幸せになる薬~とあるニートの薬物依存~
岩井喬
【第一章】
【第一章】
「うう、寒っ……」
呻き声が漏れそうになるのを堪えながら、俺、厄島憲治はアパートへの坂道を登っていた。やや狭い道路の、更に狭い歩道。軽い目眩を覚えつつ、一歩一歩、薄く雪の積もったアスファルトを踏みしめていく。
今は十二月の上旬。街はすっかりクリスマスムードで、数千、数万の電飾たちが夜闇を下から侵食している。が、一本横道に入れば、街灯が寂しく灯るだけ。
コンビニへの買い出しに行っただけなのに、こんなに足元が覚束なくなるとは。どうやら薬の効果が切れかかっているらしい。
マズいな。昼飯の後に飲んだ分が少なかったのか。
アパートの前に到着した時には、実際俺はフラフラだった。危ない危ない。外出する度にこれだ。名字に呪われているような気すらする。『厄島』って何だよ、『厄島』って。自然豊かな屋久島じゃねえんだぞ。
「はあ、はあ、はあ、はあ……」
ダウンジャケットの上から、左胸に手を当てる。僅か十五分の外出にも関わらず、心臓はバクバクだ。
「畜生……」
共用玄関に誰もいないことを確かめてから、背中を壁に当てて悪態をつく。短時間の外出だからと見くびらず、ちゃんと薬を携行するべきだった。
荒い息をつくことしばし、俺は鍵をポケットから取り出して、共用玄関のスライドドアを開ける。俺の部屋が一階にあったのは幸いだ。階段を上るだけの余力はない。
断っておくと、俺は肥満体型ではない。虚弱体質でもない。痩せ気味ではあるだろうが、不健康なほどではあるまい。
だが、それは飽くまでも体力的な話だ。精神的には、そうだな――既に重機関砲で蜂の巣にされて久しい、とでも言っておこうか。
心臓にも異常はない。問題があるとすれば、脳だ。ストレスを回避したり、自分を甘やかしたり、ゆとりを持って行動したりすることが、俺には不向きである。
理由は知らない。脳内で分泌される物質の化学反応が云々、と説明を受けているが、対処療法としての投薬くらいしか打つ手がない、というのが実情だ。
「ああ……」
これから夜が来る。既に真っ暗ではあるけれど。
夜というのは、主な俺の活動時間だ。朝は起きられないし、夜には眠れない。昼夜逆転というやつで、治そうと試みては失敗を繰り返している。
精神科にも通院しているのだが、ドクター曰く、『無理をして君の心が壊れると大変だ』と言われてしまった。
その時のドクターの、気遣わし気な、しかし腫れ物に触れるような目が忘れられない。
よって今は、ドクターストップがかかっている。無理に早寝早起きをするな、という意味でのストップだ。
俺は何とかパスワードを入力し、自室に滑り込んだ。
幸いにも、俺は現在大学生という立場に甘んじており、両親からは十分な仕送りを貰っている。
だが、それは今だからこそ通用する『言い訳』であり、永遠に仕送りされるなんて奇跡が起こるはずがない。駄目だろう、これじゃ。
今日何度目かのため息をつきながら、俺は1LDKのリビングに座り込み、コンビニのビニール袋からサンドイッチを取り出した。薬を飲むには、何かを胃に入れておかなければ。
そう思ってサンドイッチに噛り付こうとした、まさにその時だった。
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