫌だ。

 一人でご飯を食べるのが嫌だ。

 部屋でゲームだけをやってるのが嫌だ。

 ひがな布団をかぶっているのが嫌だ。

 寝て起きて、食べて寝るだけの生活が嫌だ。

 いつも変わらない自分の部屋の景色が嫌だ。

 孤立、孤独、孤高。

 一人は誰にも気を使わなくて楽だけど、同時に郷愁と寂寥を感じる。

 時折無為に、大声で叫びだしたくなる。

 壁を叩きたくなる。

 床を叩きたくなる。

 天井にジャンプしたくなる。

 この部屋がこの部屋がこの部屋が嫌。

 君はふてくされたように不平不満を漏らす。

 今の自分は本当の自分ではないと嘆く。

「ボクなら君を守ってあげられるよ」

 ボクは君をその部屋から連れ出した。

 最初君は嫌がる素振りを見せたけど、ボクは君の心の奥底にある願いの為、多少強引に、ほんの少しだけ横暴に君を連れ出した。

 君の手を引っ張って辿りついた場所。

 それはボクの家。

「さあ、今日からここが君の家だよ」

 そうして、ボクと君は一緒に暮らし始めた。

 ボクは自分の生活のすべてを犠牲にし、君と一緒に暮らした。

 掃除料理洗濯、その他もろもろ君のためだけに身を費やした。

 君を一人にしないよう、可能な限り君と一緒にいて、たくさんの時間を過ごした。

 ボクの家の中だけで、君と一緒に過ごした。

 余計な不安分子を取り除くため、君を家からは出さず、ボクとだけの時間を過ごすようにした。

 これでもう君は一人じゃない。

 ボクとずっと一緒なら。

 ボクと二人なら。

 幸せでしょ?

 そう、ボクは思っていた。


 ―――が、そんな生活は長くは続かなかった。

 ボクが買い物で家を離れている隙に、君はボクの家を抜け出した。

 どこに行ったんだと不安になりながら探すと、君は自分の家に戻っていた。

 元通り、同じように自分の部屋に引きこもってしまっていた。

 訳がわからなかった。意味がわからなかった。

 君がなぜ家に、あの部屋に戻ったのか、わからなかった。

 君があの部屋を嫌だと言ったのに。

 なぜ、なぜ、なぜ?

 ボクはただ、君を守りたいだけなのに。




 家族が口うるさい、と君は言った。

 部屋に引きこもってから、家族の風当たりが強い。

 君の母親は、

『出て来なさい』『引きこもるのはやめなさい』『いい加減にしなさい』

 と言い。

 君の姉妹は、

『居候』『穀潰し』『自宅警備員』『ニート』『馬鹿』『クズ』『カス』『ゴミ』『虫』『死ね』『死ね』『死ね』『死ね』『死ね』『死ね』『死ね』『死ね』『死ね』『死ね』

 と言う。

 扉の外から悪し様に罵られる日々が続いている。

 自分は何も迷惑はかけてない。

 自分は有意義にこの部屋の中で過ごしているだけ。

 自分は何も悪くない。

 悪いのはあいつらのほうだ。

 拳を高く突き上げとうとうと言い放つ君。

 そう、その通りだった。

 君は何も間違っていない。

 君は何も間違っていない。

 君は何も間違っていない。

「君を守るのがボクの役目だ」

 決意を胸に固めたボクは、君の家のリビングに入る。

 そこでは君の母親が、流しの所で作業をしていた。

 ボクは気付かれないようそっと近付き、そして、

 グサッ。

 殺した。

 ブシャッ!

 頚動脈に一太刀通過させ、そこから血飛沫が舞った。

 君の母親は何が起こったのかわからず呆然とした表情でその場に崩れ落ち、その体を中心に血の花を咲かせた。

 ガチャリ。

 そこへ、君の姉妹が帰宅した。

 部屋の惨状に気をとられている隙に、ボクはすぐさま近付き、そして、親子同じように殺害した。

 しばらくしてから帰宅した父親も同様に。

 これでもう、君を間違っていると指摘する人間はいない。

 君は正々堂々、悠々自適、快適空間で日々を送る事ができるよ。

 君にとって、これ以上ない感極まる嬉々とした出来事であるはずだった。


 ―――なのに、今目の前に繰り広げられた光景は、ボクの想像の正反対のものだった。

 異変を感じ、閉じこもったあの部屋から出てきて、滂沱の量の涙を流しながら、事切れた死体の数々に取りすがる君の姿。

 何度も何度も名前を叫びながら、必死に体をゆすっている。

 そんな事をしてももう無駄だというにも関わらず、何度も何度も。何度も何度も。繰り返し繰り返す。

 ボクがためらいがちに声をかけようとすると、

 違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!

 こんな事頼んでないこんな事頼んでないこんな事頼んでない!

 駄々っ子のように声を荒げて、まるで聞く耳を持とうとはしなかった。

 ボクは何か間違った事をしてしまったのだろうか。

 君は正しい。

 そしてそんな正しい君を、間違っているという人間達。

 そんな間違った人間にそれ相応の報いを与えたボクの行動が間違っているというのだろうか。

 わからないわからないわからないわからないわからないわからない。

 何もわからない。さっぱりわからない。欠片もわからない。

 理解できない。意味がわからない。納得できない。

 ボクはただ、君を守りたいだけなのに。




 もう生きていたくない、と君は言った。

 もうこんな世界に生きる価値はない。意味はない。理由はない。

 血みどろにまみれた世界。

 恐怖と絶望の世界。

 怖いものがたくさんある世界。

 怖いものしかない世界。

 学校が怖い。

 ネットが怖い。

 外の世界が怖い。

 家に一人が怖い。

 家族の死体が怖い。

 今一番近くにいる人間が怖い。

 自分の腕を折った人間が怖い。

 何百のスマートフォンを壊した人間が怖い。

 ストーキングする人間が怖い。

 監禁する人間が怖い。

 殺人を犯した人間が怖い。

 君が怖い君が怖い君が怖い君が怖い君が怖い。

 こんな怖いで世界で生きたくない。生きていられない。生きていけない。

 早くこの世から消えてなくなりたい。

「………わかった。それで君を守れるのなら」


 ―――君の告白を聞いてから数分後、ボクの目の前には、君の死体が横たわっていた。

 今は亡き、物言わぬ死体と化してしまった君。

 もう喋る事もできない、見る事も、食べる事もできない君。

 変わり果ててしまった君の死体はピクリとも動かない。

 そんな君の死体が、視界の中でゆがむ。

 ボクの両目から流れて決して止まらない涙が、君の姿を一向に捉えさえてはくれなかった。

 君がいなくなって、ボクは胸が張り裂けそうな想いだった。

 悲しくないなんて訳なかった。

 胸にナイフを突き立てられたような、鋭く、尖った深い深い痛み。

 それこそ、君に突き立てた傷の深さより、ずっとずっと深い痛み。

 本当はこんな事したくなかった。

 君を殺すなんて、よりにもよって君を殺すなんて、どれだけの大金を積まれようと、多大な報酬があろうと、世界の半分の見返りがあったところでするはずのない事だった。

 どうしてボクは、こんな事をしてしまったのか。

 ボクはただ、君を守りたかっただけなのに。

 ……………そう、これもそれもあれもどれも、ボクが不甲斐ないのが原因だ。

 もっとボクに力があれば、能力があれば、頭脳があれば、結果はまた違ったのかもしれない。

 君を守れなかったのは、ボクの力不足。

「………ごめんね。ボクが、頼りないばかりに………」

 ボクは君に向かってつぶやくが、もちろん君の返答はない。

 この世界では、こんな結末に陥ってしまった。

 君のいない世界。

 もう、こんな世界はおしまい。ゲームオーバー。

 だからこそ、次の世界では、生まれ変わったら、輪廻転生した後は、絶対に失敗しない。

 次は、もっと強い人間になれるといいな。物語に出てくるような王子様を助ける姫騎士なんかだったら最高だ。

 いや、絶対にそうなってみせる。

 そして、今度こそは失敗しない。

 だから君も、安心して、待っていてね。

「来世では絶対に、君の事を守ってみせる」

 決意を新たにしたボクは、君を殺した凶器をゆっくりと手にし、そして――――――――――――――――――――


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12星座ヤンデレ 9 いて座~うお座+α(へび) @redbluegreen

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