第10話

 徳川慶恕は蝦夷地を中心にした貿易に力を入れていた。

 同時に蝦夷地防衛にも力を入れていた。

 尾張徳川家を継承し、将軍・徳川家慶から蝦夷地を預かった一八四二年には、次弟・松平義比を直接蝦夷地に派遣し、松前氏の居館であった福山館を中心に蝦夷地を開拓支配しようとしていた。


 松前氏は城を持てない領主待遇だったので、表向きは館と呼んでいたが、実際には本丸を中心に二ノ丸・北ノ丸があり、櫓が築かれ堀や石垣で厳重に強化されていた。

 徳川慶恕の側近の中には、露国対策に城郭を強化する献策をする者もいたが、徳川慶恕は南蛮の強力な大砲、軍艦による砲撃に対応するために、蘭国に南蛮式の築城技術を問い合わせていた。


 ところが、蝦夷地を任せていた松平義比が、幸運にも出雲国松江藩を継承する事になり、いったん江戸に戻ってから松江入りする事になった。

 優秀な家臣に蝦夷地を任せる選択もあったのだが、徳川慶恕は弟達を鍛える意味もあって、三弟・整三郎を元服させて松平義恕を名乗らせて福山館に派遣した。


 だがまた富山衆が新たな重要情報を集めてきた。

 それを確かめるために、直接江戸藩邸を訪ね、胸襟を開いて話し合った。

 膝詰めで談判をして、条件をすり合わせた。

 互いに納得した条件を持って徳川家祥に謁見を願い出て、徳川家祥から将軍・徳川家慶に謁見する段取りをつけてもらった。


 徳川慶恕が膝詰めで談判をしていた相手は、結城秀康を祖とする越前松平家の分家、美作国津山藩七代藩主・松平斉孝だった。

 先年徳川慶恕の次弟・松平義比改め松平慶比が跡を継いだ越前松平家、出雲国松江藩十八万六千石の分家だ。


 だが美作国津山藩は不遇の状態だった。

 一七二六年に二代藩主浅五郎が嗣子無いまま十一歳で夭折してしまい、十万石の領地を半分の五万石に減らされた状態のままだった。

 五万石を十万石に復帰させる事は、五代百十八年に渡る悲願だったのだ。


 徳川慶恕はその気持ちにつけ込んだとも言える。

 松平斉孝は、十万石に復帰させる代償として、実子ではなく十二代将軍・徳川家慶の弟、十三代徳川家斉の十五男・銀之助を養嗣子に迎えようとしていた。

 だがそれを、徳川慶恕は三弟・整三郎に継がそうとした。

 それが可能になる理由は、一八四二年の貿易利益が二百万両を超える純利益があり、その半分百万両を徳川家祥を通じて幕府に献金していたからだ。


 そして徳川慶恕は美作国津山藩を十万石ではなく十五万石とした。

 その為には多くの天領を津山藩の飛び地にしなければいけなかったが、海岸線にある天領を飛び地としてもらうことで、貿易利益がまた増加し、献金を増やすことができると十二代将軍・徳川家慶と幕閣に説明し、事を成し遂げていた。

 

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