第1章

第5話

 一八四二年、大国清が英国に敗れた。

 後にアヘン戦争と呼ばれた二年に渡る戦争だった。

 この敗戦で清国は英国相手に南京条約と呼ばれる不平等条約を締結させられた。


 この情報を長崎経由で知った有能な幕臣は、心底危機感を持った。

 だがそれは幕臣だけでなく、蘭学を学ぶ多くの士も同様だった。

 その中に美濃国高須藩十代藩主・松平義建の長男松平源之助がいた。

 幼い頃から近隣にその聡明さが評判となり、無理矢理徳川将軍家から十代藩主・斉朝、十一代藩主・斉温、十二代藩主・斉荘と養子が送られていた尾張家の希望の星となっていた。


 特に十一代藩主・斉温は、病弱を理由に死去するまでの十二年間一度も尾張に国入りせず、継室の輿入れの際に華美を極め、江戸城西の丸再建に際して九万両と木曾檜を献上し、江戸藩邸に数百匹の鳩を飼育することで、藩財政を著しく悪化させた。


 しかも隠居したはずの十代藩主・斉朝が尾張領内で力を持ち、家臣で隠然たる権力を発揮していた付家老の成瀬正住や竹腰正富と敵対していた。

 しかし松平源之助は、その力関係と敵対関係を利用して、尾張徳川家を継ぐべく着々と準備を整えていた。


「源之助。

 お前が必要だと思うのなら、いつでも家督を譲るぞ」


「いえ、私は尾張徳川家の家督を継ぎたいと思っております。

 そうしなければ、徳川家は南蛮に押し潰されてしまいます。

 不孝ではございますが、父上には危険な軍資金作りを手伝っていただきたいのですが、父上はお爺様の実家水戸家の教えにしたがい、尊王攘夷の道を歩まれますか」


「父を舐めるではない。

 我が父義和は確かに水戸家の流れだが、高須松平家は尾張徳川家の分家だ。

 尾張徳川家、徳川将軍家を重んじるのが忠義だという事は知っている。

 気にせず好きにやるがいい。

 父が盾にも剣にもなってやる。

 余はなにをすればいいのだ」


「軍資金を得るために、密貿易を行いたいと思っております。

 蝦夷より俵物を取り寄せ、清国に売り金銀を手に入れるか、米を手に入れたいと思っております。

 金銀が手に入るのならそのまま軍資金に、米が手に入るのなら北前船を使って、直接アイヌと俵物を取引したいと思っております」


「本当に危険だな。

 それに高須は美濃にある。

 清にも蝦夷にも遠すぎるぞ」


「伯母上の嫁がれた松平佐渡守様を頼ろうと思っております。

 出雲国にある広瀬藩ならば、清国ともアイヌとも交易が可能です」


「松平佐渡守殿が協力してくれなかったらどうするのだ?」


「富山の薬売りを利用しようと思っています。

 尾張藩と協力して出入り差し止めを行えば、必ず協力してくれます」


「源之助の事だ。

 全て段取りが終わっているのであろう。

 何かあれば父が腹を切ってやる。

 思う存分やれ」

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