10(推理編)
想像でしかないが、今の僕の表情は、秋捨警部と似たような表情をしているのではないだろうか。だって、あれだけ自信有りげにこの事件の全てを解き明かしたと言ってみせる彼女の顔を見たら、誰だって僕みたいな表情をすると思う。鏡が無いから、それがどんな表情かは分からないけれど。
「そうですね、少し面倒ですが、仮説を一つずつ立ててそれを打ち破る形で答に近づいていきたいと思います」
普通の教室よりやや広めの会議室は、いまや完全に彼女のテリトリーとなっていた。これは教室では伺えない、彼女のもう一つの一面……いや、むしろ教室での彼女こそがもう一つの一面なのだろう。目に妖しい光を湛えて推理を披露する今の彼女こそが、本当の彼女だと考える方がしっくり来る。
「まずは一番却下されるべき仮説。柳沼先生が犯人であるパターンです」
「な、え、それが最初なのか?」
「当然でしょう。そもそも警部がこんな脇道に入らなければ、私がしゃしゃり出る必要も無かったんですよ」
ため息を一つつくと、すぐに高山さんの推理は再開される。
「だって山崎先生は柳沼先生のライターを持っていたんですよ。柳沼先生が犯人だったら、そんなことは有り得ない」
「何だって? 逆じゃないのか? 山崎碧さんがライターを持っていたからこそ、犯人が柳沼だっていうならともかく……」
「警部、何を寝ぼけているんですか。自分で言ったことをもう忘れたんですか?」
「へ?」
「犯人は何らかの時限装置か自動装置を用いたんでしょう? その場にいない犯人の持ち物を、なんで被害者が持っているんですか?」
「あ!」
盲点だった。自分も同じだけの情報を与えられていたのに、そんな方向には発想が及ばなかった。
「だ、だが、もしかしたら、柳沼が自分が罠にかけられたと見せかけるためにわざと山崎碧にライターを持たせたということも……」
「百歩譲ってそんなことがあったとしても、それなら柳沼は自分以外の人間のアリバイをあやふやにしなくてはいけません。彼は特別校舎の管理人として、特別校舎から皆を追い出すことでそれを実行することが可能でした。しかしそれをしていませんし、それに類することもしていません。結果として、実際に、私と彼以外の皆にアリバイができあがってしまっています」
そうか、皆にアリバイがあることが、逆説的に柳沼が犯人でないことを証明しているのだ。
「では次に、誰かが柳沼に罪を着せようとしていたとする仮説です」
「お、おい待て、その仮説が二つ目ってことは、まさか……」
「はい、これも有り得ない仮説です」
秋捨警部が頭を抱える。当たり前と言えば当たり前だろう。柳沼が犯人でないというなら、それが警部にとって次点の仮説だっただろうから。
「根拠は二つあります。一つは先ほど述べた、ライターの無意味さ。これについてはもう語る必要は無いでしょう。そしてもう一つがやはりアリバイの矛盾です」
ここでもアリバイが関係するのか。
「今度は逆に、柳沼以外のアリバイが美術部以外は偶然作られたものであることが問題になります」
先ほどの事情聴取で分かったことだが、カードゲーム部にも山崎先生が六時前に訪れ、皆の前で時間を確認したからこそ、カードゲーム部の部員にもアリバイが確保されているらしい。言い忘れていたが、山崎先生はカードゲーム部の顧問でもある。おそらくうちのクラスの文化祭準備の進行具合を見るついでに、カードゲーム部のそれも確認していたのだろう。
美術部については、柳沼先生が美術室を出ることが実質的に時報の役割を果たすのが日課になっているので例外だ。
つまり、1年2組とカードゲーム部は山崎先生がいたからこそ、アリバイが確保されたに過ぎない。もし犯人が柳沼先生に罪を着せたいなら、彼らには十分なアリバイを確保してやる必要があることになる。
そういったことを秋捨警部に告げた上で、高山さんはついでに、と言った感じで補足する。
「もっとも、この考え方だと、山崎先生が犯人である可能性を多少なりとも残してしまうんですけれどね」
苦笑交じりでそんなことを言われて、立ち上がりそうになるのを必死にこらえ、話の続きを聞く。
「それは違うというのかい。今の話だと、他の人のアリバイを確保しているんだから、彼女は条件を満たしているように思うが……」
「ええ、確かに。ただ、個人的な観点で言わせてもらえば、山崎先生にはそんなことをする動機が無いんですよ。例えば、柳沼先生がしつこくつきまとってくるのを嫌って、彼を社会的に抹殺するためにこんなことをした……ってのが、動機としては一番考えやすいと思いますけれど、そういうことをする人じゃないんですよ、山崎先生は」
僕が思っていた以上に、高山さんが山崎先生のことを知っていたことにホッとする。
「あと一応言っておくと、山崎先生、私たちにあまり帰りが遅くならないようにって言ってるんですよ。これだと私みたいに早々と帰る人がもっと出てもおかしくなかった。まあ結果的にはそんなのは私だけだったわけですし、根拠として薄いのは認めます。これから話す私の推理が納得いかなければ次点として採用していただいても構いません」
僕としては全然構わなくないが、おそらくはそういうことにはならないだろうと思う。彼女の自信に満ちた顔を見ればそう思わずにはいられない。
「では長くなりましたが、いよいよ本題に入ります」
そして長い前置きを終えた彼女の推理がいよいよ本題に入る。
「私のここまでの推理は、実はある暗黙の前提の下で構築された推理でした。その前提が秋捨警部にはあまりにも当然のように思えたせいで、それに気付けていなかったようでしたけれどね」
「暗黙の前提だって?」
「ええ、結果に囚われすぎたせいで陥ってしまったちょっとした罠ですよ、皮肉なことにその誤りを正すヒントは柳沼先生によって語られていたんですけれどね」
柳沼の言葉の中あるヒント……心当たりは一つだけある。
「そしてその暗黙の前提を打ち破ることができたなら、この事件はもう、ほとんど全て分かったも同然です。例えば……犯人にアリバイがないこととか、ね」
「何だって? 犯人にアリバイがない?」
「ええ、ありませんよ。犯人は存在しないアリバイを、自分が思ったとおりのことを証言することで、あるように見せかけただけに過ぎないんです。そうよね?」
不意に、自分に向かって話しかけられた気がして息を呑む。いや、まさか、そんなことがあるわけが……
「聞いているんでしょう? 大佛観音君?」
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