第46話
「本当か?
本当なのだな?
このようなモノから砂糖がとれるのか?」
「本当でございます。
こちらが蘭国と仏国と独国から取り寄せた書でございます。
どちらにもこの作物の事が書かれております」
徳川慶恕は急いで三冊の書を読み比べた。
どの書にも間違いなく同じことが書いてあった。
この大根のような植物から砂糖がとれるというのだ。
しかも栽培できる土地が寒冷な場所に限られると書いてある。
更に砂糖を絞った後の滓を、家畜の餌にすることができるとも書いてある。
徳川慶恕の軍略を根底から覆す大発見だった。
一八五〇年、道光帝の後を継いだ咸豊帝は、積極的に熱心に政務を行っていた。
父の道光帝が暗殺された疑いがあると、林則徐から内密の知らせを受けた咸豊帝は、宮廷の侍医ではなく民間の医師に父親の遺体を調べさせ、毒殺だと確認した。
尊敬する父皇帝を殺された咸豊帝の怒りは激しく、当時父親に反対抵抗していた皇族や高級官僚はもちろん、毒殺を防ぐことができなかった側近重臣も皆殺しにした。
咸豊帝は林則徐を北京に呼び寄せ、軍機処の欽差大臣として、他の五人の軍機大臣を指揮監督する立場とした。
林則徐は北京に行く際に、多くの倭人も同行したが、特に越中富山の薬売りが選抜され、咸豊帝の毒殺を防ごうとした。
問題は林則徐が北京に行った後の現地指揮官だった。
圧倒的に有利に戦っているとはいえ、それは林則徐が道光帝から全権を委任され、倭軍八旗が協力していたからだ。
他の汚職塗れの漢人や満州人が指揮官になれば、倭軍八旗は故国に戻り、英軍や仏軍だけでなく、太平天国や捻軍や回族軍も息を吹き返して暴れまわる。
そう林則徐が真摯に奏上した事と、何より道光帝が皇族や満州人や漢人の高級官僚に毒殺されていたことが大きかった。
咸豊帝の信用は倭人に向いていたのだ。
それだけ勇猛果敢な戦いを、倭人は清国各地で繰り返していたのだ。
そのお陰で、倭軍八旗の旗地として認められていた、沿海と北黒竜江にまたがる広大な領地だが、稲作には適さず、遊牧ができない倭人には持て余す可能性があった。
最悪放棄して撤退する事すら徳川慶恕は考えていた。
だが、旗地や蝦夷や樺太で砂糖大根が栽培収穫できれば、話が完全に裏返る。
高価な砂糖を幕府と尾張派諸藩が独占販売できたうえに、現在は蒙古や奥羽諸藩から購入している軍馬も、自前で育成できる。
徳川慶恕は再度軍略を練り直した。
弟達や側近を集め、交易と生産で手に入れられる物資と資金、その中から清国派遣軍に投入できる資金を再計算し、大きな戦略転換を行った。
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