第35話 メイド教本

 忍者になる方法。そんなもの、俺に分かるわけがない。


 だから、ルチアに聞いた。


「ねぇ、ルチア。職業を忍者にかえることってできないの?」


 俺のその言葉に、多田野は一瞬元気を取り戻す。


 虚だった目に光が宿った。


 だが、ルチアは無情にも言った。


「職業をかえるですって? そんなの、聞いたことありませんよ……。」




 そうか。ルチアも知らないのか。


 この世界では転職という概念がないのかもしれない。


 多田野はさっきまで以上に肩を落としている。


 俺がぬか喜びさせてしまったのがいけない。申し訳ないよ。




「そもそも、職業に忍者ってないよ!」


 そう言い出したのは、あいくる椎名だった。


 何やら分厚い本を見ていた。そんな本、一体どこから持ち出したんだろう。


 あいくる椎名の発言の内容以上に、俺はそのことが気になった。




「どうしたの? その本」

「あーぁ、これ? そこの本棚に置いてあったんだ」


「ダメじゃないか、勝手に持ち出したら!」

「はっ、はい! 申し訳ございません! この罪は身体で……。」


 そうだった。あいくる椎名は俺の奴隷。メイドだったんだ。


 あいくる椎名は勝手なことはできないし、

俺から離れることができないし、

自分のために生きる。


 それが戒律によって定められている。


 だから、『勝手』っていう言葉に強く反応してしまう。


 俺は別に、身体で償って欲しいわけじゃない。


 けど、身体の関係には是非なりたい。




 うぐぐ、どうしよう。




 葛藤の末、身体の関係は保留にしてもらった。


「でも、どうしたってそんなものを?」

「だってこの本『週刊 メイド教本』ですから!」


 そんな言い訳をしながら、あいくる椎名は俺に本の表紙を見せた。


 たしかに、メイド教本とあった。


 ルチアに聞いてみたところ、あいくる椎名のもので間違いないという。


 ここを出ていく勇者御一行に無料プレゼントをするためにあるんだとか。




「メイドはこの本の内容をひと通り覚えてないと務まらないんだって!」

「そっ、そうなんだ。そんなに分厚いのに、覚えるんだ……。」


「分厚いのはバインダー。本の最初のページにそう書いてあったわ」

「どれどれ。あっ、本当だ!」


 たしかにそう書いてあった。だがその次の行には、覚えるのが無理でも、

せめてどのページを捲れば書いてありそうだということだけでも

頭に入れておくようにとある。


 無料でもらえるんだから、持ち運べばいい。


 けどあいくる椎名は、案外真面目のようで、全て覚える気満々だった。


 その成果が早くも現れた。


「勇者くん、忍者くんが忍者になる方法が1つだけあるわ!」

「ほっ、本当かっ! どうすれば良い?」


 俺を押し除けて身を乗り出してきたのは、目をぎらつかせているいつもの多田野だった。


 多田野は、忍者になるためだったら何だってすると言い出した。


 あいくる椎名はそれを待っていたかのように、忍者になる方法をはなしはじめた。

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