12星座ヤンデレ 7 おひつじ座~かに座

@redbluegreen

第1話

タイトル:勘違いしないでよね!

星座:おひつじ座

タイプ:攻撃型ヤンデレ




『質問:私には好きな人がいます。とってもとっても大好きな人です。でも、その人は中々私に振り向いてくれません。一体どうしたらいいでしょうか?』

     ・

     ・

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     ・

     ・

『返信:わかりました! ありがとうございます! さっそくやってみます!』


【コメント数:3】【返信数:3】

【この質問は、既に解決済みです】




 ん、解決済みになってる。やってみるか。うまくいくといいな。

 私はネットの向こう側の誰かの健闘を祈りつつ画面を消して、スマホをポケットにしまった。

 そろそろあの子がやってくる頃合いだ。あの子はこっちが相手をしてないとすぐ不機嫌になる性格である。そのせいで一体何台のスマホが犠牲になった事か………

 これまで失ってきたスマホに感傷にひたっていると、道の向こう側から彼女の姿が現れる。

 小学校時代からの親友である彼女。

 彼女はこちらの姿に気付くと、駆け足になってバタバタと近付いてくる。そしてキキーという効果音と共に私のすぐ前で止まると、元気溌剌な声で挨拶する。

「おっはよー! 今日もいい天気だね!」

 おはよー。それじゃいこっか。

「うん!」

 またまた元気の良い返事を返してきた彼女と、二人並んで学校へと歩き出した。

 彼女とは家が近いという事もあり、大抵毎朝一緒に学校へと行っている。

「ねーねー、昨日テレビでさー………」

 通学路を歩きつつ、他愛無い会話に花を咲かせる。

 学校の話、ファッションの話、コスメの話、アクセサリーの話………

 毎日のように話しているのに、話題は変幻自在に変化し、どれだけ話そうとも尽きる事がない。我ながら不思議だ。

 そんな風に彼女と話しながらしばらく歩いていると、「やあ、おはよう」との言葉と共に、私達に合流する人物が登場する。

 私達の親友である彼。こちらもまた、小学校時代からの付き合いである。

 彼は私達の右側、つまり彼女の右側へと並ぶ。

「おっはよー!」

 彼女は彼へ開口一番、とりわけ大きな声で挨拶を飛ばすと、彼にダイブするように抱きつきスキンシップする。その勢いはロケットも顔負けかというもので、彼は後ろに倒れそうになるものの、なんとか踏みとどまり彼女を受け止める。

「もう、いきなり抱きつくと危ないって」

「えへへー。ごめんごめん」

 照れたようにはにかみながら謝る彼女。まったく悪気のあるようには見えない。

 と、私が見ている事に気付くと、彼女は頬を染めながらそっぽを向いた。

 おはよー。

 毎朝の見慣れた光景なので、私はさりとて平然に彼に挨拶を飛ばす。つっこむだけ野暮野暮。

 そんな、昔から変わる事のない平和な日常。

 しかし、その中で私は気付いた事があった。

 それは、彼女が彼へと抱いている想いだ。




 カリカリカリカリ、カリカリカリカリ。

 彼女は宿題を全て写し終えると、パタンとシャーペンを机に置く。

「しゅーりょー! 終わったー!」

 はいはい。今度からは自分でやろうね。

 私は彼女に見せていたノートを机に戻しながらぼやくように言った。

「うんうん。次からは大丈夫だよ」

 と、彼女は明るい声で毎度お馴染みの台詞を返してくる。

 頼もしい台詞なのだが、その台詞が毎度お馴染みになってる時点で十二分にほらを吹いているのが証明されてしまっている。

 まったく、宿題を見せる側になって欲しいものだ。

 彼女は毎度毎度忘れてくるので、もし私が忘れようものなら連鎖的に宿題を忘れた人間が二人になってしまう。私が一回忘れた時の彼女の絶望感溢れる顔は、今でも忘れられない。

 ほら、休み時間ももう終わるから席に戻った戻った。

「はーい」

 彼女はほっこりした表情でノートを抱え、トテトテと席に戻っていく。

 戻った折、彼女は隣の席である彼に、何事か話しかけられた。おそらく私の話題でも出している事だろう。

 そんな彼と彼女は昔からずっと席が隣同士だった。私の覚えている限りでは、二人はずっと同じクラスで、その席が隣同士じゃなかった事は一度もなかったはずだ。まさしく、神様の悪戯。いや、この場合はご好意と言うべきかも知れない。

 そう、彼と彼女はずっと一緒だった。

 ずっとずっと、幼い頃から仲の良い二人。

 共に遊び、共に笑い、共に過ごしてきた二人。

 いつでも一緒にいて、どんな時も傍にいて、何をする時も隣にいて。

 その彼女が、彼に友達以上の想いを抱いたとしてもなんら不思議ではない。

 ずっとその二人を傍で見守ってきた私が言うのだ。その推測は確信に変えてもいいだろう。

 ここ最近の彼女の彼に対するスキンシップの多さも、それに拍車をかけている。間違いようがない。

 彼女の彼に対する思いは、本物だ。

 とそう思った直後、予鈴のチャイムが鳴った。

 クラスの中が次の授業の準備に移る中、「あー!」彼女がクラス中に響き渡るような大きな声を上げた。

「いっけなーい! 教科書忘れたー!」

 宿題に加えてそっちもかい。

 呆れる私の視線の先で、そんな彼女が隣の席の彼へ口を開く様子が見えた。

 少しして、彼女が自分の机を彼の机へとくっつける。大方、教科書を見せてもらうよう頼んだのだろう。

 声こそ聞こえなかったが、表面上は、ぶつくさと文句を垂れている彼女の様子が見て取れた。

 しかし内心は………だろうな。

「……………」

 そこでふと、振り返った彼女と視線が合った。

 彼女は私が見ている事に気付くと、慌てた様子で目を前に戻す。

 こっちを見ていたという事は、あちらもこちらを気にしていたということだろうか。

 あるいは、暗に自分の方を見ていて欲しかった、とか?

 ………ああ、なるなる。わかったわかった。わかっちゃいました。

 勘のいい私はすぐに気付いた。




「あー、うー、どうしよどうしよー」

 ああもう、泣かない泣かない。

 よしよし、と私は彼女の頭をなでる。

 すると少しは効果があったのか、彼女の泣き声が少し小さくなった。

「………どうしたの?」

 そんな私達のところへやってきた彼が、この状況を見て疑問の声を上げる。

「うー………」

 今なお傷心中の彼女に変わり私が説明した。

 この間のテストで赤点取っちゃって、この後再テストがあるんだって。

「えっ、今日?」

 そ、今日。

 しかもそれを彼女は今日になって思い出したらしかった。当然、その為の準備は何もしていないという事である。

 その再テスト自体をすっぽかす、という最悪の状況にはならなかったとはいえ、それでも最悪の一歩手前、というより、思い出してしまったがゆえにここまで絶望しているという事でもあった。

 だから普段から宿題くらいはやりなさいと口がすっぱくなるまで言っているというのに、この有様である。

 ここでしーらないと見捨てるのも一つの選択肢ではあるが、一応親友をやっている手前そういうわけにもいかなかった。

 自業自得であるため、120%の手助けまではやろうとは思わないのだが。

 どうしようかと考える矢先、頭を抱えた彼女が、盗み見る形でこちらにチラチラと視線を送っているが見て取れた。

 懇願するような、期待するような目。

 あ、その手があるか。

 心中で妙案が思いついた私は、さっそくそれを提案する。

 じゃああんた、教えてあげたら?

 私は彼に向かってそう言った。

「え、僕が?」

 そ、あんたが。確か数学得意だったでしょ。

「まあ、不得意って程じゃないけど………」

 だってさ。彼に時間まで教えてもらったら?

 私は彼女の背中をぽんと叩き、促す。

「え。う、うーん………」

 ほらほら、時間がどんどんなくなっていくよ。留年したらやばいんだし。………じゃ、あとよろしくー。

 彼に投げやり気味に任せた後、私はその場を離れる。

 ………ま、こんな感じかな。

 私は心中でそっとつぶやいた。

 彼女から要所要所で送られてくるアイコンタクト。

 それは彼女が恋の助けを求めるものだと私は解釈した。

 彼を好きになったはいいけれど、それでどうすればいいのかわからない。

 どうすれば彼にもっと近づけるのか。どうすれば自分の気持ちをわかってもらえるのか。

 そんな親友の心中の悩みの発露があの視線の正体なのだ。

 もしそれがそうだとするなら、私のやる事はただ一つ。

 友人の恋路が叶うよう、私はそれをサポートする事。

 それが、彼女の親友たる私の役目だ。




『質問:私には好きな人がいます。とってもとっても大好きな人です。でも、その人は中々私に振り向いてくれません。一体どうしたらいいでしょうか?』

『コメント:その人にはアタックとか、アピールはしてみたの?』

『返信:はい。何回もやってみたんですけど、その人は全然私の気持ちに気付いてくれなくて………』

     ・

     ・

     ・

『返信:わかりました! ありがとうございます! さっそくやってみます!』


【コメント数:3】【返信数:3】

【この質問は、既に解決済みです】




「よーし、じゃあ次はあれ入ってみよ!」

「ちょ、ちょっと待って………」

 彼女に腕をつかまれ引っ張られる彼の足取りはふらふらしていた。

 ご愁傷様と思いつつ、私はそんな二人の後をのんびりと追う。

 今日は、私達三人で遊園地に遊びに来ていた。

 きっかけは、彼が持ってきた遊園地のチケット。それを手に私達を遊びに誘ったのだった。

 誘われた際、私は機転を利かせて、二人で行ってきたらと提案したものの、彼女は真っ赤になりつつ私の耳元で、『二人きりだと困る。何話したらいいかわからない』と困り果てた口調で囁いたので、私も同伴したという次第だ。

 まったく世話が焼ける。そんなんでいざ付き合った段になったらどうするのやら。

「さ、行こうよ」

「うん………」

 おっけー。

 半ば彼女に連れられるようにして辿りついた場所は、お化け屋敷だった。特に並ぶ事もなく私達は一緒に入る。二人以下の入場では無理らしい。残念。

「わー、暗いねー」

 そうだねー。

 気味悪い薄暗い空間を三人で進む。

 一応本格的に作られていて凝った装飾が施されているものの、ここからお化けがでますよといったギミックがあからさま過ぎて、私は驚く事も恐怖を抱く事もいまいちできなかった。

 で、いの一番に入ろうと言った彼女はというと、

「キャー!」

 お化けに驚き、

「ギャー!」

 足と掴まれ叫び、

「な、な、な、何何何!?」

 ランプが消えて慌てふためく。

 そして、その度に手近にいた彼に思い切り抱きつく。恐怖が上乗せされているせいかぎゅーっと、思い切り力強く。

 彼はその力強さに時折嗚咽を漏らしつつも、「だ、大丈夫だって」となんとか気丈を保って彼女を支えていた。

 そのような光景が二十回ほど繰り返された頃だろうか、走れば三分の距離の道程をおよそ二十分かけて制覇し、ようやくゴールへとたどり着いた。

「あー、怖かった怖かった………あ、ちょっとお手洗い行ってくるー」

 外に出て光の下に出た直後、彼女がトイレへと足を向ける。

「……………」

 残った彼はひどくぐったりとしている。

 お化け屋敷の恐怖どうこうより、彼女の行動に辟易したようだ。

 もしあの子と付き合ったら、こんな風に相当振り回されるんだろうな。私もこれまではかなり振り回された方だし。

 同情めいた思考を流した、そんな時、

「あのさ」

 彼が真剣な雰囲気で口を開く。

 ん? どしたの?

「実はね………」

 彼は何か言おうとするものの、その先は中々続かない。

 なんだよなんだよと私が促そうとする前に、やっと彼の口が動かされる。

「僕、彼女の事が好き、なんだよね」

 ……………。

「い、いや、何でこんなタイミングでって思うかもだけど、君にはちゃんと言っておかなくちゃって思ってて………でも、君っていっつも彼女と一緒にいるから、中々そのタイミングがなかったから………」

 ……………。

「だからまあ、その、そういう事だから」

 そう言って頬をかく彼。表情はなんとなく赤みが増している。彼女に対する想いがほのかに現れている。

 ………ま、頑張れば。

 私はそんな彼をはげますよう、その背中をポンと叩いた。




「いっただきまーす!」

「いただきます」

 いただきます。

 三人声を揃えた後、私達はそれぞれ頼んだメニューに手をつけ始める。

 じりじりと照りつく太陽が頂点を越えた頃、遊園地内にあるフードショップで私達は昼食にありついていた。

「うー、美味しい!」

 午前中十個ほどのアトラクションを回ったというのに、彼女の台詞には疲れがまったく見えない。

「そうだね………」

 対して、彼の方は若干疲れ気味で箸の進みはスローペース。まあその疲れはアトラクションを回ったというのよりも、彼女に振り回されたのが大部分に近い。

 彼女にあれこれと手を引っ張られながらアトラクションを回り、自分で動く系のものは終始走り回る彼女と一緒に走っていた。

 私はそんな彼女に付いて行くと体力が底を尽きるのが目に見えていたので、二人を遠くから見守る保護者の役目に徹していた。

 いくら好きな女の子だからって、そうしてまで付いて行こうとしなくてもいいのに、彼もよくやるものだ。

『彼女の事が好き』

 彼の告白を聞いた時、驚かなかったといえば嘘になる。が、昔からの関係を鑑みれば不思議でも何でもない。

 よくよく思い返してみれば、どことなく彼は彼女の事をよく目で追っていたような気がする。

 その視線に、一定以上の感情が含まれていたようである事も。

 まあしかし、これはこれでよかったのだろう。彼が彼女を好きだという事は、晴れて二人は両想いという事になるのだから。

 彼と彼女がたとえ恋人同時になろうと、私は特にこれといって思うところなど何もない。

 しいて言うなら、これまで彼女が親友の私によくじゃれてきていたのが、彼に変わるという事。むしろメリットの話だ。

 三人の男女の友人。

 その中の二人が付き合うなんてのは、よくよくあるある話である。

「ねえねえ、これとっても美味しいよ、食べてみて食べてみて」

 あーん、と彼女がフォークに差したハンバーグを彼に差し出す。

 彼は若干恥ずかしいのか逡巡したものの、意を決して口を開きそれを迎え入れる。

「あがっ!」

 と、彼女が勢い余ってフォークを奥の方まで入れすぎたのか、彼の悲鳴が上がった。

「大丈夫?」

 彼女は心配の声を上げるものの、それならまずフォークを抜くの方が先だろう。ほら、彼がまだふがふが言ってるし。

 ようやくそれに気付いた彼女がフォークを抜き、彼は何とか事なきを得た。涙目でありその痛みは長く尾を引きそうだ。

 私がそんなある意味微笑ましい光景を見ていると、彼女がクルリとこちらに視線を向けた。

 そして、彼にだけあげるのは気まずいと思ったのかあるいは別の何かか、同じようにハンバーグをフォークに突き刺すと、「食べる?」と私に聞いてきた。

 いや、わたしはいいよ。

 先ほどの悲劇を見たばかりの私は、手を振ってそれを断った。

 彼女は若干残念そうな表情になった後、そのハンバーグを自分の口へと入れた。

 こっちも被害者にする気だったのかね。

 私はまずありえないだろう想像を考えつつ、自分のサンドイッチをかじった。




「うーん。今日は一日楽しかったー」

 うんうん。そだねそだね。

 オレンジ色の空を背景に、今日の感想を述べ合う。

 昼食を挟んだ以外はほぼ遊び尽くしの一日だった。

 さすがに足が棒のように重い。

 彼女もそれは同じであり、彼はその倍以上に疲れ果て、口を開くのも億劫といった感じである。

 もう本当、ほとんど彼女の相手を彼に任せる事ができたので、私は私なりに楽しむ事ができてラッキーだった。彼様様だ。

 いつも彼女と二人きりで来る際は、私が彼のようになっている事がほとんどで、あまり楽しんだという気分には浸れない。

 まあ彼女が楽しければ、その分私も楽しかったと思えるのだけれどね。

 じゃあ、そろそろ帰………

「あ、最後にあれ乗ろうよ、あれ!」

 私の声を遮りつつ、彼女は前方に見える『あれ』を指差した。

 指差した先にあったのは、遊園地のシンボルと言って過言ではない大きな大きな観覧車。

 そういえば確かに、あれほど目立つものにも関わらず、まだ乗っていなかった。

 アトラクションを制覇する、という意味では乗るのもやぶさかではないのだが………

 レッツゴーとぐったりとする彼を引っ張りつつ、観覧車へと向かう彼女に私は、

 あー、ごめん。私はパス。

 と言った。

「え」

 驚いた表情をする彼女に、私は続けて言葉をつむぐ。

 いやー、私、高所恐怖症なんだよね。高い所とか無理無理。だからさ、二人で乗ってきなよ。

 行った行った、と追い払う仕草で二人で行くよう促す。

 彼は特に何も言わず、彼女は何度かこちらを振り返りつつも、最終的には私の言う事に従って観覧車へと向かった。

 私は二人が無事に乗り込む姿まで見届けた後、近場に会ったベンチへと腰を下ろす。

 ふぅ………。

 溜息や徒労といった成分を含んだ息をこぼしつつ、ゆっくりと動く観覧車を目で追った。

 ……………。

 もし仮にあの二人が付き合ったとしても、私達の友情は崩れる事なんてないし、関係が壊れる事もない。

 なんて、そんな都合のいい未来が待ち構えているなんてこれっぽっちも私は信じていはいない。

 きっと、二人が付き合い出せば、残った一人である私に気を使うようになってなんとなく気まずくなり、次第に距離ができはじめ、やがて二人と私の間には溝が生まれる。

 そんなごくごく当たり前の未来が私には待ち構えている事なのだろう。

 だがまあ、私は別にそれでもよかった。

 別にそれは自己犠牲でもないし、実は一人が好きだから、とかいうわけでもない。

 ただ単純に、親友である二人が幸せになれば、そんな二人の幸せな姿を見られればという、私の自己満足。

 二人が幸せになる為なら何でもする、というほどできた人間では私はないが、二人が不幸になるのをなんとも思わない、というほどひどい人間のつもりもない。

 あくまでも私が私のために行動する。

 それのどこに問題があるのか。

 あるのなら是非教えて欲しいものだ。




『質問:私には好きな人がいます。とってもとっても大好きな人です。でも、その人は中々私に振り向いてくれません。一体どうしたらいいでしょうか?』

『コメント:その人にはアタックとか、アピールはしてみたの?』

『返信:はい。何回もやってみたんですけど、その人は全然私の気持ちに気付いてくれなくて………』

『コメント:本当にその人はあなたの事なんとも思ってないのかな? 実は心の中ではあなたの事が………とかって事もあると思うよ』

『返信:うーん………そうなのかな。あんまりそういう風には見えないけど』

     ・

『返信:わかりました! ありがとうございます! さっそくやってみます!』


【コメント数:3】【返信数:3】

【この質問は、既に解決済みです】




「それでそれで、こないださっそく新しいコスメ試してみたんだけど………」

 へー、そうなんだ。

「……………」

 三人で遊びに行ってから数日が経過したものの、特に二人の関係に進展はなかった。

 折角観覧車で二人きりというシチュエーションだったにも関わらず、両者共に何のアクションも起こさなかったようだ。

 今日という日も、相も変わらず三人で学校へと向かっていた。

 まったく、先が思いやられる二人である。この様子だと、私が一肌脱ぐしかないのかな。

「で、眉にすーっとかいてみたんだけど、違いわかる? 可愛い?」

 はいはい、可愛い可愛いよ。

「……………」

 と、いつもどおりの調子でやり取りする内に、学校へと辿りついた。校門に入り、下駄箱で靴を変え、いざ教室へ。

「ねえねえ」

 そう思い足を動かそうとした矢先、彼女が袖を引っ張りながら私にだけ聞こえる声で言った。

「ちょっと話があるんだけど、いい?」

 ? 一体何の話だ。

 私は疑問を浮かべるものの、彼女は俯いていてひどく言いづらそうにしている。ここではしにくい話のようだ。

 あー、あんたは先教室行ってて。

 彼にそう声をかけてから、私と彼女は人気のない廊下の隅に移動した。

 で、どしたの?

「……………」

 私が促すが、しかし彼女は俯くばかりで、中々話を切り出そうとしない。

 …………………………。

「…………………………」

 五分くらい経過した頃だろうか、辛抱強く待ち続けていると、ようやっと彼女の口が開いた。

「実は、そのね………」

 言いつつ、鞄をごそごそと探る彼女。

 目当てのものが見つかり、それを取り出しつつ言葉の続きをつむぐ。

「これを、彼に渡そうと、思ってて」

 普段の天真爛漫な彼女らしくなく、その声は緊張で震えたものだった。その表情は俯いていてうかがい知る事はできなかったが、真剣そのものそれだと思われた。

 そんな彼女が取り出したのは、一通の封筒。

 その封筒と彼女の緊張を鑑みるに、その正体はというと………

 もしかして、ラブレター?

 コクコクコク、と小動物のように頷く彼女。

 ようやくそこまでかこつけたか。長かった長かった。

 と、私が巣を巣立っていく雛鳥を見送る親鳥の心境に浸っていると、彼女が予想外の行動にでる。

「だからね、これを彼に渡してきて欲しいの!」

 そのラブレターを私に向かって差し出してきた。

 はい?

 私は心の中で思うと同時に口からもその疑問を出していた。

「だから、そのー。どんな顔して彼に渡せばいいのかわかんなくて………だからお願いお願い! こんな事頼める人他にいないの!」

 この通り、と両手を胸の前で合わせ必死な様子で彼女は私に懇願する。いや、それだとラブレター挟んじゃって変な格好になってるから。

 しかし、ラブレターを渡してきて欲しい、ねえ?

 別に下駄箱だの机だのなんだの、間接的に渡せばそれでいいものを、そこで私に頼むというのがこの子らしいというかなんと言うか………

 はいはい。わかったわかった。渡してくればいいんでしょ。

 取り立てて断る理由も見つからなかったので、私は彼女の提案を承諾する。これも、サポートする私の役目だと改めて認識して。

 私が言った直後、彼女は表情をぱぁっと輝かせ「ありがとー!」とはしゃいだ声を出して私に抱きついてくる。

 ああ、もう、暑苦しいったらありゃしない。

 心中で苦言を呈するものの、しかしわざわざ振り払う気にはなれなかった。

 ひとしきり抱きつき満足したのか、彼女が私から離れてようやく解放される。

「じゃあよろしくねー! あ、中身のぞいちゃダメだからね。絶対絶対のぞいちゃダメだからね!」

 はいはい。わかってますよそれくらい。

「絶対絶対ダメだからね!」

 彼女は何度も私にそう念押しをすると、スキップするような足取りで教室へと歩き出していった。

 ………そこまで言われちゃうと、逆に見たくなっちゃうんだけどなー。

 ……………。

 ……………。

 ……………行ったかな。

 私は完全に彼女の姿が見えなくなったのを確認してから、彼女から受け取った封筒に目を落とした。

 そう、これは確認作業。おっちょこちょいな彼女がここまできてやらかしてないか、確かめる作業。それ以外に他意はないですよ?

 表面を見てみると………あれ、表に宛名がない。裏を見てみると、こちらにもない。

 まったくうっかりものだなー。あの子は。これじゃ誰に宛てたかわかんないじゃないかー。ついでに封筒も栓されてなくて開きっぱだしー。

 どれどれ、あの子がちゃんと書いてるかどうか、確認しないとなー。

 私は心中で自己弁護的に正当な言い訳を浮かべつつ、封筒から便箋を取り出して、その内容に目を通した。


『これを読んでくれているあなたへ。

 私はあなたが好きです。

 昔からずっとずっと、あなたの事が好きでした。

 あなたのやさしいところ。かわいいところ。面倒見がいいところ。

 あなたの全てが好きです。大好きです。

 本当は正々堂々、真正面からこの思いを伝えたかったのですが、しかしそれだといつまでも伝わらないと思い、こんな方法をとってしまいました。

 こんな形で私の思いを伝える形になってごめんなさい。

 でも、本当にあなたの事が好きなんです。

 大大大大大好きなんです。

 その思いは今も昔も変わりません。

 いや、昔よりも今の方がずっとずっと、あなたの事が好きです。

 好き。

 好き好き好き。

 好き好き好き好き好き。

 好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き。

 好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き。

 大大だーい好きです』


 ……………。

 私は便箋をそっと戻した。

 なるべく元通りになるよう、私が読んだ事がばれないよう、丁寧に丁寧に。

 折れ曲がっている所がないか、何度か表裏をひっくり返し確認する。

 よし、大丈夫。じゃあ後は、これを彼に渡すだけだ。

 私は封筒を鞄に閉まった後、それを抱きかかえるようにして、教室へと歩き出す。

 彼のいる、教室へと。




「…………………………」

 目の前の彼は黙ってラブレターの中身を読んでいた。

 同日の休み時間、私は彼を人気のない場所に呼び出し、そこでラブレターを渡した。受け取った彼は、すぐさまその場で読み始めたのだった。

 …………………………。

「…………………………」

 しばらくして読み終わったのか、彼は顔を上げポツリと漏らす。

「………これ、本当に彼女が僕に?」

 さっきもそう言ったでしょ。

 当然彼女からというのは最初に言ってあった。

 まかり違って私からだと勘違いされても困る。宛名がないのが誤解を招くかもしれないし。彼女からというのはよくよくはっきりと念押ししておいた。

「……………てっきり、彼女からは嫌われてると思ってたんだけどな」

 しばらく沈黙した後、彼はポツリと言った。

 は? どうして?

 あれだけ彼女からのアピールを受けておいて、何を言ってるんだろう。

「いや、なんか、昔から邪魔邪魔みたいな視線を送られているような気がしててさ。それでてっきり………」

 初耳だった。あの子がそんな目で?

 いやいやいやいや、それはありえないでしょ。

 現に、そうじゃない事を証明する物が今まさに彼の手の中にあるのだ。彼の勘違いだろう。

「まあ、そうだよね」

 彼は自分の思い過ごしだったというように肩をすくめた。

 てか、嫌われてるって思ってたのに好きだったんだ。

「うん。たとえ嫌われてたとしても、好きな事に変わりないから」

 ふーん………それで、あんたはどうすんの?

 私は彼に尋ねる。彼の意思を。

「うん。彼女が僕の事好きなら、それに応えるまでだよ。僕も、彼女に告白する」

 彼の顔には真剣な眼差しが宿っていた。いつもおどおどしている感じのくせに、こういう時だけ妙に男らしかった。

 ま、頑張れば。色男。

 私は投げやりに適当に応援の言葉を発する。だって、訪れるであろう結果は単なる出来レース。応援する意味も特にない。

「うん。ありがと」

 それでも彼は私にお礼の言葉を口にする。

 あーあ、妙に男気溢れる事で。そんな彼をキャーカッコイイ! などとはもちろん言わないが。

「じゃあ、今日の放課後、屋上で告白するよ」

 はいはい、勝手にやってなさいな。

 私はそう言って、ヒラヒラと手を振りつつ、その場を後にした。

 はあ、もうこれで、私のやる事もなくなったなくなった。

 ようやく重い肩の荷が降りた。心理的なもののはずだが、実際に肩が妙に軽かった。

 まあでも、ここまでやったんだから、結果を見届けるくらいの権利は私にもあるよね。

 私は歩きつつ、密かな計略を胸の中に抱いた。




「ねえ、それでなーに? こんなとこに呼び出しちゃってさ」

「あ、うん。えっとね………」

 私が屋上の扉をほんの少しだけ開くと、その隙間から彼と彼女の言葉が届けられる。扉の窓からのぞくと、二人は屋上の真ん中辺りにいるのが見える。

 話の台詞から察するに、どうやらまだ話し始めたばかりようだ。間に合ってよかった。

 私は屋上には入らず、その場でそっと耳を傾けた。

「もう、早くしてよー。何の用事か知らないけどー」

 彼女の促しにようやく踏ん切りがついたのか、彼は面を上げ、彼女の方をまっすぐと見やった。

 一度二度、深呼吸し、ついにその口が開かれる。

「あの、これ、読んだよ」

 彼が手にしているのは、もちろんあのラブレター。それを胸の前まで持ち上げる。

「これを読んで、君の思いはちゃんとわかったよ。僕はちょっと、君の事勘違いしてたみたいだけど、でもこれのおかげで、君の気持ちがわかった」

 彼女は驚きの表情を浮かべている。勘違いされているのを知らなかったからか。

「僕も、君と同じだったんだ。昔からずっと、君を見ていた。君の事を可愛いと思っていた。君の事を、ずっとずっと守っていきたいって思ってたんだ」

 彼の台詞が続くたび、彼女の瞳孔が開かれていった。よほど予想外の言葉が彼の口から出ているからか。

「僕も君の事が好きです。だから、僕と付き合ってください」

 そう言って彼は、右手を差し出し頭を下げた。

 はぁ………。やれやれ。

 そこで私はほっと肩をなでおろす。

 いくらさっきの彼が男らしくあったとしても、直前になってへたれと化す可能性も無くはなかった。あそこまでの啖呵をきっておいてさすがにそれはないかと信じてはいたものの、しかし万が一という事もありえた。

 なので一応確認しにきたわけではあるが、万の中の九千九百九十九の方だったらしい。さすがにそこまでのへタレではなかったというわけだ。

 後はこれで、彼女があの手を握り返せばめでたくハッピーエンド。拍手喝さい、満場一致の大歓声の中、幕を閉じるだけ。

 私の役目もこれで終わり終わり。あー、疲れた疲れた。

 と、私がもはや映画のエピローグが流れている気分でいた、その時だった。

 ―――ドサッ。

 何かが倒れる音が耳へと届いたのは。

 私がその音の正体を確かめるよりも早く、新たな声が鼓膜を刺激する。

「……………はぁ、どうしてあんたは私の邪魔ばっかするかなー」

 これ以上なく負のオーラを詰め込んだ、その声。私はその声を知っているはずのに、しかしそれが、私の知るその人物と同一である事を、認識する事ができなかった。

「いっつもいっつもいっつもいっつもいっつも私の邪魔ばっか。

 ねえねえ、どうしていっつも邪魔ばっかすんのさっ!」

 グサッ。

 声の主は言葉と共に手に持った何かを振り下ろす。

 そう、振り下ろす。

 何に向かって?

 もちろん、倒れたものに対して、だった。

 それがトリガーとなったのか、膨らみに膨らんだ風船が割れたように、負の感情が、悪の感情が、いびつな感情が、鋭利な感情が、その口から溢れ、零れ、吐き出された。

「超ウザイ。マジウザイ。ウザイウザイ!

 あんたなんかいなくなっちゃえばいい!

 あんたなんか消えちゃえばいい!

 あんたなんかあんたなんかあんたなんか!

 邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ。

 邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ。

 邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ。

 邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔」

 その間にも、何度も何度も振り下ろされていく。

 そして振り下ろされていくたびに飛ぶ、赤いもの。

 それがなんなのか、明確であるはずなのに理解が追いつかない。

「いつもいつもあんたが私のそばにいるからあの子は私に気付いてくれない!

 あんたが邪魔するからいつまでもあの子と一緒になれない!

 あんたがいるからあの子は私の気持ちに気付いてくれない!」

 悲痛な叫び。苦しみの叫び。切ない叫び。魂の震え。

 それらは虚空へと広がり、拡散し、霧散する。

「全部あんたのせいだ全部あんたのせいだ全部あんたのせいだ全部あんたのせいだ!

 あんたが悪いあんたが悪いあんたが悪いあんたが悪いあんたが悪いあんたが悪い!

 だからいなくなれいなくなれいなくなれいなくなれいなくなれいなくなれ!

 だから消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ!」

 心の中からの憎しみを込めて叫んでいる。溜りにたまった鬱憤を吐き出すように。ひとかけらも残さずその思いを言葉に乗せて。

「その手紙だってあんたなんかに書くわけないじゃん!

 バーカバーカ。私はあんたなんかの事なんてこれっぽっちも気にしてないから。残念でしたー、バーカ。バカバーカ。

 なのになんであれを読んじゃうかなー。自分のだって思っちゃうかなー。

 あー、もうほんとにやだやだ。

 やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ。

 本当に勘違いってありえないありえないありえない」

 嫌悪感が満面に広めている。普段の表情とはかけ離れたその表情。それが同一人物だとは到底信じえない。

 本当にあれが私の知る人物なのか。悪霊でも取り付かれたのかと錯覚する。

「あーあ。こんな事になるなら最初からこうしてればよかった。

 これまではこっそりばれないようにひそひそやってたけど、全然上手く行かなかったし。

 やっぱりこうした方が断然早いよね。

 何でもっと早くこうしなかったんだろう。

 ほーんと、時間を無駄にしちゃった。

 そうそう、無駄にしたといえばあれもそう。

 相談してた奴は全然役に立たなかった。

 まあ、所詮ネットの向こう側なんて、他人事って事なのかなー。

 はなから当てにするのが間違ったのかもね」

 自らの過ちを訂正するかのように首をふるふると振った。

 と、そこで視界が動いたせいか、「あ!」と、あちらがこちらの存在に気付く。

 まるで何事もなかったかのように立ち上がると、いつものように軽い足取りへこちらと近付く。近付く。近付く。

 そして、目の前の屋上の扉を開くと、足をタンと踏み切って、飛びつくように、こちらへと抱きつく。

 バタンと、その場に倒れる二人。

 ぎゅーっと思い切り抱きついてくると、おもむろに体を起こし、それから、私に口開く。

「これでもう、私達のお邪魔虫はいなくなった。

 邪魔する奴はいなくなった。

 バカでクズな勘違い人間は消えた。

 もう二人きり。もう二人だけ。もう二人のみ。

 二人だけの時間。

 邪魔者が邪魔しない時間。

 私達二人しかいない時間。

 二人で過ごしていく時間。

 これからは私以外見ちゃダメだよ」

 ねー。と、いつも見せてくる笑顔をこちらに向けてる。

 それは普段とどこも変わらない、笑顔。

 そう、まったく変わっていない笑顔。

 先までの出来事が嘘のように、幻のように曖昧模糊となる。

 だがしかし、服に彩られた赤いそれと、ついさっきまで手にし、今は脇に落ちた光るそれが、ありありと現実を示している。

 私はまたがっているその人を見上げながら、心の中で思考を流す。

 私は一体、何を間違えてしまったのだろう。

 その嘆きに答えてくれる人は、いなかった。




『質問:私には好きな人がいます。とってもとっても大好きな人です。でも、その人は中々私に振り向いてくれません。一体どうしたらいいでしょうか?』

『コメント:その人にはアタックとか、アピールはしてみたの?』

『返信:はい。何回もやってみたんですけど、その人は全然私の気持ちに気付いてくれなくて………』

『コメント:本当にその人はあなたの事なんとも思ってないのかな? 実は心の中ではあなたの事が………とかって事もあると思うよ』

『返信:うーん………そうなのかな。あんまりそういう風には見えないけど』

『コメント:いや、絶対そうだって。あなたの事を好きって思ってるはずだよ。

 だからそういう時は、あえて全然別な人に気があるようなフリをしてみるといいかも。あなたと別の人の関係にやきもきして、その人も自分の気持ちに気付くと思うから。絶対絶対』

『返信:わかりました! ありがとうございます! さっそくやってみます!』


【コメント数:3】【返信数:3】

【この質問は、既に解決済みです】






タイトル:針千本とどっちがいい?

星座:おうし座

タイプ:独占型ヤンデレ




 ―――私は、今日という日が来るのを楽しみしていた。

 昨日まで今か今かと待ち望み、ようやっと、今日という日に相成って胸一杯に詰まった期待感がはちきれんばかりの勢いだった。

 ああ、今日はなんという素晴らしい日。

 神様も今日をいう日を祝ってくれるのか、窓の外は雲ひとつない青空だった。

「ふふっ」

 思わず口元から笑みがこぼれる。

 今日という日は、お兄ちゃんとの約束の日。

 大事な大事な約束が、果たされる日。

 お兄ちゃんと会えるのが今から楽しみでならなかった。

「~~~♪」

 無意識に鼻歌も歌おうというものだ。小躍りしていないのが不思議なくらいである。

「さーてと」

 まずは、家事を片付けておかなくっちゃ。

 それと、お兄ちゃんの食事の下ごしらえも、今からやらないと。

 私はるんるん気分でスキップしながら、家事へと取り掛かった。




 ―――私がお兄ちゃんと初めて出会ったのは、まだ私がひらがなを読めるかどうかくらいの幼い頃の事だった。

 当時の私は、日中はひがな町中を歩き回るのが常だった。

 家の中にいるのが嫌で、昼間は遊びに行くという名目でだいたいの時間、外に出ていた。

 といっても名目は名目でしかなく、具体的な目的地があるというわけではなく、文字通り町の中を歩き続けていた。

 春秋の季節ならまだいいが、真夏や真冬の季節には、まともに歩くのも辛いほどだった。雨なんか降ろうものなら最悪にも程がある。雪はもってのほかだ。

 その頃は確か、ちょうど春先の時節だったように思う。桜の花びらも散り終えたはずだったから。

 その日も私は、いつもどおり町中を歩いていた。

 朝早めに家を出て、お昼に何を食べるでもなく、ずーっとただ足を動かし続けていた。

 空腹のせいで足元がふらつき、視界もボーっとし始めた時だ。その声が聞こえたのは。

「ねーねー、そこの君ー」

 通りがかったすぐそばの公園からそんな言葉が私の耳へと届けられた。

 最初はその声が私にかけられたものだとは思わなかった。

 誰か別の人を呼んだのかと思った矢先、

「おーい、君だってばー」

 もう一度、同じ声が聞こえた。

 それは確かに、私の方へと向けられた声だった。

 私の周囲には誰もおらず、それは確かに私に向かってかけられた声なのだった。

 声をかけられた私は―――――一目散にその場から逃げ出した。その声が誰のものなのかも確認することなく、懸命にただただ足を動かし続けた。

 その時の私は、誰かに声をかけられるのが嫌だった。声をかけられるのは常に私の倍以上の身長のある大人ばかりだったからだ。

 自分よりも遙かに大きい人が怖かった。そんな人を前にすると私は怯えていた。縮こまっていた。

 なので声をかけられるイコール、怖い人を前にするという図式が頭の中にあった。

 だから私は逃げ出したのだ。

 声が聞こえなくなるまで遠くに逃げて、そこでようやくほっと胸をなでおろす。

 これでもう大丈夫大丈夫。

 だが、それはその日だけの出来事に収まらなかった。

 次の日。

「あ、おーい、君ー」

 また次の日。

「ねー、聞こえてないのー?」

 またまた次の日。

「君ー、おーいってばー」

 またまたまた次の日。

「ねー、ねー、ねー、ねー」

 その日からほぼほぼ毎日、私は同じ人から同じように声をかけられるようになった。

 私はその声が聞こえるたびに、黙ってその場を離れ、無視して逃げて、顔をくしゃくしゃにしながら走った。

 声が聞こえたら逃げるというサイクル。それが毎日と続く。

 声をかけられるのは同じ場所なので、その場所にはなるべく近付かないようにはしていたのだが、しかし当時幼い私が歩き回れる範囲は狭く(知らない場所に行くと帰ってこられないんじゃないかという不安もあった)、おのずと一日に一回はそこを通ってしまっていた。

 声をかけられても逃げれば大丈夫。

 けれど、毎日のように繰り返していれば、うまく行かない日だって来てしまう。

「あー、今日も来たっ」

 その日は、道を歩く私の真正面からその声が聞こえた。ちょうどその人が公園にやってきたタイミングだったのだ。

 私は反射的に足を動かそうとするものの、しかし真正面から向けられる視線に足がすくんで動かす事ができなかった。

 体をビクビクさせ、おっかなびっくりしながら、私はこの時初めてその声の人物を視界に捉えた。

 それは、大きい大人ではなかった。私よりも大きいは大きいものの、しかし倍以上ということはなく、せいぜいが頭一つ分という所。

 あどけなさも顔に残るその人物は、私と同じような男の子だった。

 その男の子は、私にこう言った。

「ねーねー、今日こそ一緒に遊ぼうよ」

 最初は、何を言ってるかわからなかった。

 あそぶ? あそぶっていったいなんだろう?

 声をかけられた事の恐怖と同時に、そんな疑問が浮かんだ。

 男の子が私をまっすぐに見つめながら答えを待つ。

 未だに心中では恐怖が渦巻いていたものの、もしここでいいえと答えたらもっともっと怖い思いをするかもしれないと思い、私は首を縦に振るしかなった。

「やったー! じゃあこっちこっち」

 男の子は弾む声でそう言ってから、私の手を引っ張り、公園の中へと入っていく。

 首を縦に振ったものの、私はこの後どうなるのか、どうされるのか、不安と恐怖が一杯だった。

 そして、それから私は、男の子が言ったとおりに遊んだ。

 想像していたような嫌な事は何一つなく、遊んだ。

 最初の方はどうすればいいのかわからずポツンと立っているだけだったが、男の子が言ったとおりに動いて段々と理解していった。

 鬼ごっこ、かけっこ、かくれんぼ。

 声をかけた男の子と、公園にいた何人かの子供と、私は遊んだ。

 遊んで遊んで遊んだ。

 そんな体験は初めての事だった。

 遊ぶ、というのもそうだし、私と同じような子と一緒に、というのもそうだった。

 何をやっているかもよくわからなかったけど、それでもとても心地よく、夢中になって遊んだ。

「あははっ」

 気付くと私は笑っていた。

「あ、やっと笑ったね」

 私の笑顔に声をかけてくれた男の子はそう言って、同じように笑みを浮かべた。

 そんな男の子を見て、私はもっと笑う。

 そんな私を見て、男の子はもっともっと笑う。

 この時私は初めて笑い、そして同時に、楽しいという感情を心に抱いたのだった。




 ―――それから、私はその男の子と毎日のように遊ぶようになった。

 初め何回かは男の子が声をかけてくれた時だけ遊んでいたが、いつしか自分から男の子がいる輪に混ざるようになっていった。

 一緒に遊ぶのは楽しかった。

 一緒に走ったり、木に登ったり、ブランコに乗ったり、何もかもが楽しかった。

 楽しくて楽しくて、日が暮れるまで毎日毎日遊んだ。

 夢のようなひと時。

 家の中にいる時とは天と地、月とスッポンくらいの差があった。

 家で過ごす時は例えるならそう、悪夢のような時間。

 家族にカテゴリーされる人達からの、度重なる暴力。

 何かにつけて因縁をつけられ、振るわれる暴力。

 暴力だけではない。いわゆる育児放棄の類もだ。

 何日も食事が出ない日々。

 少ない衣類を、洗濯もせず着まわす毎日。

 薄い毛布だけしか与えられない夜。

 怪我をしても病院には連れて行ってもらえず痛みを我慢する日々。

 あまつさえ何のいわれもなくつばを吐き捨てられる日常。

 そんな生活を疑問さえ抱く事を許されずに送っていた。

 まさに悪夢。最悪の日々。

 だが、男の子と遊ぶようになってからは、それらを我慢できるようになっていた。

 だって、それを耐えて、また次の日になれば、外に出てあの男の子と遊べる。

 そんな希望を糧に、どれだけ痛い思いを、辛い思いをしても私は悪夢の生活を耐え忍ぶ事ができるようになったのだった。

 その日も私は、いつものように朝に暴力を振るわれ、食事も摂る事なく男の子と遊ぶために家を後にした。

 あの男の子と会える。

 あの男の子と遊べる。

 そう考えながら、いつもの場所へと足軽に歩を進める。

 男の子と合流した後、その日は誰かが持ってきたボールで遊ぶために、いつもの公園ではなく、近くにある河川敷の広場で遊ぶという事になった。

「えいっ」

「てやっ」

 サッカーでボールを蹴りあったり、はたまたドッチボールでボールを投げ合う。

 子供達の中でもひときわ小さい私はうまくボールを扱えなかったが、私がミスをしてもあの男の子がすぐにフォローしてくれた。ドッチボールだと、私をかばってわざとアウトになってくれる時もあった。

「あー、当たっちゃったー」

 とわざとらしく頭をかいていたけれど、そんな演技はバレバレだった。

「ありがと」

 その男にだけ聞こえる小さい声で私は言った。

「ん? 何のこと?」

 男の子はなおもとぼけた声で言ったけれど、外れてその場を去るその口元には、笑みが浮かんでいたのを私はちゃんと見ていた。

「あ、ごめーん、そっち行っちゃったー」

 それからいくつか遊びを変えた折、誰かが投げたボールがてんで見当違いの方へと転がっていった。その時一番近くにいた私がボールを取りに行く。

 転々とボールが転がる。転がる。転がる。

 早く拾わなくちゃと私はそれを追いかける。追いかける。追いかける。

 勢いづいたボールは中々止まる気配なく、どんどん遠くの方へと転がっていった。

 走っても走っても中々追いつかない。追いつけない。

 転がるボールと、追いかける私。

 転がり。転がり。転がり。

 追いかけ。追いかけ。追いかけ。

「危ない!」

 誰かがそう叫んだ時には、もう遅かった。

 ポチャン。

「え?」

 ボールが川へと落ち、しかし私はそれに気付かず追いかけてしまって、私の体は水の中へと落ちる。

 一瞬の浮遊感。

 次いで体を包む冷涼な水の感触。

 そして足が底に付くことなく、沈んでいく体。

 パニックになって体をジタバタ動かすものの、健闘むなしく水面から遠ざかってしまう。

 呼吸もできず段々と意識が朦朧としてきたその時、私の体を掴む手が現れた。

 その手に引っ張られるようにして私の体は再び水面へと浮上していった。

「ぷはっ!」

 無事に陸へと引き上げられた直後、まず私の視界に飛び込んできたのは、

「大丈夫!?」

 心配そうな声を上げながら、こちらの顔を覗きこむあの男の子の姿だった。

 私はまだ息苦しさに咳き込んでいたものの、なんとか首を縦に振って、大丈夫な事をアピールする。

 男の子はしばらく心配の目を向けていたが、本当に大丈夫だとわかると、

「よかったー」

 と、本当に心底から、安堵の言葉をその口から吐き出した。

 そんな男の子の姿に、私はさっきとは別の意味で、急速に胸が高鳴っていくのを感じていた。

 私のために助けれくれた。

 私のために心配してくれた。

 私のために安心してくれた。

 私のために私のために私のために。

 私のためにそこまでしてくれる人なんて、それまでにいなかった。

 私をそこまで想ってくれる、初めての人。

 ドキドキドキドキ。

 胸をいくら押さえようとも、それは鳴り止む気配がない。むしろ静めようとすればするほど余計に早くなっていくばかり。

 こんな気持ちは初めてだった。なんとも言いがたい、気持ちだった。

 何か強い感情が心の中にあるのに、その正体が分からない。

 わからないけれど、けっして嫌じゃないその気持ち。

 その気持ちが私の全身にいきわたった後、自然に口から言葉がこぼれ落ちていた。

「お兄ちゃん」

 そう、そこまでしてくれるなんて、そんなのはお兄ちゃんしかいない。

 私のお兄ちゃん。

 お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん。

 妹を大切に、大事に、可愛がってくれるお兄ちゃん。

 そんなお兄ちゃんが、目の前にいる。

 こうして、私のお兄ちゃんは、私のお兄ちゃんになったのだった。




 ―――私はお兄ちゃんと遊ぶ。

 遊ぶ。

 遊ぶ。

 遊ぶ。

 日々を重ねるにつれ、月日を積んでいくにつれ、年を積み重ねるにつれ、段々と私達と一緒に遊んでいく子は少なくなっていった。

 けれど私は全然寂しくなんてなかった。

 お兄ちゃんと遊べれさえすればいい。

 お兄ちゃんがいてくれさえすればいい。

 むしろ、お兄ちゃんがいない時には、遊ぶ意味なんてなく回れ右をして帰るほどだった。

 楽しい楽しいお兄ちゃんと遊んでいる時間。

 楽しい楽しいお兄ちゃんと一緒にいる時間。

 私にはそれさえあればよかった。

 相変わらず家の中では、暴力や育児放棄が続いていたけれど、その時の私はもはや、そんな事はどうでもよくなっていた。

 どんな暴力を振るわれようと、お兄ちゃんの事を考えるだけで笑顔になれた。

 何日も何日も食事はおろか水一杯さえ飲む事ができなくても、お兄ちゃんを思い浮かべればエネルギーなんでいくらでも湧き出てきた。

 一番楽しいのはもちろんお兄ちゃんと一緒にいる時だけれど、しかしそれ以外の時でも、たとえ火の中水の中森の中でも、お兄ちゃんの事を考えれば楽しい時間へと変わる。

 だから私は四六時中、お兄ちゃんの事を思い浮かべた。寝ている時だった、お兄ちゃんの夢を見続けた。

 お兄ちゃん一色の生活。

 バラ色の色鮮やかに彩られた日々。

 大好きな大好きな大好きなお兄ちゃん。

 その日はそんなお兄ちゃんの家にお呼ばれしていて、ゲームをして遊んだ。

 お兄ちゃんと協力したり、対戦したりして遊んでいた。

 長時間やってさすがに目が疲れた頃、おやつが出てきたので、それを食べながらテレビを見る私達。

 パクパクパクパク。

 どちらかというとおやつに舌鼓を打つ中、テレビでは再放送か何かのドラマが映し出されていた。

 おやつを口を運んでいると、流し見していたドラマのシーンが切り替わり、教会のような所に場所が変化する。

 画面に現れる真っ白なスーツを着た男の人と、その後に現れる、真っ白できれいなドレスを身に包んだ女の人。

 女の人が男の人にゆっくりと近付いていき、何事か言葉を交わす。

 私はおやつを食べる事も忘れその画面に釘付けになった。それほどまでに、その女の人はきれいだったのだ。

 それから画面の中では、男の人が女の人の指に何かをつける。その後、二人の唇がふれあい、大きな鐘の音が何度も何度も鳴り響いていた。

 二人には笑みが浮かんでおり、そして何より、とても幸せそうだった。

「ねえねえお兄ちゃん、私もあれきてみたい!」

 私は画面の女の人を指差しつつ、はしゃいだ声を上げてそう言った。

 お兄ちゃんは私の言葉にテレビに目をやると、少し考えるようにしてから口を開く。

「結婚する時になれば着れると思うよ」

「けっこん? けっこんって何?」

 知らない言葉だったので、私はお兄ちゃんに聞き返す。

「男の人が、女の人をお嫁さんにする、こと、かな?」

 お兄ちゃんは首を傾げつつ、そう答える。

「じゃあじゃあ、お兄ちゃん。私とけっこんしてよー。で、で、およめさんにして」

 私はぐいっと身を乗り出して提案するが、お兄ちゃんは困った表情を浮かべ否定する。

「いやいや、大きくならないと結婚できないんだよ。たぶん」

「えー」

 私は頬を膨らませ不満の声を出す。

 が、しかしすぐにそれを収めて、新たな提案をお兄ちゃんに出した。

「なら、大きくなったらお兄ちゃんのおよめさんにしてね」

「うん。いいよ」

 お兄ちゃんはあどけない表情で、首を縦に振ってくれた。

「やったやった! じゃあやくそくやくそく」

 私は弾んだ声でそう言い、小指を出してお兄ちゃんのそれと絡めた。

「ゆーびきーりげんまん♪ うーそつーいたらはりせんぼんのーます。ゆびきった!」

 私とお兄ちゃんは、将来結婚する約束を、交わしたのであった。




 ―――そして今日、ついにその約束が果たされる日が来た。

 本当に本当に長い日々だった。この日が来るのをどれほど待ちわびたことだろうか。

 私とお兄ちゃんが幸せになれる日。

 ようやく訪れたこの日に、私の心は幸せで一杯だ。一杯で一杯で、溢れんばかりの幸せが心の中で満たされていた。

 お兄ちゃんのお嫁さんになるために、今日までたくさんの勉強をした。

 料理に洗濯に掃除。始めは慣れない事ばかりだったが、何度も何度も繰り返す事で今はパーフェクトにできるようになった。

 別の所に住んでいるお兄ちゃんに料理の差し入れしたり、お兄ちゃんのいない間に洗濯や掃除をこなしたりして、いまやお手の物だ。

 お兄ちゃんってやっぱり私がいないとだめだよねー。

 こっそり合鍵作っておいて正解だった。

「さーって、そろそろお兄ちゃんがあっちの家に帰る頃かな?」

 私はイヤホンを耳に入れ、そこから聞こえてくる音声に耳を傾ける。

 お兄ちゃんの行動をいつでも温かく見守るために仕掛けておいた盗聴器からの音声である。お兄ちゃんがいつも持ち歩いている鞄にひそかに取り付けてあり、これでお兄ちゃん行動はすべて筒抜けだ。

「………帰宅途中、ってとこかな。GPSの方もそうみたいだし」

 パソコンの画面に表示された地図でも一応確認してから、お兄ちゃんを迎えに行く準備を始める。

「えっと、手錠に、ダンボールに、睡眠薬に、スタンガンに………」

 一つずつ点検しながら、きちんと揃っているかどうかをチェックしていく。後でなかったりしたら困るし。

「あ、いけないいけない。着替えなくちゃいけなかった。こんな血まみれの服で迎えにいけないよ」

 ふとそう思い出した私は自分の部屋へ。

 ―――ガチャ。

「ふふふっ」

 扉を開けた直後、視界に入ってくるお兄ちゃんの顔に笑みが浮かぶ。

 この部屋にはお兄ちゃんの写真が一面に貼られている。

 どこもかしこもお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんで埋め尽くされた部屋。

 まさに私の聖地。

 色々なお兄ちゃんの表情を見渡しながら、血で汚れた服を着替えていく。

 お兄ちゃんを迎えに行くからには、きちんとおめかししておかないとね。

 ……………。

 ちゃっちゃと着替えた後、名残惜しくも聖地の部屋を後にする。

 と、廊下に出て目に付くのは、赤い汚れの跡の数々。

「うーん、どうしよっかなー、この赤い血の跡」

 廊下だけでなく、リビングや玄関、お風呂場など、いたるところにその汚れがこびりついてしまっていた事実を思い出す。

 この家に私と一緒にいた人の血。大量の血。鮮血。

「もう、まったく。逃げ惑うから家中が血だらけになっちゃったよ」

 一人愚痴る私。

『お兄ちゃんと一緒に住む』

 たったそれだけがしたいと言っただけなのに。

 それをどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしても許してくれなかったから、

「―――こうするしかなかった。悪いのはあの人達。私は悪くない」

 お風呂場に放置してあるむくろと化した、かつて家族という記号の付いたそれを頭に浮かべながら、そう吐き捨てた。

 ………ふぅ、と一息。

 今更、やってしまった事に対してああだこうだ言っても仕方ない。気持ちを切り替えてっと。

「ま、お掃除は後でいっか。お兄ちゃんの部屋だけは、ちゃーんとピッカピッカにしてあるしね」

 そう、お兄ちゃんの部屋だけはちゃんとしてある。

 お布団や毛布。お洋服に生活用具。鉄格子に簡易トイレ。小さな洗面所に、扉につけた幾つもの鍵。などなど。

 それらはきちんと抜かりなく準備が完了している。

 他の所はともかく、お兄ちゃんの部屋だもん。当然だ。

 そう、お兄ちゃんと一緒に住む準備は終わっている。

 だから後は、お兄ちゃんを迎えに行くだけ。

 ああ、楽しみだ楽しみだ。

 ようやくお兄ちゃんと一緒に暮らすことができる。

 大好きなお兄ちゃんと一生未来永劫過ごす事ができる。

 期待に胸が膨らみ今にもはちきれそう。

 ワクワクドキドキ。

 ドキドキワクワク。

「じゃ、そろそろいこっかな」

 私はウキウキの気分で荷物を持って、今日からお兄ちゃんとの愛の巣となる家を後にする。

 これから私は、久々にお兄ちゃんと会う。

 この日のために、指輪もちゃんと用意し、それも鞄の中に入っている。

 多分普通は男の人が女の人に付けるんだろうけど、でも、私だってお兄ちゃんが好きな事には変わりない。

 私がお兄ちゃんに付けてあげたっていいはずだ。

 顔を会わせるのは本当に久しぶり。

 私はお兄ちゃんをずっと見ていたが、それは一方方向のもの。

 お兄ちゃんは一体どんな顔をするのだろう。

 妹の顔を見て、やっぱり笑みを浮かべてくれるかな。それとも驚くのかな。

 そんなお兄ちゃんの指に、約束の証である指輪を嵌めてあげるのだ。

 そうして、再会した時の第一声に何を言うのか。

 それはもう既に、決めてあった。




「お兄ちゃん。約束通り結婚してくれるよね。

 二人で幸せになろうね」






タイトル:本当の気持ち

星座:ふたご座

タイプ:孤立誘導型ヤンデレ




 好きな人ができた。

 それは、クラスメイトの彼。

 それまでいるかどうかもわからない存在感の薄い彼だったのだが、ある時、私は一目惚れしてしまった。

 彼の事を考えると胸一杯の幸せに浸れる。

 いつもいつも、彼の事ばかりを考えてしまう。

 視線では常に彼の姿を追いかけてしまう。

 まさにそれは、恋だった。

 だが、こんな気持ちになったのは初めてで、どうしたらいいのかわからなかった。

 彼にもっと近付きたい。彼ともっと話したい。

 そうしたいにも関わらず、私は中々一歩を踏み出す事ができず、尻込みしてしまって、何もできなかった。

 そうしている間もどんどんと彼の事を好きになっていく。

 今なら夢にさえ出てきそうな勢いだ。

 そこで私は、友人にどうすればいいか相談する事にした。

 その友人はクラスのトップグループの中心人物。

 常に周囲に気を配り、親切を絵に書いたようなうってつけの人物。

 なぜかはよくわからないけど、どことなくまるで双子のようなシンパシーをその友人に感じたというのも選んだ理由の一つだった。

「…………………………」

 友人は私の話を真摯に聞いてくれていた。

 私は切なる思いを、切実に、誠実に言葉に表し、目尻に涙粒さえ浮かばせながら、上目遣いで懇願する。

「ねえ、どうしたらいいかな?」

 私のすがるような頼みに、友人はにっこりと笑顔を浮かべ、答える。

「大丈夫よ。私に任せておいて」

 ああ、この友人に任せておけば安心だ。

 力強い友人の返事に、私は安堵し、そっと肩をなでおろした。




『私は彼の事が好き。彼の事が好き。彼の事が好き。

 大大だーい好き。

 その彼を手に入れるためなら私はなんでもする。

 どんなに手を汚したってかまわない。

 何を利用したってかまわない。

 後ろ指を差されようがまったく気にしない。

 それで彼が手に入るのなら。

 それで彼が私の物になるのなら。

 だってそれが、人を好きになり、恋に落ちるということなのだから』




「彼の気を引くために、まずは料理を覚えてみたら」

 どうすればいいかという私の相談に、友人はそう私に言った。

 私はなるほどと思った。

 胃袋を掴む、という言葉があるように料理は男性を落とす手段の一つだ。

 だが一つ問題があった。

 それは、私がてんで料理の経験がないという事だった。

 私の正直な告白に友人は苦笑しつつ、オススメの料理の本を教えてくれた。

 聞けば、学校近くの本屋に並んでいる本だそうだ。

 私はさっそく聞いたその足で、本屋へと向かった。

「えーっと、どれかな………」

 広いフロアに並べられた本の数々に目を落としつつ、目当ての本を探していく。

 大型の店舗の本屋なので、どのコーナーの本もたくさんの種類の本があり、探すのも一苦労だった。

「あ……………」

 本棚を練り歩く中、私は見つけ、思わず声を上げる。

 ただし、見つけたのは目当ての本ではなかった。

 私の視線の先にあったのは、今まさに私が恋している相手だった。

 心臓がドクンと跳ね上がる。

 ああ、こんな所で会えるなんて。

 けど、声をかけるのもままならない相手。

 私はただ、視線を追いかける他なかった。

 胸一杯の思いを抱えながら、私は彼を見つめる。

 物陰に隠れつつ、彼の後を追う。

 彼はとあるコーナーで立ち止まった。そしておもむろに一冊の本を手に取ると、そのまま立ち読みを始めた。

「…………………………」

 とあるコーナーとは、いわゆる18歳以上購入禁止のコーナーであり。

 彼が手に取ったその本は、水着姿の女性が表紙で女性の全裸が中に載っている、いわゆるエロ本の類のそれだった。

「……………………………………………………」

 ……………う、うん。彼だって男の子だもん。そういうのに興味があって当然………いや、むしろ、興味がないほうがおかしいよね。

 うんうんうんうん。

 私は一人納得し頷く事数回、その場をそっと立ち去り、気を取り直して料理の本のコーナーへと足をのばした。




「まず会話するのなら、彼の趣味を知っておくべきだと思うわ」

 彼と話したいが、どんな話をしたらいいかわからない。という私の疑問に、友人はそう答えた。

 なるほど確かに、それは一つの取っ掛かりになりそうなそれだった。

 自分の事を話すのではなく、相手の話を聞く。

 誰しも話しやすい話題というのは趣味の話であり、その趣味を知っておいて予めその知識を得ておくというのももっともだ。

 だが問題があるとすれば、私は彼の趣味に関してまったくの無知だという事だった。

「………ごめんなさい。私もよく知らないわ」

 頼みの綱である友人も、それは知らないようだった。

 彼の趣味。趣味、かあ………

 友人とのそんな会話をした放課後、私は帰路を歩みながら心の中でそっとつぶやく。

 彼の趣味。

 教室での彼を見る限りにおいて、それはてんで見当が付かなかった。

 休み時間は大抵寝ているかぼぅっとしているかのどちらかで、誰かと話しているという事も滅多にない。

 そこから推察するのはいくら考えても無理がある。ゼロから何を生み出せというのだ。

 そうはわかってはいるのだが、しかし彼と話したいがために私は同じ問いを何度も考えてしまっていた。下校の今になっても考えてしまっていた。

 うーんうーんとうなっていた、そんな時。

 スタスタスタ。

 彼の歩く姿を見つけた。

 目線の先、町の雑踏を歩く人ごみの中に彼の姿を発見する。

 彼は一度既に帰宅したのか、私服姿だった。

 その彼は視線の先で、とあるビルの中へと入っていった。

 こんな所で何をしてるんだろう。

 私は先ほどまでの問いを頭の片隅に入れつつ、彼と同じ建物へと入っていった。

「……………あれ?」

 彼の入っていったゲームショップに足を踏み入れた途端、疑問の声が口からこぼれた。

 彼が入っていったのは間違いないはずなのだが、肝心の彼の姿が見つからない。

 見落としているかと思い、視線を振って探すものの、彼の姿はなかった。

 まさか、私が付いていくのがバレたのでは………

 あらぬ妄想が頭を過ぎる最中、唐突に彼が店内へと出現した。

「……………」

 否、正確には店内に出現したわけではなかった。

 店内から店内へと、『18未満の方はご遠慮ください』の文字が書かれた暖簾の向こう側から現れたのであった。

 彼の手には今まさに購入したと思しき、デフォルメされた女の子のキャラクターが描かれた紙袋が二つ、ぶら下がっていた。

「…………………………」

 ………しゅ、趣味は人それぞれだもん。どんな趣味があろうとそれを他人がどうこうとは言えないもん。

 仕方ない。仕方ない。仕方ないよね。

 どんな趣味があろうと、それは仕方ない。

 私は一人納得し、彼に見つからないよう、棚の陰に存在感を消して隠れるのであった。




「手作りのお菓子をあげたらいいんじゃないかしら」

 どうやって彼に話しかけよう。きっかけはどうすればいいのか。という事に悩んでいた私に、友人はそう言った。

 お菓子。確かにそれはいいかもしれない。味見してみて、といえば話しかけやすいし、食べてもらえばその後はその話題を介して話を盛り上げることもできるかもしれない。材料はこれこれなんだー、とか、こういう風に作ったんだー、とかって感じに。

「でも私、料理は………」

 お米を炊いた事さえないほどの料理初心者の私。そんな私にお菓子なんて………

 懸念の声を出す私に友人はそっと肩に手を置き、優しい優しい声音で私に語る。

「大丈夫。そんなに難しくはないわ。手作りだって言えば多少の失敗には目を瞑るだろうし、何よりそれで喜ばない人なんてそうそういないわ」

「う、うん。わかった。やってみる」

 背中を押された私は、善は急げとばかりにその日からお菓子作りに取り掛かるのだった。

 もちろん最初からうまくいくはずもなく、焦げるは溶けるは爆発するはで失敗が何度も続いた。

 失敗するたびにもう無理だとくじけそうになるものの、しかし彼に渡す為だと気合を入れては再び立ち上がり、挑戦を繰り返す。

 そんなこんなで一週間が経過した頃、ようやく、なんとか食べられるレベルのクッキーが完成した。

「うん、これなら………」

 ちょっぴり焦げている箇所もあるものの、味見した分にはそれほど問題はなかった。

 よし、よし。これを彼に渡そう。

 が、しかし、そこで問題が発生した。

 クッキーを作ったはいいものの、果たしてそれをどんな顔をして彼に渡せば、そして食べてもらえばいいのか、それがまったくといっていいほどにわからなかった。

 なんという口実で、いやいやそもそもどんな面をぶら下げて彼の前に立てばいいんだろう。

 いくら頭の中でシミュレートしても、成功する図がてんで思い浮かばなかった。

 なので、

「一生のお願いっ! これを彼に渡してきて! 頼れる人が他にいないの」

「………あのねえ」

 両手を前に合わせた私の懇願に、さすがの友人も呆れ顔だった。

 その呆れ顔がしばらくキープされたものの、なおも手を合わせ続ける私を不甲斐なく思ったのか、「………わかった」と、最終的に友人はオーケーした。

「ありがとうっ! この恩は一生忘れないから!」

 私は友人の両手をとって、これ以上ないくらい感謝の意をアピールする。

 そんな私にほとほと呆れ顔を浮かべつつ、友人は私の作ってきたクッキーの袋を手にすると、スタスタと教室の端の席に座る彼の元へと向かう。

 え、もういっちゃうの?

 まだ心の準備ができていない内に友人は彼へと話しかける。私からのプレゼント云々について話している。

 そして、クッキーの袋が彼の手へと渡る。

 さらにさらに、友人の手が彼の持つ袋へと伸び、その口を開ける。食べてみたらとすすめているようだ。

 あう、だから、まだ心の準備が………。

 と思うのもむなしく、彼は袋からクッキーを取り出すと、それを口へと運んで、次の瞬間―――

 ぺっ。

 それをそのまま吐き出した。

「…………………………」

 一瞬、何が起こったのかわからなかった。

 目の前の光景が信じられなかった。

 だから、彼が友人に袋を付き返す様子も、どこか遠くの世界の出来事のように感じられた。

 友人は申し訳なさそうな顔でこちらへと戻ってくる。

 フォローの言葉を発しているようではあったが、私の耳には届いていなかった。

「…………………………」

 ……………ま、まあ。誰にだって、好き嫌いがあるもんね。

 たまたま。そう、たまたま。あのクッキーは彼の苦手なものだったに違いない。

 きっとそうに違いない。

 絶対に、その、はず………




『彼に何を言われようと、彼にどう思われようと、私が彼を好きなのには間違いない。

 それは一方通行の愛かもしれない。報われない愛なのかもしれない。

 しかしそれでも、いつかきっと振り向いてもらえると私は信じている。

 私の想いがきっと届くという願いは必ず叶うと信じている。

 もしそうじゃなかったら、その時は―――』




「あのね。一つ聞いてもいいかしら?」

「なあに?」

 私が聞き返すと、友人はその疑問を発した。

「一体、彼のどういうところを好きになったの?」

「……………」

 唐突なその質問に私は思わず口をつむぐ。

 どういうところ、どういうところ………

「………えっと、それは、一目惚れで、」

「ええ、それは聞いているわ」

 でも、と友人は言葉を続けた。

「確かにきっかけはそうだったのかもしれない。でも、そこには何かしらの理由があるはずよ。勉強ができるとか、スポーツが得意だとか、あるいは、格好いい姿を見たからだとか」

 どう?

 友人は少しだけ首を傾けつつ、私に答えを促すものの、私はその答えを出すことができなかった。

 彼のどんな所が好きなのか?

 その疑問が、しばらくの間私の頭の中で渦巻いていた。




 彼の成績、成績………

 彼の成績はどうだっただろうか?

 それについて、思い出せる事は残念ながらなかった。

 定期試験の結果で取り立てて取り上げられた事もなかったし、別段頭がいいという噂も聞いた事がなかった。

 と、そんな事を考えていた矢先、数学の授業で彼が教師に当てられていた。

 その教師はその日の日付で生徒を当てる傾向にあり、ちょうど今日は彼の出席番号と同じ日付だった。

 彼はどのくらい頭がいいのかなあ。ああ見えて、実はものすごく天才だったりするのかも。

 私が期待に胸を膨らませる中、彼が黒板に前に進む。

 そして問題を前にすると、くるりと教師に顔を向け、

 ………わかりません。

 と、消え入りそうな小さな声で、そう言った。

 こんな問題もわからないのかちゃんと勉強しろ復習しろちゃんと宿題をやれしばらく廊下に立ってろ。

 前時代的な教師は彼にそう言い立てると、宣言どおり彼を廊下に立たせるのだった。

 ………す、少しくらい、勉強ができないのなんて、普通だよ。普通。むしろできない方が格好いい的な所もなくなくなくなくなくなくなくなくなくはない?


 彼の運動、運動………

 スポーツが得意とか、そういった話も特に聞かなかった。

 部活も帰宅部で、過去に何かやっていたという話も風の噂でさえ流れていなかった。

 果たして、彼の運動能力はどうなのか。

 その日は、男女混合の体育の授業だった。

 生徒の誰しもが嫌がるマラソンの授業。

 男子が先にスタートし、その後しばらくしてから女子のスタートという授業の流れだった。

 はてさて、彼はクラスの中でどのくらいの位置にいるのだろう。

 真ん中くらい? それとも、案外トップの方にいるのかも。

 希望的観測を募らせる中、マラソンが始まった。

「おいおい見ろよ、どんけつのアイツ」

「うわ、おっそ。もはや亀じゃん。たぷたぷのデブよりもさらに遅くね?」

「周回遅れのレベルをはるかに超えてるし」

「しかも後からスタートの女子にも追い抜かれてね? まじだっさ」

 私のそばを走る男子の、そんな言葉が耳に届けられる。

 彼らの視線の先にいるのは、へろへろのぐでんぐでんのスライムのような軟体動物の動きでだらだらに大量の汗を流し走るよりも歩むよりも更に遅い速度で移動する彼の姿だった。

 見間違いようもないほどの最下位。一つ前の順位の人間と比べ、大きく引き離されての最下位。

 ………う、運動なんてできるかどうかは関係ない関係ない関係ない。

 そう、人は見た目よりも中身が重要だ。中身さえよければちょっとくらい他がダメでも十分魅力的なんだもん。

 そうに決まってる。決まってるんだもん。もんもん。だもーん。


 彼の格好いい所。

 彼の格好いい所。

 彼の格好いい所………

 私はそれを頭の中でギュウギュウに振り絞ってなんとかひねり出そうと考えるが、しかしいくら考えても彼のそんなところを思い出す事はできなかった。

 むしろ、格好悪いところばかりが浮かぶばかりで………いやいや、そんな事はないはず。

 私の好きな人。

 だから、格好いいところもきっとあるはず。あるはずなんだ。

 それについて頭を悩ます下校途中、偶然に彼の姿を私は捉えた。

 何をやってるんだろう?

 私の視線の先では、彼が別の学校の制服を来た男子何人かに囲まれつつ、人気のないところに移動する所だった。彼が中心にいて、その周りの他校の男子が取り囲むといった感じ。

 私は少し距離をとった位置から彼らの様子を伺った。

 通行人が極端に減った場所まで移動した直後、彼を取り囲む内の一人が彼の肩を叩きながら何事かを囁く。

 彼はふるふると首を横に振る。拒否の意思。

 と今度は囁いた人物とは違う一人が、おもむろに彼に近付き、「!」その脇腹を思い切り殴りつける。

 彼は苦痛と苦悶の表情を浮かべた後、財布を取り出すと、そこから何枚かお札を取り出して、最初に囁いた人物へと渡した。

 それを受け取った直後、もう用は済んだとばかりにいなくなる他校の男子達。

 残ったのは、しょんぼりと肩を落とす彼の姿だった。

「……………」

 ………そ、そりゃあ、あんな大人数で囲まれたら、誰だってああするよ。

 むしろ、あそこで要求を突っぱねる方が大怪我をするかもしれないんだし、あれで正解だよ。正解。

 満点。百点満点。

 そ、そ、そうだよ。逆にあんな彼は素直で従順だと言えるわけだし、別に、格好いいだけが人の魅力じゃないんだよ。

 そうそう。そうに決まってる。決まってるよ。

 決まってる、から………だから、だから……………




『私は彼の全てが好き。

 長所も短所も、いい所も悪い所も、何もかもが好き。

 全てが好き。全部が好き。オールインで嫌いな所なんてどこにもない。

 私の愛は彼の全てを包み込む。

 私は彼のありとあらゆるものを許容できる。容認できる。認証できる。

 だって、愛した人間の事であるもの。

 その全てを愛しているからこそ、胸を張って好きだと言える。

 大好きだと言える。

 だって、そうでなければ愛している事にはならないでしょ?』




「好きだと思うからこそ、好き。人を好きな理由なんて、それで十分だと思うわ」

 本当に私は彼の事が好きなのだろうか、との私の質問に、友人はそう返答した。

「好きって思うから、好き?」

 私はオウム返しに聞き返す。

「ええ、そう。好きだって気持ちが心の中にあるのなら、その人の事を好きだって思えるんじゃない」

「そっか………」

 私は友人の返答を心の中で噛み締める。

 好きだから、好き。

 好き。好き。好き。

 私は彼の事が好き。

 好き。好き。好き。

 好き……………

 私は声に出さずに反芻しながら、好きなはずの彼に視線を送る。

 私との会話を終えた友人は、ちょうどその彼に話しかけるところだった。

 友人は私の相談に乗ってくれて以降、彼の情報を集めるためか、ちょくちょく彼と会話していた。

 友人は彼とごく普通に話している。

 普段は誰とも滅多に話さない、彼と。

 ごくごく普通に、親しげに。

 端からみれば私ではなく、友人の方が彼に好意を持っているとも取れる構図だ。

 どうしてあんなに友人は普通に話しかけられるのだろう。

 私なんて好きだと意識してから、緊張して彼の前では一言も口に出せないというのに。

 と、おもむろに彼がバッグを机の上に置く。口を開いて何かを取り出し、それを友人に見せている。

 何を見せてるんだろう、と私が彼らに注視した矢先の事だ。友人が少し体をずらした折、その腕がバッグに当たる。

 ドサッ。バシャッ。

 バッグはひっくり返って床に落ち、そこからその中身が散乱した。

「…………………………」

 …………………………。

 …………………………。

 そこから散乱した物に、私含め周囲の雰囲気が一瞬にして凍りついた。

 散乱した物。それは―――

 小学生くらいと思しき女の子の写真。それも一枚ではなく、数枚数十枚、否、数百枚くらいの写真の数々だった。

 …………………………。

 …………………………。

 …………………………。




「あれ………?」

 私は彼の姿を見つけて思わず疑問の声を上げる。

 教室の中に彼が一人いた。

 いやもちろん、普段ならおかしくない光景ではあるのだが、今は移動教室の科学の授業中で、クラスメイトはみんな科学室にいるはずだった。

 私と同じように忘れ物を取りに来たのかな?

 一旦はそういった解釈が過ぎるものの、しかし先の授業中、私以外にそんな事を先生に申し出たクラスメイトはいなかったはずである。

 そもそも彼は最初から授業にいたっけ………?

 新たな疑問が膨らむ私はなんとなく教室に入らず、外から彼の様子を伺った。

 彼は警戒するように、キョロキョロと周囲を見渡している。私はさっと扉の陰に隠れ、彼に見つからないようにする。

 彼はせわしなく十分に首を動かした後、とある机の脇にしゃがみこむ。

 そしてそこで何かをごそごそとした後、再び必要以上に周囲を警戒しつつ、そっと教室を出た。ロッカーの脇に隠れた私の前を通り過ぎて、逃げるようにその場を去っていった。

 彼がなにやらやっていたその机は、彼の机とは違った。

 あの机は確か―――


「どうしたの? 浮かない顔をして?」

「ううん、なんでもない………」

 その日の昼休み、友人の問いかけに私はふるふると首を横に振り否定する。だが横着なその動きは、問いかけに完全に否定しきれるものではなかった。

「元気出して。そんなくらい顔をしてたら彼だって振り向いてくれないわよ」

「……………」

「もう。じゃあジュースでもおごってあげるから………っと、あ、そうだ。確かこの前ジュース代借りてたわよね」

 うっかり返すのを忘れたわ。と、友人は自分の机に戻り、財布を取って戻ってくる。

「あら………?」

 財布を開いた友人は、中を覗き込みながら疑問の声を上げる。

「どうしたの?」

「いえ、確かお札が何枚か、入っていたはずなのだけれど………ん、んん?」

 友人はなおもうなり声を上げながら財布の中を探すものの、結局お札は見つからなかったようだった。

「…………………………」

 私はつい先ほどの記憶を取り出した。

 あの机は確か―――友人の席だった。

 必要以上に警戒していた彼。

 逃げるように去っていった彼。

 その彼は今、早退したのかなんなのか、教室におらず、彼の席は空っぽだった。

 …………………………。

 …………………………。

 …………………………。

 …………………………。

 …………………………。




「いけないけない。ああ、もう、どうしよ。約束の時間からかなり遅れちゃってる」

 私は焦りの声を出しつつ、放課後、人気の少なくなった廊下を速やかに移動していた。

 友人に指定された時間から、だいぶ時間が過ぎてしまっていた。

『放課後、改めて彼への対策を練りましょう?』

 そう言ってくれたのに、私が遅れてどうするというのだ。

 私は申し訳ない気持ち一心で待ち合わせ場所の教室へと急ぐ。

 申し訳ないと思う、その気持ち。

 それはもちろん、時間に遅れるというのが第一にあるのだけれども、しかしそれとは別の意味でその思いが私にはあった。

 別の意味、その思いというのは………

「ごめんごめん。遅れちゃって。いやー、友達と話してたのが思いがけず長引いちゃ、って……………」

 …………………………え?

 言い訳を口にしながら教室に入った途端、私の動作の一切が停止、と同時に、思考もブレーキがかけられた。

 目の前の光景に、瞳孔が凝縮し、瞬きさえするのを忘れる。

 私の視線の先には、友人がいた。

 その友人は、壁を背にするように立っていて、そして、

 そして、

 そして、

 そして―――――彼とキスしていた。

 彼は逃げないようにか、友人の腕を掴みながら、強引とも取れる様子で友人の唇を奪っていた。

 友人は私の上げた声に気付き、こちらに視線をやって、目を見張る。

 それから慌てて気付いたように、掴まれていない方の手で彼を押しやり、そこでようやく二人のキスが終了する。

 彼から離れた友人は、一目散に私の元に近寄る。

「ち、違うの。違うの。違うの。今のは、彼に無理矢理………」

 首を横に振りながら否定の言葉を繰り返し繰り返し、目じりに涙を浮かべながら上目遣いで、私の胸に取りすがる友人。

 その表情は罪悪感が込められている一方、そこには純然とした恐怖の色が取り混ぜられ、先の友人の台詞の信憑性を明確に物語っていた。

 …………………………。

 …………………………。

 …………………………。

 …………………………。

 …………………………。

 …………………………。

 …………………………。

 …………………………。

「…………………………ってた、よね」

「え?」

 なおも涙を浮かべている友人は、私の声が聞こえなかったのかそう聞き返した。

 私はもう一度同じ台詞を繰り返す。

「確か、前に言ってた、よね」

 私は、友人が言っていた言葉を思い出す。

『好きだと思うからこそ、好き』

 好きだと思うからその人を好きだと思う。

 そう、つまりそれは、裏を返せば。

 嫌いだと思えば、嫌いだという事。

 嫌い。

 嫌い。嫌い。嫌い。

 嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。

 嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い。

 オタク趣味なのもデリカシーがないのも勉強もスポーツも全然ダメなのも格好悪い所も全部嫌い。

 長所なんてない。短所しかない。

 良い所なんて欠片もない。悪い所ばかりだけ。

 何もかもが嫌い。

 全てが嫌い。全てが嫌い。オールインで好きな所なんてどこにもない。

 そして何より、嫌がる友人に手を出したことが一番許せない。

 許せない許せない許せない。

 私は息をすぅっと吸い込んで、ありったけの、全部が全部の、胸の中の思いの丈のすべてをぶちまけた。

「最っ低っっっ! あんたの事なんて大っっっっっ嫌い!!!!!」

 フンッ! と鼻を鳴らし、呆気に取られる彼をおいて、私は友人の手を引きつつ、教室を後にした。




『彼のキス彼のキス彼のキス彼のキス彼のキス彼のキス彼のキス彼のキス彼のキス彼のキス。

 その際の彼の表情が今での鮮明に思い出される。

 キスをしていた時の彼の表情。

 目、鼻、口。まつ毛の一本一本さえも写真のように焼きついて思い出すことができる。

 クスクス。

 クスクスクスクス。

 クスクスクスクスクスクスクスクスクスクス』




 わからない。わからない。

 どうしてもわからない。

 いくら考えてもわからない。

 これっぽっちもさっぱりわからない。

 どうしてあんな奴の事なんかを好きだと勘違いしていたのか、全然、欠片もわからなかった。

 いい所が全然なくて欠点ばかりで格好悪いあいつ。

 そんなあいつが好きだったなんて過去の自分がまるで信じられない。

 もし過去の自分に声を届ける事ができたとしたら、あんな奴の半径一メートル以内に一生近付くなと警告したい。

 ああ嫌だ嫌だ。

 あんな奴が嫌だというものそうだが、あんな奴を気の迷いとはいえ好き好んでいたという自分が嫌だ。

 汚らわしい物に触れているようで、汚染されているような、感染しているような気分でひどく気持ち悪い。

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。

 もしその汚れを落とす事ができる石鹸があれば札束をいくら積んだっていい。

 それほどに気持ち悪く、汚らしかった。

 フツフツとした生煮えの怒りが私の中にたまっていく。

 その怒りが彼のせいだと思うと余計に腹が立つ。

 本当に、嫌だ。


 ―――それから私は、その鬱憤を晴らすかのように、膿を出すかのように、彼がいかに最低で最悪で劣悪な人間か、周囲の人間に言いふらしていった。

「ほんと、あいつってさあ―――」

 ある事ない事罵詈雑言、欠点や短所を真実と嘘をないまぜにして広めた。

 会話の中だけでなく、チェーンメールやSNSなどでも広げに広げ、収拾が付かないくらいにまで悪評を流し続けた。

 ただの自己満足のため、憂さ晴らしのため、流して流して流し続けた。

 彼の事を相談していた友人とは、最近は距離を取っていた。

 あの時の事をまだ友人は罪悪感を持っているらしい。

 私は気にしなくていいと言ったのだが、

「……………ごめんなさい」

 と謝る友人。

 話すたびにその応酬となり、次第に距離が離れてしまった。

 距離を取ったのにはもう一つ理由があって、それは彼と話す友人の姿をたびたび見かけるからだった。

 あんなひどい事をされたにも関わらず、どうして友人はあんな奴と話しているのか、それがさっぱり理解できなかった。

 あの時の再現はどうやらまだ起こってはいないようだけれど、けどもし、もう一度彼があんな事をしたら、今度は絶対に、絶対絶対、あの面をひっぱたいてやるんだから。

 もう一度友人に手を出したら、今度こそ地獄の底にまで、叩き落してあげる。

 私はそんな決意を心に固めていた。




『クスクス。

 クスクスクスクス。

 クスクスクスクスクスクス。

 ああ、彼の悪口が、陰口が、罵詈雑言が流れてる流れてる。

 悪評がばら撒かれ、悪意が拡散し、悪魔のような人間が増えている増えている。

 そんな悪評が、悪意が、悪魔が増えれば増えるほど、段々と彼は孤立していく。

 周囲の誰も彼もが敵となり、孤立無援となっていく彼。

 誰にも頼ることができず、誰にも縋ることができず、誰にも助けを求められない。

 そんな中で、彼に手を伸ばすのが、救いの女神となるのが、この私。

 私以外誰もかまって上げない彼の傍にいる私。

 孤立して、孤独な彼の一生傍にいる私。

 そうすれば、彼は私の事だけしか見えなくなる。

 私にだけ頼り、私にだけすがり、私にだけ助けを求める。

 ずっとずっと、私の陰に隠れて生涯を過ごす事になる。

 その為のピースがまた一つ、埋まった。

 最初彼女から、彼を好きになったと聞かされた時には大層驚いたが、所詮彼女の感情は一時のものに過ぎなかった。

 ちょっと心を揺さぶるだけですぐに彼の事を嫌いになった。

 人は誰しも欠点があるのは当然だというのに、その欠点をまざまざと見せられただけであっさりと手のひらを返すなんて、本当にひどい人。

 クスクス。

 まあそのいくつかは、そう見えるよう私の仕組んだものなんだけれどね。

 そんなのにあっさりと引っかかる時点で、彼の事をそんなに好きになっていなかった何よりの証拠。

 ただの勘違い。それを正してあげたのだから、御礼の一つもあってもいいんじゃないかしら。

 そう、最初は少し、ほんの少しだけ、彼女にあたかも双子のようなシンパシーを感じていたけれど、結局はそれも勘違いだった。

 彼の事を世界で一番好きなのは、彼に世界で一番恋しているのは、彼を世界で一番愛しているのは、この私。

 私以上に彼を愛している人なんていない。

 彼を手に入れるためになら、なんだってできる人なんて私の他にいない。

 彼の全てを愛せるのもこの私のみ。

 この私が唯一無二、彼を愛せる事ができる人間。

 私には彼しかいない。

 だから、彼にも私しかいなくていいの。

 たとえ世界中の人間を敵に回そうと、私には彼さえいればそれでいい。

 彼と二人きりなら、月にだって火星にだって取り残されたってかまわない。

 彼が隣にいさえすれば、それでいい。

 私の愛は全て、貴方にだけ向けられているもの。

 だから、それをちゃんと受け取って。

 隣で、傍で。

 どれだけ貴方の周りから人がいなくなっても、

 どれだけ孤立し、孤独になったとしても、

 私だけは一生貴方の傍にいるからね』






タイトル:宝物は箱の中にしまって大切にしましょう

星座:かに座

タイプ:他者愛型ヤンデレ




 ―――好きな人ができた。

 と、愛しい愛しいあの子は言いました。

「へぇ、そうなんだー。それはよかったねー」

 私はニコニコと話を聞きつつ、「あーん」と正面に座るあの子に料理を食べさせます。

 モグ、パクパク。

 食欲旺盛によく食べます。久々の外食という事もあって、気分がはしゃいでいるのでしょう。

 食事を進める傍ら、あの子はその好きな子についてしゃべります。

 同じクラスにいる子で。

 とっても可愛くて。

 とっても頭がよくて。

 とっても優しい、と。

 それはそれはとても幸せそうな顔で話すあの子。

 今まさに食べている好物のカニクリームパスタを食べている時よりも、とっても幸せそうでした。

 この子も好きな人ができるくらいに大きくなったんだなあ。しみじみ。

 更にあの子は口を動かします。好きな子についての話を。大仰に、手振りを交えて。

「ふむふむ。………ふーん……………なるなる」

 私は笑顔を崩さず、時折頷きつつ話を聞いていました。もちろん合間合間にあの子の口元に料理を運ぶのを忘れません。

 あの子の大好物や、ちょっと苦手なサラダ、はたまた飲み物を的確に運んであげました。

 饒舌になっているためか、いつもは躊躇する野菜も今日はどんどん口に入れていってくれます。

 ああよかったよかった。ちゃんと栄養をバランスよく、ね。

 ―――それでそれでね。

 と、あの子が楽しそうに声を弾ませたその時、振り回した手が、テーブルの上のコップに当たりました。

 コロン。ビチャー………

 コップの中の水がテーブルに広がり、さらにはあの子の服にもかかってしまいました。

「ああっと。大変大変。大丈夫?」

 私はすぐにハンカチを取り出して、あの子の服に付いた水をふきました。

 ふきふきふき。

 ―――ごめんなさい。

 拭き取るかたわら、あの子のしゅんとした声が届きます。

「大丈夫大丈夫。すぐに乾くと思うから、心配しないで」

 努めて明るい声でそう言いつつ、私は拭いていない方の手であの子の腕をなでて、怒ってない事をアピールします。

 はしゃぎすぎちゃって偶然に当たっただけ。怒る理由なんてない。

 と、水をこぼしたのに気付いてか、店の店員がテーブルに近付き、手に持ったタオルであの子の体を拭こうとしました。

「大丈夫です。この子の体は私がふきます」

 私はその店員を制し、きっぱりと断ります。

 なんという人だろう。私以外の人が拭いてこの子が嫌がったらどうするのだろう。あるいは強い力で拭いてこの子が怪我でもしたら………

 嫌な想像に目がくらみそう。

 でも大丈夫だから。私がちゃーんと拭いてあげるよ。

 ちゃーんと、ちゃーんと。きれいにしてあげる。

 だからお姉ちゃんに任せておいて、ね。

 私は優しい手つきで、あの子の体を拭いてあげました。




 コンコン、ガチャッ。

「ねえ、ちょっといーい?」

 ―――なにー?

 愛しい愛しいあの子の部屋の扉を開くと、そこから間延びした返事が返ってきました。あの子は机に座り、本を読んでいたようです。

「ごめんね、勉強してるとこ。今洗濯してたんだけど、これ」

 私は言いながら、持っていたハンカチをあの子に向けて示します。

 あの子に普段持たせているものではない、見慣れない柄のハンカチ。色とりどりのお花があしらわれているそれでした。

「ポケットの中から見つけたんだけど、これ、どうしたの?」

 ―――あ、それはねー………

 あの子は話しました。

 あの子の好きな子から、借りたのだと。

 優しくていい人だと、あの子は続けて話します。朗らかな笑顔で。あどけない表情で。その好きな子への想いが込められた顔で。

 とっても可愛い顔。

 そんな顔をされたら、ぎゅっと抱きしめたくなっちゃいます。

 そう、そんな顔であるのに、今にも腕を広げようかという勢いなのに、なぜか心の奥底でちくっとした痛みが走りました。

 ほんのわずかな痛み。

 しかし、その痛みは抱きしめたくなる衝動に紛れて気にならなくなりました。

 ああ、もう、今すぐ抱きしめてあげたい。

 っと、いけないいけない。

 あの子が不思議そうな顔をしてこちらを見つめていました。私はにへらっとした顔をすぐに元に戻します。

「それじゃあきれいに洗って返さなくちゃだね。返す時、ちゃんとありがとうって言うんだよ」

 うん、と元気良く頷くのを見た私は満足します。

 よしよし、お礼が言えるのは良い子の証拠。さすがだね。えらいえらい。

 なでなで、とあの子の頭をなでて上げます。

 ん、そういえば。

 ふと、疑問に思ったので私はなでなでする手を止め、聞きました。

「どうしてハンカチ借りる事になったの?」

 ―――これだよこれ。

 そう答えたあの子は、おもむろに腕まくりをすると、右腕のひじを私に見せてきました。そこには何かでこすったような擦り傷が。

「ああ、いけないいけない、どうしようどうしよう!?」

 あわわわわわわ、あの子の体に傷が。あの子の体に傷が。

 私はパニック寸前に陥ります。あの子が何か言いますが、その声は届いていませんでした。

 110番? いや、119番? いやいや、そんなの待ってられない! 病院だよ病院。すぐに連れて行かなくっちゃ。

 なおもあの子が何かを言いますが、それも私には聞こえず、大急ぎで準備すると、あの子を抱えて病院へと向かいました。


 数時間後。

 そう大層な怪我ではない、との事でした。

 こんな怪我で大騒ぎしなくても大丈夫ですよ、と少し疲れたように医者は私に言いました。

 でもあの子にもしもの事があったらどうするんだ。と、そんな事を言いのける医者に少しだけ、ほーんの少しだけ憤慨しました。ぷんぷん。

 しかし、あの子の怪我が大した事じゃなかった事については、ほっと一安心です。

 私の大事な大事なあの子が傷物にならなくて、本当に本当によかったです。

 見ていないところで取り返しのつかない事にはならず、よかったよかった。

 もう、おてんばさんなんだから。

 そういうところも可愛いんだけど。

「でも、今度からは気をつけなくちゃダメだよ?」

 ―――わかったー。

 あの子はしっかりと返事をしました。

 ちゃんとわかってくれたようで何よりです。えらいえらい。

「じゃあ、そろそろ帰ろう」

 私はあの子の手を取って、二人並んで家に向かって歩き出しました。




 パク、モグモグ。

 ―――おいしー!

 買い物から帰ってリビングの扉を開けると、そこには愛しい愛しいあの子がとても幸せそうな顔をして何かを食べているところでした。

 近寄ってみてみると、その手の中にはクッキーが一つ。

「どうしたの、それ?」

 その問いに対し、あの子が返してきた答えによると、どうやらあの子の好きな子からもらったものらしいのです。

 テーブルの上を見ると、確かに既製品ではない手作りのそれが広げられていました。形がいびつで、色も均一でないそれ。

 私から見るとそれほどおいしそうには見えませんでしたが、しかしあの子にとっては最高級のそれであるようでした。

 パク、モグモグ。パク、モグモグ。パク、モグモグ。

 とても美味しそうに食べてします。

 とても幸せそうに食べています。

 とても嬉しそうに食べています。

 あの子の見せるそんな顔は、いつもなら私もこれ以上なく幸せの余韻に浸れるものなのですが、しかし今日に限っては、そんな気分にはなれませんでした。

 なんでだろう。ちょっともやもや。

 どことなく不安なような、悲しいような、そんな気持ちがありました。

 あの子があんなに美味しそうに食べているというのに、どうしてだろう。

 ―――食べる?

 と、そんな暗い私の表情を見て思うところがあったのか、あの子がそんな提案をしてきました。

「ううん。私はいいよ」

 私は首を振りつつ否定し、それに、と言葉をつなげます。

「あげた人に全部食べてもらう方が、それを作った人も喜ぶよ、きっと」

 そうなんだ、と納得したあの子は、気を取り直して残りのクッキーも口へと運びました。一つ一つ味わいながら、あの子は食べていました。

 それを見てまたも暗い表情になるのを抑えつつ、私はあの子に言いました。

「えっと、今日のおやつ、どうする? 今クッキー食べたんだから………」

 ―――食べる!

 私の言葉をさえぎりつつ、表情を飛び切り輝かせてあの子が元気のいい声を発しました。

「ふふ。わかったわかった。じゃあ用意するからちょっと待っててね」


 数十分後。

 パク、モグモグ。

 パク、モグモグ。

 パク、モグモグ。

 ―――~~~♪ ~~~♪

 私がパッパッパと用意したパンケーキを次から次へと口へ運んでいくあの子。これ以上ない幸せそうな顔をして鼻歌すらこぼしています。

「~~~♪ ~~~♪」

 そんなあの子を向かい側で見守る私も、鼻歌を口ずさんでいました。

 さっきまで感じていた暗い気持ちもどこへやら、幸せそうなあの子を見て、私は思う存分、幸せに浸る事ができました。

 あの子の表情はさっきと変わらないというのに、なんとも不思議な事です。

 ―――おかわり!

 あの子はあっという間に平らげると、そう言って空のお皿を差し出してきました。

「もう、夕ご飯食べられなくなっても知らないからね」

 口ではそんなことを言いつつ、しかし口元を緩ませながら、私は受け取った空のお皿にもう一枚パンケーキを乗せるあげるのでした。




 好きな子からデートに誘われた、とあの子が言いました。

『そっか。じゃあその時に着ていくきれいなお洋服買いに行かないとね』

 というわけで、私はあの子を連れ、近所にあるデパートへと足を運びました。

「はぐれないようにちゃんとお手手つないでててね」

 うん、と返事したあの子の手を私はぎゅっと握ります。

 さーて、どんなお洋服がいいのかなあ。

 そう思いながら、私は服売り場に並べられた色とりどりの服に目をやっていきます。

 デートならちゃんとした服の方がいいのかなあ。いやいや、行く場所によっては動きやすい服の方がいいかも。

「どういう服がいい?」

 あの子に聞いてみますが、しかしいまいちピンとこないのか、しきりに首を傾げるばかりでよくわかっていない様子。

 まあそうだよね。この子にとってデートなんて初めてだろうし。

 けれど、そう思う私にとっても、デートというものは経験がありませんでしたので、おあいこなのですが。

 好きな人と出かけるためにおしゃれする、というのは知識としてはありますが、正直に言うとよくわかりません。

 だって、好きな人と出かける、というのは私にとって今まさにこの状況なのです。

 好きな人と出かける。好きな人が隣にいる。

 それだけで最高の幸せ。それ以上に何を求めるというのでしょうか。

 たとえどんな格好であろうと、好きな人は好きな人。

 それは変わらないのですから。

 でも、それはそれ。これはこれ。

 今はあの子のために、ない知恵を振り絞らなくっちゃ。

 あの子が格好良くなる為に、あの子が恥ずかしくないように。

 私がちゃーんとしてあげなくちゃ、ね。

 と、決意を新たにしたその時、はたと気付きました。

 ついさっきまで傍にいたあの子の姿が、いつの間にか消えている事に。

 って、ええ、えええええええ!?

 慌てて周囲を見渡しますが、あの子は見当たりません。

 どこ、どこどこ、どこどこどこ!?

 私は辺りを探します。探します。探しました。

 しかし見つかりません。見つかりません。見つかりませんでした。

 どこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこ?

 どこにいったの?

 おーいおーい。どこどこー?

 私は焦燥にかられながら必死になって探します。

 雑貨屋。おもちゃ売り場。食品売り場。

 隅々まで探します。いたるところを探します。あらゆる場所を探します。

 一体どこに行っちゃったの?

 デパート中を駆けずり回り、しかしあの子が見つけられず、目の前が真っ暗になりかけた、その時でした。

 ピンポンパンポーン。

 デパート内の館内放送が流れ、迷子のお知らせが流れてきたのです。

 それを聞いた直後、私の足は動き出しました。それまで探し回った疲れもどこかへいってました。

 人生でそれ以上ないくらいの急ぎ足で辿りついたそこには、

 ―――あ、お姉ちゃん!

 私の愛しい愛しいあの子がいました。

 私はその姿を視認するやいなや、飛びつくようにしてあの子に抱きつき、

「ああ、良かった良かった。本当に良かったよ~」

 半分泣く勢いで人目もはばからず大声を上げながら、歓喜の声を叫びます。

 どこに行ったかと思ったどこに行ったかと思ったどこに行ったかと思った。

 いなくなったんじゃないかと思ったいなくなったんじゃないかと思ったいなくなったんじゃないかと思った。

 ちゃんとここにあの子がいるちゃんとここにあの子がいるちゃんとここにあの子がいる。

 私はあの子の存在感を全身で受け止めるため、強く強く、その体を抱きしめます。

 ―――もう、苦しいってばー。

 私の抱擁はあの子が文句を口にしても、しばらくの間続くのでした。




 ―――今日ね。あの子から告白されたんだ。

「そうなんだ。ずっと好きだったんだもね。よかったねー」

 ―――うん!

 と、鏡の前に腰かけた愛しい愛しいあの子は、飛び切り嬉しそうな表情で頷きました。

 私は鏡越しにその顔を視界に入れつつ、シャンプーの泡の乗った手を、あの子の頭の上に乗せます。

 カシャカシャ、ワシャワシャ。

 手を動かすと、瞬く間にあの子の頭の上が泡まみれになっていきました。あの子の顔の側に泡が垂れないよう注意しつつ、私はあの子の頭を洗っていきました。

 体は私のされるがままにされつつ、あの子の口は告白された好きな子について話していました。

 出会ったのはいつか。初めて交わした言葉。同じ班になった時の気持ち。

 その子の気を惹きたくてわざと消しゴムを忘れた事や、ハンカチを貸してくれた事、一緒に公園で遊んだ事、クッキーを貰った事。

 あの子はその時の気持ちを振り返っていくように、一つ一つ感慨深く語っていきました。

 カシャカシャ、ワシャワシャ。

 話している口調から、あの子にとってその一つ一つが大事な思い出であるというのが、しみじみと伝わってきました。かけがえのない、大切な思い出。

 あの子はとてもとても嬉しそうに、楽しいそうに話しますが、それに対して私は、どこかぽっかりと心に穴が開いていくような感じでした。

 なぜでしょう。どうしてでしょう。

 あの子にとってとても素晴らしい事のはずなのに。

 喜ばしい事のはずなのに。

 私はその嬉しさと、その楽しさを感じ入る事ができませんでした。

 あの子が喜ぶように、喜ぶ事ができませんでした。

 むしろ聞いていく毎に落ち込んでいってしまっているのが自分でもわかりました。

 なんでだろう。どうしてだろう。

 カシャカシャ、ワシャワシャ。

 カシャカシャ、ワシャワシャ。

 カシャカシャ、ワシャワシャ。

 ―――それでねそれでね。今日、あなたのお嫁さんにしてって、告白されたんだー。

 あの子は足をぷらぷらと動かしつつ、そう言いました。

「へえ。そんな風に言われたんだー。すごいねー」

 私のその返事は、心なしか、起伏のないものになっていました。

 お嫁さんにして。

 その好きな子から言われた言葉。

 もしその人が言葉通りお嫁さんになったら、一体どうなるのだろう。

 その時愛しい愛しいあの子は。

 そして、その時私は。

 うーん。うーん………

 ―――………うっ。あー、目に泡が入ったー!

「あっ! ああ、ごめんごめん。大丈夫?」

 あの子の言葉にはっと我に帰った私は謝りつつ、シャンプーの泡を洗い流すために、シャワーの蛇口に手をかけました。




 ―――今日、泊まりにこない? って言われたから、泊まりに行ってくる。

 と、満面の笑顔で言った愛しい愛しいあの子に、

『行ってらっしゃい。よその家でもいい子にしてるんだよ』

 私がそう言って送り出したのが、ごく数時間前の出来事でした。

「……………。……………」

 あの子が家を離れてから今に至るまで、私の体はソワソワしていました。家事が手に付かず考え事に没頭したり、意味もなく家の中を歩き回ったり、普段は絶対やらない押入れの中の整理をしたり。

 普段とは違う私がいました。

 うーん。どうしてだろう?

 あの子の事が心配だから?

 いや、しっかりしたあの子だから大丈夫。

 でもでもでもでも。

 といった思考を繰り返していました。

 あの子が出かける前を思い出します。

 大きなリュックに、お泊りに必要な物を詰めていくあの子。よそに泊まりに行くのが初めてなので、すごく楽しそうな様子がひしひしと伝わって来ていました。

 私はあの子に必要そうなものをアドバイスしつつも、どこか上の空でそれを見ていました。

 段々と風船の空気が抜けていくような、そんな気分になっていき、あの子を送り出した時、ちゃんとした顔で見送れたかどうか定かではありませんでした。

 そうして今現在、頭の中を占めているのはあの子の事だけでした。

 大丈夫かな、大丈夫かな。

 よその家でもちゃんとやれているのかな。

 食べ物を残したりしてないだろうか。

 よその家のものを壊してないだろうか。

 ちゃんとお行儀よくできているだろうか。

 お風呂はきちんと入れるだろうか。

 トイレはいつもどおりできるだろうか。

 寝る時子守唄がなくても平気だろうか。

 大丈夫かな、大丈夫かな。

 私がいなくてもちゃんとできるだろうか。

 私がいなくても大丈夫だろうか。

 私がいなくても平気だろうか。

 私がいなくても寂しくないだろうか。

 私がいなくても私がいなくても私がいなくても。

 大丈夫かな、大丈夫かな。

 今あの子の傍に私はいない。

 ずっと一緒だった私がいない。

 隣で見守っていた私はいない。

 大丈夫かな、大丈夫かな。

 私はあの子の事なら何でも知っている。

 あの子の好きな食べ物。

 あの子の嫌いな食べ物。

 あの子の好きな歌。

 あの子の嫌いな動物。

 あの子の体を洗う順番。

 あの子の歯磨きを忘れる癖。

 大丈夫かな、大丈夫かな。

 あの子のお世話をしてきた私がいなくて、本当に大丈夫かな。

 私以外の人が、あの子のお世話ができるのかな。

 私じゃない人が、私の代わりになれるのかな。

 いや、いやいや。

 私以上にあの子の世話ができる人なんていない。いないいない。

 だって、今日という今日まで私はあの子の世話をし続けてきた。

 私以上にあの子の世話を上手にできる人なんて、いるはずがない。

 ああ、どうしようどうしよう。

 やっぱりあの子には私が必要だ。私のお世話が必要不可欠だ。

 私以外にお世話できる人なんていない。

 一人のあの子が心配だ。

 今頃私がいなくて心細くしているに違いない。

 わんわんと泣いて寂しがっているに違いない。

 どうして今私はあの子から離れているだろう。

 私はどうして、私の目の届かない所に行くのを黙って見ていたのだろう。

 全部私の責任全部私の責任全部私の責任だ。

 あの子は悪くない私のせい。

 あの子は悪くない私のせい。

 あの子は悪くない私のせい。

 早く早く、今すぐ、あの子を迎えに行かなくっちゃ!


 気が付くと私は、夜の街に飛び出していました。

 頭の中をあの子で一杯にしながら、あの子の顔を思い浮かべつつ、夜の街を移動していました。

 あの子の顔が見たいあの子の顔が見たいあの子の顔が見たい。

 そんな想いが次から次へと溢れてきました。

 あの子の笑った顔。あの子の喜ぶ顔。あの子が楽しそうな顔。

 あの子の困った顔。あの子の泣く顔。あの子が悲しそうな顔。

 あの子の顔が浮かんできますあの子の顔が浮かんできますあの子の顔が浮かんできます。

 あの子に会いたい気持ちが徐々に徐々に強まっていくのがわかります。

 今すぐあの子の顔を見て安心したい。

 これ以上なく足を早くして移動します。

 そうやって長い道のりを経た頃です。

 あの子が泊まりにいった子の家まで、後半分かといった所。

 道路の向こう側から、やってくる一つの人影が視界に入ります。

 段々と、こちらに近付いてくるその影。

 ―――お姉ちゃ―――――ん!

 それは、愛しい愛しいあの子でした。

 夜の街に響き渡るくらいの大声を叫びながらやってきたあの子は、飛びつく勢いで私に抱きついてきます。

 私に会えなかったのが寂しかったのか、あるいは今会えたのが嬉しかったのか、あの子は目に涙を走らせ、嗚咽を漏らしています。

 そんなあの子の頭に私はぽんと、手を乗せます。

「よしよし、よしよし、よーし」

 あの子を安心させるように、何度も何度も、私はなで続けます。

 そんな風に頭をなでながら、私は心の中で思います。

 もう絶対、この子に寂しい思いなんてさせない。

 もう絶対、この子を離さない。

 もう絶対、この子を目の届かないところに行かせない。

 この子のお世話は私がする。

 いつまでもいつまでも、ずーっと、この子のお世話だけをする。

 私が、この子を守っていくんだ。

 私はそう、固く固く決意するのだった。




「………ごめんなさい。今ちょっと、あの子、人前に出れる状態じゃなくって………ええ、ええ。わざわざ来てもらったのに、ごめんなさいね………ええ、じゃあまた」

 ガチャッ。

 ボタンを押すと、インターフォンの画面から来訪者の姿が消えて、真っ暗な画面に戻りました。

 かれこれもう五回目の訪問だったが、いつもどおり嘘を言って帰ってもらいました。

 中々に諦めの悪い子のようだった。まああの愛しい愛しいあの子を好きになった子なのだから、それもしょうがないのかな。その気持ちも、少しくらいなら、ほんの少しくらいなら、わかるような気がする。

 まあだからといって、会わせてあげる気はまったくないのだけれど。

 ごめんね。

 ………さてと。

 私は気を取り直し、あの子の元へと向かいます。

 今日は今朝の食事の時以降あの子とは会っていません。

 寂しがり屋のあの子をあまり寂しがらせるわけにはいかないのです。

 私はあの子のいる部屋の前まで移動します。それから、ポケットから何本かの鍵を取り出します。

 ガチャ。

 ガチャ、ガチャ。

 ガチャ、ガチャ、ガチャ。

 ガチャ、ガチャ、ガチャ、ガチャ。

 ガチャ、ガチャ、ガチャ、ガチャ、ガチャ。

 扉に幾重にも取り付けられた鍵を、順々に外していきます。

 ガチャ。

 そして最後の鍵を外すと、取っ手を回し扉の中へと入りました。

 その部屋は、おもちゃで一杯の部屋。

 私は片隅に腰を下ろすと、部屋の真ん中にいる愛しい愛しいあの子に向かって声をかけます。

「今日も君の好きな物でいっぱい遊ぼうね」

 ―――うん!

 と、あの子はそれはそれは嬉しそうに楽しそうに、返事をします。

 私と遊ぶのが本当に好きな子。

 ああ、可愛い可愛い。

 世界一可愛い子。

 私のたった一人のあの子。

 これから先、この子の生涯全ての時間。

 この子のお世話は私がします。

 それは誰にも譲りません。

 誰にも誰にも、絶対に。

 それが私の生きがい。

 私の生きる理由。

 この子がいなければ、私には生きる理由がありません。

 この子が生きている限り、私には死ぬ理由がありません。

 私はこの子の傍にいます。

 ずっとずっと、隣に居続けます。

 それが私の望みであり、願いです。

 お姉ちゃん、これからもず~~~~っと君のお世話だけするからね。




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