勿忘草が咲く庭
まっく
勿忘草が咲く庭
冬の空が、春にせっつかれるように優しさを帯び始めた二月二十九日。
仕事を終えた僕は、四年ぶりに
「それ、何かの花の苗?」
彼女は四年前と同じように、大きな瞳をクリッとさせながら、小首を傾げる。
「勿忘草。綺麗な青い花が咲くんだ」
僕も四年前と同じように答える。
「ふーん。ちょっと楽しみかも」
彼女は屈託のない笑顔で返す。
僕はその苗を庭に植え替える為、スコップを手にしゃがむ。
「でも、
彼女の知る僕は、そんなイメージなのかもしれない。
庭に植えた勿忘草は、しっかりと花を咲かせてくれた。特に手入れをしたわけではなかったが、庭は風通しも良く、そのお陰か、とても綺麗な青の花をたくさん付けた。
勿忘草は、原産地では多年草だが、日本は夏が高温多湿になる為、一年草になるらしい。夏に枯れはするが、自然と落ちた種から発芽して、毎年花を咲かせてくれた。
しかし、閏年の二月二十九日に、僕が新しい勿忘草の苗を買ってくるのを知ってるかのように四年目には発芽しなくなる。
肥料を与えたり、毎年剪定などを丁寧にやっても、結果は同じだった。
「今日、何の日か知ってるよね?」
彼女はしゃがんだ僕の後ろから見下ろして言う。
「……もちろん」
「今、答えに詰まったぁー!」
彼女は僕の顔を覗き込み、頬をプクッと膨らます。
「
僕は彼女の方を見ずに答える。
「本当かなぁ? 四年に一度だしなぁ。だったら、こっち向いてよ」
しゃがんだまま彼女の方へ向き直ると、「ん」といって右手を差し出してきた。
僕はその手をとって立ち上がろうとするが、手を引っ込められて、尻餅を付いてしまった。
彼女は「じゃなくて、ん」と、また右手を差し出す。
「誕生日プレゼント? にしても、手を引っ込めるの酷くない?」
「酷くない! 忘れてた疑惑の方が酷いし、また疑惑が深まった」
チラリと彼女を見ると、今度は腰に手を当てて、目を吊り上げている。
「この勿忘草がプレゼントって言ったら怒る?」
「怒るって言いたいけど、言ったら私のイメージが悪くなるじゃん」
「誰も見てないけど?」
「高が見てる」
彼女はそう言うと、ソッポを向いてしまった。
僕は、今までと変わりのない彼女の様子を見てホッとした。そして、畝の方に向き直り、植え替えの続きを始めた。
僕が彼女にプロポーズをしたのは、彼女の四年に一度の誕生日の二月二十九日。
その日は、ペペロンチーノの美味しいイタリアンの店に行き、そこで誕生日プレゼントのペリドットのイヤリングを渡した。
僕が「本当は、ペリドットを含む隕石が誕生日石だったんだけど」と言うと、彼女は「隕石なんて、貰っても困るし、こっちのが断然いい」と言って、すぐにそれを耳に付けた。
その後に行ったバーでは誕生酒のスクリュードライバーで乾杯し、ここで婚約指輪を渡してプロポーズをした。
「もう誕生日プレゼント渡されてたから、絶対無いと思ってたのにズルい!」なんて、言いながらも、その顔には幸せが溢れ出していて、僕にとっても人生の中で一番嬉しい瞬間だった。
その日から、今日でちょうど二十年経つ。
今日も彼女の耳にはペリドットのイヤリングが付いている。
「でもさぁ、勿忘草って、切ないイメージあるから、誕生日プレゼントにはどうなの?」
「勿忘草の名前の由来は、ドイツの悲恋伝説が元になってるからね」
「じゃ、ダメじゃん!」
「でも、真実の愛って花言葉もあるから。それに……」
「それに?」
「光みたいな美しい花が咲く」
「君に逢いたいから」とは言えなかった。
彼女は「言ってて恥ずかしくないの」とか言いながらも嬉しそうな顔をしている。
二十年前と全く同じ姿で。
今でも後悔しているのは、あの日、駅で別れてしまった事だ。
彼女は、次の日も朝早くからの仕事だった僕を気遣って、家まで送ると言った申し出を頑なに拒んだ。
「結婚したら、ずっと一緒にいれるんだし」と言った彼女の言葉に浮かれてしまったのもあって、それを了承してしまったのは痛恨の極みだった。
その日から彼女は忽然と姿を消してしまった。
数日後、警察からマンション近くの川沿いの土手の道に、彼女のハンドバッグが落ちていたと連絡を受けた。
事件の可能性も考慮して捜査を進められたが、近くの柵の汚れが、人が触ったようにとれていたことから、誤って川に転落してしまった可能性が高いと判断された。
以前から大雨が続くと増水し、近隣の住民から危険を訴えられていた場所らしかった。
しかし、未だに彼女の亡骸は発見されておらず、僕は彼女の死を受け入れられずにいた。
彼女が姿を消して四年、最初の二月二十九日。仕事を辞め、実家に戻っていた僕が、近所の花屋で見つけたのが、勿忘草の苗だった。
店の人に勿忘草は二月二十九日の誕生花だと教えてもらい、それを買って帰ることにした。彼女がどこかで生きているとしたら、記憶を失っているのかもしれない。『私を忘れないで』という花言葉に、もう一度逢いたい想いを託して、庭に植える為に。
四年後の二月二十九日。
発芽しなくなった勿忘草の代わりの苗を買って家に帰ると、あの日の姿のままの彼女が現れた。耳にはペリドットのイヤリング。
一瞬、驚きはしたものの、すっと胸が晴れるように理解する事が出来た。
勿忘草が想いを叶えてくれたのだと。
同時に認めたくない気持ちから、彼女の顔をまともに見るのを避けていた。
「ねぇ、高。どうして、こっち見てくれないの?」
ここから、僕ははぐらかし続ける。午後十時四十九分まで。
そこで彼女は、この場所からいなくなる。
四年に一度、同じ時間を繰り返している。
僕ばかりが歳をとっても、彼女はあの日と同じように僕を見ていた。それを心苦しく思う気持ちが年々増している事に、僕はもう気づいていた。
いつか止まった時計の針を動かさないといけない事も。
「ちゃんとこっち見て、高!」
その言葉に、初めて僕は彼女の顔を見つめた。その目には涙が溢れ出していた。
左耳にだけ、ペリドットのイヤリングが付いている。
彼女はあの川沿いの土手の道で、右耳のイヤリングを落としてしまい、転がったそれを追い掛けて増水した川に転落してしまったに違いない。
自分がプレゼントをあげたせいで、彼女を死に追いやってしまったのを認めたくなくて、事実も、彼女の顔さえも直視出来ないままでいたのだ。
彼女の顔をしっかりと見て気付いた。彼女はきちんと成仏出来なくて苦しんでいる。
四年に一度、僕は彼女を苦しめる為に、ここに呼び出していたのかもしれない。
「今まで、ごめん。光とちゃんと向き合わずに苦しめてしまって」
「いいの。だって、高は今日一日だけじゃなくて、毎日苦しんでたんでしょ?」
そう言うと、彼女は僕との距離を限りなくゼロに近づけた。
僕は彼女を包み込むように優しく抱きしめる。
今までは触れてしまってもいいのか分からずにいたが、もう迷いはなかった。
彼女の匂いも、柔らかさも体温も肌で感じる事は出来なかったが、不思議とあの頃の感触が甦る。
確かに感じたのは、もう彼女はこの世にはいないという事。
そして、もう二度とここには現れない。
「またいつか逢えるかな?」
彼女は僕に抱きすくめられたまま聞く。
「きっと逢えるよ」
僕は力強く答える。
「でも、すぐはダメだからね」
「約束は出来ないけど、まぁ頑張ってみる」
「なんか、高らしい答え」
そう言うと彼女は、僕の腕の中からいなくなった。
時計を見ると、その針は午後十時四十九分の先へと、どんどん進んでいた。
僕は勿忘草の苗の植え替え作業を再開する。
もうここで彼女に逢えなくても、僕はこの庭に花を咲かせる。
彼女との幸せだった時間も、ここで過ごした四年に一度の苦しい時間も、そして、この先の未来の自分の時間も、全てを大切にしながら。
彼女にまた逢えるその日まで、僕はこの庭に勿忘草の花を咲かせ続ける。
勿忘草が咲く庭 まっく @mac_500324
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